第130話再婚の条件

「父さま。今日から岐阜城に行くのですね」


 晴太郎が僕に問いかけたので「ああ、そうだ。上様に呼ばれてね」と返事をする。

 かすみが作った朝食を家族水入らずで食べている。目の前の晴太郎は志乃が亡くなって以来、背丈が伸びて、今ではすっかり若武者らしくなっている。親の贔屓目もあるけど、このまま育ってくれれば立派な武将になるだろう。武術も子飼いの虎之助や市松に習っているようだ。


「兄さま。それがどうかしたのですか?」


 かすみが不思議そうに訊ねる。

 かすみもここ一年ですっかり可愛らしく育った。子飼いたちの間でも人気があるらしい。もちろん色目を使う者は厳しく注意したが、万福丸などは好意を隠そうとしない。しかしいつからだろうか。晴太郎のことを、にいにではなく兄さまと呼ぶようになったのは。


「いや。新しい母さまはどんな方かと思ってね」

「それは僕も知らない。なるべくお前たちと仲良くしてくれればいいが」


 ご飯を一口食べる。うん、かすみの料理の腕も上がったなと感心する。


「そりゃあ無理ってものですよ、父さま。俺たちにとって母さまはあの人しかいないんですから」

「それは分かっているさ。それでも最低限、仲良くしてほしいんだ」

「新しい妻を迎えるのは――出世のためでしょう? だったら仲良くする必要はない」


 やれやれ。反抗期とやらが来たのだろうか?

 かすみは「ちょっと、兄さま!」と僕と晴太郎の顔を交互に見ている。


「そうだね。傍から見れば出世のためかもしれない。でも上様の厚意を無碍にはできない」

「上手い言い方ですね。本当に口だけは上手い」

「……何が言いたいのかな?」


 晴太郎は茶碗を置いて姿勢を正して言う。


「父さまなら断ることもできたはずだ。それなのに、再婚するのはどういう意図があるんですか? 本心は何ですか?」


 なるほど、晴太郎は縁談を断ってほしいのか。

 もしくは僕を責めて自分の罪悪感を誤魔化したいのか。


「勘違いしてほしくないな。僕は志乃のことを愛している。死んでもそれは変わることはない。しかしそれと再婚は別だ」

「別、ですか……?」

「ああ。晴太郎も大きくなれば分かるさ」

「子ども扱いしないでください」

「まだ子どもだよ。父親の再婚に反対している時点でね」


 嫌な言い方だった。確かに子どもに口だけは上手いと指摘されることだけはある。

 晴太郎は唇を噛み締めて、それ以上何も言わなかった。

 かすみはおろおろして、目には涙が溜まっている。


「もう決まったことだ。雨竜家当主と羽柴家と織田家が決めたこと。いくら嫡男と言っても覆せない」


 立ち上がって、かすみに「美味しかったよ」と言う。

 そして部屋を後にした。

 居心地が少しだけ、悪かった。




「若さま、落ち込んでたぞ。何かあったのか?」


 長浜城を出て、岐阜城に向かう道中、雪隆くんが心配そうに僕に言ってきた。


「なんでもないよ。気にすることはない」

「しかし――」

「雪隆、あまり干渉するな」


 島が叱ったのでそれ以上は雪隆くんも聞かなかった。

 僕と雪隆くんと島の三人で向かっているのだけど、なんだか空気が重い。


「なんだ二人とも。一年前、再婚には賛成だったじゃないか」

「それはそうだが。若さまと姫の気持ちが……」


 雪隆くんは晴太郎を若さま、かすみを姫と呼ぶ。いや島もそうか。


「二人が反対なのは分かる。まだ志乃を慕っているから。でもそれじゃいけないと思うんだ」

「……どういうことだ? 殿」

「島。僕はね、子どもたちに前へ進んでほしいんだ」


 そう。いつまでも嘆き悲しんでいるのは良くない。

 特に晴太郎は――


「よく分からんが、殿がそう思うのなら仕方ないな」


 島は納得しなかったけど飲み込んでくれたようだった。

 雪隆くんも腑に落ちないようだったけど、頷いてくれた。

 得難い家臣たちだな。


 岐阜城に着くと、出迎えてくれたのは、勝蔵くん――いや、森長可くんだった。


「久しぶりだな、雲之介さん。雪隆も島も元気そうだな」

「ああ。君も元気そうだな。ところで長益さま知っているか?」


 僕の怨みを晴らすことと長政の仇を取るため、憎き者の所在を訊ねた。


「長益さまなら、堺に居ると思うぜ。あ、あんたに手紙預かっているんだ」

「堺……? ちょっと手紙を見せてくれ」


 手紙にはこう書かれていた。

 『雲よ。俺は堺で遊んでくる。仕返しが怖いからな。それでは御免』

 そして手紙の空いた隙間にはあっかんべーという顔が落書きされていた。


「…………」


 手紙をぐしゃりと握り潰した。


「く、雲之介さん? どうかしたのか?」

「と、殿の顔が物凄く怖いぞ?」

「おいおい、なんて書かれてたんだ?」


 三人の声が遠くに聞こえる。

 こ、こんなに怒りを覚えたのは、産まれて初めてだ……


「……まあいい。さっそく上様のところへ案内してくれ」

「あ、ああ。その前に顔なんとかしろよ。二、三人殺してきたような顔してるぜ?」


 怒りを何とか沈めて、岐阜城内に入る。

 謁見の間で四人で待っていると、上様がやってきた。

 僕たちが平伏すると「面を上げよ」と声をかけられる。

 見事な南蛮風の装いをしている上様がそこに居た。


「息災そうで何よりだ、雨竜雲之介秀昭よ」

「上様もお変わりなく」

「うむ。それで婚姻のことだが、その前にやってもらいたいことがある」


 上様は「本来ならすぐにでも一門衆に加えたいのだがな」と前置きをして小姓に合図をする。

 小姓は地図を僕たちの前に広げた。

 これは伊勢長島周辺の地図だ。


「かなり難しいが、これを乗り越えてほしい。そうでなければ家中の者が賛同しない」

「何の話でしょうか?」


 上様は「貴様を一門衆に加えると決めたが、反対する者が居てな」と言う。


「佐久間と林だ。あいつらろくな仕事もしないくせに反対ばかりする」

「はあ……納得させるために、何かをやれと?」

「話が早いな。それでは主命を下す」


 上様は真剣な表情で言う。


「二ヶ月以内に伊勢長島の一向宗を降伏させよ。お前なりのやり方でな」


 とんでもない主命だった。

 過去二回攻めているが、それでも落とせなかった伊勢長島を攻め落とせという。


「上様、それは――」

「俺はできると思った者しか命令を下さない」


 過度な期待、過大評価だと思ったが、上様は本心からそう思っているらしい。


「何も攻め落とせというわけではない。降伏させるのだ」

「弁舌を以って、降伏させるというわけですね」


 なるほど。力で落とすのではなく、心を動かす戦か。


「上様、一つ確認があります」

「なんだ? 言ってみろ」


 僕は――はっきりと申し上げた。


「僕は猛将でも軍師でもない、ましてや君主でもありません」

「ああ、そうだな」

「ですから――僕は内政官として落としたいと思います」


 上様は「何か策があるのか?」とにやりと笑った。


「漠然としていますけどね。それでもやってみます」

「兵はどのくらい必要だ?」

「兵は要りません」


 流石の上様も予想外だったらしく、眉を顰めた。


「なんだと? 一兵も要らんのか?」

「僕に考えがございます」


 内政官である僕でしかできないことだ。


「代わりに三千貫ください。それで落としてみせます」

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