第60話足利家での日々

『可哀想な子。そして罪悪の子……』


 また――夢を見た


『この子は、生まれてはいけない子』


 誰なんだろう。意識を集中させる。


『せめていっそう、この手で……』


 声の主に――意識を集中させる。


『この手で、殺したい』


 そして、見えた。

 今にも泣きそうな、女性の顔。

 いや――泣いている。

 そして、僕の首に、手をかけた――




「気がつかれましたか? 良かった。いきなり倒れたので、驚きましたよ」


 一覚さんが僕の顔を覗きこんだ。僕は起き上がろうとして、頭がひどく痛むのを感じた。


「ここは――御所ですか?」

「ええ。仮御所の本圀寺ですよ。雲之介さん、あなたは覚えていらっしゃらないんですか?」

「いえ、覚えています。確か公家の方と対面したときに――」


 言いかけてずきりと痛む。

 酷い痛みだった。ここでようやく、過去のことを思い出すと頭痛がすることに気づいた。


「本当に大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ?」

「平気と強がりたいのですが、正直に言えばツラいです」

「とりあえず京の名医にいただいた頭痛薬を飲んで、今日は休んでください。話は後にしましょう」


 一覚さんが部屋から出ようとする。

 僕はその前に訊ねた。


「あの公家の方のお名前は?」

「ああ。あの方は権大納言の――」


 それは――以前に義昭さんから聞いた名前だった。


「山科言継卿ですよ。なかなかの傑物です」


 その後山科さまは、村井貞勝さまら織田家家臣に礼法の指導をすることになるけど、僕は会うことができなかった。

 何故か避けられていたし、それに細川さまや一覚さんが教えてくれたので、必要が無かったのだ。

 山科さまと会うことになるのは、だいぶ先になってしまうのだけど、それはまた別の話である。


 大殿と秀吉たちは京から退去した。岐阜城に戻り、苦戦している南伊勢の戦に参戦するためだった。加えて熊野地方の九鬼氏を味方に付けるための交渉も行なうためでもあるらしい。

 志乃とはしばらく会えない日々が続く。岐阜からの手紙でまだ旅立てる体調ではなく、子どもも耐えられそうにないとのことだった。まあもうすぐ冬だから仕方ないだろう。

 大殿の帰還の際、明智さまが数十の鉄砲を本圀寺に運び入れた。大殿から譲ってもらったのだ。


「明智さま。これは……?」

「ああ。雲之介殿。これは念のためですよ」


 念のため? よく分からなかったけど、とりあえず「はあそうですか」と応じた。


「明智さまは鉄砲が得意と聞きますが」

「はい。雲之介殿は鉄砲を扱ったことはなさそうですが……」

「僕は槍部隊だったので、鉄砲は扱ったことはないですね」

「そうだ。ならば撃ち方を教えてあげましょうか?」

「えっ? 本当ですか? 是非教えてください!」


 明智さまはにっこりと笑って「ええ。鉄砲は撃つのは簡単です」と実際の鉄砲を使って説明し出した。


「まず銃身と呼ばれる鉄の筒に火薬と弾を込めます。火薬、弾の順番ですね。どちらも高価ですので、ここでは実践はしません」

「火薬、弾の順に込める、ですね」


 僕はなるべく頭に叩き込んで、後で紙か何かに書き留めようと思った。

 明智さまは木の棒を銃身の口に突っ込む動作をした。


「こうやって押し込むのです。まあ手間がかかりますがね」

「なるほど。手馴れていますね」

「次に火皿に口薬と呼ばれる細かい火薬を入れます。そして火蓋を閉じて、火縄に火をつけて、火蓋を切る――開けるですね。最後に引き金を引きます。これで弾は発射されます」

「火薬を二回用いるのですね」

「そうです。まずこの一連の動作を覚えてください。くれぐれも火蓋を閉じるのを忘れずに」


 初めは慣れなかったけど、何度も繰り返すうちに動作自体は覚えられた。


「まあ鉄砲を用いるは容易いですが、当てるのは難しいです。撃つと狙うは違いますから」

「しかし手間がかかりますね。これなら弓矢のほうが簡単じゃないですか?」


 鉄砲は高価だと聞く。矢のほうが素早く撃てる。しかも鉄砲の特性上、雨が降ったら撃てない。

 明智さまは「ふふ。こう考えてみてはいかがですか?」と言い出した。


「鉄砲を大量に運用したとしたら? 隙間無く撃ち続けられたとしたら?」

「……遠距離で人を殺せるのだから、騎馬武者でも倒せますね」

「そうです。大殿はいずれ鉄砲が戦の主役になると踏んでいます」


 だけどそれを実行するにはとてつもない資金が必要となる。

 ……だから堺を直轄地にするのか!


「大殿は賢いお方です。私が仕えるのに相応しい……」


 そう言って明智さまは不気味に笑った。教えてくれた人に何だけど、秀吉が『底が見えぬ』と言った意味が分かる気がした。


 それから三ヶ月、僕は義昭さんの補佐で内政を取り仕切ることになった。幕府の財政を鑑みると資金が圧倒的に足りなかった。そこで京の商人に献金を要求したが、良い顔をされなかった。

 仕方がないので、義昭さんの許可を貰って、最も多く献金をした者は足利家の御用商人に取り立てて、織田家との繋ぎを便宜することを通告した。

 弱体化したとはいえ幕府の御用商人になれて、しかも新進気鋭の織田家と繋がれるのは旨みが多いはずだ。

 結果として、京の商人はこぞって献金をした。そして最も多く献金したのは角倉という商家だった。


「ああ。吉田宗桂のところか」

「義昭さん、ご存知なんですか?」


 御用商人が決まったことを義昭さんに言うと「元々は医者だった」と懐かしそうに言う。


「今は長男に土倉を任せたと聞くがな」

「ええ。角倉了以という人でしたね」


 実際に会ってみると賢そうな青年だった。細身で少し歯が出ていたが、顔立ちは整っていた。

 彼は「奇貨居くべし、ですから」とすまし顔で言った。まあ呂不韋にならなければ僕としてはそれでいい。


「それで特権は何を与えた?」

「ご相談の通り、京の商人司の地位に引き上げました。商売がやりやすくなったと喜んでいますよ」

「それだけでいいのか? もっと何かないのか?」

「義昭さん、今の幕府は権威しかないのですよ」


 はっきり物を申すと義昭さんは「そうだったな……」と落ち込んでしまった。


「しかし、献金で財政は潤ったが、これは一時的なものだろう?」

「ええ。ですからこれを元手に収入を安定させる策を取ります」


 義昭さんは「ほう。どうやってだ?」と興味深そうに言う。


「まず御用商人の角倉には毎月二千貫の献金をさせます。払えぬ場合は御用商人から外します」

「二千貫!? 角倉が破綻してしまうのではないか!?」

「京の商人司になるということはそれ以上に儲かるのですよ」


 それから僕が三日三晩考えた内政策を言う。


「まず収入源となる土地の確保。これは京一帯の土地を調べて、開墾できる土地を探します。開墾するための人手は角倉の献金を元に雇います」

「ほう。まあ真っ当だな」

「次に京ならではの特産品を作ります」

「特産品? なんだそれは」


 僕は脇に置いていた風呂敷を前に持ってきて、包みを開いた。

 そこには見事と評すべき絹織物があった。


「それは……西陣織か?」

「ご明察です。既に大舎人座の者と話をつけて、再び足利家の下で作ることを了承させました」

「西陣織を作らせて、献金させるのか?」

「はい。しかしそれだけではありません。幕府の名を使い、高級品という印象を持たせて、高値で売ります。それを――他の分野でも行ないます」


 僕の構想を面白そうに聞く義昭さん。自然と熱が入る僕。


「足利の権威、伝統は商品に特別な印象を与えます。それが世間に出回ることで足利御用達は良品であると噂されます。その効果でますます売れることになるでしょう。その売り上げの一部は足利家への献金となります」

「……よく考えたものだな」


 義昭さんはそれしか言葉が出ないようだった。


「しかし宇治の茶などの特産品の目星は立っていますが、いかんせん目利きができなくてなかなか選びきれません」

「そうか。与一郎が居れば良かったのだが」


 細川さまは勝龍寺城に居る。僕も芸術に理解ある細川さまが居ればいいのにと何度も思った。


「しかし天晴れな内政策だ。よし、それで取り組んでみよう」

「ははっ。ありがたき幸せ」

「他に良き策があれば、何でも――」


 突然、襖が開いた。

 一覚さんが焦った様子で義昭さんに言う。


「大変です、公方さま!」

「どうした何があった!」


 一覚さんは「三好の軍勢です!」と声を張り上げた。


「三好三人衆がこの本圀寺へ進軍しています!」

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