幕間 ピザ・チョコ・キノコ②『歴史が好きです』

「……はぁ……」


『あらどうかしたの? 美智子みちこ


「あ、いや、何でも……」


 はっと我に返った美智子はいそいそとナイフを動かした。


 マッシュマンという不可思議な生物との邂逅から数時間が過ぎ、夜。

 だだっ広いダイニングルームで美智子はひとり、ディナーに舌鼓を打っていた。


 テーブルの上には二つ、ディスプレイが置かれている。


『……そうか。しかし、美智子の食事は豪勢だな。

 こっちは朝だから、メインもオムレツだ』


『私は昼だからそこまで変わらないわね。

 強いて言えばお酒が欲しいくらいかしら』


 その画面の向こうでは、美智子の両親である敏郎としろう典子のりこが朝と昼をとっていた。

 二人は共に世界有数の経営者でもある為、日本にいる時間はそう多くない。

 だからあの一件以降、なるべく家族の時間を作ろうとリモートで食事を共にする機会を設けることにしたのだ。

 もっとも、時差の関係で朝昼晩の違いは出てしまうが。


「さすがにお昼からお酒はダメでしょお母さん」


『でもせっかくの団欒だんらんなんだし、少しくらい羽目を外したいわよねぇ……』


 画面の向こうでは典子が物欲しそうな視線を傍らの秘書に向けるが、静かに首を振った。当然の反応だろう。


『娘の前で何を言ってるんだ、典子。

 真似でもしたらどうする』


『ふふ、冗談よ冗談』


 典子は小さく笑いながら、チキンのソテーを口に運ぶ。


『……聞いたわよ、八坂さんのこと』


 そのままグラスの水を飲んだ後、おもむろに口を開いた。


「あ……まぁSNSで流れてるもんね。

 そこまで話題にはなってないっぽいけど」


『大丈夫なの? 美智子』


「ん……まぁ、大丈夫だとは思う」


『その割には随分と上の空が多いように思えるが』


「う……」


 敏郎からの指摘に美智子はフォークを止めて狼狽うろたえた。


 正直なところ、二人の指摘は半分当たっていて半分外れている。

 確かに彼女自身、英人のことで思い悩んでいるが、それは彼の存在が拡散されたことに対してではない。

 先程マッシュマンが言っていた『ユスティニアの英雄』――そのことについてだった。


 これまでの経験で、彼が普通の人間でないことは重々承知していた。

 しかしまさか『異世界』に絡んでいるとは思ってもみなかった。


「あー……うん。

 せんせーのことなんだけどさ、これきっかけで家庭教師やめさせるとかそういうのは考えてたりする?

 それがちょっと気になっちゃって……」


 とはいえ、実の両親にこの話をするわけにもいかない。

 とりあえず質問を反し、美智子は誤魔化した。


『なんだ……そんなことね。

 なら安心なさい、美智子。今のところ彼をクビにするつもりはないわ。

 ね、アナタ?』


『ああ……だが、あくまで現時点での話だ。

 お前の成績が著しく低下したり、また素行不良が目につくようなら契約解除も検討させてもらう』


『素直じゃないわねぇ。

 ……ああ美智子、この人こんなこと言ってるけど、しょっちゅう八坂さんのこと話しているから』


『む……』


 悪戯っぽい笑顔で指摘する典子に、敏郎はバツが悪そうに黙りこくった。


「ははは……」


 真面目で頑固な父を、やや軽いノリの母がからかう。

 思えば、本当に幼い頃はこういう団欒が毎日のように繰り広げられていた。


「……いま私たちがこうして一緒に笑い合えるのも、八坂さんのおかげ。

 だからこれくらいのことで切るなんて不義理なことはしないわ」


 画面越しに美智子を見ながら、典子は微笑んだ。


『まぁ、成績に関しては今のところ文句をつける気はない』


『まーだそんなこと言ってるの、アナタ?

 あ、それより今度は八坂さんも夕食に招待したらどうかしら!

 今後の為にも一度しーっかりと話をしておきたいし!』


『典子、お前な……』


『いいじゃないいいじゃない!

 そのためには早速スケジュールを調整しないと――』


 画面の向こうでは、両親が料理そっちのけでせわしなく動き始める。これもまた、団欒のひとつなのだろう。

 少なくとも、誰ひとりいない食卓よりかはずっといい。


「……ふふっ。

 じゃあ来週せんせーが来たら、予定聞いておくね」


 美智子は小さく笑って、ステーキの最後の一切れを頬張った。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「じゃあさっきの続き、よろしくー」


「おーう」


 夕食から戻った美智子が声を掛けると、ベッドの下からのそのそとマッシュマンが顔を出した。

 

「わざわざそんなとこにいなくていいのに」


「へっ古今東西、キノコってのは日陰を暗がりを好むもんよ」


「そういうものかなぁ……それより、ご飯とかはいいの?

 お腹すいたなら何か持って来るけど」


「それなら問題ねぇ。

 俺たちゃ日に数時間、木か土に繋がってれば生きてけるからな」


「省エネなんだね」


 ふーん、と頷きながら美智子はベッドの上に座った。

 夕食の時はどうやって飼うかに頭を悩ませていたが、これなら大した手も掛からずに済みそうだ。


「んで、えーと……確か、第二次魔族大戦の続きだったか」


「うん。五人の『英雄』を召喚したとかいうとこ」


 期待と緊張が入り混じった声色で美智子は尋ねる。


 夕食前から始まった話であるが、あえて一旦ここで止めておいた。

 なんとなくだが、一度聞き始めたら止まらない気がしたからである。


「おぉそうだったそうだった。

 じゃあまずあれだな、あっちに召喚されたばかりの五人の様子か。

 じゃあ早速いくぜ?」


「うん」


 僅かに緊張した面持ちで美智子は頷く。

 案の定その話は長く、それでいて止まらなかった。





「――とまぁこんな感じで、無事『魔王』は倒されて人界には平和が戻ったっつーわけだ。まぁ五人の『英雄』の中で最後に生き残ったのは『ユスティニアの英雄』だけなんだが……って嬢ちゃん?」


「あ……うん、ありがとね」


 マッシュマンが顔を上げると、美智子は目尻に小さく涙を溜めていた。


「なんでぇ、まさか俺の語り口に感動しちまったか?」


「うん……まぁそんな感じ」


 美智子は人差し指で涙を拭い、微笑んだ。


 八年に及ぶ、五人の『英雄』の旅路――それは、長い戦いと葛藤の物語だった。


 ユスティニアの八坂やさか英人ひでと

 ノエフの大和やまと重成しげなり

 ジギスグルトの山北やまきた創二そうじ

 エスティリアの足柄あしがら飛翔ひしょう

 ウィニアスの清川きよかわ鈴音すずね


 突如として『異世界』召喚された五人の一般人が、どのようにして『魔王』を倒すに至ったのか。


 王都の防衛。

 大陸の要衝、リンゼイラ―ルにおける史上最大の会戦。

 五大国連合による魔族領侵攻。

 そして、『魔王』の討伐


 時にぶつかったり、時に協力したり。

 各国の思惑に翻弄されながらも、彼等は最後まで戦い続け、世界に平和をもたらした。『英雄』としての使命をみごと全うしたのである。


「それでせん……じゃなくて『ユスティニアの英雄』は、その後どうなったの?」


「ユスティニア本国に戻って、戦勝パレードをやってたな。

 もちろんノエフ、ウィニアス、ジギスグルド、エスティリアの四ヶ国も総出で祝った。一人だけになっちまった『英雄』の帰還をな。

 あの時の持て囃されようはすごかったぜぇ? 何せユスティニアじゃ奴に侯爵の爵位を授けるとかいう話もあったくらいだしな」


「まぁ、世界を救ったヒーローだもんね」


「だが奴はあっちで名誉と栄華を享受することを拒んだ。

 戦勝ムードから間を置かず、そのままこっちの世界に帰る事を決意したのさ」


「……そうなんだ」


「もともと帰郷心が強かったのか、ただ単純に宮仕みやつかえするのが嫌だったのか……その辺りは本人に聞かなきゃ分からねぇな。

 だが確実に言えるのは、あのまま奴が残っていれば大陸はユスティニア一強の状態になっていただろうってことだけだ」


「……へー」


 小さく頷きつつも、美智子にはなんとなくその理由が分かった気がした。


 おそらく彼は、死んだ仲間たちの為に帰ったのだろう。

 故郷の土を踏めずに逝ってしまった『英雄』たちに変わり、自分だけでもと思ったのだ。多分彼なら、八坂やさか英人ひでとならきっとそうする。


「……あ、そういえば」


 だがそこまで考えた時、美智子にはふとある疑問が浮かんだ。


「確か『ユスティニアの英雄』の奥さんって、『魔王』と戦っている時に亡くなったんだよね?」


「リザリア=ブランシールのことか。

 確かに、そこで他の『英雄』たちと共に戦死したと聞いてるぜ」


「なんかその……その人が死んだ時の状況とかって、詳しく分かる?

 例えばどんな感じで息を引き取ったのかとか」


 美智子の言葉にマッシュマンは首を傾げた。


「さぁ……?  俺はその場にいたわけじゃないから、詳しくは知らねぇな。

 普通に『魔王』にやられたんじゃねぇのか?

 というより、何でそんなことが気になるんでぇ?」


「いや、なんでも……」


 美智子は首を振りながら椅子を座り直した。


 京都の時にあの有馬ユウなる少年が言っていた「妻殺し」、その件が聞けるかと思ったが当てが外れた。まぁ公言するような話でもないし、当然かとも思ったが――だとすれば、疑問が残る。


(何で有馬ユウは、そのことを知ってたんだろ……)


 美智子は少ない材料で推理を試みるが、やはり結論は出ない。

 となると、この件に関しては英人が自分から話してくる時を待つしかないのだろう。


「……ふぁあ。長く喋ってたら眠くなってきちまった。

 もう寝ていいかい、嬢ちゃん?」


「うん、そうだね……って、もうこんな時間か」


 振り向きざまに時計を見ると、時刻は夜中の二時を回っていた。

 どうやら時間が過ぎるのも忘れる程に、話に夢中になってしまったらしい。


「さて、じゃあまた庭をお借りするぜ」


「外で寝るんだ。

 遠慮しないでウチで寝泊まりしてもいいのに」


「バッカ言え。キノコが土の上で寝ないでどうするってんだ!」


 マッシュマンはクワっと目を見開いて反論した。

 どうにも先程から彼のプライドの在処というものが分かりづらい。

 これが種族の違いというやつか。


「でもどうやって青葉あおばさんにバレずに外に出る?

 まさか窓から投げる訳にもいかないし……」


 美智子が尋ねると、部屋の隅に控えていたピザチョコがひょいと立ち上がり、


「ん……? なんでぇ、ワン公」


――ぱくっ


「あ」


 軽々とマッシュマンを口に咥えて持ち上げた。


「ちょ、何すんでぇ!?

 放せ、放しやがれこのワン公!」


 マッシュマンは全力で抵抗するが、人ほども体長のある大型犬はビクともしない。

 そのまま窓に向かってスタスタと歩き、美智子に目配せした。


 どうやら開けろということだろう。


「ピザチョコもお休みー」


「ちょおおおおおおおっ!」


 窓を開けた瞬間、白い影が断末魔のような叫びと共に夜闇に消えていく。

 美智子は伸びをしながら、ベッドに向かっていくのだった。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





「美智子様、いらっしゃいました」


「はーい!」


 数日後。

 階下から響く青葉の声に返事をしながら、美智子はいそいそと準備を始める。


「何かせわしねぇ様子だな嬢ちゃん。

 誰か来るのか?」


 部屋のベッドの下では、マッシュマンが退屈そうに寝そべっている。

 彼には『異世界』の話を色々としてもらう代わりに、しばらくこの家に秘密で居候させることにした。


「うん、家庭教師」


「ほー、流石は富豪の御令嬢だな。

 んじゃ俺ぁ一旦外に出た方がいいか?」


「いや別にいいよ。

 むしろいた方がいいかもだし」


「……んん?」


 美智子の言葉にマッシュマンは首を傾げる。

 そのまま数分後、ノックと共にドアが開いた。


「――よ、久しぶり」


 現れたのはいつもの、そして待ち焦がれた姿だった。


「ほんと久しぶり、せんせー」


 ほころぶ頬をちょっと誤魔化しながら、美智子はぱたぱたと彼に駆け寄る。

 その後ろでは、


「……げ、げぇえええええええっ! 『ユスティニアの英雄』!

 てめぇ何でここに!?」


 マッシュマンが、ベッド下から身を乗り出しながら絶叫した。


「……ん、そういうお前はいつぞやかのキノコか。

 つーかそのセリフ、そっくりそのまま返すぞ」


「なんだとぉっ!」


「あーなんというか、二人とも知り合い?」


 美智子が尋ねると、英人は困ったように首を揺らした。


「まー何と言うか、そうだな。

 昔ちょっとだけ一緒に行動してた時がある。

 つーかお前、こいつからどれだけ聞いた?」


「『異世界』のこと。とくに歴史」


「……」


「な、なんで俺を睨むんでぇ!?」


「……くそ、どうしたってこんなことに。

 最近色んなことがあり過ぎだぞ、全く」


 溜息を吐きながら、英人はガシガシと頭を掻いた。

 いずれは話す時が来るだろうと思っていたが、まさかこのような形となるとは予想だにしていなかった。盛大にタイミングをずらされた気分である。


「……なんか、ゴメンね?」


「いや別に。少々驚きはしたが、まぁこういうこともあるわな。

 変に出し惜しみした俺の責任だ」


「そう言われると、余計に申し訳ない気がしてくる……」


「ならその分は授業態度で返してくれよ?

 さて今日は復帰一発目だが、何の科目やりたい?」


 英人は椅子に座り、机の上に参考書を広げ始める。


「ほーう、色々あるな」


 マッシュマンはその様子を見ながら顎を撫でた。


「お前も参加するのかよ」


「別にいいじゃねぇか、『英雄』サマがケチケチすんな……なぁ嬢ちゃん、どれにするよ?」


 尋ねてくるマッシュマン。

 だが美智子の中では、もう何をやるかを決めていた。


「じゃあせっかくだし歴史、もっと詳しく教えてよ!

 『異世界』の!」


「ダメだ」


「えー!」


 即座に却下され、美智子は残念そうに声を上げた。


「当たり前だろ。

 曲がりなりにも金貰ってやってんだ、試験範囲外のこと教えてどうする。

 だから、」


 英人はこの世界の歴史の参考書を開き、振り向く。


「授業が終わったら、聞かせてやるよ。

 ちゃんとな」


「……うん!」


 美智子は満面の笑みを浮かべて頷いた。


「……へっ、相変わらず女たらしな奴」


「言っとくが、授業を受ける以上お前にも宿題出すからな」


「何で!?」


「ふふふっ」


 美智子は笑いながらその掛け合いを眺める。


 田町祭での事件に、『異世界』の存在。

 周囲の状況は大いに変わってしまったけれど、この人は変わらない。


(やっぱりせんせーは、せんせーのままだね)


 美智子は笑顔のまま、机に向かう。

 いつもの二人に不思議な一匹を交えた授業は、夜遅くまで続いたのだった。




                     ~幕間 ピザ・チョコ・キノコ 完~



――――――――――――――――――――――――――――――――

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

 これにて幕間及び第六部は完結です!

 

 次回からは新章に突入いたしますが、最初に導入章(多分4~5話くらい)を挟みたいと思います。

 舞台はまさかの海外! メインは某国の『国家最高戦力』!

 そしてそのタイトルは……「己が責務を果たす者」! 

 更新予定は3/17(水)です! お楽しみに!

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