いちばん美しいのは、誰㊵『拳で抵抗する23歳』
「『
――そう、かつて約束した。
お前のすごさを、いつか絶対に証明してみせると。
『英雄』の一人、
彼の持つ『
彼の前ではどんな魔法やスキルも一気に弱体化し、ほぼ無力と化す。
そう、これは最強へと至る力ではなく、周囲を最弱に押し下げる力。
だがそんな彼自身には特筆した強さがあるわけではなかった。
体術も普通、剣術も普通、魔法も普通。どう贔屓目に見ても中堅程度の強さしかない。
しかしどんな修練を重ねようが『弱化』の前には無意味となり、只の力なき凡夫と成り下がる。
つまり彼の前に敵は無く、全員が弱者として屠られる。
故に、『無敵の魔剣士』。
だがそんな強力な『異能』を持っていても、彼は怯えていた。
それは見知らぬ世界で傷つき、死ぬことに対してではない。
また『弱化』の力を卑怯で道に外れたものだと蔑む、周囲の風評に対してでもない。
ただ彼が恐れたのは、自身の臆病さ。
土壇場で戦意喪失し、その所為で仲間を死なせてしまうのではないか――その一点のみだった。
だから彼はいついかなる時も怯え、恐れていた。
そしてそれを押し殺しながら、必死に勇気を振り絞って戦い続けた。
――英人の為に命を散らしたその最後の瞬間まで、ずっと。
「――今、分かった」
客席の中で、英人は目を静かに開いた。
その左腕は眩く光り、ホール全体を照らしている。
そこには――
「お前の能力は、誰よりも優しい力だったんだな」
暴徒の全員が、力なく倒れ込む光景が広がっていた。
「……な、何を、した……!?」
「こいつらの身体能力を一気に『弱化』させた。
最低限、心肺機能を維持できる程度にな。いくら指令を出そうがもう動かんよ」
脚を震わせる
これまで大和重成の『弱化』は、相手の魔法やスキルにのみ作用する能力と考えられてきた。つまり『身体強化』の魔法を弱体化できても、術者本来の身体能力にまでは能力は及ばないと。
だがそれは常に体内に魔力を有している異世界の生物だからこそであり、どうやら魔力のない現実世界の生物に対しては直に『弱化』の影響を受けるらしい。
だからこそ、暴徒たちは身体機能の弱体化により立つことすら出来なくなったのだ。
「……こんな使い方もあるとは、思いもよらなかった。
確かにこうなってしまえば、味方もいらん殺生しなくて済むな」
「ぐ……!」
鵠沼は尻もちを付いた状態で後ずさる。
幸い、鵠沼に掛かった『弱化』の影響は限定的だった。
というのも生身の人間を活動不能にするレベルの弱体化は加減が難しく、かなりの魔力と集中力を要するのだ。さらに範囲も限定的であり、そのお陰で鵠沼自身は行動不能という最悪の結果を免れていた。
「く、来るな……!」
だがそれでも、自身の手駒を全て失ったことには変わりない。残るは、自分の身ひとつ。
鵠沼はゆらゆらと立ち上がり、再び出口に向かって駆けた。
「逃がすかよ」
だがすぐに追いつかれて背中を掴まれ、ステージ方向に向かって思い切り投げられた。
「が、は……っ!」
「言っただろ、此処が終着点だと」
倒れる鵠沼に、再び英人はゆっくりと歩を進めていく。
能力発動にかなりのリソースを割かれている為か、その手に剣は持っていない。
「う、ぐ……!」
おそらく英人は、このまま自分を殴り殺すつもりなのだろう。
『
もはや、勝敗は誰の目にも明らかだった。
「くそ……! 認められるか、こんな……!
こんなふざけた展開……っ!
間違ってる、間違ってるだろうがこんなの!」
だが、鵠沼は吠えた。
その現実を受け入れたくないかの如く。
彼はそのまま立ち上がり、英人を睨む。
「何がだ?」
「だってみんな好きだろ!? 輝いている人間の落ちぶれていく様が!
僕はただ、そのニーズを満たしているだけだ!
なのにこんな目に合うだなんておかしいだろ!」
さらに足元の暴徒を小突き、続けた。
「ここにいる馬鹿どもなんか特にそうだ!
全員がファイナリストたちのスキャンダルを好んで見ていた! そんな糞みたいな連中だからこそ、ここまで扇動できたんだ!
決して僕の『異能』だけのせいじゃない!」
鵠沼が演説する一方で、静かに壇上に上がる英人。
「それに、よく言うじゃないか。
人の不幸は蜜の味……誰も、その誘惑には逆らえない。皆がそれを求めてるんだ。
元『英雄』如きが、それを阻む理由があるのかよ……!」
「……別に、好みの問題だろう?」
英人は鵠沼の前で立ち止まり、静かに口を開いた。
「……あ?」
「人の不幸は蜜の味……確かにそうだ、否定はしない。
だが人間ってのは、別に蜜だけ食って生きてる訳じゃないだろ?
米も食えばパンも食う……違うか?」
「な、に……?」
鵠沼は眉を吊り上げた。
「つまるところ、お前はただの偏食家なんだよ。
それも己の
「勘違い、だと……?」
「分からないかよ?
ならお前の世界は狭すぎる!」
瞬間、英人は踏み込み、鵠沼の脇腹に拳を見舞った。
「が……!」
完全に虚を突かれた一撃だった。
ケーブルに覆われた体はブチブチという断裂音を響かせながら、ステージの上をのたうち回る。
「生憎、『
「グゥッ!?」
二撃目は、
まるで鉄塊のような拳は胸骨を砕き、肺の全ての空気が強制的に押し出された。
普通の人間であれば絶命に至るような二撃であったが、今の鵠沼は悪魔の力を身に宿した人外。
肉体は即座に修復を始め、傷を塞いでいく。
しかし、
(これが、死ぬまで続くのか……!?)
人外といえど、不死身ではない。
いつしか限界は来るであろうし、そもそも精神がこの痛みに耐えられる気がしない。
鵠沼の体が、苦痛の恐怖に震えた。
「はぁぁっ!」
「ガッ!?」
三撃目、右頬。今ので歯が数本砕けた。
「グ、グ……ガァッ!」
口から血をまき散らしつつも鵠沼は立ち上がろうとするが、脚が震えて立てない。
迫りくる英人の剣幕に、鵠沼の心は完全に怖気づいてしまっていた。
「どうした、もう立てないか?
……まだたった三発。暴動が始まった時間を鑑みても、僅か三時間だ。
舐めているのか?
彼女たちは――」
英人は拳を振り上げる。
「半年間、戦い続けたぞ!」
その鉄拳は、鵠沼の鼻っ面に真っすぐ突き刺さった。
「ガァッ!」
鼻が折れ、血しぶきが宙に舞う。
思えば、こうして直接殴られるのは初めてだった。
大方想像がつくようなことではあるが、実際に受けてみると、こんなにも痛いものだとは。
ここまで痛いのなら正直、もうこのまま消えてなくなってしまいたい。
天井の照明が、鵠沼の意識をさらにぼやけさせた。
(……なにやってんだろ、僕)
最初は、人の落ちぶれていくさまを見るのがただただ楽しかった。
その為には何日だって掲示板に張り込んだし、量産したSNSのアカウント数も万は下らないだろう。
でもそこまで仕込んだ分、スキャンダルが一気に炎上した時の快感は格別のものだった。
だがそれでも『愉悦』の快楽が満たされるのは一日が精々で、すぐに飢えが来る。
新たなターゲットを探さなければいけなくなる。要は際限がないのだ。
満たされつつも、満たされなさを感じる日々。
そんな矛盾を抱えていた時だった、彼――
『――君の能力に相応しい相手と舞台を、用意してあげるよ』
彼は自分の能力を心から認めてくれた。
さらには力と、このクイーン早応という舞台も用意してくれた。
しかし今、それらは悉く粉砕されようとしている。
眼前には、鉄のような拳が迫る。
ここで、終わるのか?
満たされることのないまま?
「……う、」
走馬灯のように逡巡しながら、鵠沼は目を見開いた。
だがここでいくら開き直ろうと、既に手駒はいない。
あるのは、この肉体ひとつだけ。
「お……!」
頭の中では傷つくことの嫌悪と、傷つけることへの恐怖がドス黒く渦巻く。
嫌だ。怖い。
なら、せめて――!
「おおおおおおおおおおおおおおおっ!」
最後は白痴にも似た蛮勇が、恐怖を僅かに乗り越えた。
――ドスッ。
歪な軌道をした拳が、英人の頬に当たった。
それは、握りも構えもなっていない素人の一撃。
「く……っ!」
しかし強化された膂力によって、英人の体は半歩後退した。
「あ……、あ……!」
鵠沼は追撃せず、身体を震わせながら自身の拳を見つめる。
「こ、これか……これかあぁぁぁ……っ!」
生まれて初めて、人を殴った。
じんわりとした痛みが、手全体に鈍く響いていく。
そして何故か、心が締め付けられるように重く苦しい。それに涙が止まらない。
だが、これこそが。
この全身を締め付けるような罪悪感こそが、
「これが、欲しかったのかぁぁ……っ!」
『サン・ミラグロ』使徒第四位、鵠沼悟の求めていたものだった。
「……成程。
英人の言葉に、答えは返ってこない。
ただ唸るような
「――あああああああっ!」
「らぁっ!」
甘い踏み込みの拳を甘んじて顔に受けつつ、英人はカウンターの要領で鵠沼の腹に拳を打ち込む。
めり、と柔い腹筋を貫く一撃は容易に鵠沼の胃に穴を開けた。
「あ……っ、ぐ、……!
お、おおおおおおおっ!」
その口からはさらに血が溢れるが、もう関係ない。
鵠沼は一心不乱に腕を振り続ける。
それは人を殴った経験が無いが故の、加減の知らぬ打撃。
「ああああ゛っ!」
そこに『
多少の使い手であれば、これで圧倒できたかもしれない。
「甘い!」
だが相手は元『英雄』、
彼は正確に腕の軌道を見切り、鵠沼の顔面に正拳を見舞う。
「がぁっ!」
鵠沼は再び、後方に吹き飛ばされた。
「……ぐ、ガ……い、痛い……ぃっ!」
首ごと吹き飛ばされそうな一撃に、意識が一瞬途切れかける。
だが鵠沼はすぐに立ち上がった。
殴りたい。
いやそれ以上に、自分はここで殴り切らなければならない!
そんな強迫観念にも似た歓喜が、『愉悦』の男を突き動かす。
「――僕は、強い!
『僕は強いんだぁぁっ』!」
鵠沼は叫んだ。
自分にそう言い聞かせるように、ではなく実際に自分に向かって指令を送った。
「……能力を使っての自己暗示か」
英人の『弱化』によって他者への指令は送れなくなったが、自分自身には辛うじて『
それを示すように、鵠沼の体は雄々しく隆起を始めた。
「殴る、殴ってやる……!」
「……来い」
「おおおおおおおおおっ!」
同時に拳を振り上げる両者。
決着は、三分ほどでついた。
◇
「………………ぐふっ」
天井を仰ぎながら、鵠沼は血反吐を吐いた。
足元では、英人が僅かに負った傷を『再現』で治しながら立っている。
止めを刺してくる気配はない。
「……こ、殺さない、のかよ……っ」
僅かに顔を上げながら、鵠沼は言った。
「殺さねぇよ。
いつそんなこと言った」
「誤魔化すなよ……あの時の目つき、確実に殺る気だったろ……!」
鵠沼は抗議するように言うが、英人はフッと笑い、
「あんなの、ちょっとした意識の切り替えみたいなもんだ。
場数踏んでないお前には、少しばかり分かりづらかったかも知れないがな」
「は、は……! 何だそれ……。
結局は情けをかけていたってことじゃないか……!」
「情け? とんでもない。
お前みたいなのは、死ぬよりも生きてこそしんどいってもんだ」
英人は舞台の前に出、なおも地面に伏す暴徒たちを見つめる。
「お前は今日、初めて人を殴った。つまりはようやく舞台に立ったという事だろう?
だったらそう簡単に終わることができると思うな。
最低でも彼女たち……そして彼の数十、いや数百倍は戦い続けろ」
「なんだよ、それ……」
深く息を吐きながら、鵠沼はぼぅっと照明を眺めた。
曲がりなりにも死を覚悟していた分、英人の言い様には肩透かしを食らった感はある。
しかし生き続けることが決定した瞬間、あさましくも今後に対する不安や怯えが心の中で渦巻き始めた。
……成程、これが舞台に上がるという事か。
「……なぁ」
鵠沼は僅かに目線を動かして英人を見上げる。
「なんだ」
「もし、僕が再び悪さをするとして……それでも生かすのか?」
「……さぁな」
僅かの間を置き、舞台を降りながら英人は答えた。
投げやりのような、中途半端な回答。
しかし微かに漏れた殺気を、鵠沼は視界の端でしっかりと捉えた。
「なんだよ、結局嘘つきじゃないか……」
小さく笑いつつ、鵠沼は首を右に倒す。
視線の先では、暴徒の手中でスマホがなおも撮影を続けていた。
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