神なるもの④『布教活動』
午後11時。
あれだけ盛り上がった宴会もとっくにお開きとなり、清川家は嘘のような静けさに包まれていた。田舎の夜は早いと言うが、どうやら宴会を切り上げるタイミングも早いらしい。二十人規模の大きな会だったが9時ごろには片付けまで終わってしまった。
おそらく都会での飲み会だったならその後も二次会、三次会とズルズル夜を明かしていたに違いない。
(実際、ウチの代表がそうだしな)
英人は戸から覗く夜空を見上げた。
其処には月と、煌びやかな星々が瞬いている。真夜中でも様々な明かりが灯る都会では中々見られない光景だ。
日が昇れば働き、日が沈めば眠る。
こうして見ると、田舎の美点とは昼と夜とで世界が綺麗に分断されている所ではあるまいか。
仄かに灯る室内を見ながら、英人はそう思った。
(しかし、巫女役がまさかの秦野さんとはな……)
再び視線を夜空に戻し、英人は宴会での会話を思い返した。
『巫女参り』とは、この伊勢崎村に祀られている神『オオモリヌシ』に感謝を伝えるための祭りだ。内容としては10年に1度、村の若い娘が巫女役となって『オオモリヌシ』に捧げものをするというもの。そして藤太の『卑奴羅』斬り伝説の由来から、その巫女役は清川家の人間が務めることが多いという。
つまり年齢的にも家柄的にも、美鈴はその巫女役にうってつけというわけだ。
(単に巫女役が不足していたからわざわざ彼女を呼んだ、とも考えられるが……)
英人は顎に手を当てて今回のことを考え始めた。
先程の宴会でも分かったことだが、この伊勢崎村は高齢化が著しい。まぁそれに関しては別にここに限ったことでもないが、いざ見てみるとその老人の多さに驚いた。
なにせ若者どころか40~50代ほどの年代ですらほとんど見かけないのだ。おそらく
つまり、伊勢崎村における年齢的なボリュームゾーンは70~80代。日本の平均寿命を考えると果たして10年後にまた『巫女参り』を迎えられるのかどうか。
そう思い至ると、先程の宴会もひどく虚しいものに見えてきた。
(滅びゆく村、か……)
「あの……
そう英人が物思いに耽っていると、ふと襖の向こうから
「ん? なんだい
答えると、美鈴は襖を小さく開いて忍び込むように部屋へと入ってきた。
「すみません、なんだか眠れなくて……」
申し訳なさそうにペコリと頭を下げる彼女に英人は微笑みかけ、
「おお奇遇。実は俺も中々寝付けななくてボーっとしてた。
やっぱ俺らみたいな都会っ子はこんな早い時間じゃ寝れないわな」
「ふふっ……そうですね」
美鈴は小さく噴き出し、隣に正座した。
今の美鈴は、白い浴衣姿だ。
彼女のような綺麗で艶やかな黒髪の持ち主には、純白はよく似合う。さらにはそこに星と月の光が合わさり、いつになく妖艶さが引き立っていた。
「あ、この浴衣……姉が昔使っていたものみたいです。
団平さんが出してくれて……」
美鈴は浴衣の襟を僅かに持ち上げて言った。
「そうか、よく似合ってると思うよ」
「あ、ありがとうございます……」
美鈴は気恥ずかしそうに顔を下げる。
「いやしっかし、とんでもない大役を押し付けられちまったなぁ。
小さいお祭りとはいえその主役だろ?」
「はい……とりあえず最低限の作法だけ覚えれば大丈夫みたいなので、特に練習とかはいらないそうなのですが」
「じゃあほとんどぶっつけ本番か」
「一応明日の日中に作法の説明や衣装の調整とかはやるんですけど、リハーサルとかはないみたいですね」
「ふぅん……」
英人は腕を組んで考え始めた。
「なにか、ひっかかりますか?」
「ん……やっぱりどうしてもな。
今回の『巫女参り』にしたって、気になる部分がな」
「気になる、というと?」
「10年に1度の祭り、という割に事前の準備が簡素的過ぎると思わないか? 最早手抜きと表現してもいいくらいに。
あまり大きくない村での祭りとはいえここまで村人たちが盛り上がっているんだ、もう凝っていてもいいはずだ」
「確かに……」
「正直な所、『巫女役さえ用意できれば後はどうでもいい』と言っている風にすら俺には見える。
だから祭り中は少しだけ、気を付けておいてほしい」
英人は顔を上げ、美鈴の顔を見つめた。
「気を付ける、ですか?」
「ああ……とはいえ、そんな大層なことじゃないさ。
一応俺がそんなことを言っていたと記憶の片隅にでも置いておけばいい」
「は、はい……」
「俺も俺で鈴音さんの墓参りに行かなきゃだしなぁ。
今日もなんやかんやで聞きそびれちまったし、明日こそ場所を聞かないと」
「すみません、なんか私のせいで遠回りさせてしまっているみたいで……」
美鈴はまたペコリと頭を下げた。すぐに謝るところが彼女の美点でもあり欠点でもある。
「だから別に気にしなくていいって。まずは生きて目の前にいる人間の方が断然大事。
そもそも墓参りだって、俺の自己満足みたいなもんだし」
英人はフッと笑い、窓の外へと視線を移す。
その姿に一瞬、美鈴は目を奪われた気がした。
「……あの」
口の動くままに、美鈴は言葉を発した。
「ん?」
「鈴音さんは……私の姉は、どういう人だったんですか?」
「そうだな……だがその前に」
英人はおもむろに襖の方へと視線を向けた。
「そこで覗いている奴、出てこい」
「えっ?」
その言葉に、美鈴は思わず振り返る。
すると襖の隙間からこちらを覗く双眸があった。
「だ、誰……!?」
「……!」
見つかったことに動揺したのか、人影は急いでその場を去ろうとする。
「いや待て待て。せっかくだし、一緒に話そう。
君も眠れないんだろ?」
が、英人が言葉で制すと、その足音はぴたりと止んだ。
「や、八坂さん?」
「大丈夫。ほら、早く入ってこい。団平さんに見つかるとマズいんだろ?」
静寂だけが返ってくる。
だが少し経った後、襖がゆっくりと開かれた。
「こ、子供……?」
現れたのは、小学校中学年ほどの少女だった。
子供用の丈の短い浴衣を羽織り、綺麗な黒髪のサイドポニーが揺れている。
その髪質は鈴音や美鈴とよく似ている。そして何よりも、その肌の白さが際立っていた。
「……先に自己紹介からしとこうか。
俺は
そう言い終えると、英人は美鈴に目配せする。
「えっ……あ、はい。では私も。
私の名前は
あ、あと
「……鈴音お姉ちゃんの?」
鈴音という単語に反応したのか、少女は僅かに目を見開いた。
「はい。私も最近知ったのですが、確かに血のつながった妹です」
「本当に、そうなんだ……」
「というわけで、次は君の名前を教えてほしい」
さあ、と英人は手の平を少女へと向ける。
「うん。
私の名前は……風音、
「風音ちゃんだね、ありがとう。
団平さんがお父さんってことかな?」
「うん」
風音は頷く。
「団平さんの娘さん?
でも団平さんも村の方たちもそんなことは……」
「まあそれについてはおいおい確認していくとして……それよりどうだ風音ちゃん、よければこっちにきて一緒に話さないか?
せっかく出会ったんだし」
英人はそっと手招きををする。
「い、いいの?」
「もちろん」
恐る恐る答えた風音に、英人は微笑みかける。
「う、うん!」
その微笑みに釣られるように、風音も笑顔を見せたのだった。
………………
…………
……
それからしばらく、三人は鈴音の話題で盛り上がった。
「じゃあ英人お兄ちゃんも、鈴音お姉ちゃんの友達なんだ!」
「友達……うーん、まあそんな感じだなぁ」
「風音ちゃんも、姉のことをよく知ってるんですね」
「うん! すっごく優しくて、面白い人だったんだー!
小さい頃、たくさん遊んで貰ったし!」
風音は屈託のない笑顔で答えた。本当にいいお姉さんだったらしい。
「へえ、どんな遊びを?」
「昔話とか、お手玉とか折り紙とか色々!」
今の子供たちが聞いたら驚愕しそうなラインナップだが、おそらくこの村ではそれが普通なのだろう。限界集落という閉鎖された空間だからこそである。
「昔話というと……桃太郎とかですか?」
「うん! それに浦島太郎に金太郎……そして藤太の『
私これが一番好き! ご先祖様のお話だし!」
「ハハ、確かに自分の先祖が主役の話が一番好きになるよな」
「まーね! それにお話の内容もすっごく面白くて好き!
ねぇねえ、お兄ちゃんたちもなにか知ってるお話あったら教えてよ!」
風音は英人たち二人に向かって身を乗り出した。
どうやら、昔話や物語といった類のものには目がない性格らしい。
「昔話、かあ……」
英人は腕を組んで考え込んだ。
一般教養レベルのものは頭に入っているが、さすがにその辺りの昔話は風音も既に知っているだろう。
昔話とかじゃなければいくらでも話せるのだが……。
「……少し、待っていて下さい」
悩む英人の隣で、美鈴は何か思い出したのか一旦部屋を後にした。
「すみません、お待たせしました。
……これはどうかな、風音ちゃん」
そしておよそ一分後、何冊かの本を抱えた美鈴が部屋に戻ってくる。
その本は、先程も英人に見せたオカルト関連本。
「……これ、なに?」
「はい。この本は『超保存版 日本の都市伝説300連発! 定番からドマイナーまで全網羅!』です。
タイトルの通り、日本全国の都市伝説を集めたものですね。
初心者にはうってつけですよ」
「え、えっと……とし、伝説……?」
昔話を希望したら、意味不明な本を渡された。
明らかな困惑を表情に浮かべながら、風音はその本の表紙を見つめる。
しかし見慣れない写真に、初めて見る単語――それは少女にとって全く未知の世界。
「……美鈴お姉ちゃん、これ読んでみてもいい?」
ただそれだけで子供の好奇心を呼び起こすには十分に過ぎた。
「はい、もちろん」
優しく答える美鈴。
その言葉を皮切りに、少女は新たな世界にのめり込んでいったのだった。
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