血命戦争㉒『夢の続き』

――五年前。


 それは異世界においては、統一暦660年と呼ばれた年。

 大陸全土を巻き込んだ『魔族大戦』も末期のことである。


 大陸に割拠するユスティニア、ノエフ、ジギスグルト、エスティリア、ウィニアスの五大国が独自に『英雄』を召喚してから五年が経ち、各国はついに連合。

 いよいよ魔族に支配された旧領奪還に向け、大反攻の時を迎えようとしていた。


 その際ユスティニア方面戦線で『魔族』側としてその勢力を誇っていたのが、『死者の王』の異名をとる『吸血鬼ヴァンパイア』だった。

 その名もクロキア=フォメット。


 彼は『吸血鬼ヴァンパイア』としては中位程度の実力ではあったものの、一族の常識から大きく外れた戦術によって人界からは広く恐れられるようになったのだ。


 その戦術とは、人から作り出した『喰種グール』を大量に運用したこと。


 そもそも、『吸血鬼ヴァンパイア』は基本的に人間の『喰種グール』を戦闘で使役することはほぼない。

 それは普段下等生物と見下している『人間』由来の眷属に武功を上げさせるのは、彼らの高いプライドが許さないからだ。その代わり、動物の『喰種グール』や魔物を使役する。

 何故人間はダメでそれらは良いのかという疑問は残るが、とにかくそういった共通認識を彼らは持っているのだ。


 しかし、クロキアはその常識に反し人間由来の『喰種グール』を使う事に終始こだわった。

 その為わざわざ最前線にまで出て、人間と対峙し続けたのだ。


 結果としてその作戦は大いに戦果を上げる。

 人の姿形をした『喰種グール』の軍勢は人間側に絶大な混乱を引き起こし、大戦中期においてはユスティニアを滅ぼさん限りの勢いだった。


 一応、人間側にも対抗手段として『浄化』魔法を使う僧侶職の存在があったが、いかんせん絶対数が足りない。

 前線の踏ん張りによってギリギリの所で均衡は保っていたものの、戦況を覆すにはクロキアの打倒が不可欠だった。


 そんな折、打倒クロキアの急先鋒としてめざましい活躍する者が現れる。

 それは――『ユスティニアの英雄』こと、八坂やさか英人ひでと


 彼は各所で強力な『浄化』魔法を『再現』することで戦況を優位に進め、一気に旧ユスティニア領を奪還。まさに『英雄』の名にふさわしい活躍でユスティニアを亡国の危機から救った。

 さらにその後も快進撃を続け、ついにはクロキアの本拠地に到達するまでとなったのだ。





「……ようやくここまで来た。

 これで終わりだ、クロキア=フォメット!」


 ここはかつてユスティニアの貴族の宮殿を再利用した、クロキアの本拠地。

 その最奥にある大広間。

 内装こそ大きく様変わりはしていないが、血の匂いと異様な雰囲気が英人の体を包む。


「再び、だな。八坂英人。

 いや、今はこう呼んだ方がいいか。ようこそ、『ユスティニアの英雄』よ」


 まるで玉座のような装飾を施された椅子で足を組みながら、クロキアは招かれざる客を歓迎する。

 目の前の男の手により、手駒の『喰種グール』はほぼ壊滅。

 残るは自身とこの宮殿、そして僅かな手勢のみとなった。


 だがそんな状況になっても、クロキアは逃げる事はせず、余裕の表情を崩そうとはしなかった。


「城の周りの『喰種グール』達は今、俺の部隊が抑えている。

 もちろん出口の方もだ。もう逃げ場なぞないと思え」


 英人は左手に持った剣を構える。

 切っ先が狙うは『吸血鬼』の首唯一つ。


 だが、それでもなおクロキアはニヤリと笑った。


「ほう。無事、左腕と右目は治ったみたいだね。

 流石は不死身とも謳われた男といった所か。

 まあ配下からの報告で聞いてはいたけど、直接見ると感慨深いよ。

 何せ、斬ったのは私だしね」


「…いいや、別に治ってなんかいねぇよ」


「……何?」


 予想外の答えに、クロキアの眉はピクリと動いた。


「俺は、左腕と右目を『捨てた』んだ。勝つ為にな」


 その驚愕に答えるように、英人は左腕と右目に掛かっていた魔法を解いた。

 僅かな光の後、その真の姿が露わになる。


「そ、それはまさか――」


 クロキアは思わず息を飲んだ。


 左肩についていたのは、機械人形オートマタのように無機質な鉄製の腕。

 さらに右目の方には、虚ろな色をした球体がはめ込まれていた。


「義手に、義眼……」


「正確に表現すれば、あえて『再現』をしなかった。この腕と眼をつける為に。

 そしてその代わりに俺は、新たな『力』を手に入れた」


 英人は再び義手と義眼に『表層変化』の魔法を掛ける。

 すると見る見るうちに無機質な二つのパーツは人間らしい肉感を取り戻していった。


「フフ……」


 その様を見ていたクロキアは、体を小刻みに震わせ始め、


「あ?」


「ハハハハハッハハハハハ!!」


 遂に耐えきれなくなったのか、大声を上げて笑い始めた。


「何がおかしい?」


「ハハハ……いや、君は気づいてないのかい?

 いくら勝つ為と言ったって、腕と眼を捨てるなんて狂ってる! いや、面白過ぎる!

 分かってるかい? 普通の『人間』にそんなことは出来ないのだよ、『ユスティニアの英雄』!」


「……別に、普通じゃなくても構わない。

 でも誰かがやらないと、みんな殺されちまうからな。

 信じて待ってくれる人の為にも、俺がそいつをやっただけだ!」


 英人は再び左腕を構える。

 そこにいるには紛れもなく、一人の『英雄』だった。


「『信じて待つ人』――成るほど奴ら、いや『あの女』か!

 そうか、奴がお前をここまで強くしたか!」


「いいや、それはあくまで切っ掛けにすぎない。

 でも、だからこそ気付けた。

 人間、亜人、魔族、魔法――この世界の全てが、俺を強くしてくれた。

 勿論お前も含めてだ、『吸血鬼』」


「ほう、私も?」


「ああそうだ。だからこそ、ここで決着をつける。

 ――いくぞ、クロキア=フォメット!」


 その言葉と共に、英人は一気に魔力を放出する。

 周囲の空間を歪めるそれは、クロキアすらも上回る魔力量。

 だがそれを目の当たりにしてもなおクロキアに湧き上がる感情は、恐怖や敵対心ではなかった。


 そう、それは――歓喜。



「お……おおおおおおおおおおおッ!

 素晴らしい! その目のまま向かって来るか!

 いいぞ、私はずっと君のような『人間』が見たかった! 

 その為に私は何百年も生き永らえてきたのだ!

 ハハハハハハッ!」


 クロキアは座から跳ね上がり、黒翼を広げる。


 『死者の王』と『不死身の英雄』。

 その途方もない殺気と魔力についに耐え切れず、宮殿全体が悲鳴を上げ始めた。


 みしり、という建物全体が二つに割れるような音。

 図らずもそれが、開始の合図となった。



「『再現変化トランスブースト』ッ――!」


「来い! 『英雄』ッ――!」



 ………………


 …………


 ……



「……私の負け、か」


 血溜まりの中で仰向けに倒れながら、クロキアは呟いた。


「……ああ。そして、俺達の勝ちでもある」


 闘い初めてから、どれだけの時間が経ったのだろうか。

 それは悠久の時のような気もしたし、一瞬の出来事のようにも感じられる。


 だが、それなりに時間が掛かったのは事実なのだろう。

 周りには、鎧を着た『人間』の兵士たちが集まってきているのが見える。


「届かなかった、か……いや、君達が私に届いたのか」


喰種グール』を討伐し終えたのだろう、今も続々と大広間に兵士たちが押し寄せる。


 しかしせっかくの勝利の光景だというのに、彼らは勝どきの一つも上げない。

 ただ静かに、英人とクロキアの様子だけを見つめていた。


「フフ……この私が、静かに死にゆくとはね。

 しかもまさかこれだけの『人間』に看取られるとは」


「みんな、分かっているのさ。

 お前の死が、長く続いたこの戦争の大きな転換点になるという事を。

 いわば俺達は歴史の目撃者だ。だから静かに見守っている」


 英人は倒れるクロキアの元へ歩みよる。

 その体はクロキア同様満身創痍、しかし『再現修復トランスリペアー』によって何事もなかったかのように治癒されていく。


「ハハ……すごいな、『魔族』顔負けの再生速度じゃないか。

 これじゃあ殺せるのは『あの方』位なものだ。

 だが、その左腕と右目……私は君にこれだけの傷跡を残せたんだ。

 ひとまずは、それだけで良しとしようか」


 満足そうに微笑むクロキア。

 すると足元から、まるで灰が散るように肉体の消滅が始まった。

 そう。『魔族』の死は、その存在の消滅を以て完結する。


「何か、言いたいことでもあるか?」


 小さく、英人が尋ねた。


 それは慈悲の感情からではない。

 ただ何となく、聞いておかなければいけないと、そう思ったのだ。


「そうだな……生まれてきてから幾千年、それこそ色んな事があった。

 戦争を見た、国の興亡を見た、生き死になどはそれこそ数え切れぬほど。

 だがこの数年に勝るものはなかったよ。

 人を殺し、人を使い、人に倒され……それに何より、君という敵に出会えた。

 本当に、楽しかったよ。まるで――」


 消滅する寸前、クロキアは顔を倒して横を見る。


 目線の先にあったのは、大広間の入り口。

 それと燃えるような金髪を携え、純白の鎧に身を包んだ女騎士の姿があった。

 固唾を飲んでこちらを見守る彼女と、僅かに視線が重なる。


「夢を見ているようだった」


 クロキアは、再び微笑んだ。




 ――――――――――――





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 ――――――





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 ――






「――夢でも見てたか?」



 その言葉に、『吸血鬼ヴァンパイア』は静かに目を覚ます。


「……随分と、早かったじゃないか」


「そりゃあ、色んな奴に背中を押されちまったからな。

 早くもなるさ」


「……そうか。

 私はまた、夢を見させられていたよ。

 ただほんの一瞬、目を閉じただけだというのに。最近はいつもそうさ。

 しかも内容はいつもと同じ、『あの時』のものときた。

 君の方はどうだい? 『英雄』」


 魔力の翼を広げ、空に浮かぶようにして眠っていたクロキアは、そっと下りて足を地面につけた。


 ここは高度296メートル。

 視線を横に移せば、すぐそこは海だ。

 やや強めの潮風が、二人の頬を絶えず撫で続ける。


「時々、だな。

 完全記憶能力があるから忘れはしないっていうのに、わざわざ寝ている時まで思い出させようとしてきやがる。

 それでいて完全な記憶よりも臨場感だけはあるもんだから、面倒ったらない」


「なるほど、それは災難だ……だがそれでも、私達は幸福と言う他ない。

 だって今から、その夢の続きが見られるわけだからね。

 そうだろう?」


「……かもな。

 だが、悪夢にだけはさせない。

 この腕と眼にかけても」


 英人は左腕を構える。

 その体勢は、奇しくも『あの日』と同じもの。


「素晴らしい。ならば再び始めようか八坂やさか英人ひでとよ。

 さあ――」

 

 クロキアから伸びる黒翼が、夜空の星を塗りつぶす。 

 それは星空模様の幕を無理やり押し上げるような、彼ならではの始まりの合図だった。



「もう一度『英雄』を見せてくれよ?」

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