2.貴石の塔へ

[2-1]前王統の系譜


 「出発前に、聞いておきてぇことがある」


 色々あっての朝食だったが、旅慣れたギアは昼前には出発の準備を終え、ロッシェの元を訪ねていた。彼はなぜか城の使用人たちが使う休憩室(今は昼前なので誰もいない)で、奥に敷かれた絨毯に座って娘と積み木遊びをしていたようだ。

 彼は普段、政務を手伝っているとドレーヌ卿は言っていたが、パーティーだけでなく仕事にまで娘をともなって登城しているのか。


「今じゃなきゃ駄目かい?」

「昼過ぎには出るんだろうが。今じゃなければいつにしろって言うんだよ」

「仕方ないなぁ……旅前の貴重なひと時だったのに。ルベル、フェトゥースの所へ行っておいで」


 良心をチクチクと刺してくる台詞だが、あえてギアは沈黙を返す。ルベルの方はといえば、特に愚図るでもなく素直にうなずき、ギアに笑いかけてから休憩室を出て行った。――たぶん、父親より人格者だ。

 大人気ない父親の方は積み木をきっちり片付けて立ち上がると、休憩所の椅子を視線で示して言った。


「そこに座りなよ。コーヒーでも入れてあげよう」

「場所移さなくていいのかよ……」

「彼らの休憩は王族の食事が終わってからさ、今の時間は誰も入ってきやしない。それで?」


 テーブルに着いたギアの前にコーヒーを出し、自分も斜め向かいに腰をかけて、ロッシェは細い紺碧の両眼を向けてくる。その鋭い眼光は、ギアの思惑をすでに見抜いているかのようだ。

 敵に回したくない人物ではあるが、心底から信用できるかといえば答えは否だった。

 興味というより牽制のため、彼の本心を知っておきたいと思う。


「あんたは、かなりの情報通らしいな」

「そうかな」


 涼しい顔でコーヒーを口元に運ぶ貴族の男を、ギアは睨むように観察する。出自が王族とはいえ、ギアに他国との親交を目的とした外遊の経験はない。だから、眼前の人物と直接会ったことなどあるはずがない。

 それなのに、この既視感は――どこから来ているのだろう。


「あんた、俺のことも詳しく知っていたみたいだが。ラディンについても何か掴んでいるだろう。……アイツとの間に、何があったんだ?」

「君には関係ないよ」


 カタリとカップを置いたロッシェの双眸が、鋭く細められる。


「ないはずあるか、アイツは俺たちの仲間パーティだぜ?」

「我が主に災禍をもたらしかねない情報を、他国の王族に話せるわけがないだろう?」


 何だソレ、と出かかった言葉は、殺気の込められた視線によって留められた。確かに、王城へ来てからのラディンは何かを隠している雰囲気があった。でも、あの実直で素直な少年に災禍というイメージはどうあっても結びつかない。

 それはそれとして、ギアとしてはにこだわられるのも居心地が悪いのだが。


の件は、今の俺には関係ねぇだろ」

「ああ、失礼。そういえば手配書まで出されている身だっけ」

「今の俺は『傭兵』だ。この腕と信用を売って今までやってきたし、そっち側が俺たちを雇おうとしたのも、そのがあったからだろう?」


 この先嫌味と悪意は丸ごと無視しよう、とギアは心に決める。そうでないと話が進まないし、向こうが挑発しようとしているのなら乗せられるのは危険だからだ。

 ロッシェは少し黙り、それから視線をうつむけて小さく呟いた。


「信用……もちろんしているよ。傭兵としての君はね」

「王族だから信用できないって?」

「違うよ」


 語気を強めたギアをロッシェはあっさりとかわし、ポツポツと続ける。


「君の人となりは信用しているよ。むしろ、だからこそ、というかさ」

「何なんだよ。意味がわからねえよ」

「僕だって、最初は知らなかったんだよ。調べてはいたけど、ずっと隠蔽されたままで探れなかったんだ。……知っていたら、雇うなんて話は何としてでも思い留まらせていたのに」


 ジリジリと這い登る悪寒に、ギアは思わず身震いした。ロッシェの瞳は感情のないガラス玉のように虚げで、ひどく冷えた殺意を映している。

 三日月シミターを扱う得体の知れない貴族――その正体をギアは今、後悔とともに悟ったのだった。





 十年前。ライヴァン帝国では政変があった。

 当時の将軍が突如、主君に対して牙を剥き、王権の譲渡を迫ったのだ。


 当時の王はまだ若く、英雄の肩書きを持つ将軍に対抗するだけの力を持たなかった。王座を開け渡せば命は奪わぬという要求に悩み抜いた彼は、兄であり軍師兼摂政でもあった公爵に全権を委任し、姿をくらます。

 将軍と公爵の交渉は、無血開城および王権譲渡という形で幕を引いた。


 その猛々しい気性ゆえに、新王は臣民たちに恐れられ、炎帝と呼び慣わされることになる。


 疑心にとらわれた圧政は、ある夜に突然と終わりを迎えた。

 炎帝は急死し、一人息子であった若い皇子が、その座を受け継いだ。

 当然、噂好きな帝都の民は陰に日向に囁き合う。炎帝の死は若い皇子によって仕組まれたものだったのではないか、と――。


 



「この事実を知ったら、ギア、君はフェトゥースを裏切るのかな」


 殺意を孕んだ紺碧の双眸が、挑むようにギアを見る。

 この瞳を、ギアは知っていた。

 ひとごろしを生業とする者――暗殺者アサシン。考えてみれば、はじめから符丁は揃っていたのだ。暗殺者が使う三日月刀、手配書を見た時の反応、気配を知らせず背後に立つような身のこなし、どれも彼が国王つきの暗殺者アサシンであればうなずける。

 そのロッシェが、ラディンに対して殺意を抱いているという事実は。


「アイツ、もしかして前政権の……?」

「正確には前王統。ディニオード公爵の一人息子であり、本来なら『王子様』だった人物だよ」


 しん、と耳をつく静寂の音。

 その時、ギアの脳裏を過ったのは、結局板挟みになってしまう自分をあきれる思いと共に、『人は見かけによらない』という言葉だった。



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