第39話/Cold Heart
黒蜜と俺はスーツの裾をひるがえすと、一歩ずつ、のしのしとボジックに近づいていった。
「へへへっ……臭ぇ身体しやがって。獣臭くて死にそうだ、おい!」
「ひっく……ひぐっ……」
「おし、それじゃそろそろ……」
「臭いのはあなたのほうではないですか?」
黒蜜はボジックの前に立ち、きっぱりと言い放った。
「……あ?んだてめぇら!おぉ?」
「さっきから、人の皮を被った獣の臭いがひどくて、たまりません。いい加減、勘弁してもらませんか」
「かっ、このチビ……!」
ボジックは黒蜜の挑発を真に受け、歯をむき出しにして怒っている。うまい。あえて男の注意を引き、自分へと誘導したんだ。これなら娘を巻き込まないで済みそうだぞ。
「なんだてめぇら、二人だけかよ?悪いけど、オレぁ手加減できないタチだぜ?一瞬でぶち殺して……」
そこまで言った時、ボジックの顔色がさっと変わった。
「お前……」
ボジックの目は驚愕に見開かれている。
「俺の顔は覚えているか、ボジックさん?」
「な、なんでテメェがここに……なら、まさか……!」
ボジックはせわしなく目をきょろきょろさせたが、ある一点を見つめてぴたりと止まった。
どうしたんだ?俺の姿に驚いたというよりは、どちらかというと……俺たちの後ろ、キリーたちの方を見ているような……?
「く、くそぉ!」
「きゃぁ!」
「あ!」
ボジックは突然身をひるがえし、娘を抱え込んだ。その手には折り畳み式のナイフが握られている。
「お前ら、オレから離れろぉ!コイツをぶっ殺すぞ!」
そう叫ぶボジックの手は激しく震え、突き立てられたナイフは、今にも娘の顔に突き刺さりそうだ。
状況を察した乗客たちが一斉に息をのむ。しんと静まり返った車内には、ボジックの荒い息だけが不気味に響いた。
「くっ!刃物なんか隠し持ってたっすか……!」
「おい、落ち着け!そんなことしたって何にもならないだろう!」
「うぅう、うるせぇ!は、離れろっつってんだ!さもないと……」
がたがた震える刃先が妖しく光る。ちっ、しかたない、。
「黒蜜。今はあの子の無事が最優先だ。ここは一旦退こう」
「はい……」
俺たちはしぶしぶ、ボジックから一歩離れた。
「もっとだ!もっと下がれ!この車両から出ろ!」
「~~~~ッ!」
黒蜜は苦虫を噛み潰したような顔できびすを返した。くぅ、これで手出しは相当難しくなってしまった。
「なにぼさっとしてやがる!お前と、あの後ろの女どももだ!」
なに?キリーたちもだって。やはりボジックは、彼女たちを妙に恐れている。前にコテンパンにされたからだろうか?
「センパイ?癪ですけど、言う通りにしましょう。早くしないと、あの女の子が危ないです」
「あ、ああ悪い。みんな、いったん撤退だ!」
「え?ユキ、どうしたの?」
「話は外でだ。今はひとまず移動してくれ!」
俺は状況が呑み込めていないキリーたちを、車外への扉にせかせかと押し込んだ。
バタン!
「くそっ!うまくいきそうだったのに!」
扉が閉まるや否や、黒蜜が堰を切ったように吠えた。
「厄介なことになったな……」
「ユキ?交渉は失敗したんですか?」
ウィローが心配そうに問いかける。
「すまない、娘を人質に取られてしまったんだ」
「あの男、アンタたちのほうをしきりに気にしてたっすよ!なにか後ろでおかしなことしてたんじゃないでしょうね!」
「な!そんなことするわけがないでしょう!あなたこそ男をヘタに刺激したんじゃないですか!」
「なぁんですって!」
「やめなさいアンタたちっ!」
もにゅり。アプリコットが二人のおしりをわし揉んだ。
「にゃあ!」
「ぎゃあー!」
「話が進まないでしょ!ユキ、埒が明かないからアンタから話してちょうだいな」
「あ、ああ……みんな、チャックラック組のボジックって覚えてるか?ほら、顔に傷がある……」
「あぁ、いたわね。え、なに?そいつがさっきの男なの?」
「ああ。それでビビったのか、いきなり暴れ出したんだ」
「えぇ?前はあんなにふてぶてしい態度だったのに?」
「いや、本当になにがなんだか……けど確か、きみたちのだれかを見てからそうなったような気が……」
「あたしたち?」
アプリコットがきょとんと聞き返す。
「そう見えたんだ。けど、その理由が……」
「う~ん……」
「ね、ねぇ?それよりも、今はあの女の子を助けてあげた方がいいんじゃない?」
スーがおずおずと手をあげた。
「……確かにそうだな。スーの言う通りだ、すまない」
「あ、ううん!そういうんじゃないんだけど……早く、助けてあげたいなって」
スーが目を細めて客車の扉を見つめる。暴力を受けた過去のあるスーには、思うところがあるのかもしれない。
「……ヤクザに言われなくたって、そのつもりでしたよ。これから彼女を救出します」
「とはいえ、どうやってヤツに近づく?中に入るにはこの扉しかないぞ」
俺は、さっき俺たちが通った扉を指さした。ここが少しでも開けば、中にいるあいつにまる分かりだろう。
「そう、なんですよね……」
「ねぇ、なら上はどうかな?」
キリーが空を指さした。
「あなた……ウチらに鳥になれっていうんですか?」
黒蜜が呆れたように首を振った。いや、けど悪くない案だ。
「上……そうか、列車の屋根。それなら上を通って、ヤツの背後をとれるな」
「え。センパイ、本気ですか?危険すぎですよ!」
「けど、今のところそれしか手がなさそうだ。ただ問題は……」
俺は列車の屋根を見つめた。そびえ立つ壁は高く、男の俺でも手が届くか届かないかくらいだ。唐獅子の力を使えば、よじのぼること自体はたやすいだろうが……
「な、なるべく静かにのぼってみるよ。少し時間がかかるかもしれないが……」
「ユキ、でしたら私が行きます」
ウィローがとん、と自分の胸を指さした。
「ウィロー?」
「自慢じゃないですが、私はこの中でなら一番身軽な自信があります。ただ、私じゃ
「……わかった。気を付けろよ、ウィロー。頼む」
「頼まれました」
俺は両手を組み合わせて、中腰になった。ウィローが俺の手に足を掛ける。
「いち、にの、さんでいくぞ。いち、にぃ……」
「さん!」
俺が手をぶんと振り上げると、ウィローの体は軽々と浮き上がり、客車の屋根にふわりと着地した。顔だけを突き出して、ウィローがこちらを見下ろす。
「よし。では、いってきますね」
「こっちでも隙を作れないか試してみる。じゃ、あとで」
「はい。では」
頭が引っ込んで、ウィローは屋根の陰に消えて行った。
「それじゃあ、俺たちも作戦を始めよう」
「センパイ、さっき隙を作るとかって言ってましたけど、どうするつもりですか?」
「ああ、ヤツに何か話しかけてみようと思って。少しでも注意を引ければ、ウィローもやりやすくなるだろ」
「けどそしたら、余計あの男を刺激しちゃいません?」
「そこなんだよな。だからなるべく、ヤツを怒らせないように話さないと……」
「あー……なら、ウチは向かないかもですね」
「それは、さっきさっそく言い合いになってるしな……」
となると、交渉役は俺たちの中から選ばないと、か。しかし、キリーたちは一様に俺を見つめていた。
「えーっと?」
「えっともへちまも、アンタしかいないでしょ。さっきアイツと話したのは、アンタたちだけなんだし」
「それに、ユキくん話すの上手いから。わたしたちだと、ほら、その……」
「なんなら、私が請け負ってもいい。私のトークスキルなら、どんな頑固な口もイージーオープンエンドのように……」
「よし、俺が行こう」
「そうね、それが適任だわ」
「お願いします、センパイ」
「……小粋なジョークなのに」
俺は客車の扉の前に立つと、大きく息を吸い込んだ。
「おーい!聞いているか!少し話がしたいんだ!」
ドンドン、とドアを強めにノックする。
少し待ってみても、中からは反応がなかった。
「……よし、少し開けてみよう」
キィ。俺はゆっくりノブをひねり、扉を開けてみた。
「開くな!もしそこを開けてみろ!こいつの喉も真っ二つに切り開いてやるぞ!」
ピタリ。扉をほんの少しだけ開いたところで、中からボジックの怒声が聞こえた。後ろで黒蜜たちが息をのむ音がする。俺は手を止めたが、開いたすき間を閉じることもしなかった。
「わかった!もうこれ以上は開けないと約束する!俺はただ、アンタと話がしたいんだ!」
「う、うるせぇ!俺には話すことなんかねぇ!」
「前あったことは忘れよう!俺たちも忘れる!そんな恐ろしいことはよせ!」
「ハッ、白々しいぞ!恐ろしい?お前らがよく言ったもんだな!」
なんだって?まるでそれだと、恐ろしいのは“こっち”のように聞こえるが……
「……すまない、意味がよく分からない。説明してくれないか!」
「んだと?お前たちの仲間じゃないのか!あの“天使”は!」
「て、てんし?」
俺はとっさに振り返ってしまった。
黒蜜はきょとんとしているし、スーたちも知らない、と首をふるふる振った。
「……天使っていうのは、何かの例えか!」
「とぼけんな!前やり合った時は知らなかったが、もう騙されねぇぞ!」
「なんのことだ!きちんと説明してくれ!」
「は?お前……あっはっははは!」
突然、ボジックは大声で笑いだした。
「お前まさか、ほんとうに知らないのか?」
「あ、ああ。言葉通りの意味としか……」
「ぶひゃっははは!こいつはお笑いだぜ!」
男は笑いすぎて、ドンドンと床を踏み鳴らしている。c
「くははは!こんなバカ初めて見たぜ!バカすぎるから教えといてやるよ。お前らが仲間だと思ってるやつは、実はとんでもない凶悪犯だってことをな!」
なんだって。俺は全身がこわばるのを感じた。こいつは何を言ってるんだ?
「それを知らずに、今までのほほんとしてたなんてな!しかもそれだけじゃねぇ!お前ら、もう一つでっかい爆弾を抱えてるだろ!」
「何のことなんだ!さっきから話がちっとも読めないぞ!」
「バーカ!教えてやるよ、そいつの名は……」
その時だった。
バターン!と、扉がはじけ飛ぶ音がした。続いて、がっ、という短い悲鳴。
もしや、ウィローが動いたか?俺は思い切って、扉を開け放った。
車内では、ボジックがうつぶせに倒れていた。その後ろには鉄パイプを構えたウィローが立っている。脇では解放された馬耳の娘が、母親と抱き合っていた。
「おぉ!はは、やったなウィロー!」
俺は笑いながらウィローに手を振った。だが、ウィローはうつむいたまま、微動だにしない。
「ウィロー……?」
俺が近くで呼びかけると、ウィローははっとしたように顔をあげた。
「あ、ユキ。やりましたよ。これでもう安心です」
「あ、ああ。さすがだよ。さて……」
これだけ暴れたんだ、客たちはさすがに動揺してるに違いない。俺が乗客に呼びかけようとすると……
「……なんだ?」
何とも言えない違和感があった。乗客たちが、落ち着きすぎているのだ。ナイフを持った男が暴れてたなら、もう少しざわついているものじゃないか?
「ったく、やっと終わったか……」
「やれやれ、人騒がせな連中だよ……」
「これだから人もどきは……列車が止まらなくて幸いだったよ……」
耳を澄ませると、ぼそぼそとささやく声が聞こえてくる。
ここの乗客たちは、落ち着いているんじゃない。始めから事件を気にしてなどいなかったんだ。それはつまり、獣人の母娘がどうなろうと、自分たちの興味関心にはなかったということ……
「……いきましょ。ここにいても、あんまりいいことなさそうだわ」
いつの間にか来ていたのか、アプリコットが母娘に声をかけた。スーは服がはだけてしまった娘にジャケットをかけ、優しく慰めている。
ウィローもこくんとうなずいた。
「さっき上にあがった時、後ろの方に貨物車が見えました。ひとまず、そちらへ向かいましょうか」
「……そうだな」
俺は伸びているボジックを荷物のように担ぐと、列車の後方を目指した。今はただ、この最悪な空気の中から、一刻も早く抜け出したかった。
続く
《次回は木曜日投稿予定です》
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