第36話/Etranger
「ふぅん……ユキもあれで、けっこう頼りがいあるじゃない」
あたしは店の壁に寄りかかって、さっきのユキの姿を思い出していた。いつまでもキャバ嬢になれないで、ソファで居眠りして。でっかい坊やだと思ってたら、ニゾーを倒しちゃったり、大胆なことを平然と言ってのけたり。
「なんだか不思議だわ。ああいうコ……」
「何が不思議なんだ、オネエチャン?」
えっ?思わず顔を上げると、そこには派手なスーツの男たちが、ニヤニヤとしまりのない笑みを浮かべて立っていた。
「ねぇ君、一人?よければ僕らと話でもしない?」
「安心しろよ、俺たちのおごりだから」
はは~ん。こういう手合いね、あたしを誘うなんていい度胸じゃない。だいたいなによ、おごってやるって超上から目線。お金は出すからつきあって下さいって言えないのかしら。言われても困るけど。
「悪いけど、興味ないわ」
「ひゅー。クールなネエチャンだ。ますます気に入ったぜ」
「はぁ?」
何かしらコイツ。面倒なタイプだわ……
「大丈夫、必ずいい夜にするよ。さ、行こう」
「いや、だから……」
「来いよ。楽しもうぜ」
男たちがあたしの手を掴む。
「ちょっと!一人じゃないっての!連れが黙ってないわよ!」
「つまんねぇウソつくなよ。どこにもいねぇじゃねぇか」
「それに女の子を放っておくようなヤツ、君にふさわしくないよ」
「ふざないで!あんたたちより百倍はマシよ!放して!」
ヤバ、コイツらけっこう力強いわ。あたしは手を掴まれたまま、ずるずると引き摺られていった。くぅ、振りほどけない……!
「待て!」
鋭い叫び声。この声は……!
「ユキ!タイミングばっちりよ!」
暖簾をはねのけて、ユキがズンズンとこちらへやって来た。
「お前ら、その娘から手をはなせ!」
「あぁ?なんだおめぇ!」
「だから連れがいるって言ったでしょ!ほら、放しなさい!」
ユキがあたしたちの間に割って入ると、男たちはようやくあたしを自由にした。
「邪魔すんじゃねえ!すっこんでろ!」
「そういう訳には、いかないな」
「……きみのような粗暴な男には、その娘は相応しくないな。きみ、その娘とどういう関係なんだ?」
「え?」
「そうだ、てめえの女って証拠はあんのか!」
証拠って……子どもじゃないんだから。
ユキは、どう言ったものかとしどろもどろしている。しょうがない、適当に切り抜けましょうか。あたしはユキの腕をつっつき、パチパチウィンクした。
(ここはイッパツかましてよ!)
(あ、ああ。わかった)
ユキは男たちに面と向き合った。
「お前たち、こいつは俺のなぁ……」
「なんだぁ?」
「俺の、ムスメだ!」
……え?
「はぁ?」
「ち、違う。俺の妹だ!」
「どっちにしろ、お前の女じゃねぇじゃねぇか!」
「妹の恋事情に、口を挟むものじゃないと思うな」
「ユキ……あんたねぇ」
「う、うるさいなぁ!とにかく!」
ぽすっ。ユキがあたしの肩を掴んで、ぐいと引き寄せた。
「こいつは、俺の大事な女なんだ。お前らにくれてやるわけには、いかないな」
あたしの左耳が、ユキの体に触れている。熱くて、力強い鼓動がした。
「あぁ?んなこと関係あるかよ。テメェの事情なんざ知るか!」
「だったら、きみから奪い取ればいいのかな……?」
辺りに険悪な空気が漂う。ユキならケンカは問題ないでしょうけど、どんな目があるか分からないここで、悪目立ちもしたくないわね……よし。
「ユキ、ごめんね」
「え……んむっ!?」
「んっ……」
「なぁ!?」
……。
数秒ほどして、あたしはユキから離れた。
「ぷは……どう?この口としたいっていうなら、付き合ってあげてもいいわよ?」
あたしは自分の唇を指して、にこりと笑った。
「ちっ……誰がテメェみたいな尻軽欲しがるかよ!」
「まったくだな……興ざめだ、行こう」
「ぺっ!二度とそのツラ見せんな!」
男たちはぶつくさ言いながら、どしどし歩いていった。
「まったく……捨てゼリフまでチンピラね。ねぇユキ?」
「……」
「もう、ユキったら」
「……ああ」
「もぉ、ごめんってば。先にあやまったでしょ」
「いや、怒ってるわけじゃないんだが……」
「そう?なんにせよ、もう行きましょ。またあいつらに会っちゃったら、面倒だわ」
「そ、うだな。帰ろう」
あたしたちは黙って歩きだした。……違うわね、黙り込んでるのはユキだけだわ。
ネオンの町並みには、手を取り合って歩く人ばかり。その中で押し黙って、黙々と歩いているあたしたちは、ずいぶん妙なカップルに見えるでしょうね……。
「ねぇ、ユキ」
あたしはユキの左の手の甲を、指先でカリカリと掻いた。
「うん?なんだよ」
「せめて手ぐらい繋いでないと、かえって不自然だと思うんだけど」
「いや、それは……まあ、確かに」
「でしょ?」
あたしは、ユキの小指だけをつまむと、自分に指を絡めた。
「……控えめなんだな」
「そうね。ユキはいや?あたしとこうするの」
「……まあ、こうしてる方が自然だしな」
「そう?」
あたしたちはぎこちなく手を繋いだまま、お互いの方を見ずに歩き続けた。
「……さっきの店では、どんな話が聞けた?」
「うん?ああ、似たようなことだったな。最近は景気が悪くて、それは得体の知れない輩のせいだろうって。ただ、それに加えて警察が嗅ぎまわってるとも言っていたな」
「警察?パコロの町に?」
「ああ。なんだ、そんなに珍しいことなのか?」
「珍しいというか……ここは政府公認の無法地帯みたいなもんだからね。ヤクザが仕切ってる時点で、だいたい察せるでしょ?」
「ああ、それもそうだな……」
「さすがに派手にドンパチすればお上も黙ってないけど、最近はあたしたちのケンカくらいだったし……あれくらいで動きがあるとは思えないわ」
「そうか……なんにせよ、不安要素が多すぎるな。これじゃ手を出しずらいだろ」
「それには同感よ。悔しいけど、こっちまでは根を伸ばせそうもないわ。もう少し力を蓄えないと……」
「けど諦める気は、ないんだろ?」
「もちろんでしょ。ゆくゆくはここだって手中に収めて見せるわ!」
「はは……当分暇にはなりそうもないな」
「ま、あたしには心強いボディガードがついてるしね!頼りにしてるわよ、お・に・い・ちゃ・ん?」
「うわっ、それはちがってだな……」
「あら、じゃあ“パパ”って呼んだ方が……」
「やめろーー!」
ユキの叫びは、明るく彩られた夜空にこだましていった。
「……ユキ。止まって」
「ん?」
俺とアプリコットが戻ってくると、見慣れぬ車が一台、事務所の前に停まっていた。
「なんだあの車。誰のだろう?」
「見たことないわね……?」
その時、事務所のほうから大声が聞こえてきた。もめるような、怒鳴るような声だ。
「なんだ?アプリコット、急ごう!」
「ええ!」
俺たちは階段を駆け上がると、扉のわきに張り付いた。漏れ聞こえてくる声は、やはり怒声のようだ。
「……だって……かってる……」
「……から……うってば!」
よく聞こえないが、キリーの声か?もう一人は……女のようだ。
「女一人なら行けそうだな。突っ込むぞ!」
「油断しないでよ、ユキ!」
俺はドアノブを握ると、バッと扉を開け放った。
「みんな、大丈夫か!」
事務所の中では、キリーがはぁはぁと息を荒げて立っていた。それと向き合うように立っているのは、制服を着た女性だ。その恰好は……警察?
「な、なにがあったんだ……?」
「っ!組員が帰ってきたようっすね!あなたたちにも話を……」
女性がこちらへ振り返った。その顔立ちは意外と幼く、キリーたちとそこまで離れていないように見える。
「あれ……?」
なんだろう、デジャヴのような……黒髪の少女の顔が、頭にちらつく。そうだ、確か放課後の、セーラー服を着た……
「あー!」
「あー!?」
俺と女の声が重なった。やはり彼女は、俺が夢の中で見た……!
「黒蜜か!」
「お兄ちゃん!?」
「そうそう、学校で後輩だった……え?」
なんて言った?センパイじゃなくて、おにいちゃん……?
「い、妹だったのか……?」
「えー!?」
「い、いもうと……?」
「え……ユキお兄ちゃんっすよね?今までどうしてたんすか!?」
「いや、まってくれ。俺は木ノ下ユキで間違いないし、きみのことも確かに知ってるが……」
「え……?
「その、きみは黒蜜であってるよな?学校の後輩だった……」
「そう、すね。お兄ちゃんのいっこ下で、同じ学校だった……」
「そうか……」
「どうして……なんにも、覚えて無いんすか……?」
俺たちのあいだに、微妙な空気が立ち込めた。俺は記憶を失い、再会したのが異世界だなんてなったら、そうもなるだろ。
「と、とりあえず……お茶でもいかが?」
スーがなんともぎこちない笑顔で、俺たちに話しかけた。場を和ませてくれようとしたのだろうが、黒蜜には逆効果だったようだ。
「っ!ヤクザなんかが出したお茶なんて飲むわけないでしょ!何が入ってるか、わかったもんじゃないっす!」
「ひぃ!」
「だいたい、そうっすよ!お兄ちゃん、どうしてヤクザの事務所なんかにいるんすか!やっぱりこいつらが犯人なんでしょ!?そうか、もしかしてこいつらが記憶を……?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。お互いに分からないことが多すぎだ。まずは席について、落ち着いて話を聞かせてくれないか?」
「う……まあ、お兄ちゃんがそう言うなら」
黒蜜はしぶしぶと言った様子だが、こくんとうなずいた。スーがためらいながらも、みなにお茶を出す。スーが黒蜜の前に湯呑を置くとき、黒蜜はものすごい形相でスーを睨みつけていた。そのおかげで、スーは危うく二度もお茶をこぼしかけた。
「……黒蜜、毒なんて入ってないよ。俺が保障する」
「……いやに肩を持つんすね。別にいいですけど」
「はは……さて、誰から話してもらったものか……」
俺がキリーを見やると、キリーは任せる、というようにジェスチャーした。
「よし、じゃあまず黒蜜から……きみは、どうしてここに来たんだ?」
「どうして“ここ”に、か……そんなの、わたしが知りたいよ」
「え?」
「……いいえ。それより、お兄ちゃんは、その……思ったより馴染んでますね。ここ、日本じゃないんすよ?」
「あ、ああ。目が覚めたらいきなりこんなところだしな。知り合いもいないし……けど」
「けど?」
「そこで、ここの連中に拾われたんだよ。彼女ら、キリーたちがいなかったら、俺は今日この場にいれなかった」
「この人たちに……」
黒蜜は胡散臭そうな目でキリーたちを見つめた。キリーは胸を張ってその視線を受け止める。
「まあ、それは分かったっすけど……じゃあなんで、今もここにいるんすか?」
「ああ、実は俺、昔のことをよく思い出せないでいるんだ」
「え?」
「記憶喪失っていうのか……断片的にしか覚えて無いんだよ」
「……じゃあ、もしかしてわたしのことも?」
「ああ……ごめんな。名前と顔くらいはなんとかなったんだが」
黒蜜は、しばらくうつむいたままだった。だがそのうち、意を決したように顔を上げた。
「……“あの日”のことも、覚えて無い?」
「うん?悪い、なんのことだか……」
「い、いいの!分かんないなら……」
黒蜜は慌てて手をぶんぶん振った。
「えっと……そっか、じゃああんまり昔の話をしてもしょうがないっすね。記憶喪失か……まさかそうなるとは」
「うん?どういう意味だ」
「いえ、こっちの話っす。とりあえず、今のわたしは今警察官をやってて、最近このパコロの町に配属されたんす」
「ああ、恰好からそうかと思ってたが、ほんとに警官なんだな」
「ええ、まあ。それでいざ現地に付いてみたら……」
黒蜜はにわかに顔をこわばらせた。ぎりり、と奥歯を噛みしめる音がする。
「この町の惨状ときたら!こんな場所を放置しておく政府が信じられない!治安も風紀も目を見張るっすけど、極めつけは巷で出回ってるあの“薬”!」
「薬……?」
「いわゆる違法ドラッグっす。成分は詳しく知らないけど、麻薬みたいなものだと思いますよ」
麻薬、という言葉が、みなをざわつかせた。
アプリコットが、信じられない、といった表情でたずねる。
「麻薬……そりゃ出回ってないとは言えないけど、でもそれは裏の裏、闇マーケットでの話よ。それが今、目立つほどの表層でやり取りされてるってわけ?」
「しらばっくれないでください。あなたたちが出所なんでしょう!」
黒蜜はバン!とテーブルを叩いた。どういうことだ?俺たちが、薬の出所?
「だから違うって言ってるのに~……」
キリーがうんざりしたように肩を落とした。スーも苦笑いを浮かべている。
「あはは……さっきからこの調子で、全然取り合ってくれないんだ」
「ウソばっかりつくからっす!このあたりで一番おっきいヤクザはここだって聞きました!あなたたちじゃなかったら、誰だって言うんすか!」
なるほど、もめていた理由はそれか。
「黒蜜、落ち着いてくれ。メイダロッカは薬には手を出してないよ」
「もう!どうしてお兄ちゃんはヤクザの肩ばっかり持つんすか!いくら恩があったって、こいつらは所詮ヤクザなんすよ!」
黒蜜はソファにどっかり座り込むと、腕組みしてむすっと黙りこんだ。参ったな、なんて言おう?
「ええっと……黒蜜。実は俺、この組でヤクザをやってるんだ」
「は……?」
黒蜜はぽかんと口を開けている。
「前の世界、日本にいたときから、そうだったらしいんだよ。黒蜜はなにか知らないか?」
「いやいや、何言って……」
そこまで言って、黒蜜ははたと口をつぐんだ。
「……知らないっすね。お兄ちゃん、卒業したらすぐ家を出ていっちゃったから」
「そうか……けど、どうやらそうらしい。そのことは覚えてたんだ」
だとすると、俺は高校卒業のその後でヤクザになったことになるのか。家を出てから、一体なにがあったんだろう?
「けどだとしたら、お兄ちゃん!こんなとこ抜け出そう?わたし、今一人寮暮らしなんです。お兄ちゃん一人くらいなら、かくまったってばれやしないっすよ」
「いや、そうもいかんだろう……」
すると痺れを切らしたように、キリーがずいっと身を乗り出した。
「あなた、いい加減にしてよね!ユキはウチの組員なんだから。勝手に引っ越しさせないで!」
「なんすか!あなたこそいい加減にしてください!ヤクザごときがわたしに命令するなんて、逮捕するっすよ!」
黒蜜とキリーの間に、ばちばち火花が散っている。
「おい二人とも、少し落ち着いて……」
「なに!」
「なんっすか!」
「うおっ……じゃなくって!」
俺はごほん、ごほんと咳ばらいした。
「二人とも、俺抜きで俺の話をしないでくれよ。心配してくれるのは嬉しいが、これじゃ纏まるものも纏まらない」
「う……」
「まあ、そうっすけど……」
「黒蜜。俺は自分の意思でこの組に入ったんだ。理由はどうあれ、そこに後悔はないよ」
「……」
「それに、組で薬を売り捌いてもいない。きっと別に黒幕がいるんだ。俺でよければ、犯人探しを手伝わせてくれ」
キリーが目を丸くした。
「ユキ!ヤクザが警察を手伝うの?」
「それは仕方ないだろ?薬なんかでシマを荒らされたら、俺たちの面目が丸つぶれだ」
「それはそうだけど……」
「……はぁ、もういいっすよ」
黒蜜はすくっと立ち上がった。
「ヤクザなんかの手は借りませんから。この事件は、わたしの独力で捜査します。あなたたちみたいなおバカな人たちは、捜査線上から外しておいてあげるっすよ」
「あ、おい。待てよ黒蜜……」
「あなたのことも、金輪際兄とは認めません。今からわたしたちは赤の他人です」
黒蜜はこちらをきっ、と睨み付けた。
「これからは“センパイ”と呼ばせてもらいますから。ではセンパイ、また」
バタン!
扉が閉まり、後には呆気に取られる俺たちだけが残された。ウィローがあきれたようにつぶやく。
「……赤の他人は、先輩と呼ばないのでは?」
アプリコットがそれに続く。
「それよりも、またって言ってたわよ。会う気マンマンみたいね、センパイ?」
「……頭が痛いな」
黒蜜……俺の妹を名乗る、警察官の少女……いや、年齢的には二十歳を越えているはずなのか。彼女はなぜ、この世界にいるのだろう?なぜ俺たち兄妹が、この世界に招かれたのだろう……
答えのない疑問に、俺は頭を抱えるばかりだった。
続く
《投稿遅れ申し訳ございません。次回は木曜日投稿予定です》
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