第16話/Plot
俺は走っていた。朝の爽やかな空気とは裏腹に、俺の心は焦燥でちりついている。
今はアプリコットのアパートを出て、ストリートに戻ってきたところだ。さすがに人気はなくなり、がらんどうの通りを俺一人が疾走している。
忘れていたのだ。アプリコットに付き合ったばかりに、大事なことをすっかりと失念していた。
「キリーたちと、待ち合わせだった!」
やばい!夜の間には戻るつもりだったのに!もうどれくらい待たせているのだろう。
もしかしたら先に帰っているかもしれない。そうなるとまいった、俺はここまでの道を知らないぞ。
しかし、それならまだマシだ。最悪なのは……
「っ!」
通りの終わりに、見覚えのあるボロ車が停まっている。まだ待っていてくれたんだ。申し訳なく思いながらも、ほっと一安心した。
だが次の瞬間、その安堵は一気に吹き飛んだ。
「……遅かったですね、ユキ」
車の前に、仁王立ちする人影が一つ。鉄パイプを杖のようについて、たたずむ姿は歴戦の武人のような威圧感を放っている。
「お、お、お、オハヨウ、ウィロー……」
そこには、青筋を立ててにっこり笑うウィローがいた。
恐れていた最悪の事態だ……
「まったく、何考えているんですか!遊び歩くにしても、限度というものがあるでしょう!」
「はい、すみませんでした……」
俺は平謝りしていた。少女に対して、大の男がアスファルトに正座する今の姿は、傍から見るとどう映るのだろう。人気が無くて助かった……
「みんなにも心配かけて!キリーとスーがどれだけ探し回ったと思ってるんです!」
その二人は今、車のシートで寄り添って寝息を立てていた。夜通し歩かせて、きっと疲れただろうな。
「それに…………たしだって」
「え?ウィロー、今なんて」
「なんでもないです!とにかく今後!軽率な行動は控えてください」
「ごもっともです……」
それでも朝まで待っていてくれたのは、純粋に嬉しかった。てっきり置き去りかとも思ってたから。
「はぁ……まあ今回はこのくらいにしておきます。なにか事情があることも、わかりましたから」
ウィローはワイシャツ姿の俺の恰好を見て、なんとなく察してくれたようだ。車のドアを開けて、ウィローが言った。
「さあ、帰りましょうか。キリーを起こさないと。……朝からあの運転なんて、気が重いですけどね」
「ははは……同感だな」
「ふ~ん……アプリコットとそんな話をしてたんだ」
キリーは複雑な表情で呟いた。
俺たちは事務所に戻って、昨夜得た情報を整理していた。今はちょうど、アプリコットの部屋で起こった事を話し終えたところだ。
「しかし、それはますます困ったことになりましたね……」
ウィローは眉間にしわを寄せる。
「獣人を守るためとなったら、彼女は絶対に折れないでしょう。あれで、情に熱いところがありますから」
「ちぇ、だったらわたしたちにも優しくしてくれればいいのに」
キリーがぶーぶーと文句を言う。スーはそんなキリーをなだめながら言う。
「アプリコットさんは可哀想だけど……今は、うまくいってるんだよね。だったら、わたしたちがそれを崩していいのかな……」
「う〜ん……」
キリーとスーは二人揃って頭をひねっている。ウィローは俺へと視線を投げかけた。
「実際に会話したあなたは、どう思うんですか」
「俺か?俺は……」
水に濡れた彼女の横顔を思い出す。あの夜から、ずっと考えていたことがある。それはあまりに身勝手で、強引で、理不尽だ。だが、これなら。
「俺はあいつを、ぶっ壊そうと思うんだ」
確実に、彼女を救える。
言い切った俺を、みんなはびっくりした顔で見つめていた。
「ぶっ壊す……?ユキ、どういうことなの?」
キリーは困惑した表情でたずねた。
「ああ。あいつの地位、あいつの関係、あいつのしがらみ……あいつをあそこに縛り付ける物を、全部ぶっ壊す。それでアプリコットを自由にするんだ」
「それって……今の仕組みを壊すってことだよね。けどそんな事したら、風俗街はめちゃくちゃになっちゃうよ」
「そうだな。それは俺も嫌だ」
首を横に振った俺に、ウィローが食って掛かった。
「嫌だって。あなた、分かってるんですか?私たちヤクザは、あそこの獣人どもがどうなろうと知ったこっちゃないんです。ただあの街が産む甘い汁までダメにされたら、共倒れだって言ってるんですよ」
「ああ、ウィロー。分かってるつもりだ」
そうだ。何もかもダメにしてしまっては意味がない。
「アプリコットを救い、最終的には彼女の協力も勝ち取る。今のところ、これが俺の考えてる計画の最終段階だ」
そんなに上手くいくか?とウィローは顔をしかめている。反対にキリーは顔を輝かせていた。
「もしユキの言うとおりになったら、サイキョーにカンペキだね!」
「悪くないだろ?」
「うん!けどさけどさ、さっきスーも言ってたじゃない。今はアプリコットが全部何とかしちゃってるんだよ。そこに手を出したら、あの街の人はもー反対すると思うけど」
「そうだな。もし完全に、一切の歪みなく回ってたんなら、付け入る隙も無かっただろう。けど実際はさっき話した通り、彼女の犠牲の上で成り立っている。そこが歪みで、綻びだ」
小さな綻びは、いつか大きな穴へと広がる。それは俺だけじゃなくて、アプリコット自身もわかっているはずだ。そして俺の見立てでは、それだけじゃなく……
「じゃあユキは、アプリコットにそんなの間違ってるって言うつもりなの?」
「ん?いや、それを素直に聞き入れてくれる相手なら、こんなに苦労しないだろう。俺たちが話をつけなきゃいけないのは、アプリコットじゃない。その裏にいるやつらのほうだ」
「あ……そっか。アプリコットが繋がってるって人たちのことだね」
キリーがふんふんとうなずくと、そこにウィローが口をはさんだ。
「たしかに興味深い話ですが、信憑性はあるのですか?」
「どうだろうな。屋台のオヤジから聞いた話だから、単なる噂かもしれない。きみたちは似たような話を聞かなかったか?」
「いえ、私とスーは……キリー?」
キリーもぶんぶん首を振った。
「あ、けど。最近嫌な客が多いって話なら聞いたよ」
「嫌な客?」
「うん。なんか態度がでかいっていうか、ずうずうしいって感じ?つい最近のだと、忙しいのにいちいち呼び止めて、あーだこーだ質問されるんだって!」
「え……キリー、それって」
きみのことなんじゃ。喉元まで出かけた言葉は、グッと飲み込んだ。皆まで言うまい。
「それでね、この前来た客がぐでんぐでんになったらしいんだけど、その時にブツブツ言ってたんだって。チャックだかなんだか、オレたちはこの街の支配者だぞーって」
「街の、支配者?」
どういう意味だろう。それに、チャックって?
「チャック……もしや」
ウィローははっとしたように動きを止めた。
「ウィロー?心当たりが?」
「ええ。一つだけ……チャックラック組、というのがありまして」
チャックラック組? “組”を名乗るところが引っかかるな。
「そいつらは?」
「察しはつくと思いますが、連中もヤクザです。それも私たちと同じ、鳳凰会の下位組織ですよ」
そうか。俺たちメイダロッカ組も、大本をたどれば本家である『鳳凰会』に行き着く。じゃあ相手は同胞であり、同業者なのか。
「ヤクザか……もしかしたら、そいつらが黒幕なのかもな」
「ええ……」
支配者というつぶやきも、そういう意味ならうなずける。しかしウィローは、自分の言葉に半信半疑な様子だった。
「ただ、大きな組織かと言われると、微妙な所ですね。そこそこの規模があったはずですが、数年前に下手打ってずいぶんしぼんだとか。近頃はあまり聞かない名前です」
「なるほど……もしそいつらが黒幕だとして、それならどうして幅を利かせられるんだろう?」
「さあ……ただ、チャックラック組は昔からあの辺りをシマにしていました。土地勘もあります。彼らが何らかの方法で力を持ったのなら、風俗街を牛耳るのも難しくないでしょうね」
だんだん証拠がそろってきたな。影に包まれた黒幕、その片鱗が見えてきたぞ。
「ウィロー。そのチャックラック組ってのは、風俗街に事務所があるのか?」
「ええ。ぶらさがり横丁という通り沿いに」
ああ、あそこか。屋台のオヤジに聞いた、不気味な横丁だ。
「もし、そことケンカをしたら。勝てると思うか?」
ケンカと聞いて、スーがひっ、と小さく悲鳴を上げた。この少人数でも、勝てる見込みはあるのだろうか。しかし……
「アナタ、誰にモノを言ってるんですか?」
ウィローは平然と言い切った。へへ、頼もしい用心棒だ。
「チャックラック組へカチコミに行くつもりなんですか?直談判でもする気で?」
「いいや。いずれはそうなりそうだが……その前に、一つやっておきたいことがあるんだ」
ウィローは怪訝そうに首をかしげた。今から俺が言うことを聞けば、もっと訝しがるだろうな。
「これから、一芝居打とうと思う。みんな、手を貸してくれないか?」
「えっへっへ~、似合うかぴょん?」
「キリー、あなたよく平気ですね……」
「うわわ、キリーちゃん、跳んじゃダメだよ。み、見えちゃう!」
俺たちはふたたび夜の風俗街へとやって来ていた。今はもろもろの買い物を済ませ、キリーの着替えが完了したところだ。
「しかし、よくこんな服売ってたよな……」
「まあ、そういう需要は高いですよね。土地柄的に」
キリーは今、実に過激なバニースーツを纏っていた。いや、これを着ていると言っていいものか……
上下に分かれた衣装は、胸の部分が大きく露出していた。それも限界まで布面積を減らしたマイクロ仕様だ。どちらもフロントにジッパーがついているのだが、キリーにあったサイズが無かったせいで、ほぼ全開になってしまっている。おかげでキリーの下着は丸見えだった。
「へへ~。これならユキのご希望通りでしょ?」
「あ、ああ。とても、み、魅力的だよ」
俺の出した要望とは、“誰がどう見ても誘っているとしか思えない恰好をしてくれ”というものだった。正直これだと、露骨すぎて逆に引いてしまいそうだが、俺が言った手前文句を言うわけにもいかない。
「おっと。これを忘れちゃだめだよね」
そう言ってキリーは、頭にウサギの耳を、お尻にふわふわの尻尾をつけた。獣人のそれに似せられた、かなりリアルなものだ。ぱっと見なら、十分獣人に見えるだろう。
「よし、でーきた。ふふっ、こういうのって、意外と楽しいかも。ねえねえユキ、どお?似合ってる?」
キリーは俺の前でくるりと回ると、ポーズをとってみせた。子供っぽいキリーが過激な格好をしているのは、なんだかちぐはぐで不思議な気分だ。
「ああ。よく似合うよ」
「ほんと?なんならデートしてあげてもいいよ?」
「それは遠慮する」
「ちぇ。あはは!」
みずみずしい四肢を惜しげもなくさらすキリーは、しかし意外とスタイルがよかった。普段はスーツのせいで気付かなかったが、脚はスラリと長いし、ウエストは引き締まっている。
「キリーちゃん、ノリノリ……」
「ほんとですよ。最初は貧乏くじだなんだとごねていたくせに」
「え~、そうだったっけ」
キリーがこの役に抜擢されたのには、一応理由があった。ウィローはなにかあった時の護衛だから、スーは恥ずかしすぎてどうにかなるから、俺は男だから、だ。……つまり、消去法なんだけど。
「……まぁ、そもそも私たちじゃキリーには勝てっこないんですけどね……主に一部で」
「ウィローちゃん、それは言わない約束だよ……」
二人はなぜか胸に手を当てて落ち込んでいたが、俺はあえてスルーした。そこに触れてはならない気がする。
「よし、それじゃあ本番だ。キリー、準備はいいか?」
「おっけー、まかせてよ。必ずチャックラックを引っ掻けてみせるから」
キリーはパチリとウィンクした。
ようし、幕開けといこう。逆ナンパ作戦、開始だ。
続く
《次回は土曜日投稿予定です》
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