第11話 011 シュレディンガーの猫


 ゼーハー……ゼーハ……と、荒い息を吐き出して。

 「これくらいにしといてあげるわ」

 髪は乱れて白衣はボロボロのマリーが、余裕綽々のコツメに言い放った。


 「終わったか?」

 男はタバコを燻らしながらに待っていた。


 「私はまだやれるけど?」

 シャドウボクシングよろしく跳び跳ねるコツメ。


 男はそのコツメを睨み付けて。

 「終わったか!」


 肩を竦ませ……まだ何か言いたげのコツメを無視した男は、着ていたパーカーをマリーに渡してやった。


 「貴方……余程、元の世界に帰りたいのね。この暖かさでそんな厚着して」

 パーカーを羽織ながら。

 「暑いでしょう?」


 ダウンベストを見て未練たらしく見えたか?

 しかし……確かに暑い。

 こちらの異世界はもう既に春なのだから、それは当たり前の事だろう。


 「そう言えばさっき聞いていたわね、元の世界に帰る方法」

 

 「知っているのか?」

 

 「知らないわ」

 マリーは首を横に振りつつ。

 「そんな方法……有るのかも知れないけど、わかんない」

 

 「知っていればとっくに帰っているか……」

 男は予想道理の答えに、咥えていたタバコを摘まんで病院の屋上から廃墟の街に飛ばした。

 狙ったのは遥か遠くの魔物なのだが、軽いタバコが届く筈も無く……そのまま下に落ちていく。


 マリーは頷いて。

 「そうね」

 と一言。

 そして、男に飛ばされたタバコを追うように廃墟を見て。

 「ねえ聞いて良い?」


 「なんだ?」

 

 「貴方の元の世界は何年?」


 「なぜ、それを聞く?」

 年代?

 意味が有るのか?


 「私がこの世界に来て……もう数百年も経つのよ。でも貴方と話しているとそんな未来人に感じられないの」

 男に渡されたパーカーの生地を摘まんでその布地を確かめる様な仕草が見て取れる。


 「たぶんほんの少しの未来だと思う……ジュリアナ何てとっくに潰れてるしディスコ何て死語だ」


 マリーは眉をしかめて男を見た。

 「でも知っているのよね?」


 「テレビでたまたま見た程度だ……昭和の時代の映像とか、昔のバブルの話の時に流れる映像とかでね」


 「ほんの少しのズレなのかしら?」

 考え始めたマリー。


 「たぶん三十年くらい先な感じだと思う……」

 男は自分の今の年齢とテレビの情報を照らし合わせて計算してみた……が、正確かどうかはわからない。

 あくまでもたぶんだ。


 しかしマリーにはそれでも十分だったようだ。

 「三十年……私は五十過ぎくらいに成っているって事ね」


 「五十才……か」

 ん!?

 「元の世界に戻るって、時代もそれぞれにって事か?」

 ズレた時間はどうする?

 

 「都合良すぎるわね……それは」

 男の考えが読めたのだろう。

 マリーは苦笑い。


 男は口を閉じて……目を伏せる。

 マリーの否定した意味もわかるからだ。

 元の世界の指定した時間に飛ぶこと事態が都合が良すぎる?


 「貴方の元の世界でだけど……三十年前に東京の一部が、街が消えたって事は有った? 聞いた事は有る?」

 そんな男にマリーは質問を続ける。


 「無いよそんなもん」

 男はそれに即座に答えた。

 「今も東京は首都で……ちゃんとそこに在る」


 「じゃあこれはなに?」

 マリーは廃墟を指差して。

 「これも紛れもない東京の一部よ」


 「どういう事だ?」

 イヤ聞かなくても薄々は理解出来ていた。

 男の背中に嫌な汗が伝う。

 ズレは時間だけじゃあ無い?


 「元の世界では街は消えていない……私もたぶん消えていない……貴方もね」

 

 「それは詰まりは……元の世界には異世界に行っていない俺が居ると?」


 「そう考えるのが妥当でしょう? 元の世界に帰れたとして、そこにはもう一人の私が居て……貴方も居る。同じ人間が同時に存在する事に成るでしょうね……そこに時間のズレが有るのならそれはもう別人かも知れないけどね」

 小さく頷いたマリー。

 「そして異世界から帰って来た私は……元の世界に居る私からしたら、やっぱり異世界人と成るのでしょうね。もちろん居場所なんか無いでしょうし、仕事も両親も元の世界の私のモノなのだろうし……どう考えても元の生活には戻れそうに無いわね」


 「元の世界の自分と融合……とか?」

 男は、頭をひねくり絞り出した都合の良い方法。

 

 「一番に最悪ねそれは……知識と経験と肉体もそうだけど、その二つのズレた人間が一つに成るのよ……しかも元の世界でと成れば優先されるのは今の私じゃ無いでしょう。って事は……今のここに居る私は……消えるって事よ」


 「詰まりは……死ぬに等しいって事か……」


 男のその答えに、静かに頷いたマリー。

 

 「シュレディンガーの猫……」

 男はボソリと呟いた。


 「あら物知りね、量子力学の勉強でもしたの?」

 マリーは薄く笑い。

 「でも……たぶんそれが正解ね」

 そして自分も納得したとそんな顔に成る。

 「蓋を開けなければわからない……なんて勘違いの解釈で言ったのなら笑ってあげるけど」

 

 「そんな下らない解釈はしない」

 そう捉えている者が多いのは知っているが……断じて違う。


 マリーはそんな、眉をしかめる男を見てか。

 「ま! 帰れる方法が見付けられればの話よ」

 そして屋上の縁から離れて。

 「それよりも今の話をしましょう。ここで死んだらそれこそ帰れるものも帰れなく為るんだし」

 と、スタスタとエレベーターに向かって歩き出した。




 迷い無く進むマリーに男達は着いて行く。

 その途中でそこいらに居たゴーレムから白衣を奪い、自分の破れた白衣を押し付けていた。

 そして更衣室からデイバック……時代が違うのだからリュックサックか? を取って来て、骸骨が眠る元の部屋に戻って来たマリー。


 「更衣室が在るなら、服は無かったのか?」

 男は素朴な疑問をぶつけてみた。

 もう暫くはヤヤコシイ事は考えたくは無いと嫌に成っていたからだ。

 そして骸骨に文句の一つも言いたい。

 ここに来ればわかると言っていたが……何も答えが出ないじゃないかと。

 しかしそれも今更だ。

 何を言っても返事はくれないのだから。


 「この病院の半分は無いのよ、崖に……じゃないか、転生エリア? かで切られて居るから。で、小児科はそっちに在ったのよ」

 マリーはチビッ子ゴーレムに何かを持ってこさせる指示を出しながら。


 「子供服? サイズの問題か?」

 しかしマリーは今、男のパーカーを着てその上に白衣だ。

 どちらもブカブカで裾は足首まで白衣。

 袖は両方を目一杯まで捲り上げた状態。

 「サイズねぇ……」

 許せない何かが有るのか?

 よくわからん。


 その間、マリーはチビッ子ゴーレムの手伝いでそこいらのモノを適当にリュックサックに詰め込み。

 「さあ、行きましょうか」

 と、そう言った。

 

 「何処に?」


 「何処だって良いわ」

 歩き出したマリー。

 「ココじゃない何処かよ」




 マリーは幌車の中をキョロキョロと見渡して、前の方の一角でさも当然とくつろぎ始めた。

 自分の場所はココだと決めたらしい。

 

 幌車までの道程は、来た道を戻って来ただけだ。

 距離にしてもすぐの事。

 チビッ子ゴーレムと槍のスケルトンが護衛と荷物持ちをしてくれた。

 荷物も知れていたし、魔物も出なかったのであまり意味は無かったが、それでもマリーと別れの挨拶が出来たのでチビッ子ゴーレムには意味が有ったのだろう。

 そう、チビッ子ゴーレムも槍のスケルトンも洞窟の入り口までで帰ってしまった。

 マリーによるとゴーレムもスケルトンも結界の中からは出られてもほんの少ししか動いて要られないからだそうだ。

 それは、動力源の魔力を結界の魔素粒子に頼っているからだとか。

 あれ達は元々が、今の男とは違うその前の魂の勇者が造ったモノを模して造っただけで、自分は錬金術師で魂の勇者では無いから一緒に行くのは無理なんだそうだ。


 なら男がとも思ったが……残念ながらまだレベルが足りない様で、どうにも出来なかった。


 それに、若干の欠陥も在るとか。

 だから男に、早くレベルを上げて……本物のゴーレムくらいは造れる様に成れと注文を着けていた。

 

 

 さて、動き出した幌車。

 目的地は、一度寄った事の有る村に決まった。

 最初は城下街にと提案したのだがマリーに即座に却下される。

 「こんな格好で街はイヤ!」

 それが理由だそうだ。


 男が城下街を提案したのもその格好だからだ。

 取り敢えずの服と……パンツは必要だろうと思い、店が在るであろう城下街だ。

 だが嫌だと言われれば仕方無いと考えたのが前回の村。

 人の良さそうな村長の家は雑貨屋だった。

 確か、服も置いていた筈。

 と、いう事での妥協案だった。

 

 「ところで……貴方、お金は有るの?」

 目的地が決まって、マリーが男に聞いた。

 服やパンツを買うのだお金は必要なのはわかる。


 男は財布を出して中を覗く。

 「三万ちょっと……」

 紙幣を見せた。


 「あんた馬鹿?」

 男の金をヒッタクリそれをポイと捨てたマリー。

 「こんなの使えるワケ無いじゃない」


 「やっぱり?」

 そうだよなぁ。

 男も薄々は感じていた事だ。


 「詰まりは一文無しって事ね」

 ハアァ……と、これ見よがしな大きな溜め息を吐くマリー。


 「この盗賊から奪ったモノは……売れないかな?」

 男は幌車の中のガラクタを指して。


 「私にはゴミにしか見えないわ」

 見もせずに吐き捨てる。


 「だよなぁ」

 しかしそれには男も頷くしかない。

 男が見てもゴミだし。

 

 「仕方無いわね」

 マリーはリュックを引っくり返して、中から空のフラスコ十個を出した。

 「回復薬でも造って売るしか無いわね」

 そして男を見る。

 「そのお金で旅の準備よ……ドワーフの里に行きましょう」


 「ドワーフ?」

 亜人って奴か?


 「そう、その里に私が昔、お金を貸した者が居るのよ……今はその子孫だろうけど、貸したモノは返して貰わないとね」

 フンと鼻を鳴らしたマリー。


 金か……今までは骸骨が居たから気にもしなかったが。

 確かに必要だろう。

 骸骨に着いて行けば帰れる? なんて甘い考えは無かったがそれでも何とか為るとは思っていた。

 やはり甘いのか?

 そもそもが現実を見ていなかった?

 現実感そのものが抜け落ちていた?

 今、金の話をして初めて本物のリアルを感じた気がした。

 「金の問題は……何処に居ても付いて回るんだな」

 溜め息の男。

 

 「人と繋がってコミュニティで生きるなら異世界だろうと当たり前でしょう」

 そんな男を鼻で笑うマリー。


 「ここで生きるのか」

 それもまたリアルな話だ。


 「そうね、ついでに言うなら私達も養って貰わないとね」

 マリーはカエルやコツメを指差して。

 「私達はもう貴方の所有物なのだから……一部に不本意な者も居るみたいだけど」

 それはコツメの事なのだろう。

 不本意はコツメの本心?

 それともマリーの心か? コツメと一緒はイヤって言う事?

 どっちだ?

 どっちもか?


 しかしそれはどうでも良い今更な事だ。

 第一文句なら本人に直接言え。

 それよりもだ……男は拳を握り締めて。

 「俺は奴隷制度には断固反対する」

 そう宣言した。

 扶養は嫌だ。

 こんなわけもわからん者達を養うのは嫌だ。


 「貴方のスキルはそれありきだと思うけど?」


 ネクロマンサーはそうなのか?

 アンデッドを使役するのか……確かにそうだ。

 しかしだ。

 「イヤ反対だ! イヤなモノは嫌だ」

 

 その男の態度にカエル達が不安そうな顔を見せていた。

 それを見た男は少しの躊躇。

 「解放出来ないのはわかったし、今居るみんなには申し訳ないが」

 カエル達をチラリと見て。

 「もうこれ以上は増やさない! それは何が何でもだ! それは宣言する!」


 ジト目を男に向けるマリー。

 「フラグを立てたわね」

 小声で呟いていた。  

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