第83話 乙女の悩み【前編】
要塞村へと向かう馬車の中で、エノドア自警団長ジェンソンの娘モニカは憂鬱な表情を浮かべていた。
その原因は間違いなくクレイブにある。
今回の要塞村遠征で、恋のライバル(?)ことトア・マクレイグに自分とクレイブの仲の良さを見せつけ、戦いに終止符を打つつもりだった。
しかし、遠征要員として派遣されてきたのはネリスだった。
最初は「絶対に参加する!」と鼻息荒く語っていたが、どうやらその熱意がいつものごとく空回りして他の団員から止められたようだ。
「あ~あ……」
「悪いことをしちゃったわね、モニカ」
「! あ、べ、別にネリスは何も悪くないわ! 確かに残念ではあるけど、要塞村へ行けるのはとても楽しみだし!」
それもまた本心だった。
モニカはエルフ印のケーキ屋の常連客なので、クラーラやメリッサとルイスの双子エルフと友人関係を築けているし、エステルやジャネットとも仲がよかった。
ディマースに暮らしていた時よりも友人が増え、エノドアでの生活はクレイブの件を除けば順風満帆といえた。
これまでの生活を振り返りながら、モニカは馬車の窓から外の風景を眺める。
つい先日までは草木が溢れていたのが、要塞村のドワーフや銀狼族、王虎族が協力をして整備を始めているため振動も少なく、快適に進むことができた。
「あ、見えてきたわよ」
ネリスがそう言って窓の外を指差す。
立ち並ぶ木々の合間から覗き見える堅牢な佇まいの要塞。かつて、帝国の切り札となるはずだった無血要塞ディーフォルだ。
「お、大きいとは聞いていたけど、まさかここまでなんて……」
初めてディーフォルを目の当たりにするモニカは、その規格外のスケールに釘付けとなった。
「やっぱりそういう反応よね、初めては」
自警団の仕事で何度か訪れたことのあるネリスは慣れたものだが、最初は今のモニカと変わらないリアクションだった。
今から百年以上前に起きた世界大戦。
自分たちは書物でしかその凄まじさを知らないが、そういった資料に目を通すだけでも大変な戦いであったことがよく分かる。
その大戦で使用されるはずだった要塞ディーフォルが目の前にある――が、今のディーフォルとは戦争とはまったく無関係な様相であった。
「おーい、そろそろエノドアからのお客さんたちが来ちまうぞー」
「待ってくれ! こっちはあともうちょっとで完成する!」
活気ある声があちらこちらから聞こえてくる。
要塞村の住人である銀狼族や王虎族、そしてエルフにモンスターといったバラエティーに富んだ種族がそれぞれ協力し合って仕事をしていた。
「……賑やかですね」
「ホントにね。ただ、それ以上にあの見た目が衝撃的よね」
これについてはネリスもまだ慣れていなかった。
武器を補充してくれるドワーフ族たちへお礼の差し入れを持っていった際、普通にオークのメルビンから「おはようございます。今日もいい天気ですね」と声をかけられて一瞬思考が停止したことがある。というか、今もたまにある。
いつも一緒に過ごしているトアやエステルはとっくに慣れているのだろうが、たまに来る程度のネリスには常に新鮮な驚きがあった。
しかし、今回の街道整備で要塞村へ行くのがもっと手軽になれば、そのような不安も解消されるだろう。非番の日に遊びに来るということも可能になるはずだ。
それから間もなくして馬車が停車。ぞろぞろとエノドアの町民が出てきて要塞内へと案内される。その役目は銀狼族リーダーのジンや王虎族リーダーのゼルエス、そして八極の一員である枯れ泉の魔女ローザと黒蛇のシャウナが務めた。
豪華な顔ぶれが揃う。
だが、肝心の村長トアの姿が見当たらなかった。
さらにトアだけでなくエステルの姿も見えない。
モニカを一般客の方へ送り届けた後、ネリスは面識のあるジャネットを見つけてトアとエステルの両名が不在の理由を聞いた。
「ねぇ、ジャネット、トアとエステルはどうしたの?」
「ええと……トアさんは今ちょっと席を外していて……」
なんとも歯切れの悪い答えが返ってきた。何かあったのではないかとさらに詳しく聞こうとしたのだが、そこへクラーラが合流する。
「来たわね、ネリス」
「クラーラ、久しぶりね」
「ええ。今日からよろしく。
「楽しみにしているわ。とは言っても、私は護衛任務があるからずっと楽しんでいるってわけにはいかないけれど。……ところで、トアとエステルはどこかしら」
親友の姿を探してキョロキョロ辺りを見回すネリス。
「そういえば朝から見かけていないわね。ていうか、あなたたち前に会ったのは一週間くらい前よ?」
「そんな最近だったかしら。……フェルネンドにいた頃は毎日顔を合わせていたから、たった一週間が凄く長く感じるわ」
「本当に仲がいいのね、あなたたち。あ、ジャネット、トアとエステルをどこかで見かけなかった?」
「……居場所は知っていますが、今はちょっと会えない状態というか……」
「? ジャネット……なんか変じゃない?」
どうやらジャネットはふたりの状況について知っているようで、クラーラは知らないようだった。
「い、いえいえ!? 何もおかしくなんてありませんよ!?」
「まるでお手本みたいな動揺の仕方ね……」
本人は冷静を装っているつもりなのだろうが、意味もなくカチャカチャとメガネを触りまくって声を震わせるジャネットはむしろ怪しくないと判断する方が困難なほど怪しかった。
さらに追及しようとネリスが質問をぶつけようとした時、前方から聞き覚えのある声が。
「マスター! やめてください!」
「わふっ!? トア様! それは靴じゃなくてモップです!」
フォルとマフレナだ。
しかも近くにはトアもいるらしい。おまけに靴と間違えてモップを履こうとしていることが伝わってくる。
「? あの声はマフレナとフォルのようだけど、何かあったの? そういえば、あのふたりも朝から見かけていないけど……」
「なんか尋常じゃない感じねぇ……ジャネット、何か知っている――わよね?」
「うぅ……」
勘の良いネリスに迫られてジャネットは真相を告白する。
「じ、実は……エステルさんがトアさんを避けているようで……」
「エステルがトアを避けている? そんな超常現象が起こるわけないじゃない」
ジャネットたちよりもずっと古くからトアとエステルを知っているネリスからすればそのような事態は起こり得るはずのないものであった。
「て、ちょっと待って。前にも似たようなことあったわよね?」
「ああ、一周年記念サプライズのことですね。あの時はみんなで打ち合わせたことだったのですが……今回は誰もその理由を知らないんです」
「それでさっきからあのふたりが必死にトアをフォローしているわけね」
ネリスは呆れたようにため息を吐いた。
こういうことは、養成所時代にも何度かあった。そのたびにトア本人にも「エステルが嫌うわけがない」と伝えたが、あまり自分に自信を持てないタイプのトアは特にエステルが絡むと自信を失いやすい傾向にあった。
今回もきっとそうだろう。
ならば、自分が前からしているようにトアを説得しようと歩きだした――まさにその時だった。
「! ……まさか」
何も知らないクラーラ。
すべてを白状したはずなのにまだどこか動きに不自然なところのあるジャネット。
そして朝からあまり姿を見せないフォルとマフレナ。
「あの時と状況が酷似している……?」
ネリスの言う「あの時」とは養成所時代のこと。
記憶の糸を手繰り、ネリスは当時の状況を思い出してみる。
今回の事件の謎を解く鍵がそこにあると確信したからだ。
「確か、あの時は……」
目を閉じたネリス。
その瞼の向こう側にある瞳は――三年前の王国聖騎隊養成所を映しだしていた。
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