第81話 マフレナの変化

 要塞村へ宿泊に来るエノドアの人々を迎え入れるための準備は急ピッチで進められていた。

 中でも村人たちが気合を入れたのはやはりというか歓迎会の準備。

 山と川の幸を使った豪華な料理の数々を、フォルとメリッサを中心に銀狼族と王虎族の奥様方と共に手際よく作っていく。

 男衆は力仕事をメインに、街道の整備など与えらえた職場でそれぞれの力を発揮し、着々と準備を進めていた。

 そんな中、村長であるトアは宿泊に利用する部屋造りに勤しんでいた。

 要塞内であれば、トアのリペアとクラフトの能力を存分に発揮してベッドやテーブルなどの家具、さらには内装までもがあっという間にできてしまう。


「トアさん、ちょっといいですか? ――て、凄いですね! もうここまで作業が進んだんですか!?」


 そこへやってきたのはドワーフ族のジャネットだった。

 物作りに対して並々ならぬ意欲と情熱を持つ彼女から見ても、トアが短時間で造り上げたこの来客用の部屋は素晴らしいの一言に尽きる出来だった。

 デコボコだった壁はツルツルになり、等間隔で置かれたベッドには柔らかそうなシーツ。高級宿屋の一室と見違えるほどだ。


「これ全部リペアとクラフトで造ったんですか?」

「そうだよ」

「うむむ……ドワーフ顔負けのスキルですね」

「と言っても、俺の能力が扱えるのはこの要塞内のみだからね。限定的なものだからジャネットたち本職のドワーフ族とは比較にならないよ」


 なんでもない会話を繰り広げるふたり。

 そこにはもうなんのわだかまりもなかった。

 わだかまり――というと少し違うのかもしれないが、ここ数日、トアとジャネットの間に流れる空気が微妙だったのは間違いない。

 原因は地下迷宮で浴びた謎の粉によってトアが大暴走したあの事件まで遡る。

 エステルとクラーラは瞬時にトアの様子がおかしいことに気づいたのだが、ジャネットはそれに気づかず、「可愛い」とか「綺麗」とか、そんな単語を乱発して褒めまくるトアにノックダウン寸前まで打ち込まれた。

 結果、妙に意識してしまうようになり、まともに会話ができるような状態ではなかったのだが、ここにきてようやく普通に接することができるようになった。これには村長であるトアも一安心とホッとする。

 ――ただ、問題はまだ残っていた。

 トアとジャネットが部屋を出ると、そこにちょうどマフレナが。


「あ、マフレナ。ちょっといいかな」


 いつもの調子でトアが声をかける。マフレナはその声に反応して顔を向けるが、相手がトアだと知ると途端に顔を赤らめて慌ただしい動きを見せ始める。


「と、とと、トアしゃま!?」


 ついには滑舌まで悪くなり、とうとう耐えきれなくなったのか、全力ダッシュでその場から走り去っていった。


「……マフレナさんとはまだあんな感じなんですか?」

「話そうにも本人があの調子で……」


 トアとしてはすぐにでも元のような関係に戻りたいと思っているが、マフレナの方が恥ずかしがってなかなかじっくりと話すことができないでいた。


「それにしても、マフレナさんだけなぜあんなに恥ずかしがっているのでしょうか」

「うーん……俺は人格が変わっていた時の記憶がないからなんとも言えないなぁ」

「……そういえば、ジンさんは孫の名前を考えていましたよね」

「フォルがそう言っていたね」

「ただ褒めまくっていただけでそんなことをするでしょうか? もしかして……孫の名前を考えなくてはいけないようなことを……」

「へ? ――っっっ!?」


 ジャネットは疑念を抱いている。トアはそれを悟り、会話の中からその理由について考えていたのだが……トアの導き出した答え――それを、自分とマフレナが行っているシーンを一瞬想像してしまい、大慌てで否定する。


「ないない! それは絶対にないって!」

「……言いきれますか?」

「うぐっ!?」


 正直、断言はできない。

 何せ、人格が変わっていた時の記憶がないのだから。


「ま、まさか……俺は知らず知らずのうちにマフレナを……」

「まあ、マフレナさんは要塞村の女性陣の中ではぶっちぎりのわがままボディですからね。あの状態のトアさんが我慢しきれず襲ったとしてもなんら不思議ではないかと」

「……ジャネット、もしかして怒ってる?」

「怒っていません。なぜ怒る必要があるのですか? 皆目見当もつきません」

「あ、はい」


 しかし明らかに声からは怒気が漏れていた。


「と、とにかく! 真相解明とマフレナとの関係改善のためにも、俺ちょっと探しに行ってくるよ!」

「……それがいいですね。これからもあの調子だとさすがに心配ですし。宴会の準備等は私たちで進めておきますよ」

「ありがとう、ジャネット!」


 トアはジャネットに感謝し、マフレナを追って要塞村を駆け回る。



  ◇◇◇



 マフレナを追うトアは森の中に来ていた。

 大人たちに混じって宴会の準備を手伝っていた王虎族のタイガとミュー、そして冥鳥族のサンドラというちびっこ三人組から猛ダッシュで森へと消えていったという目撃情報を得たからだ。


「おーい、マフレナー」


 必死に呼びかけるトア。

 だが、それに応えるのは森をうろつくハイランクモンスターばかり。それらをチャッチャと倒してさらに森の奥へ。すると、一本の木の幹から、見慣れた白いモフモフがチラチラ見え隠れしているのを発見する。


「あそこか……」


 ここで声をかけたらまた逃げられてしまう。そう思ったトアは静かに音もなく近づこうとした――が、相手は銀狼族。臭いで気づかれてしまった。


「トア様!?」


 木の陰に隠れていたマフレナは突如現れたトアに動揺したようで、走り出そうとするも木の根に足を取られて盛大に転んでしまう。


「大丈夫か、マフレナ!」

「あうぅ……」


 耳も尻尾もペタンと萎れて、いつもの元気は微塵もない。もしかしたら体調が優れないのかもと心配になるトア。

 

「マフレナ……もしかして、俺の人格が変わっていた時、君に何か酷いことをしてしまったんじゃないか?」

「え?」

「もしそうなら謝る。いや、謝って許してもらえるとは到底思っていないけど……」


 少し間を置いてから、トアは続ける。


「君の元気いっぱいの笑顔に俺はいつも癒されているんだ。だから、今みたいに君とあまり話せないのは……寂しいな」

「!?」


 マフレナの脳裏に、あの時のトアのセリフが浮かぶ。


『元気いっぱいの笑顔に俺はいつも癒されているよ』


 人格が変わっていたトアが言っていた内容と酷似している部分がある。

 じゃあ、あの時、トアが自分に言った言葉は――


「……トア様は何も悪くありません」

「え?」

「急にあんなことを……その……いっぱい言われちゃったので……どういう顔をして会えばいいか分からなくなって」


 拙くも、一生懸命に説明をするマフレナ。

 とりあえず、嫌われたわけではないようで一安心するトア。


「さあ、戻りましょう。そろそろエノドアからのお客さんが来る時間です。迷惑をかけてしまった分、私も一生懸命働きます!」

「あ、ああ」


 歩きだしたマフレナは、背中越しにそう告げた。

 とりあえず、「もう大丈夫そうだ」と思える雰囲気だった。あとはジンを追及し、自分がマフレナに対して何もしていないという潔白を証明するだけだ。恐らく、ジャネット経由で先ほどの話はエステルとクラーラの耳にも入るだろう。そうなった時のための証言だ。




 ――と、思っていたが、マフレナと共に要塞村へと戻ると、エステルとクラーラを前に正座をしている人の姿が目に入った。

 結局、孫の名前云々はジンの早とちりというか完全な暴走であり、トアはマフレナを褒めまくり、その後マフレナが照れてうまく話ができなかったということで決着した。


「それで、今はもう大丈夫なの?」

「はい! お騒がせしてすいませんでした!」


 クラーラからの問いかけに、いつものテンションで答えたマフレナ。

 大丈夫そうだと息をつくと、不意に振り返ったマフレナと目が合った。そして――



「トア様! 大好きです!」



 真正面からそう言われて抱きつかれたトア。

 こうした好意を前面に押し出した発言は今に始まったことではない。それにマフレナの言う大好きというのは尊敬や友好の表現として使われる。

 だが、なんだかいつもとちょっと様子が違う気がした。

 どう対応していいのか分からずあたふたするトア。一方、マフレナの発言がそれまでのものとまるで意味合いが違うことを敏感に察したのがエステルとクラーラとジャネットの三人だった。


「とうとう自覚してしまったみたいね」


 顎に手を添えてため息交じりに言うエステル。


「強力なライバルがいよいよ本格的に増えちゃったってわけか」


 腕を組みながら頷くクラーラ。


「これからいろいろと大変になりますね」


 メガネをクイッとあげて呟くジャネット。

 三人はそれぞれ複雑な表情を浮かべつつ、いつもと変わらぬマフレナの元気な笑顔を見つめていた。

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