第29話 エドガーとネリスと時々トア
エドガー・ホールトンは器用な少年だ。
「君と出会うのは運命だったんだよ」
「まあ……」
その端正な顔立ちと美しい肉体美を前に、彼の誘いを断れる女性は少ない。おまけに実家は金持ちときている。そのせいもあってか、女性関係にだらしのない一面もあるが、戦闘では非常に頼りになる男だ。
そんなエドガーにも苦手なものがある。
「エドガー!!」
ナンパ中の彼の名を叫んだのは同僚であるネリス・ハーミッダ。小柄な体躯で年齢以上に幼く思われがちだが、エドガーと同じ十四歳だ。
「げっ! ね、ネリス……」
「今日は明日の遠征に向けた準備をするから買い出しの手伝いを頼んでいたわよね?」
「……そうだっけ?」
「ほら! とっとと行くわよ!」
その気になれば、王都中の女性を口説くことだってできると豪語するエドガーだが、同期の女子ふたりはまったく自分に靡く気配がない。
ただ、エステル・グレンテスに関しては例外だと思っている。
初めてエステルと会った日、エドガーはこの少女こそ自分のパートナーに相応しいと思ってすぐさまアタックを仕掛けた――が、あっさりと玉砕。
これまで、黙っていたって女性の方から誘ってくることの方が多かったエドガーにとって初めてと言っていい失敗だった。
原因は分かっている。
幼馴染のトア・マクレイグという少年だ。
養成所に入った直後、他の誰にも話してはいないのだが――実はエドガーはトアのことが嫌いだった。もちろん、それはエステルに振られた原因がトアにあるという、いわば逆恨みのような念が多分に入っている。
こんな田舎者よりも俺の方が優れている。
自信たっぷりのエドガーは、養成所での初演習の際にトアとの対戦を教官へ熱望。それが叶えられて実際に剣(稽古用の模造品)を交えることになったのだが……結果はエドガーの惨敗であった。
「そ、そんな……」
地面に大の字を描いて倒れるエドガー。視線を少し横へずらせば、自分の想い人であるエステルが勝者のトアを笑顔で祝福している。
生まれて初めて体験する敗北の味に、エドガーは絶望した。
これまで、何もかもがうまくいっていた。
挫折なんていうのは弱者の言い訳。
そんなふうに切り捨てていたのに、いざ自分がその境遇に立たされるとボロボロに打ち捨てられた気分になる。
なんて惨めなんだ。
なんて情けないんだ。
もう何もかもがどうでもよくなってしまうくらい、エドガーは憔悴していた。
演習で大敗を喫した日の夜。
エドガーはなんとなく夜風に当たりたい気分になって養成所の中庭に出た。
その時、どこからともなく「ブン! ブン!」という音が聞こえてくる。
何事かと音のした方向へ歩いていくと、そこには模造品の剣で素振りをするトアの姿があった。
「あいつ……」
自分に大勝しておきながら、トアはさらなる高みを目指して鍛錬に励んでいた。
それに対して自分はどうだ。
たった一度の敗北に打ちのめされて、自主稽古すら放棄していた。
トアと自分の姿勢を見比べた時――エドガーの中で何かが弾けた。
「よう」
気がつくと、エドガーはトアに話しかけていた。
「昼間はコテンパンにしてくれてどうも」
「あ、えっと……」
「だが次も同じ結果になると思うなよ? ……俺は必ずおまえに勝つ! だからおまえも、俺以外のヤツにあっさり負けんじゃねぇぞ!」
「う、うん!」
エドガーからの宣戦布告を笑顔で受け止めたトア。
この日から、ふたりは良き友人であり、ライバルとなったのである。
……………………
…………………………
………………………………
「聞いているの、エドガー!」
ハッと我に返ったエドガーの目の前に、怒りでツインテールを震わせるネリスの姿が。
粗方買い物は終えたので、今は王都内にあるカフェで休憩している最中だった。
「あ、ああ、聞いていたよ。あれだろ? これから勝負下着を選ぶんだろ?」
「全然違うわよ! ていうか、そんなのあんたに相談するわけないでしょ!」
「ほほう、つまり勝負をする気はあると? おまえにそんな相手がいたとは意外だな」
「~~っっ!!!」
顔を真っ赤にして俯き、プルプルと震えだすネリス。これ以上弄ると大爆発を引き起こしそうなので話題を変えてみる。
「それで、明日行くのはなんて国だったかな?」
「大陸北西部にあるアドラ王国よ。そこにあるレイスター新聞社へ行って、トア捜索に関する情報を掲載してもらうよう依頼するの」
「そうだったそうだった。こっちの新聞社は今どっかのおバカ貴族がでっち上げた捏造記事の処理でてんやわんやだったからな。……しかし、あまり聞いたことのない国だな。教本で数回名前を耳にしたくらいで印象にねぇ」
「フェルネンドに比べたらかなり小さな国ね。ただ、あっちはまだ肌寒いだろうから、上着をいくつか持っていくといいわ」
「はは、まるで世話焼き女房って感じだな」
「だ、だだ、誰がいつあんたの女房になったのよ!」
「別に俺とは言ってないんだが……あ、勝負下着を見せたい相手ってもしかして俺か?」
「~~っっっっ!!!!!!」
今にも噴火しそうなほどに赤くなった直後、小さな拳がエドガーの頬に放たれた。
「ぐおっ!? ぱ、パンチは反則だぜ……」
「人をおちょくった罰よ。しっかりとその痛みを噛みしめなさい」
「おまえからもらえるものは例え痛みでも嬉しいよ」
「……あんたって、いっつもその調子なの?」
「? どういうことだ?」
「誰にでもそういう軽薄な感じかってこと。最初はエステルに言い寄っていたみたいだし、エステルにトアがいることが分かるとすぐ別の人に乗り換えるし。い、今はその、わ、私を、その……」
「たくさんの人と話して交友関係を広げておくことは人生を豊かにする――親父が一日一回はそう言わないと死ぬ呪いでもかけられているんじゃないかって疑うくらい口にしている言葉だよ」
「さすがは大商人ね……て、それ質問の答えになってない!」
「いいじゃねぇかよ、別に。細かいことを気にしすぎると胸が縮むぞ」
「縮まない! エステルほどじゃないけど私だって確実に大きくなって――て、何を言わせるのよ!」
最後のは盛大な自爆なのだが、容赦ないグーパンチが飛んできた。
ネリス・ハーミッダは不器用な少女だ。
品行方正で曲がったことが大嫌い。国王を補佐する立場である大臣職を任されている父を尊敬している彼女は、そんな父親同様、実直に真っ直ぐに生きてきた。そんな彼女にとって、エドガーという男はこれまでに出会ったことのない異端児であった。
軽薄でいい加減でだらしない男。
エドガーへの第一印象はこれ以上ないくらい最低のものであった。
しかし、いつしかそんなエドガーのことが気になって仕方がなくなっていた。
女性にだらしがないという評価は変わらないが、同じ隊に入って行動を共にしているうちに印象はだいぶ変わった。
意外と頼りになり、先のベンガン渓谷での戦闘では、不調に陥るエステルを庇うために身を挺して彼女を守った。その傷はまだ完全には癒えておらず、腕と頭にはまだ包帯が巻かれている。
いつもはヘラヘラしているくせに、いざという時は仲間を守るために命を張る――このギャップが、これまで恋とは無縁だったネリスの心に火をつけたのだ。
「…………」
「なんだよ、急に黙り込んで」
「な、なんでもないわよ!」
勢いよくお茶を飲み干して、「ほら、行くわよ」とエドガーを急かす。
まるで緊張している自分の心境を隠すように。
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