第198話 エピローグ:ラノベなるものは存在しない

 ぴょんぴょん舎 GINZA UNA 店での打ち上げは成功裏に終わった。色葉は大量の肉にいい思い出がないためか、ほぼ焼肉奉行に徹していた。そのぶん五月がもりもり食べた。ハラミを中心に焼き肉網を焦土と化したあと、今月いっぱいでメイドを辞させていただくと言った。そしておサル先生の助言に従い、関東第二高校に入学し、一生懸命勉強するのだ。おサルとはなんのことかわからないが、もちろん色葉はうなずいた。たいして役にも立っていなかったし。

 陽一は冷麺を食べていた。食べるだけでなく、耽溺していた。はじめは洋梨にいぶかしげな視線を送っていたが、食べたとたん腑に落ちた。そうか、そういうことだったのか。辛い。でもおいしい。ああ、もうすぐ食べ終わってしまう。だが2杯目を注文するのは道理に反している。どうしよう、どうしよう。

 そうだお肉を食べよう。

 上原アリシャは無礼講ということで少女のように騒ぎまくり、ひとりアルコールを飲みまくり、完全にできあがってからはだれかれ構わず絡みまくり、最終的にテーブルに突っ伏して泣き出した。おまえらもそのうち27歳になるのだ。春はシャレにならないほどのダメージを負っていたので、打ち上げには参加せず、修理のため浦安公国へ戻った。敏吾はどんぶりごはん2杯目を平らげつつ記念撮影をしたり追加オーダーを取ったりとひとり忙しくしていた。

 勇一郎ワーグナーはいちおう何度か誘われはしたものの、最終的には空気を読み、辞退した。都内でてきとうなアパートを見つけ、関東第二高校の受験に向けて勉強するのだと言った。無事入学できたら京介たちの1級下だ。パシリに使ってやると京介は言った。色葉は牛込神楽坂に新築マンションを用意しようと請け合った。

 教頭先生はどうしたのか? 結局だれも誘わなかった。生き残りの教師に預け、それ以降どうなったかは知らない。

 全長1.5メートルのサプライズ冷麺がうやうやしく運ばれてきた。スタッフが英雄たちを祝す。店長らしき人物がやってきて、京介に頭を下げ、語った。自分はひと月前から仕事そっちのけでラノベにドハマりしていた。ホルモンインフェルノ、盛岡冷麺バインド、最終奥義やさい焦がしなどの必殺技を披露しては、スタッフのみんなに迷惑をかけていた。もちろんお客様にも迷惑をかけた。だがテレビであなたたちのあまりにくだらない最終話の展開を見て、ふっと夢から覚めたのです。

 そして店長はこう付け加えた。

 ラノベはクソだ、と。

 京介は首を振った。

 ラノベはクソではない。

 ラノベはそもそも存在しない。

 ラノベなるものは、この世に存在しないのだ。

 ラノベなるものは、存在しない……………………。

 その〈3点リーダー〉もやめるのだ。

 手遅れになる、その前に。

 会計を終え、一行は巨大な腹を揺らしながら表に出た。上原はさりげなく最寄り駅方面へ歩き、すると敏吾が呼び止めた。リュックから財布を取り出し、日本銀行券を何枚か引き抜いた。上原は手のひらを向け、首を振った。ほかの面々も財布を取り出す。色葉が場を治めるべく、出世払いにしましょうと提案した。いや払うよ、いやいらない。めんどくさいながらも満ち足りた空気の読み合いがしばらくつづいた。

 秋の気配があったが、暑さはまだしばらくつづきそうだ。

 さて。

 これからどうしよう?

 高校に戻って、なにをしようか?

 もちろんやるべきことは、ただひとつ。


   ◇


 2次会のカラオケもなく解散し、仲間と別れた京介は、駅前で母と合流し、ともに生家へ帰った。半年ぶりのわが家は冷え冷えとしていた。

 京介は冷たい空気をこじ開けるようにゆっくりと腰を下ろし、こたつに入った。テレビに目を向け、リモコンを取った。

「お茶でも飲む?」

 京介はうなずいた。ついていないテレビをじっと見つめる。

 台所でかちゃかちゃと支度している。

「母さん」

「なに」

「明日から高校に通う」

「教科書も持たずに、だろ?」

「勉強して、東大に入る」

「そうしな」

「そうする」

 母が湯飲みとナッツチョコをこたつに置いた。

「お風呂沸かすから。テレビでも見てて」

「ああ」

「なにやってたんだろうねえ、ほんと」

「まったくだ」


   ◇


 教頭先生は教頭室で涙を流していた。ひとりぼっちだった。正真正銘のひとりぼっちだった。ヘンな笑い声やエキセントリックな言動で場を和ませてくれる教師はひとりもいない。ラノベなので〈両親〉もいない。女性なので〈妹〉もいない。そしてボスなので〈主人公〉もいない。

 やってくるのはマスコミのみだった。気の毒に思った東スポが記者連中を追っ払い、ファミレスに行こうと誘ってくれた。教頭先生は断った。ひとりになりたい。

 ガラスが割れる音が遠くから聞こえた。教頭先生はうつろに目を上げた。

 またマスコミ。

「あっ」

 ちがう。岸田京介だ。

 京介はバールのようなものを手に、白濁した合わせガラスをがしがしと殴りつけている。バールのようなものはやがてフィルムを突き破り、締め金具を器用に開けた。ガラガラと窓が開く。

 教頭先生は急いで寝たふりをした。

「ひとりでいるのはよくない」

 教頭先生は寝たふりをつづけた。

「おまえは、さみしかっただけなのだ」

「ぐうぐう」

「ふつうの女の子に戻るのだ」

「ふがふが」

「ラノベはもうやめるのだ」

「…………」

「そして女の子がひとりさみしいときは、高校生になるのがいちばんと聞く」

 教頭先生がパッと顔を上げた。

「高校生?」

「おまえは現在、満15歳だ。半年後には高校受験だろう。というか、それがふつうなのだ」

「高校生。わたしが」

 教頭先生は小さく握ったこぶしを見つめ、感動的に放心した。

「京介くんと同じ、高校生」

「だがトップ入学はやめておくのだ。それでなくてもおまえは自己主張が強すぎるのだ。それにもう、トップはイヤだろう。おまえはただ、トップの孤独に耐えきれなくなり、おれを恋愛対象に選んだだけだったのだ。おれにはわかる。わかりすぎるほどに」

「だったらなぜ、わたしを気にかけるの」

「もうラスボスではないからだ」

「友達でもない。赤の他人よ」

「そうとも言えない。おまえは『ふぁさっ』と撃たれた演技をしてから、一度も目を覚まさなかっただろう。すでに登場人物が多すぎ、制御不能の一歩手前であることをおもんばかっての行為だ。おまえは引きを覚えたのだ。つまりプロレスが好きになったのだ。プロレスを愛好する者どうしなのだ。いまや」

「プロレス愛好はともかく、あのときはなんとなく、目を覚ますべきではないかなと思って、それで」

「おれのためか」

「……べっ、べつに、あなたのためにやったわけじゃないんだからねっ……!」

「そういうセリフもやめるのだ。〈主人公〉に苦笑されたくはないだろう」

 教頭先生はうなずいた。

 京介は苦笑した。

「言ってるそばからなぜ苦笑するのよ! それ嫌いよ」

「おれもだ。苦笑したり、やれやれと頭を振ったり、肩をすくめたり。あるセリフとセリフのあいだに描写を挿入すべきだと直感し、だがアクションが思いつかないのでなんとなく苦笑させる。その感覚、手つきは理解できる。理解できているつもりだ。だがそもそも、無能が苦笑してもさまにならないのだ。だから〈主人公〉の言動が妙な感じにできあがってしまうのだ」

 京介は教頭先生の頭をくしゃっとした。

 教頭先生は手を振り払ってにらみつけた。

「それも嫌い。なぜくしゃっとすれば女の子が喜ぶと思うの? 実際やってみなさいよ」

「よかった、だいぶラノベが抜けてきたようだ。とにかく、同じ高校に通えば、いろんな楽しみを共有できる。休憩時間のたびにおれのクラスへ突進してくるがいい。昼休みなどは、45分もあることないことしゃべくり倒せる。そして、放課後。放課後はすばらしいものだ。たとえばボーリングだ。周囲の迷惑も顧みず、若さを武器にみんなで跳んだり跳ねたりするのだ。だが後方まわし蹴りはNGだ。ハサミで殺そうとするのもなしだ。とにかく、ラノベ云々お付き合い云々よりまず、友達として楽しむことなのだ。異性がどうのと考えず、まず放課後を心から楽しむのだ。そこでふと目が合い、そこからはじめて関係が展開するものなのだ。理由もなく3行目から好き好き大好きであっていいはずがない。ふつうに精神病質だ。みんなの期待に応えようとするその気持ちはわかる。だがそんなものを欲しているのはごく一部の限られた者たちだけなのだ。ほとんどの者は『ふたりの出会い』を読みたいのだ。そしてみんなは、ちゃんと読んでくれる。信じることなのだ。わかるか」

「放課後、誘ってくれるの?」

「おまえのIQなら勉強など必要ないだろう。左足で書いてもオール100点だ」

 教頭先生はうなずいた。

「ありがとう」

 そして、ああ、なんということだろう。ラノベの象徴、教頭先生の2本のアホ毛が、ゆっくりと頭を垂れ、銀の草原に横たわり、単なるレイヤーのひとつとして収まった。涙は笑顔に変わり、ひとりの女の子を閉じ込めていた言葉にできないなにかが、言葉にできる巨大な指輪とともに消えた。

「そして在学中に、わたしは一ツ橋色葉を滅ぼし、京介くんをわがものとする」

「がんばるのだ」

「身長伸ばさなきゃ」

「それもがんばるのだ。半年後に会おう」

 京介は背を向け、自らブチ割った窓から外へ出た。

 色葉が待っていた。

「待ったか」

「待った」

「行こう」

 ふたりは東北東の方角へ顔を向けた。骸骨の指を思わせる全長1209メートルの第33校舎ヒルズがいまだにそびえ立っている。解体するのか、校舎として再利用するのか、それとも過ちの象徴として残存し後世に語り継いでいくのか。ふたりは背を向け、歩き出した。不自然に公園化されたかつての元麻布三丁目を抜け、都道418号に出た。ふたりは無言だった。ふつうの会話がどんなものだったか忘れかけていた。心地いいといえば心地よかった。手も握らず、見つめ合いも抱き合いもせず、おっぱいも揉まず、もちろん性行為もしない。逆に半年間に及ぶ冒険によって、高校生らしさも失われていた。あるべき甘酸っぱさを取り戻すためには、ボーリング場やゲームセンター、モスバーガーや上島プロントベローチェドトールタリーズバックスコーヒー珈琲の力をおおいに借りなければならないだろう。

 3両連節の送迎バスが目の前を通り過ぎた。都道418号を北方面へ向かう。生徒が満載だった。元不勉教信者や元ださいたまの無能階級労働者も混じっていた。ある者は関東第一高校の校舎ヒルズへ向かい、ある者は関東第二高校の校舎MTもしくは校舎トラストタワーへ向かう。森ビルと森トラストが、再び兄弟として、かつての港区に再会を果たしたのだ。

 どちらの高校も生き残りの教師だけでは足りなかった。東京都教育委員会は臨時雇いの教員をピックアップし、ふたつの高校に派遣した。だがどれも無能だった。ほとんどが生徒より無能だった。女子高校生が大好きだからという理由で教員免許状を取得した者もいた。カッとなると見境がつかなくなり思わず生徒を殴りつけてしまう社会不適合者もいた。ふつうにアホなだけでなく、ロールモデルとしても不適格だった。

 これが教師と呼べるのか? かつての関東第一高校の教師はちがった。尊敬できた。あれこそが教師だ。賢く、熱意に満ち、ときに奇声を発し変人を演じる心の余裕も兼ね備えていた。

 授業を受けるとバカになるということで、関東第一高校および関東第二高校の生徒は自主的に勉強会を開いた。最後までラノベに屈しなかった関東第一高校の優秀な生徒は、ラノベのしすぎでクルクルパーになった生徒や中卒のださいたまに、初歩的な知識をざっくりとした科目に分け、教授した。すなわち、国語、歴史・地理、公民、数学、理科、保健体育、芸術、外国語、家庭、情報。いまどき高校で習う科目ではない。関東の小学校高学年ならだれでも理解済みなのだ。

 だが。すべてはそこからはじまるのだ。

 男女の出会いと同じく。

 ラノベ学は?

 そう、ラノベも学ぶべきだ。

 われわれ人類はいまこそ、本来の意味において、ラノベのなんたるかを学ぶべきだ。異世界ファンタジー、現代ファンタジー、SF、ラブコメ、その他もろもろ。ラノベラノベと言われながら、なぜ「ラノベ」なるジャンルがどこにも見当たらないのか。そう、ラノベは実態として、元からどこにも存在していなかったのだ。存在するのはそれぞれの頭の中でのみ。クソだ、クズだ、表紙がキモい、などと囃し立てる者もいる。逆にラノベに物語の未来を託す者もいる。ふつうに好きな者もいる。それぞれの頭の中にそれぞれのラノベがあり、ラノベについて語り、けなし、愛好し、憧れ、目指していたのだ。

 この世にラノベなるものは存在しない。

 そして。

 ジャンルの仮象、ラノベは、いまここに葬り去られた。

 二度とラノベを表舞台に出してはならない。

 次のライトな物語へと向かうために。

 京介はスマホをポケットから取り出し、神の電話番号を着信拒否にした。

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