第194話 最後のお約束

 殺しちゃったよ、とださいたまのひとりがつぶやいた。

 勉強したい側の高校生が、指先からペンをぽろりとこぼした。

 つくばのワンちゃんがくぅ~んと鳴いた。

 貴子さんがあんぐりと口を開けて固まっていた。

 タイタントロンには現在、拳銃を構える京介の姿が映し出されている。銃口からは硝煙がかっこよく立ちのぼっている。

 いや、かっこよくはない。

 人殺しはかっこよくない。決して。

 いつの間にか上原アリシャと五月と関東第一高校の教師12名が京介を囲んでいた。

 京介は銃を下ろし、言った。

「これでいい」

「なにがだ!」

 総理が背後から京介の肩をつかんだ。強引に振り向かせる。

「なぜ殺した!」

「〈闇落ち〉だ」

「なっ…………!?」

〈闇落ち〉の意味をしっかり知っている総理が驚愕に目を見開いた。

「ここへ来てか?」

「これでラノベ6.0はあきらめざるを得なくなっただろう。おまえら政府は、人殺しのラノベの肩を持つわけにはいかないからだ」

「なにを言っている? きみは、きみたちは」

 総理はアルファ分隊長の亡骸を見下ろした。

 京介は拳銃を総理に向けた。

「これからおれは狂気に囚われ、髪毛が真っ白になり、虹彩が縮小して三白眼になり、けもののように叫びながらものすごい派手なムーブを見せつつおまえらを皆殺しにするだろう。死にたくない者は速やかにここから立ち去るのだ」

 総理が言った。

「よくわからない。きみは〈主人公〉、すなわちラノベ6.0の強力な推進者だろう。なぜ」

「おまえら政府の企みはわかっている。ラノベのニーズを産業推進のために利用し、その後ラノベを社会的に抹殺するつもりだった」

「ちがう。われわれは」

 総理は言葉を止めた。

「ちがわない、ということか」

「銃を渡してください」

 だが断ると言いかけ、京介は頭を振った。

 ラノベはもうおしまいだ。

「国がラノベに寄せてはいけない。経済産業省の公式ツイッターでラノベイラストを垂れ流してはいけない。みんなに人気だからか。これも時代だから仕方がない、か。おまえらはなにもわかっていないのだ。ラノベはもっと、恐ろしいものなのだ。〈大人〉が手出ししてはいけないものなのだ。〈大人〉は〈大人〉らしくするのだ。ラノベに〈大人〉が登場してはいけない!」

「この弁当屋さんは、だれが手配したんです?」

 京介は聞いていなかった。

「〈大人〉がラノベに寄せてはいけない。自治体もラノベに寄せてはいけない。社会的立場のある大企業が『今回の販促、擬人化萌えキャラでいってみる?』などと安易にラノベを利用してはいけない。どの〈大人〉もわかっているはずだ。ラノベに寄せようとしたとき、たとえようの違和感をはっきりと感じていることを。『こういうのクソだよね』と。その直感は正解だ。流行っているからという理由だけでラノベに寄せてはいけない。地域活性化や売上増に必死なのはわかる。だがラノベにだけは寄せてはいけない。『なんとかのなんとか子さん』や『なんとかガール』などというキャラでラノベに寄せればフットワークが軽いシャレのわかる〈大人〉や団体だと思われるのではと期待しているのかもしれない。だが同時に劇薬、ドーピング的な方策であることも直感しているはずだ。トヨタのプリウス擬人化プロジェクト『プリガー』はクソがつく大失敗だった。それはオタク心をわかっていないとか勉強不足だとかそんな理由ではない。わかっているはずだ、ラノベはクソだ、と。ただクソなのだ。クソの心をわかる必要はない。クソの勉強など時間の無駄だ。いずれわかる。『萌え』はおまえらを滅ぼす。必ずこの疫病のようなブームは終息する。なぜならラノベは、現在の倫理・道徳・正義すべてに反しているからだ。あの気持ちの悪い表紙を見れば一目瞭然だろう。だいたいにして、倫理・道徳・正義に反するからこそのカウンターカルチャー、サブカルだろう。だから米袋に美少女イラストを乗せてはいけない。いい年をしたおじさんおばさんが膝をつき合わせて萌えキャラがどうのと真顔で語ってはいけない。サブカルはサブカルなのだ。そして出版社も、ラノベに寄せてはいけない。無理やりサブカルをメインに押し上げようとしているいびつな状況、それが現状だ。真のライトな物語を自ら駆逐し、自ら衰退を招いているのだ。ラノベに寄せてはいけない。だいたいなにが楽しいのだ。複数の女子がだらだらと〈無駄な会話〉をつづける『物語』を本当にすばらしいと思っているのか。〈俺TUEEE〉もそうだ。葛藤のない物語が流行っているのではない。単に葛藤をすっ飛ばした物語が量産されているだけだ。楽に書けるからだ。それだけ、本当にそれだけなのだ。〈大人〉だけではない。若者もラノベに寄せてはいけない。ラノベは必ずおまえらを滅ぼす。道を誤らせる。好きなら構わない。だがクソだと知りながら流行っているという理由だけで寄せれば、ラノベは必ずおまえらを地獄へと導く。ラノベは現実世界では通用しない。なんの役にも立たない。すべては虚構、まやかしなのだ。いずれわかる。ラノベはクソだ。ラノベはおまえらを助けない。あんなものは一刻もはやく卒業すべきなのだ!」

 総理がどうにかセリフを差し挟んだ。

「〈闇落ち〉って、そういう落ち方ではないのでは?」

「おれはラノベを卒業する。現実逃避はもうたくさんだ。高校へ戻り、勉強する。猛勉強し、東大に現役で合格する」

 教師たちの表情が和らいだ。

「そして観客席に残る信者よ、テレビの向こうの信者よ、聞いているか。本日をもって、不勉教は解散だ。ラノベはおまえらを救わない。むしろ泥沼だ。だからこれからは各自、自らの責任で生きるのだ。ときにつらく、ときに楽しい、リアルな現実世界の人生を。以上だ」

 最後のスピーチが終わった。観客席やテレビの向こうでスピーチを聞いた信者がどう思っているのかはわからない。だが京介を囲む16名は全員、同時間的に同じツッコミを脳裏に浮かび上がらせていた。

 総理が代弁した。

「無責任でしょう」

「おれは闇に落ちたのだ。責任など知ったことか」

「〈闇落ち〉はラノベの〈お約束〉のひとつだ。あなたは結局、ラノベに囚われている」

「くっ…………」

「それもだいぶ癖になっていますね」

「……………………」

「残念だが、ラノベ6.0は閣議決定された」

「だからなんだ」

「政府の方針が気に入らないから〈闇落ち〉しました、はいそうですか、じゃあラノベ6.0はあきらめますね。その程度で内閣の決定が覆るのなら、いまごろ野党や国民の6割以上が三白眼になっていますよ。国民の政策意志は、代議制民主主義のもと、選挙で選ばれたわれわれ政治家に委ねられている」

「嘘をつくな。国民は内閣総理大臣を選んではいない」

「よく知っていますね。そのとおり」

「それに日本はいまだに官僚が支配しているのだろう」

「まあ、民意というものは、難しい。それに日本人は、議論や選挙投票という直接的な行動より、空気を発散することに長けていますからね。官僚は、その空気を読み、政策を立案し、議員におうかがいを立てる。空気だけに対応がのろいのが欠点ですが、それを補い、重要な政策に対し機動的な意志決定を行うのが、内閣府というわけだ。とにかく、われわれ国務大臣は、民主的な正当性でもって、強大な権力を振るう。振るわせていただく。いまさら駄々をこねても無駄です」

「法案は国会で否決される。必ず」

「そのときは、伝家の宝刀です。このラノベノミクスではなくて、もう一本のほう」

「通称ラノベ解散か」

「そんな情けない俗称とともに名を残したくはありませんがね」

「おれの意志は変わらない」

「わたしの意志も変わりません。あなたは子供、わたしは大人だ。しかも大人の中の大人、大人の頂点に君臨する大人だ」

 総理の周囲にオーラのようなものが見えた。だが例のバカっぽい金色のオーラではない。いわば大人のオーラだ。

 京介は駄々をこねた。

「おれは人を殺したのだ! ラノベは人殺しの宗教だ! ラノベはあきらめるのだ! 日本をラノベにしてはいけない!」

「なぜそこまでして」

 総理は言いかけ、再びアルファの亡骸を見下ろした。

 眉をひそめ、ゆっくりと膝をつく。

 ドラマの警部補のように検分する。

「おれはそいつを殺したのだ! 銃で撃った! 目の当たりにしただろう! 視聴者も目の当たりにした!」

「ですが」

「おれは人殺しだ!」

「あなたは」

 と言いかけ、総理は両目を左斜め上に泳がせた。政治家らしい無表情を保ったまま、極めてゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がりながら、上着のポケット付近に手をさまよわせる。右のポケットから小さなものを取り出した。

 見つめながら、記憶を探るように眼球を震わせた。

「人殺しだ! 人が死んだのだ!」

 上原がフラッシュメモリを指し、静かに言った。

「総理、それが現実です。決して口外してはならない、現実」

「おれは人殺しなのだ!」

「それから総理、プロレスです」

 総理は上原に目をやった。それから京介を見つめ、アルファの遺体を見下ろし、教頭先生の亡骸に目をやり、お部屋をぐるりと見まわした。

 カメラが壁や天井にいくつも設置されている。

「そういうことか」

 京介は黙って総理を見つめた。

 上原がうなずいた。

「そうです」

「そうです」

「そしてラノベは、くだらない」

「ええ。ラノベはクソです」

 総理は京介に顔を向け、妙にさっぱりとした調子で言った。

「やめます」

 全世界が眉をひそめた。

 京介も眉をひそめた。

 慎重にたずねる。

「なにをやめるのだ」

「ラノベ6.0をです」

「本当か」

 総理はうなずいた。

「ようやく気づきましたよ。やっぱりラノベって、クソくだらないんですね。こんなものを推進しなくて本当によかったですよ。とんだ大恥をかくところだった」

「全国生中継中の発言だが」

「あきらめると言ったらあきらめますよ。いち政治家として約束します」

「だから信用できないのだ」

「ではこういうのはどうです?」

 総理は金色の炎を纏い、地を蹴った。フローリングの床がばきりとめくれ上がり、次の瞬間、体当たりでフロアの壁をブチ破った。地上1200メートル上空でしばし静止し、一直線に地上へ向かう。

「な、な」

 官房長官はタイタントロンから目を離し、塔へ振り返り、映像ではなく実際に急降下する総理を見上げた。二の句を継ぐ間もなく光の球が眼前60センチの地点に着地し、衝撃で半径10メートル分の地面がお椀型に陥没した。日本禁煙学会をはじめとするいろんな団体が足を取られてよろめき、転げた。官房長官も例外ではなかった。

 尻餅をついたままあとじさることもできず、ただただ総理を見上げる。

「ま、まさか。なぜです?」

「なぜ先ほどから傍点を多用しているのです」

「よく考えてくださいよ。閣僚のひとりであるわたしが、じつは黒幕だったのだ、ですって? なんの陰謀か知らないが、いい大人がそんなもの、企てるわけがないでしょう。これは現実ですよ。ラノベではない」

「いえいえ、これはラノベだ。この〈バトル〉が終わるまではね。だからつまり、真の黒幕が必要なんですよ。あなたは〈バトル〉を盛り上げるために傭兵を雇った。そして教師や営業、教頭までも殺害させた。バーン、どさり、ってね。つまり、そういうことなんでしょう? 悪い男だ。真の黒幕だ。そして黒幕は、必ず最後に倒されなければならない。でしょ?」

 官房長官はわずかにほっとし、息を吐いた。

「そういうことでしたか」

「事実なんですね?」

「ええまあ」

?」

 官房長官はうなずいた。

「ですが、その、黒幕役は構わないのですが。わたし、演技はどうも、苦手でして」

「演技力など必要ない。いますぐ299階へ行き、岸田京介くんに『バキィッ!』とされましょう」

「痛くありませんか」

「痛いに決まっている。壁まで吹っ飛びますよ。でもそのさまがかっこいい。あなたはかっこ悪いのですが、吹っ飛ばした京介くん、すなわち〈主人公〉のかっこよさがものすごく映える。プロレスと同じです」

「プロレスはどうでもいいのですが、しかし」

「超ラノベ社会、ラノベ6.0の実現へ向けた、これが総仕上げです。あなたも黒幕なら、ただすわっているだけでなく、痛みを分かち合いましょう。恥ずかしさを分かち合いましょう。ビンス・マクマホンを見習うんです」

「だれですかそれ」

「ちょっとここで予行演習をしてみますか? では滑稽に命乞いをしてみてください。膝立ちで手のひらを合わせ、『そ、そんなつもりではなかったんだ。わ、悪いのは総理だ。わたしではない』などと口走って」

「ですからそういう演技は、ちょっと」

「官房長官ともあろう者が、演技のひとつもできないとは。悪役にもなれないとは。失望しました。ぼくは大いに失望しました。遺憾です」

「申し訳ございません」

「じゃあ遺憾ついでに、ぼくがいまここで、悪を倒しましょう。こうやって」

 宝剣ラノベノミクスを引き、官房長官の髪をつかんだ。

「や、やめ」

「ソーリー」

 官房長官の腹に深々と突き立てた。

 その瞬間、言うまでもなく世界中が驚愕し、息を飲み、同時に引いた。世界の政治、経済、貧困、差別、紛争やテロ、疫病の蔓延などがたっぷり5秒はストップした。

 ただしアメリカ合衆国大統領閣下だけはポップコーンを跳ね散らかして大興奮していた。

「すげえ! ようし、おれも! はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」

 ちょっと髪の毛が浮き上がったに留まり、かくして世界の平和は保たれた。

 それはともかく。

 総理は官房長官の亡骸を脇に抱え、テイクオフした。299階へ到達すると急ブレーキとともに水平方向へ爆加速し、わざわざ新しく壁をブチ破って京介の目の前に立った。

 官房長官を床に放る。

「岸田京介。きみが〈闇落ち〉したのなら、ぼくも〈闇落ち〉する。それが大人の責任だ」

 京介は素で言った。

「それはダメだろう」

「国民など知ったことか」

 総理は吐き捨てるように言った。本当に闇に落ちたようだ。

 いや、はじめからなにも変わっていないかもしれないが。

 そのへんは置いておくとして。

 京介はうかがうように言った。

「おれの意図は、理解できているのか」

「ええ。プロレス、でしょう? じつはわたし、若いころTRPGにハマっていた時期がありましてね。あれは、即興的な反応、対話、演技力を鍛えるにはもってこいのゲームです」

「コンピュータゲームよりすばらしい」

「その話はのちほど、ファミレスなどでゆっくりと」

「そしてラノベは、クソだ」

「ええ。ラノベはクソだ。クソですね」

「信用していいのだな。今後ラノベは、国策ではなく、ルックスや体重が不自由な男たちの趣味のひとつとなる。街なかで行うのもなしだ。しっかりと法で禁止してほしい。今後ラノベは、ただの一冊の本となる。カバーなしでは外で読めない表紙に、280ページの一見小説のように見える文字列、描写と食いちがうイラストがパッケージされた、金と時間と資源の無駄以外のなにものでもない、ただの一冊の本となる」

「そうとも限りませんよ。神の〈お約束〉に縛られず、自由な心で、おもしろいものをおもしろいと言う。またはおもしろいと思うものを書く。中二病でも構わない。イラストつきでも構わない。かわいい女の子は、絶対の正義ですからね。ラノベはクソです。だがその『ラノベ』なるものは、一体どこに存在します? 『ラノベ』とはなにかをはっきりと答えられる者は? 『ラノベ』なるものは存在しない。だからわくわくどきどきの楽しくてかっこいいライトな物語を信じる者は、『ラノベ』なる実態のないものに囚われることなく、自ら信じる物語を構築しなければならない。他人の意見は関係ない。流行は流行ゆえにいずれ廃れる。まあ流行というのは厄介なものなんですが、われわれは世の中で生きる一個の個人として、受け手としても、また送り手としても、いまこそ『卓越』しなければならない。自分自身が物語なのです。あなたが物語なのだ。われわれは『卓越』しなければならない。『ラノベ』なるものに踏みにじられた真のライトな物語を救うために」

「総理よ」

「なんですか」

「そろそろネタばらしをしよう」

「そうしてください」

 京介はアルファ弁当屋の頭を軽く蹴った。

「うーん」

「目が覚めたか」

 上原アリシャが急いで駆け寄り、革の長靴で弁当屋の背中を踏みつけた。五月が結束バンドで後ろ手に縛った。

 京介が肩をつかみ、上体を起こした。

「ビックリしただろう、弁当屋よ」

 弁当屋はうなずいた。

「なぜおれを拘束するんだ」

「いちおう海外国籍の傭兵だからだ」

「岸田京介。おまえ、物置での打ち合わせと全然ちがったじゃないか。まさか、本物の銃を使うなんて」

「プロレスと同じ相手ありきの演技、即興が大切なのだ。シナリオどおりでは嘘くささがにじみ出る。その点、おまえはよくやった。おまえは人を殺さずに済んだのだ」

「ハリウッドからオファーはあるかな」

「その話はのちほどだ」

 それから総理に言った。

「総理はどうだ。ビックリしたか」

「ええ、ビックリしましたね。アッと驚くタメゴロー、驚愕の事実だ」

 総理は官房長官の首根っこをつかみ、猫のようにぶら下げた。髪の毛は末期的に乱れていたが、腹部には一滴の血もついていない。

「どうです、京介くん。ビックリしました?」

「驚愕の事実だ」

「ビ、ビックリ、しました」

 官房長官が言った。

「ついでに少し、漏らしました」

「辞任してください」

「わかりました」

 そのころホワイトハウスでは、合衆国大統領閣下が悔しげに指を鳴らし、こう叫んでいた。

「カメラアングルのトリックだったのかよ! 超つまんねえ!」

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