第192話 なぜプロレスは世界最強のエンターテインメントなのか?

 白く輝くカウンターに着きながら、京介は500インチの壁かけテレビで新日本プロレスを見ていた。だいぶ前の録画で、試合結果からマイクパフォーマンスから控え室の談話に至るまで当たり前のように把握済みだった。ともあれ、教頭先生はプロレス好きを知ってビデオを用意してくれたらしい。

 ならば話ははやい。

 炊飯器をぱかりと開け、ほかほかごはんをしゃもじでよそうあの15歳の少女に、プロレスのすばらしさ、奥深さを、なんとしても伝えなければならない。

 具だくさんのカレーをおたまですくい、あふれんばかりに皿に流し込むあの15歳の少女に。

 なんとしても。

「たーんと召し上がれー」

 ごとりとカレー皿が置かれる。一晩寝かせたらしいカレーがごはんを従えつつ、京介の鼻粘膜にスパイシーな芳香を送り届ける。

 京介は場外乱闘中のクリス・ジェリコから目を離し、カレーを見下ろした。スプーンを取る。

 教頭先生はカウンターの向こうで両手グーに小さな顎を乗せ、水色の眼鏡の奥で瞳をきらきらさせ、京介を見つめている。

 目が合う。にこっと笑った。

 京介は思った。おままごと感が半端ではない。

 意に反し、腹が鳴った。

「食べないの?」

 京介は答える代わりにスプーンでテレビを指した。

「それはそうと、あのプロレスだ。プロレスはいい。プロレスは世界最強のエンターテインメント、すべての道はプロレスに通ずると言っても過言ではないのだ。人生しかり、娯楽しかり」

 教頭先生はちらとテレビに目を向けた。リングに戻ったクリス・ジェリコが、対戦相手に必殺のコード・ブレイカーを炸裂させた。相手は軽く飛び跳ねつつ仰向けに受け身を取った。必殺技なので大の字に寝そべったままだ。

「演技ね」

「ただの演技ではない。体を張った演技だ。命を賭けた演技だ。わかるか。最強の身体能力を持つ超人たちが、跳んだり跳ねたりまわし蹴りしたりし、あえてかっこよく戦っているのだ」

「なぜただ戦うだけじゃダメなの?」

「プロレスだからだ」

「禅問答ね」

「ただ戦って勝つだけなら、あのようなかっこいい必殺技は必要ない。たしかにそうだ。わざわざコーナーに登って飛び降りたりする必要もない。ルールに乗っ取ったうえで、ひたすら攻撃を加えつづければいい。たしかに格闘技としてはリアルかもしれないが、それではまったくおもしろくないのだ。見ていてわくわくしないのだ。わかるか。なぜわざわざ会場を用意し、お客様の前で戦っているのか。エンターテインメントだからだ。まず楽しくなければならないからだ。お金を払ってでも見に行きたい、そう思っていただけるような戦いを繰り広げなければならないからだ。あんな八百長ならだれでもできる? いいや、そうではない。戦いは戦いだ。実際に打撃を加え、打撃を受け、本物の汗をかいているのだ。だいたい一般人がコーナー最上段からの雪崩式フランケンシュタイナーを受けきれるか。しかもただ受けるだけではない。すげえ必殺技だと思わせるために、ものすごく痛そうに受けなければならないのだ。そして言うまでもなく、実際に痛い。まかりまちがえば大ケガにつながる。だからこそ肉体を鍛え上げ、受けの技術を磨く。受けだけではない。一般人がトップロープからバク転で場外に飛び降りることができるか。ふつうはバク転すらできないだろう。100キロの巨体を持ち上げることができるか。しかも相手がケガをしないよう考慮しながら、優しくたたき落とさなければならないのだ。生まれ持った身体能力、鍛え上げられた肉体、格闘技術、さらには演技力まで兼ね備えている、それがプロレスラーなのだ。そのような男女がこの世に何人いると思う。まさに選ばれし〈主人公〉であり悪役だ。プロレスラーはすげえのだ。そのすげえやつらが、すげえ必殺技を繰り出しつつ、ただ戦うだけではなく、常に相手を意識し、さらにはお客様まで意識し、戦っているのだ。わかるか。肉体を酷使しながら、同時に頭も使っているのだ。朦朧としながら常に周囲に気を配らなければならないのだ。これはとんでもなくものすごいことなのだ。暴れるだけならバカでもできる。だがプロレスはバカにはできない。演技だけなら役者でもできる。だがプロレスは役者にはできない。展開を考え、相手の動きに注意を払い、ときに打たれ、ときに打ち、満を持して必殺技を炸裂させる。しかもすべてを自然に見せなければならない。プロレスは断じて八百長などではない。真の戦いであり、同時に真のエンターテインメントでもあるのだ」

「ふうん」

「ラノベはいまこそ、プロレスから学ぶべきなのだ」

「カレー、冷めちゃうよ」

「ラノベ学の泰斗なら、わかるだろう。たとえば〈無駄な会話〉だが、たいていは各自が目立とうとするあまりマウントの取り合いになる。『あ、こいつ? わたしのペット』『なにそのあり得ない紹介!?』『よろしくです~ペットさん。ワンワン』『○○さん受け入れてる!?』『あ、ちがった。先週から奴隷に格上げしたんだった』『どこが格上げ!? もはや最底辺!?』『奴隷さんなら、鞭で打ってあげなきゃですね~。ビシビシ』『痛い……でもうれし……って待て待て!』などだ。これはダメだ。とくに男の〈返し〉がダメだ。なぜダメなのか。三者三様、自分が自分がとぐいぐい前に出つづけているからだ。押せばいいというものではないのだ。ひたすら気の利いたセリフを連ねればコメディになると思ったら大まちがいなのだ。ときには自ら引き、相手を立てなければならないのだ。チェンジ・オブ・ペースだ、わかるか。そして先の会話は、わざわざ用意したシーンであるにもかかわらず、新しい情報をなにひとつ伝えていない。すでに奴隷状態にあるのはみんなわかり切っている。本来ならばそのシチュエーションを踏まえたうえで、会話ではなく、アクションで〈主人公〉のペットぶりをお見せするべきだろう。さらに無意味でつまらないだけでなく、気分まで悪くなる。女子のペットというシチュエーションのみならず、『奴隷』や『鞭で打つ』『最底辺』などの差別的用語を素で口にするからだ。この創造主は本当にバカなのかと本気で心配になる。長年ラノベをやってきたが、〈お約束〉にもいいものと悪いものがあると思う。〈無駄な会話〉は無駄だ。ラノベに限らずエンターテインメントはコミュニケーションが基本だろう。プロレスと同じだ。相手がいてこそのコミュニケーションなのだ。わかるか」

 なぜか破顔し、頭を左右に揺らしながら「わかんなーい」と言った。やはりただの15歳の女の子にしか見えない。

「おれの〈ヒロイン〉になりたいのだろう」

「なりたい!」

「ではプロレスだ。まずプロレスを好きになるのだ。プロレスから学ぶのだ。すなわち会話やアクションにおいて、相手がいまなにをようとし、結果どうしてほしいのか、常に念頭に起きつづけながら行動するのだ。同時にみんなの期待を意識し、それにしっかりと応える」

 京介は唐突に指で銃をこしらえ、教頭先生をバーンと撃った。

 ぽけっと見つめるだけだった。

「バーン、だ。おまえはどうする」

「あ、そっか。うっ」

 目をぎゅっと閉じてカラスの足跡のように変化させ、わざとらしく胸を押さえた。

 京介は頭を振った。

「ということで、わたしのカレー、食べようね」

「いや、食べない」

「なぜ?」

「ニンジンが入っているからだ。ごろり、ごろりと」

「あ、やっぱり苦手だったんだ? うんうん、いいよ。いいんだよ。待ってて、いま取ってあげるからね」

 教頭先生はうれしそうに収納を開け、菜箸を取った。カレーをのぞき込み、ごろりとしたニンジンをつまんでは口に入れる。

「はい、これでぜんぶ取った。食べて食べて」

「まだだ」

「えー、ぜんぶだよー。ほらほら」

 思いっきり口をつけた菜箸でさりげなくルーをかきまわす。同時に銀色のアホ毛でさりげなく京介の鼻先をこちょこちょした。

 京介はアホから顔を背け、言った。

「すりおろしているだろう」

「えっ」

 教頭先生は顔を上げ、京介を見つめた。その距離、12センチ。

 小ぶりな唇から漏れる吐息が、京介の鼻尖から鼻柱のあたりをくすぐった。

「すりおろしてないよ」

「嘘をついても無駄だ。食べればわかる。ニンジン嫌いにはわかるのだ。あのしゃばしゃば感が、せっかくのカレーの味を台なしにする。われわれ人類は、カレーにニンジンをすりおろしてはいけないのだ。決して、決して」

 教頭先生がなにか言いかけたところで、京介は豪快にカレーをすくい、口に入れた。

 目を閉じ、もぐもぐ口を動かす。

「見ろ、しゃばしゃばだ」

「でもニンジン、おいしいじゃない。体にもいいし」

「おまえの好みをおれに押しつけるな。仮に付き合ったとして、おまえはこんな感じでずっとおれに好みを押しつけるつもりなのか。次はなんだ。きな粉入りヨーグルトを毎朝食わせるのか。女子の絶え間ないおしゃべりは耐えられる。食いものも多少は妥協しよう。だが尻に敷かれるのだけはごめんだ。どうもおまえとは、相性が悪い気がするのだが」

「う」

 泣き出す3歩手前みたいな顔に変化した。

「いくら〈桜色の唇〉をわななかせようが、目の端に玉の涙を浮かべようが、合わないものは合わないのだ」

「〈下手な料理〉よ!」

 教頭先生が叫んだ。

「そう、これは、わたしのニンジンすりおろしカレーは、〈下手な料理〉なのよ! 〈主人公〉なんでしょ? 『ぐはぁっ!?』ってのけぞってよ! 一ツ橋色葉のクソまずい〈料理〉を食べたときはうれしそうにリアクションしたんでしょ?」

「色葉は〈ヒロイン〉だ。おまえは、ボスだ。〈主人公〉はふつう、ボスのつくった〈料理〉で『ぐはぁっ!?』とのけぞったりはしない」

「こんなに好きなのに!」

「おまえの行動は〈テンプレ〉に反している。ラノベ学の泰斗なら、当然わかっているはずだ」

「好きなのに!」

「その好きがまったく伝わらないのだ! みんなにも伝わっていない! バックグラウンドも説明せずただセリフで『好き』とだけ言われてもみんなはまったく共感できないのだ! それに相手あっての惚れた腫れただろう! ただ強引に攻められても、どう受け身を取ればいいのかわからない!」

「またプロレス! バカみたい! 好きなのに」

 えーんと泣き出した。

「なぜ抱き締めてくれないの? なぜ」

「ラスボスだからだ!」

 教頭先生はふえふえと唇をわななかせ、涙でぐちゃぐちゃの顔を何度も拭った。薬指に指輪が光っている。マダムも裸足で逃げ出す巨大な宝石がはめ込まれている。

「ううん、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。想いはそのうち伝わる。じょじょに伝わる」

「もう茶番は終わりだ! ボスはボスらしく振る舞うのだ! おれと〈バトル〉をするのだ! 最後の〈バトル〉を!」

「必ず伝えてみせる」

「おれと戦うのだ!」

 そのとき。

 ピンポーン。

 京介は弾かれたように振り返った。

 教頭先生は「ふえ?」と顔を上げた。

「客を呼んだのか」

 教頭先生は答えない。京介はテレビにリモコンを向け、消した。ゆっくりとスツールから降りる。

「バカ教師! まったくもう!」

 教頭先生はぱたぱたカウンターをまわり込みながら叫んだ。

「今日はプライベートだから入ってくるなってあれほど言ったのに!」

「いや、死にかけているのかもしれない。弁当屋に襲われて」

 やっぱり聞いていなかった。本当に素で自分勝手なようだ。15歳にして関東第一高校の教頭、ラノベ学の権威、IQ53万、そしてあまりに幼い立ち振る舞い。たしかに執事の言ったとおり、見た目だけは圧倒的美少女だ。銀髪だし。だが、ただそれだけなのだ。たしかに表紙映えはするだろう。肌色の海に面陳・平置きされたなかで、みんなの目にパッと飛び込んでくる圧倒的存在感、輝きを放ちまくっている。だが教頭に異性としての魅力は感じない。〈妹〉としても、ただの友人としても。一緒にいたい、一緒になにかをしたいとも思えない。多分に本人に非があるとはいえ、京介はそう思う自分が悲しいと思った。

 絶対許さないんだから、と肩を怒らせ、ぷりぷりと玄関に向かう。

「ダメだ。開けるな。まずはインターホンで確認するのだ」

 扉を開けた、次の瞬間。

 一発の銃声とともに、145センチの小さな体が崩れ落ちた。

 ふぁさり。

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