第190話 最後の戦い

 京介と敏吾はノウサギの死体を頭に乗せたエロゲ分隊長を結束バンドで拘束したあと、棚からテトラサイクリン系抗生物質のボトルを見つけ、分隊長のそばに置いた。ラボを出て、廊下を渡り、赤い扉ではなくエレベーターの前に立った。だぶだぶのスーツを着た敏吾は京介の左腕を肩にまわし、体重を支えながら、呼び出しボタンを押し、それから陽一にスマホで連絡した。

 陽一が暗い調子で言った。

「ぼくの言うことなど、だれひとり真剣に聞いてくれない。かわいい、かわいい、ただそれだけだ」

「まあ、ラノベだからな。むべなるかなさ」

「京介さんは、だいじょうぶなんですか」

「映像のとおりだ。止血と消毒はしておいたよ。抗生剤もたっぷり持ってきた。それより作戦どおり、298階へ上がるぜ。エレベーターはまだモラトリアムの最中かい?」

「五月さんと一緒に鼻歌を歌っていました。5階へ降りる途中に」

「モラトリアムというより退行だな」

 京介が苦しげにつぶやいた。

「観客の様子は」

「畢生の大作ネタは功を奏したみたいですよ! 帰路につく観客もちらほら出てきました」

「政府の出方は」

「わかりません。いま五月さんが残りの観客とじゃんけん大会をしています。空気はぐだぐだ、目も当てられないほどだ。総理と官房長官は苦々しげな顔で見上げるだけで、動きはとくに見せていません。でも本気で大作の構想を練るわけではありませんよね」

「当然だ」

「春さんは生き残りの教師12名とともに、ほかの先生方を探しつつ、教頭先生フロアを目指しています。上原さんは階段の途中ですわって泣いています。『SFなんか大嫌い』とつぶやきながら」

「さすがはアリたんだ。命の危険も顧みず、フロアに留まり脈略のないファンタジー展開をつづけ、駄作化に貢献してくれたのだ」

「途中からは半分本気でしたけどね」

「弁当屋は」

「アルファは298階の物置にいます。いますといってもカメラがないので見ているわけではないんですが、入ったっきり出てこないので、おそらくまだ留まっているかと」

「だいぶ退屈していることだろう。最終決戦の前にまずは顔合わせだ。それから舞台稽古」

 エレベーターが到着した。

「京介さん」

「なんだ」

「色葉さんが消えたんです。跡形もなく」

「心配ない」

「でも、第4の敵が、もしかすると」

「いいか、陽一よ。300階は関係ない。第4の敵も関係ない。第4の敵についての情報は一切知りたくない。これ以上新要素を追加するわけにはいかないのだ。教頭が299階にいるのなら、最終決戦の場は299階だ。そして色葉は心配ない。なぜなら信頼しているからだ。この信頼関係がすばらしいのだ。心でつながっているのだ。だからだいじょうぶなのだ」

「でも」

 陽一は反論しかけ、口ごもった。助けに行けばもちろん、第4の敵と遭遇してしまう。遭遇すれば戦わざるを得なくなる。第4の敵は作戦に含まれていない。つまり作戦のために色葉を囮に使い第4の敵を300階に足止めさせるつもりなのだなこのゲス野郎は、と陽一は思った。てか信頼とか連呼すれば助けにいかない自分が正当化されるとでも思ってんのかよこのヘタレ野郎は、とも思った。もしくは単にシーンを増やすのがめんどくさいだけとか。

 だが、それでいい。

 それでこその駄作。

 京介さんも苦しいはずなのだ。

 いろいろな意味で。

 陽一がモニター越しに見守るなか、エレベーターの扉がゆっくりと開いた。京介と敏吾が乗り込む。扉が閉まる。陽一は物置の出入り口の動きをチェックしつつ、エレベーター内の映像をアクティブにした。野郎ふたりの重量を感知したエレベーターは忌々しげに横揺れしたあと、298階を目指す代わりに敏吾に話しかけた。おまえ、一ツ橋色葉のおっぱい揉んだろ。どんな感触だった? マシュマロのような感触だったと敏吾は答えた。エレベーターは言葉にできない思いを胸にしているような沈黙のあと、「やはり、マシュマロだったのか……………………」とつぶやき、それから指示どおり298階へ向かって上昇しはじめた。

 敏吾は京介を慎重に床にすわらせた。自らも尻を下ろし、つとめて明るく京介に話しかけた。

「痛みのレベルはどうだい、親友よ」

「4だ」

「この状況での途中下車は避けたいもんだな。アルファ以外の分隊も塔をうろついている」

「仮に乗り込んできたとしても、仲良く298階を目指せるはずだ。さっきのブラボーを見ただろう。弁当屋は中途半端な階では対決したがらない」

「だが『エレベーター』だぜ。〈無駄な会話〉で腹の探り合いをし、隙を見て銃を奪い発砲、298階に到着し扉が開くと、血まみれの死体が数体転がっている、って展開さ」

「ならばその展開をあらかじめ伝えればいい。そういうのは雑魚の死に方だ、おまえらは雑魚でいいのか、と」

「承認欲求ってのは身を滅ぼすんだな」

 エレベーターが日本最速で上昇する。だが体感的にはのろのろとしか感じられない。敏吾はなおも話しかける。

「それにしてもきみ、気づいているかい」

「なにをだ」

「このシーンさ。ラノベらしからぬ、男どうしの場面だぜ」

「みんなの退屈している顔が目に浮かぶようだ」

「きみの作戦は、きっとうまくいく。さすがはIQ4600、感服したよ」

 京介はうなずいた。

「絶対に詳細は言うな」

「作戦どおり事が運んだら、駄作は確定、政府はラノベ6.0の実現をあきらめざるを得なくなる。必ずね。そしてぼくたちも死なずに帰れる。あとは教頭先生だ」

「〈無駄な会話〉でなんとか説得しよう」

「ところでこいつが終わったら、ふたりで焼き肉を食いにいかないか」

「唐突になんの話だ」

「一度やってみたかったんだ。男どうし、網を挟んで向かい合い、勝利を目指し肉を食う。小遣いの2ヶ月分をつぎ込むんだ」

「愚かな戦いだ」

「そうさ」

「女子はなし、か」

「男子会さ。そういうのがあってもいい。というか、本来はそうあるべきなんだ。たまに女の子が登場してのプレミアムだろう? ラノベじゃ、複数の女子が息つく間もなくとっかえひっかえ登場しては正気を疑う言動を見せる。なぜそれがくだらないと非難されるのかといえば、単純に起伏に欠けるからだ。状況が不自然すぎるとか、創造主の願望ダダ漏れとか、そういうんじゃないんだ。どの創造主も、そんな願望は抱いていない。ただ必死なんだ。みんなが女の子を望んでいると信じているから。だから無理やりにでも登場させる。女の子ひとりだとマンネリ化する、だから〈ヒロイン〉を増やす。わちゃわちゃとさせる。でもそのじつ、いくら目の色や髪毛の色が異なっていても、全員がひとくくりの『かわいい女の子』なんだよな。創造主はそれに気づき、それぞれに〈属性〉を付与する。だがそれも、大概はうまくいかない。5人もの人格を扱うのは、ひとりの創造主には荷が重いのさ。貴子さんのくさいたま48、秋葉原で大成功を収めただろう? それぞれが生きたにゃんことして、本物の個性を持ち合わせているからだ」

「だからこそ、あえて男どうしのむさ苦しいシーンも混ぜるわけだ。男どうしでも食事ネタを絡めれば、それなりにみんなの共感を得られる。いいチェンジ・オブ・ペースになる」

「そういうことだ。ときに、どの焼き肉屋に行くかが問題だな。まあ、軽く食べログで調べてみるさ」

「おまえに全権を委ねよう。だが星に騙されるな。レビューの行間を読むのだ」

 全国焼肉協会が深い眠りから目覚めた。


   ◇


 京介と敏吾は298階に到着した。京介はひとり、あえて不正解の扉を抜け、壁に寄りかかりながら一歩、また一歩と階段を上る。

 階段の終点、299階の扉にたどり着く。赤い防火扉ではなく、一般的な住居の玄関で見るごくふつうの扉だった。

 京介は肩を押さえ、足を引きずり、最後のステップを上り終えた。扉を見る。ホワイトボードがぶら下がっている。かわいらしい字体で「はいるときは ノックしてね☆」と書かれている。

 教頭先生のお部屋。

 それより、と読者諸君は気にされていることだろう。298階はどうだったんだよ、と。舞台稽古初日のようにアルファ部隊と挨拶するはずじゃなかったのかよ、と。もちろん挨拶はした。挨拶だけでなくリハーサルもした。説明しよう。298階はまごうことなき物置だった。そしてほどなくアルファ部隊と遭遇した。リーダーらしき男がおれたちはアルファ分隊だと名乗った。すでに知っていると京介は答えた。ここで会ったが百年目的な前口上をはじめた分隊長に、京介は重要な指摘をした。このフロアにカメラは存在しない。陽一に確認したからまちがいない。つまりこのフロアはおれたち以外のだれひとり、観客も政府もお茶の間の皆様も見ていないのだ。分隊長はハッと気づき、前口上を引っ込めた。それからラノベと弁当屋は仲良く腰を下ろし、レーションを食いながら今後の展開を話し合った。アルファ分隊長が案を出した。敏吾が命がけでおれたちを食い止めるのはどうだろう。その隙に岸田京介が299階へ向かう。何度も振り返り、罪悪感にさいなまれながら。そしておれへの復讐心をセットする。そのあとおれは敏吾と一騎打ちしどうにか打ち倒しましたという設定で、ボロボロになりながらタイミングを見て教頭先生フロアに再登場する。そこで最終決戦。プレゼンが終わり、京介はなるほどですねとうなずいた。だが、と付け加える。そして京介は、国民的ラノベヒーローとして、またプロレスをこよなく愛する者として、分隊長にひとつの提案した。

 そんなわけで現在、京介はひとりで扉の前に立っているのだった。298階の模様についてはのちほど、アルファ分隊長の口から長々と説明があるだろう。もしくは改行のない地の文でかもしれない。

 京介は撃たれていないほうの腕を持ち上げ、扉の脇のチャイムを押した。

 ピンポーン。

 コンコンコン。

 なにを話すべきかは決まっていない。教頭のキャラが把握できていない以上、出たとこ勝負でいくしかない。

 痛みに朦朧としながら、複雑すぎる作戦をどうにか振り返る。

 教頭先生エンドにするつもりはない。

 日本のためにも。信者たちの将来のためにも。

 色葉のためにも。

 教頭先生を説得しなければならない。

 そのとき。

 ゆっくりと扉が開く。

 ゆっくりと開く。

 ゆっくりと。

 145センチほどの女の子が見上げていた。

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