第189話 幅員の過去

 小村はもともと名の通った美容師ではなかった。半年前まではカリスマでもなんでもなかった。カットが得意なただの細いおっさんだった。美容室エアという店名で細々と営業をつづけていた。お客さんは芸能人でもモデルでもなく、ふつうの一般人ばかりだった。ときにふつうとは言いがたい一般人も訪れた。なにがどうふつうではないのかはあえて説明しないが、カットの腕が泣いていた。腕はときおり反抗さえした。

 ある日、ヤフオクの注文品を梱包し終え、遅い夕食を取っているとき、ふと思った。人気の出ない理由は店名のせいではないだろうか。美容室エア、だと? 腐るほど見かける店名だ。つまり、エアリーな髪をイメージしたさわやかネーミング、というわけだ。凡庸。センスゼロ。

 立地の悪さと自分のセンスを棚に上げた小村は、店名を美容室エーテルに変えた。変えた数週間後、なにげなくネットで検索すると、美容室エーテルが山ほど引っかかった。つまりエアがダメなら四元素つながりでエーテルにしよう、というわけか。なんて脳が単純なやつらだ。

 じゃあ美容室アースはどうだ? なんだアースもあるのかよ。じゃあ美容室ウォーターは? 美容室ファイアは? さすがにこれならないだろ。

 ないけどダメに決まっている。

 激しく悩んだすえ店名を美容室ジエチルエーテルに変えたあと、美容師全員が辞めた。カットモデルに賠償金を請求された無能な新人すら辞めた。無人の店内でハサミを構える日々。やってくるのは家賃保証会社と電気ガス水道の集金人ばかりだった。

 1000円カットに鞍替えするか?

 このおれが? まさか!

 ある日、髭ぼうぼうの小村は、永遠に鳴ることのない電話機をじっと見つめながら、軽くパラドックスに陥っていた。自分の髭はだれが剃るのか。そこへガラス張りの店の前を、正気とは思えない服装をした女の子の集団がきゃっきゃと通りかかった。色とりどりの髪色に、頭上で揺らめく2束の毛。ラノベだ。思わず顔をしかめている自分に気づき、最新トレンドをアホっぽいと思った自分に腹を立てた。おい、おっさん。それだからおまえはダメなんだよ。時代に取り残されるぞ。寄せるんだ。若者に寄せるんだ。

 あのラノベ女子は、流行の最先端を行っている。いまのところ業界のだれも気づいていないようだが、ラノベの時代は必ずやってくる。

 ハッと顔を上げた。

 ラノベ女子と、美容…………………。

 小村に先見の明があったのか、それとも単に運がよかっただけなのか、いまとなってははだれにもわからない。ともかく小村はラノベに賭けた。そしてその結果、ラノベ専門美容師の肩書きで先行者利益を得ることができたのだった。ラノベ専門美容師の需要は理美容業界をまたたく間に駆け巡り、日本中のカリスマ美容師が経済的後進性の利益によってSNS的成長率収斂を果たし、フォロワーおよびブログのアクセス数を爆発的に伸ばし、クモの糸を這い上がる亡者のように小村に追いすがった。小村は耐えた。ときにSNS的に蹴落とした。知り合いを総動員してデマを流しまくった。

 美容師どうしの醜い争い。だがこれも現代社会におけるひとりの男の生き様だ。企業という共同体に守られ、ぬくぬくと月給をもらって生きる者には、自営業の厳しさつらさはわかるまい。

 そして一見軽薄な外見の奥に潜む男の執念、信念が、ついにひとりの白髪しらがの少年の心を動かした。

 かっこよくなれ。

 いや、かっこよくしてみせる。

 


   ◇


 そんなわけで幅員減少デセラレータは、300階フロアの中央に位置する玉座に腰かけ、前が透明になっているクロスをかぶり、スマホをいじりながらカラーリングを受ける運びとなった。

 凜とした色葉は小村と幅員減少のあとにつづき、流れでなんとなく檻を出た。ほっとするあまり思わず素に戻りかけた。すんでのところでおのれのバカな格好を思い出し、凜と表情を引き締め、頭をできるだけ空っぽにし、「流れでなんとなく」に極限まで身を任せ、ふたりのそばに留まり、ふたりの話を聞き、なんでまだ残っているんだ会社に戻れと言われない程度の存在感でときおり相づちを打った。

幅員デセラ様のような全白髪になりたいっていうラノベ女子の方、かなりいらっしゃるんですよ」

「へえ」

 頭をベトベトに濡らした幅員減少が軽い調子で言った。

「あ、そうだ、きみらに言ったっけ? 一ツ橋色葉は、ぼくの許嫁だったんだ」

「あの〈メイン〉中の〈メイン〉、一ツ橋色葉さんと?」

 ビニール手袋を着けた小村が刷毛を動かしながら大げさに驚いたあと、戸田奈津子の字幕みたいな質問をした。

「お知り合いだったので?」

「あいつはいじめられっ子だったんだ。京都の中学に通っていたころの話だ。ある日の放課後、あいつは体育館で、ひとりうずくまり、泣いていた。周囲にはこれ見よがしに大量のバレーボールが転がっていてね。昭和かよとはじめは思ったが、いじめに昭和もなにもない。色葉はぼくに気づき、顔を上げ、怒ったように涙を拭った。立ち上がり、前髪で顔の上半分を隠しながらぼくの横を通り過ぎる。その瞬間、ぼくは助けると誓った。『待てよ』と色葉の背中に声をかけた。まるでトレンディドラマみたいにね。そして何度も助けた。中学2年のとき突然覚醒した特殊能力『標識』を使って」

「告白もされたんですか」

「当たり前だ。中2男子が特殊能力を駆使してかわいい女の子をいじめから守るんだぞ。控えめに言ってゼウスだ。もちろんした。だが断られた。あいつはまんざらでもなさそうだったが、あいつの父親が許さなかったんだ。まあたしかに、父親の目の前で得意げに瞬間移動しまくったからね」

「それがきっかけで闇に落ちたと」

「ま、そんなところだね。気づいたらモロッコにいたよ。どういう心境だったかは推して知るべしだろう。そのあと気の向くまま世界中を瞬間移動し、銀行強盗などをしまくったってわけ」

「どこかで聞いた話ですね」

 色葉はさりげなくその場を離れ、美術館にでもいるようにさりげなく周囲を見まわした。見るべきものは美術館以上になにもない。空気感をチェックしつつ、少しずつ距離を取る。そう、幅員減少とは〈幼馴染み〉で〈許嫁〉、記憶にはないが幼稚園時代、幼稚園あるあるの婚約を取り交わした間柄だったのだ。いままで黙っててごめんなさい。たしかに中学時代、何度もいじめから救ってくれた。ただしその救い方が問題だった。大いに。あらゆる意味で。しかもご褒美がもらえないとわかると、日増しに救出の頻度が減っていった。いじめはよけいに激化した。父と父の弁護士に接近禁止命令を言い渡されると、ちょくちょく目の前に出現しては女の腐ったような嫌がらせをするようになった。こういうときに人間の本性が出るものなのだ。

 理想の男性像がぼんやりとでも固まったのはそのころだろうか。文字どおりの反面教師だ。すなわち、このリアルな現実という世界においては、白馬の王子様など鬱陶しいだけ。むしろ守ってもらわなくても構わない。慰めの言葉もいらない。大仰なムーブとともに特殊能力を発動し複数のいじめっ子を香港映画ばりに吹き飛ばしたところで、現実の女子は当該男子をかっこいいとも憧れるともすてきとも思わないものなのだ。ごくふつうでいいのだ。ごくふつう。ごくふつうに見えてじつは秘められし才能が? いやいやだからそういうのはいらないのだ。そういうラノベはいらない。たまにそばにいて、話を聞いてくれるだけでいいのだ。ヘタレでもいいし、力強くてもいい。どっちでもいい。とにかくわたしを見てほしいのだ。自分自身のかっこよさにかまけるのではなく。わたしを知ってほしいのだ。この肉体の奥にいる、本当のわたしを。

 女の子は着飾って、魅力的な仕草で、周囲に罠を張り巡らす。モブにはただ外見を見て、かわいいと思っていただきたい。でもそれ以上近づこうとしたら、すぐさまチェック機構が発動する。おまえは外見の美しさに引かれただけなのだろう、この肉体が欲しいだけなのだろう、と。なかなかめんどくさいでしょう。花火大会でも行かない? えーどうしよっかなー。いいじゃん行こうぜ。世にフィクションがはびこっているからこそ、そういうドラマ要素は、ときには必要だ。プラネタリウムも、モスバーガーも、傘を忘れた雨の放課後も。だがドラマチックなど、ほんの少し、スパイス程度で構わないのだ。おまえの人生もわたしの人生も、ドラマ以外のオフ、つまり日常が大半だろう。わざわざドラマを求めてはいけない。ふつうでいいのだ。本当に女の子を欲するならば。かっこよくいじめから救ったり無理して同情の涙を絞り出したり、そんなよけいなアクションで自分自身を隠すな。日常にドラマを求めるな。ふつうにラインしてこい。ふつうに話しかけてこい。ふつうに目を見て、ふつうの仕草で。本当にわたしが欲しいのならば。

 そしたらわたしは50項目に及ぶチェックでおまえをふるいにかけてやるのだ。ふはははは。

 それはともかく。色葉はさりげなさのうえにさりげなさを装いながら、愚にもつかない話をしゃべりまくる幅員の背後にまわり込んだ。髪毛はがっつり染まっている。こうなればこっちのものだ。

 あとは父を助け出すだけ。

 そのとき。

「一ツ橋色葉! ハリのあるあなたのお肌が欲しい!」

 隕石ナイフがヒュッと目の前を通り過ぎた。

 なぜだろう、あの人にはあっさり変装を見破られそうな気がする。

 おとなしくしておくか。

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