第185話 教頭先生の校内放送 各フロアを(一部を除き)ダイジェストで

「スピードアップ! もう待ちくたびれました!」

 教頭先生がスピーカー越しに叫んだ。

「ラノベのみなさん、教師のみなさん、そして悪の政府に雇われたお弁当屋さん。まずはお疲れ様です。わたしがラスボスですよ。三者三様入り乱れるのはいいかげんにして、そろそろ雌雄を決しましょう。現在の時刻は16時40分、お夕飯の支度は整いつつある」

 そのころ春は教師を引き連れ、紀元前13世紀ごろのエジプトを歩いていた。目的地はもちろん、カナンの地ではなく赤い出口だった。

 予想どおり紅海が眼前に横たわり、行く手を阻んだ。背後からは紺色のポロシャツを着た弁当屋のデルタ分隊が迫る。ひとりが発砲し、体育教師が倒れた。

「食堂に残っていればよかった」

 サイコパスが泣き言を口にした。

 そのとき。

 暴風が吹き荒れ、紅海がふたつに割れた。

 教頭先生が言った。

「ほら、奇跡ですよ。さっさと渡って、次のフロアへ向かってください」

「行け。弁当屋、あたくしが食い止める」

 カントが反論した。

「その体では無理だ」

「ならおまえ、食い止めるか」

「お先」

 生き残りの教師全員が紅海を渡るのを見届けたあと、春は左手でレイピアを抜き、構えた。ライフル弾が頬をかすめ、皮膚組織をごっそり持ち去った。

 浦安の地に眠るディズニーの精霊たちよ。いまこそわれに力を。

 って無理か。

 いまさら都合よすぎか。


   ◇


 そのころ上原アリシャは、ファンタジー的に重要な軍事拠点にいた。

 どうやら軍事学フロアのようだった。上原は防衛塔に立ち、蜂蜜色の髪をなびかせながら、悲壮感たっぷりの表情で夕暮れの空の一点を見つめていた。邪悪なドラゴンの翼影が3つ、はるか先に確認できた。なんのボーナスか知らないが、〈エルフ〉としてはこれ以上ないロケーションだ。

 ファンタジー大好き。

 前方には、美しい緑を頂く山々が折り重なるように立ち、うねうねと曲がりくねる谷間を形成している。神の恩寵によりできた自然の道は、湿気でぬかるみ、高低差もあり、行軍する軍隊を疲弊させる。充分に間延びしたところで突如、見通しのいい、人工的に整地された道が開ける。左右には濃い森、そして一直線に伸びる街道の先には、かの学問と魔術の都・エルングストがあった。

 軍人でなくとも戦の経験がある者であれば、これら神が与えたであろう地の利を最大限に活かそうとするはずだ。かのエルングストに、西方の騎士団いや従者スクワイアのひとりでもいればの話だが。

 防衛塔はエルングストから3ペース(約220メートル)離れた街道の脇に建てられている。5日前のこと、上原は闇の軍勢から逃れ、追っ手の影におびえながら、ヨネックスとともにエルングストを目指していた。途中左利きのリザードマンと戦ったりしながら、苦労して谷を抜け、ついに街道に出た。幾何学的な人工の美、象徴的にそびえ立つ2基の尖塔を目にし、だがほっとしたのはつかの間のことだった。

 はじめて防衛塔を見上げたときの絶望感はいまも忘れない。時代遅れの角柱形で、石組はところどころひび割れ、胸壁の一部は崩れたまま補修もされておらず、なにより見張りがひとりも立っていなかった。長らく使用されていないのは明らかだった。

 エルングストに城壁はない。その代わり透明の半球が都をすっぽりと覆い、ときおり虹色にきらめいている。魔法壁だ。都の太守は魔術を過信し、どのような魔物が来ても守り通せると豪語し、光の〈エルフ〉や〈ドワーフ〉はもちろん、周辺諸国や西方の騎士団との一切の同盟を拒んでいた。たしかに魔術は偉大だ。だが現在は、まるで状況が異なるのだ。魔術の毛布にぬくぬくと守られたエルングストの市民は、太守は、果たして新たな現実に気づいているのだろうか?

 都の太守は予想に反し、異種族である森の民を快く迎え入れた。でっぷりと太った快活な男で、豪奢な宝石のような都と同様、現実に背をそむけていた。贅を凝らした晩餐が用意される。鹿のあぶり肉、種入りのパン、木イチゴなどを食べながら、都の輝かしい歴史を延々と聞かされる。上原はずきずきと痛む頭をこらえ、森の〈エルフ〉の代表として、わめきだしそうになるのを必死で抑えていた。現在の不穏な情勢についてヨネックスが切り出すと、太守は顔を一瞬青ざめさせた。空元気でまくし立てる。わが都は魔法壁で守られているではありませんか! 万が一闇の軍勢に突破されたとしても、われわれには偉大な魔術師がついている! 大陸に名だたる、かの白き右目持つアマリムが、必ずや邪悪を追い払って見せましょうぞ! そこへうまいことアマリムが登場した。たしかに右目が白かった。太守の御前ではそぶりを見せなかったが、館を出ると、上原とヨネックスに近づき、一杯やらないかと誘った。『翼の生えた豚』亭でエールを飲み、他愛もない世間話を交わしたあと、外の世界の情勢をそれとなくたずねてきた。ヨネックスは暗い表情で道中の出来事を語った。闇の軍勢は恐るべき数で、山の向こうに陣を張っている。邪神の僧侶イカリスの軍だ。いずれ谷を越え、都へなだれ込んでくるだろう。殺戮と略奪は避けられない。われわれはそれを伝えに、昼夜をおかず馬を駆り、馬を失ったあとは徒歩で、谷を越え、どうにかエルングストへやってきたのだ。左利きのリザードマンに話が及ぶと、アマリムは端正な顔を青ざめさせた。そしていわく、右利きのリザードマンであれば、太守の言うとおり、都は魔法壁によって守られるだろう。右巻きのウィルオーウィスプもしかり。

 すなわち。

 翌日、上原はアマリムの協力を得て、市民の説得を試みた。武器を持ち、自らの手で都を守るのだ、と。平和ボケした市民は聞く耳を持たない。罵声を浴びせる市民に囲まれ、身勝手な人間など滅びてしまえ、と上原は心の中で毒づいた。神の力によって築き上げられた都など、滅びてしまえ。だがエルングストには残念なことに、太陽と月と星々を統べる「鍵」のひとつが守られている。7つの「鍵」が揃うことで天体の運行は支配され、時空が歪み、理屈はわからないが異界の門が開かれてしまうのだ! 魔術を過信するのは周辺諸国も同様で、西方の騎士団でさえ「鍵」の保管を承認したのだ。

 だが。ドラゴンとは。

 われわれに勝ち目はない。

 アマリムの言うとおり、つい先ほどまで伝説だと考えられていた怪物に、魔法壁は効力を発揮しないのだ。左利きのリザードマンや左巻きのウィルオーウィスプも同様に。

 そして現在、防衛塔の胸壁には、兵士が数十名、弓を手に、青ざめた顔で、やがて空から振り落ちてくるであろう巨大な死を待ち構えている。全員が市民であり、文字は読めても死を扱うには不慣れな連中。ドラゴンはときおり姿を見せては引いていく。この3日、まともに眠れた者はひとりもいなかった。

 魔法壁はともかく、もとより人間がドラゴンに太刀打ちできるはずがないのだ。

 太守は最後まで快活に、隊を任せると〈エルフ〉に言い残し、それからは館に閉じこもりきりになった。

 都の命運を押しつけられた上原は、慣れない金属鎧を纏い、震える膝で雄々しく立ち、勇気を振り絞り、光の〈エルフ〉すなわち最後の希望の象徴としての役割を演じつづけた。兵士に歩み寄っては話しかけ、鼓舞した。夜には塔内の眠れぬ兵士に話しかけ、元気づけ、優しく微笑んでみせた。美しき〈エルフ〉の慰めに、兵士は表情を緩ませ、笑みを返し、おそらく最後となるであろう眠りにつく。だがほどなく、ドラゴンの影が闇のベールとなって心を覆い、悪夢となって襲いかかるのだ。

 朝もやが煙るなか、ヨネックスの営業が、槍を手に、従者のように背後に立った。顔は市民と同じく絶望の色が濃く、おそらく一睡もできなかったであろう、まぶたは腫れぼったく、そのうえ青痣までこしらえていた。痣については左利きのリザードマンと戦ったからではなく、屈強な消防士3名との姫を巡る決闘で殴られたからだった。自社製品を自ら装備し、屈強な消防士3名との決闘に勝ち、鼻血を垂らしながら〈エルフ〉の姫君の元へ戻った。そして手に手を取っていかがわしい同人フロアを抜け、50階をショートカットした先にあらわれたのが、この絶望的なファンタジー世界だった。

 ファンタジー大好き。

 上原はヨネックスの気配に気づき、甘美な絶望の設定を全身に纏いながら振り向き、ちらと目をやった。

 かわいい。

 性格も一途。

 身長差も理想的。

 しかもノリがいい。

 上原はもはやラノベなどどうでもよかった。はっきり言ってこの場でむしゃぶりつきたかった。この理想の男性と結婚したかった。ここで、いますぐ。ファンタジー的に。エルングストの太守や市民にたたえられながら。そして10年後、母親似の美しい少年に育ったハーフエルフの息子が颯爽と新シリーズを構築するのだ。

「姫。どうか逃げられてください」

 雰囲気たっぷりに言う。上原はかたくなに首を振った。

「わたしがここに残らなければ、兵士たちに示しがつかない。たとえ死がわたしの頭上に」

「あ、ちょっとそのままで」

 ヨネックスはスマホで上原を撮影し、インスタグラムにアップした。

 それはそうと、軍事学はなぜか日本文学史とフロアをシェアしていた。予算の関係だろうか。しかも運の悪いことに、街道を挟んだ向こう側が日本文学史ゾーンだった。防衛塔でしばらく悲劇に浸っていると、巨大な蟹工船が突如出現した。上原は絶望の色濃い表情を浮かべたまま、カニを徹底的に無視した。するとその隣に井戸が出現した。男が中に入ったきり出てこないのだがこれも無視した。

 紀州の路地も無視した。砂に埋もれかけた家も無視した。布団のにおいを嗅いでいるおっさんも無視した。米兵を撃てずに悩んでいる日本兵も無視した。父親に赤ん坊ができましたと報告している男も無視した。さっきから塔のまわりをうろうろしているメロスも無視した。

 上原はブリーチしたての髪を揺らして振り返り、夕日に輝くエルングストを見た。隣で羅生門が夕日に輝いていたが思いっきり無視した。

 向き直り、胸壁から街道を見下ろす。紺のポロシャツを着たチャーリー分隊がライフルや擲弾筒を構え、雰囲気を斜め方向からぶち壊しにしている。

 あれは無視できない。

 挨拶代わりの威嚇射撃は本物だったからだ。

 青ざめた顔でドラゴンの翼影に意識を集中させる。もしかするとただの壁のしみかもしれないが。

 ちなみにエルングストも勝手につけた名称だし。

 ぜんぶ脳内設定だし。

 ファンタジー大好き。

 教頭先生がスピーカー越しにため息をついた。

「上原アリシャさん。防衛塔の地下に秘密の出口があると何度言えばわかるのです。フロアを日本文学で埋め尽くされたいのですか」

 銀河鉄道が上空を駆け抜ける。上原は思わず弓矢を放った。

 さらに金閣寺が出現した。中から明治初期の貧乏人がぞろぞろとあらわれ、口々に貧乏自慢をはじめた。そこへ魔性の美女があらわれ、私小説家どもを次々と動物に変えていった。猫に変えられた男が、自分は猫であると当たり前の主張をはじめた。肺病病みの男が丸善に爆弾を置いた。

 そして、ついに。

「駅長さあん、駅長さあん」

 上原はめげずにヨネックスだけを見つめた。

「死と日本文学がふたりを分かつまで」

「ええ」

「あなたたちはもういいです。勝手に悲劇に浸っていなさい。おっと」


   ◇


 そのころ五月はちゃっかりエレベーターに乗っていた。エレベーターと一緒に鼻歌を歌いながら階数表示板を見上げていると、239階の凶悪犯罪者フロアで止まり、扉が開いた。場所と時代は特定できないが、恐るべきアメリカの闇が広がっていた。

 ギプスをはめたテッド・バンディ、ピエロの格好をしたジョン・ウェイン・ゲイシー、釘つきの板を持ったアルバート・フィッシュ、背が超でかいエド・ケンパーなどが待ち構える最凶最悪のフロアだったが、怪しげなピックアップトラックが目の前の通りに停まったところで教頭先生がエレベーターの扉を閉めた。

「一体だれです、こんなフロアを用意したのは。プロファイリングがどうこう以前に、〈バトル〉の詳細をお伝えできないではありませんか。15歳未満も閲覧しているのですよ。あっ、京介」

 五月は停止しっぱなしのエレベーター内で鼻歌を再開した。

 ♪トゥットゥットゥルットゥー、デンデン!

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