第184話 真の地獄

 敏吾はほうほうの体でベイバスターから逃れ、出口の扉のひとつ(C)に飛びついた。するとBの扉が開き、ヤギが横顔をのぞかせた。

「こちらはハズレだよ」

 構わずヤギに突進し、扉を閉める。その直後、扉の向こうで自動車10台が大爆発した。なぜベイは、あれほどまでに車を爆破したがるのか。おそらくナチュラルボーンなのだろうなと自分の中で結論づけたあと、ようやくナチュラルな自分自身の姿に気がついた。全裸でいることを忘れるほどの約90分間の大興奮の大スペクタクルだった。建設費300万ドルをかけた高速道路も木っ端みじんだった。すべてを破壊し尽くしたマイケル・ベイの胸中に去来するものはなにか。もちろん次の破壊だ。

 石造り風の階段を上るごとに、罪の意識としか言いようのない感情に満たされていった。どんな罪を犯したのかは覚えていないが、償うには6月以上10年以下の懲役に服するか、敵の繰り出す必殺技の射線に飛び出し命を賭して仲間を救うくらいのことはしなければいけないような気がする。

 守るなら、小学校中学年の女子がいいな。

 高学年でも、まあ許せる範囲だが。

 果たして元に戻ってよかったのか、それは読者諸君の判断にお任せしたい。とにかく全裸で階段を上っていくと、先から和気藹々とした談笑が聞こえてきた。複数の男たちが降りてくる。先頭の男は弁当屋の配達人のようなポロシャツを着ていたのでほっとしたが、手にアサルトライフルを構えていたのでほっとするのをやめた。

「おい、おまえ! そこの全裸の高校2年生!」

 尻を向けて階段を1歩降りた時点で呼び止められた。またたく間に取り囲まれ、拘束される。

「分隊長、ラノベを発見しました」

 分隊長と思しき弁当屋が仲間のあいだを縫って駆け降りてきた。敏吾を一瞥し、鼻を鳴らした。

「こいつはラノベじゃない。エロゲだ」

 分隊長は無線で連絡した。

「アルファ、こちらブラボー。エロゲを発見した」

 部下のひとりが通信中の分隊長に言った。

「エロゲってなんです?」

「ブリーフィングで確認しただろう」

「ひととおり聞きましたけど、結局なんなのかよくわからなくて」

「白々しい真似はよせ。エロゲを知らない、だと? おれもおまえも、みんな一度は経験することだ。いい大人だろう、いまさら恥ずかしがってどうする」

「知らないな」

「おれもだ」

 別の弁当屋が分隊長に言った。

「教えてください。エロゲってなんです? 字面ではまったく想像がつかない」

 マジかよといった顔をしながら分隊長はエロゲについて説明した。

 全員本気でピンときていない様子だった。

「つまり、男女が性交するイラストをテキストと音声つきで眺めるゲーム、ですか」

「そうだ」

「そんなもの、だれが喜ぶんだろう」

「それほどセックスに飢えているのなら、実際に女とヤればいいじゃないか。そちらのほうがいいに決まっている」

「そうだ。なぜわざわざエロゲなるものを購入し、パソコンに入れ、親の目を盗んでプレイし、風呂場で思いを遂げるような真似をするんだろう」

「つまりだな」

 そこへひとまわり大柄な弁当屋が、隣に立つ弁当屋を肘で小突き、軽い調子で話しかけた。

「おい、ところでおまえの初エッチはいつだった?」

「おれの初エッチ? 19歳だ。残念ながらな」

「おれは16だった。県道沿いの、きったねえコンテナのカラオケボックスでさ。なんかそういう雰囲気になって、いいか、って聞いたら、顔を真っ赤にして、うん、って。めっちゃドキドキしながら、優しくブレザーを脱がしてさ、次はどうすればいいのかわからなくて、とにかくブラウス越しにこう、小さなふくらみに手を添えてさ。キスしていい?って聞いたら、いいよ、って。そのあと結局別れた。おまえは?」

「聞いて驚くな。12だ。国語教師と、先生の自宅で」

「マジかよ!」

 初エッチ話はどんどん伝播し、ついに分隊長にたどり着いた。

「で、分隊長は?」

「…………………………………………えっ?」

「どうしたんです、ラノベみたいな〈3点リーダー〉なんか使って。教えてくださいよ」

「――――――――――――――――」

「えっ? いまなんて?」

「どうだったかな。覚えていな」

「バカな! 初体験を覚えていないわけないでしょうが! みんな言ったんですよ。もったいぶらずに教えてくださいよ」

「教えてくださいよ」

「教えてくださいよ。いつエッチしたんです? 中学? 高校? どこでエッチしたんです? だれとエッチしたんです? 名前は? どんなルックス? おっぱいはどんな感触でした?」

 敏吾は分隊長の顔を盗み見た。血流が半分くらいになっていそうな顔をしていた。

 そして。いまだ女の子と付き合ったことのない敏吾は、なぜか分隊長の心中を魂レベルで理解できた。窓があればためらうことなく飛び降りていただろう。拳銃を携帯しているのでこの場で自分の脳みそを吹き飛ばすこともできる。心の声まで聞こえてきた。そうだ、ここで死のう。おれなんか生きていても仕方がないんだ。男の手がホルスター付近をさまよった。

 拳銃を抜いたところで、分隊長の心に理不尽な怒りが満ちていった。

 おまえら忖度しろよ!

 飲みの席ですら疑わしいやつは優しくスルーするぞ!

 敏吾は全身を緊張させた。

 分隊長はおっぱいの感触を執拗にたずねた男に銃口を向け、ためらうことなく引き金を引いた。

 せまい空間での発砲で敏吾の耳がおかしくなった。

 どさり。

「なにをするんです!」

「自業自得だ」

「なにがです?」

「こいつはスパイだ」

「スパイじゃない。おれの親友だ!」

「じゃあおまえもスパイだ」

 親友にも発砲した。

 どさり。

「なぜ、こんなことを」

 なぜと口走った男に銃口を向ける。

「貴様、エロゲをやったことはあるか」

 中東や中央アジアの紛争地域を渡り歩いてきただけあり、部下は肝が据わっていた。ガムを噛みながら、ひるむことなく静かに分隊長をにらみつける。

「エロゲをやったことはあるかと聞いているんだ!」

 こめかみにぐいぐい銃口を押しつけられる。部下は目を伏せ、もう一度見上げ、細かくうなずいた。

「ある。あります」

「そうだ。素直になれ。恥ずかしがることはないんだ。みんな一度は経験することだ」

 敏吾は気づいた。拘束が緩んでいる。逃げ切れるか。頭の中で弧の長さと弦の長さを計算する。射線から逃れるまで、階段45歩分は必要だ。

 無理。

 つながりっぱなしの無線が言った。

「ブラボー。なにをやってる。教師どもはすぐ近くだぞ」

 分隊長は生きている部下を見まわし、ライフルを肩に担いで言った。

「やつらに真の地獄を味わわせてやる。行くぞ」


   ◇


 そんなわけで女の子とエッチしたことのないエロゲ大好きのブラボー分隊長は、生きている部下を従え、全裸の敏吾とともに100階教職員食堂フロアへ突入した。

 衰弱しきった教師たちがちらほらと横たわっている。数を数えるまでもなく、明らかに人数が足りない。どこかに隠れているのか。もしくは弁当が来ないのでコンビニにでも繰り出したのだろうか。

 エロゲ体験を強要された隊員が、敏吾にワイシャツとズボンを放った。

「そいつでケツを隠せよ」

「どこで手に入れたんだ」

 隊員は答えず、ライフルを構え、仕事に戻った。

 フロアのあちこちで、散発的に銃声が響く。敏吾はストックホルム的な親愛の情を弁当屋に抱きながら、急いで服を着た。ワイシャツはおじさんのにおいがした。ようやく文明人に戻り、次はどうしようと考える前に、敏吾はワイシャツの裾をだらしなく出した格好でズボンのポケットに手を突っ込み目いっぱいチンピラぶって食堂を歩いていた。転がるオブジェクトを意味もなく蹴ったり床に唾を吐いたりした。お弁当屋さんとお友達になれるのならなんでもするつもりだった。

 目についた教師に手当たり次第怒鳴りつける。

「岸田京介はどこだあ」

 教師は答えない。弁当屋が近づいてきたのであわてて立ち退いた。

「た、助け」

 銃声。

 重要なパラメータが3つほど限界値に達し、敏吾はその場でぎゅっと目を閉じた。言うまでもなく恐るべき事態だ。ここにいたくない。ここではないどこかへ行きたい。だが目を閉じ願っただけでここではないどこかへ行けるはずはない。だが行きたい。自分の中のなにかが分裂しかけている。そのうち意味もなく叫びながら鳥のように両手を広げてその場をぐるぐるまわったり笑いながらあらぬ方向へ駆け出したりしはじめるにちがいない。それに自分が命を賭して立ち向かったところで、状況はなにも変わらない。フロアに巨大な尻の穴がひとつ増えるだけだ。

 お母さん。

 ちなみにこれらリアル殺人の模様はすべて全国に生中継されていた。しかもモザイクなしで。官房長官は気にしていなかった。もともと使い捨て感覚で雇った連中だし、国籍不明の傭兵どもなので殺人についてもあとでなんとでも言い訳できる。その理由:国民はバカだから。

 それより、この盛り上がりぶりはどうだ。お茶の間で食い入るように見つめる視聴者家族が目に見えるようだ。事実ここにたむろする連中も、リアル暴力とリアル殺人にちょっと引きつつ、引き込まれるようにタイタントロンを見上げている。あれはフィクションではないんだがなあ。画面を通せば、現実と虚構の区別は意外とつかなくなるものなのだ。日本禁煙学会ですらプラカードを下ろし、隣に陣取る飲食店団体の衣服に付着したPM2.5にも気づかないほどだ。

 これでいい。

 これでこそクライマックス。

 官房長官は隣で居眠りする総理に目をやり、懐に入れたルガーの感触を確かめた。

 岸田京介よ。リアル傭兵を相手に、寒々しいクソラノベ展開は通用しないぞ。

 そして勝て。ラノベ史上最もかっこよく。

 お国のために。


   ◇


 アルファ分隊の分隊長は風俗1000人斬りを果たした文字どおりの精鋭中の精鋭だった。エロゲのエの字も知らず、金髪碧眼白人美女も臆することなく抱き、エクストリームスポーツで過去3回骨折し、世界を股にかけて遊びまわり、いろんな国籍の友達がいて、パーティーがかなり大好きだった。総じて人生は最高だと思っていた。

 分隊はすでに298階の倉庫に到達していた。階段を上る描写も見せず、〈無駄な会話〉の様子も見せず。アンドロイド春との白熱の〈バトル〉すらスキップした。マイケル・ベイ本人から電話がかかってきたほどの充実ぶりだったが、アピールすべきはそこではないのだ。ブラボーのバカは目立ちたいと願うあまり我慢しきれず途中で登場し、敏吾を見つけ、無意味な展開のあげくあろうことか部下を撃ち殺した。童貞もバラされた。なにがなにやらだ。

 官房長官の言うとおり、われわれ弁当屋の使命は岸田京介の抹殺ではない。ラスボスである教頭先生の一歩手前において、最上階付近で、残り10ページくらいになったところで華々しく敗北することだ。分隊長は木箱に寄りかかり、片膝を立て、木片をナイフで削りながら、どう負けるべきかをずっと考えていた。ビルから落ちるのも悪くない。一度倒されて、みんなが油断したところで血まみれであらわれ、まず敏吾の肩を撃ち、それから憤怒の表情で岸田京介に襲いかかり、すると背後から何者かに撃たれる。振り返ればそこには銃を構えた一ツ橋色葉の姿が。ああ、そんな感じで死ぬのもいいな。人質を取って長々と話をしようか。その場合、どんなネタで話すべきか。バックグラウンドに乏しいのでやめておくか。冷酷な殺人マシーンに徹したほうがいいだろうな。

 キャラがぶれるのは御法度だ。


   ◇


 京介は階段の踊り場に膝をつき、仕出し弁当屋に撃たれたタカラトミーを腕に抱いていた。

 口からはどんな玩具メーカーも再現不可能な赤い血があふれ出す。

「べ、弁当屋じゃない。あんな屈強な配達員が、いるわけがない。傭兵だ」

「しゃべるな」

「しゃべらないと情報を得られないでしょう」

「たしかにそうだが」

 血まみれの手で京介の袖をつかんだ。

「最後に、ひとつだけ」

「助かる。きっと助かる。係員は!」

 営業のひとりがスマホから耳を離し、首を振った。

「だれも出ません」

「なぜだ!」

「き、京介さん」

「なんだ」

「シンカリオン、見てくださいね」

「すでに毎週見ている」

「ぼく、かっこいいですか」

「かっこよすぎだ、言うまでもなく。だからしゃべるな」

「そうか。これでぼくも、ラノベの〈ヒロイン〉にモテモテってわけだ。はは! ああ、ゆるゆるとした日常が見える。なにげない〈日常〉が。ぼくは女の子に囲まれている。全員ぼくの、嫁」

 ガクッ。

 京介はタカラトミーの亡骸を静かに横たえた。それからリュックを外し、カタログを取り出し、スマホを構えた。

 いや。

 無関係の営業をこれ以上ラノベに引き込むわけにはいかない。

 この展開をラノベと呼べるかはさておくとして。

 振り返ると営業は5名だけになっていた。京介は残りの営業に告げた。

「おまえらも逃げるのだ。いくらおれが金づるとはいえ、命あっての商売だ」

「失礼します!」

 4名が新たに離脱した。

「ぼくはついていきますよ。あなたがそのアーマーを着ているあいだはね」

 ミズノが京介の目を見てきっぱりと言った。口論するつもりはなさそうだった。

「ありがとう」

「なにか策はあります?」

「おれが知っているのは、銃を持った者はトリガーに指をかけていない場面では絶対に発砲しないということくらいだ」

「政府が雇ったんでしょうね」

 そのとき。

 ♪ピンポンパンポーン

「2年Ω組の岸田京介くん、いますぐ299階の教頭室へ来てください」

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