第182話 昼食は大事です

 色葉がパーツにしこしこヤスリがけをしているころ、100階教職員食堂フロアでは、250名ほどの教師が飢餓にあえいでいた。

 広大なフロアに白い6人掛けテーブルが整然と並んでいる。正午には仕出し弁当屋がおとずれ、教師はそれぞれの弁当を手に整然とすわり、午後の厳しい戦闘に向け、それぞれの弁当を整然といただくはずだった。

 現在、壁の時計は14時を指している。

 朝食から7時間。すでに空腹は限界に達している。

 ある教師はマイ箸を構えたまま長テーブルに突っ伏し、ある教師は飴の包み紙をパッケージごとわしづかみにして床に横たわり、ある教師は空になったオフィスグリコの容器を抱きながら壁際にすわっていた。

「おい、吐き出せ!」

 教師のひとりが叫んだ。

!」

 だれかがおはじきを舐めていたようだ。だが目を向ける教師はほんのわずかだった。衰弱のあまりその程度のリアクションすら困難になっているのだ。

 白のタンクトップを着た胸板の厚い教師が、のろのろとテーブルに登った。高みから見まわし、みんな聞いてくれと呼びかけた。

「食べるものがなければ、おれたちはいずれ死んでしまう。ここを出て、食糧を探すべきだ」

 カントを意識したと思しきオールバックの教師が言った。

「食堂を出るのは自殺行為だ」

「だが昼食は必要だ。これ以上は待てない」

「仕出し弁当屋と入れちがいになったらどうする」

「こうしよう。おれが何人か選び、階段の踊り場を捜索する。昨日の決起集会の残り物が見つかるかもしれない」

「いまの衰弱した状態でラノベに出会ったら、ひとたまりもないでしょう」

「こうしていても死を待つだけだ」

 そこへじつはサイコパスでこれまで関東第一高校の教師や生徒を次々と殺害してきたがいまのところだれにも気づかれていない容姿端麗な32歳のラテン語教師が言った。

「ぼくは捜索に加わる」

 カント風ヘアスタイルの教師が疑わしげな眼差しを向け、言った。

「おまえの正体を知っているぞ」

 サイコパス教師はサイコパスゆえに平然とカントを見た。

「ぼくの正体?」

「わたしは麺セット(冷やしそば)を注文した。おまえはなにを注文した」

 端正な顔が一瞬揺らいだ。

「唐揚げ弁当と、カツカレー弁当を」

「ほう。そんなに食べるのか。その細身の体で」

「今日は、肉体労働の日ですからね。唐揚げ弁当とカツカレー弁当で力をつけないと」

「ふたりとも、弁当名を出すのはやめろ。腹が減るだけだ」

 体育教師は仲裁したあと、頭を掻きながらテーブル上を歩きまわった。そして意を決したように面を上げ、うなずき、みんなに言った。

「弁当屋は、おそらく来ない」

 元ヤンキーの熱血教師が血走った目で見上げ、言った。

「なにを言っているんだ。おれの特選とんかつ弁当は来ない、つまりおまえはそう言いたいのか」

「そうだ」

「わたしの麺セット(冷やしそば)も?」

「腹が減るからやめておけと言っただろう」

 カント殺害を胸に秘めながらサイコパス教師が言った。

「なぜ言い切れるんです? 渋滞に巻き込まれているだけかもしれない」

「いままで隠していたが、おれは2週間前、電話で発注した際、不審な点に気づいたんだ。あまりに接客態度が悪すぎた」

「弁当がうまければいいじゃないですか。それが世の習いだ」

「それだけじゃない。やつらは請求書払いに応じたんだ。おかしいと思わないか。関東第一高校が――に発注したのは今回がはじめてだ。ふつうは代引だろう」

「30万近い発注ですからね」

「信用されているんだ」

「罠かもしれない」

 元ヤンキーが血走った目を広げて言った。

「岸田京介か?」

「いや、あいつはただのバカだ。ラノベは国が全面的にバックアップしていることを忘れたのか」

「つまり政府の仕業か」

「そして弁当屋はすべて、永田町の息がかかっている。これは常識中の常識だ」

 体育教師は再びテーブルの上を歩きまわった。そして考えた。民主的な解決は望めそうにない。食糧の確保は生死のかかった問題だ。まずは食う。それから道徳。

 戦慄すべき案がひらめいた。

 立ち止まり、360度せわしなく見まわしながら言った。

「おれは、オリンピック金メダリストにして歴代最強の体操のおにいさんだ。すべての女性キャラクターをうたのおねえさん化し、その笑顔と歌、壊滅的な画力、そして教育テレビ由来のガードの固さでみんなのパンチラ胸揉み着替え混浴などのラノベ期待を木っ端微塵に打ち砕くことができる。ちなみにここで言う『女性』には、セックスとしての性だけではなく、ジェンダーおよびセクシュアリティの概念も含まれている」

 フェミニズムに留意しながら自己紹介を果たした。

 カントが言った。

「なぜ唐突に自己紹介を?」

「あんたも自己紹介するんだ」

 力なく言う。体育教師の頭の中では、弱い教師が文字どおり貪り食われる弱肉強食の新世界が漠然と展開されていた。

 生きるためには必要なことだ。

「ぼくは良心の呵責なしに人を殺すことができる。生まれつきの特殊能力だ」

「おまえの正体を知っているぞ」

 カントがサイコパスに言った。

「唐揚げ弁当にカツカレー弁当、だと? その細身の体型を見れば一目瞭然!」

「痩せの大食いって言うでしょ?」

「おまえは教師という立場にありながら、隠れてフードファイターの副業をやっているのだろう!」

「くっ…………!」

 そんなオチかよ。超つまんねえ。体育教師はバカっぽい言い争いを耳にしながらうなだれた。人が人を食うのはまちがっている。人はそこまでして生きたいと願うものなのか?

 だが昼食抜きは我慢できない。

「おれたちは一体、なにをやっているんだ」

 思わず口をついて出た。ヤンキー教師が答えた。

「〈バトル〉だ」

「先生のすることではないぞ」

「わかっている。いまだけだ。すべては教育のためなんだ。そうだろう、みんな?」

 ヤンキーは血走った目でみんなを見まわし、つづけた。

「おれの特殊能力『世直し結界』に踏み入れた者は、どんなワルでもたちまち更生する。更生と言えば聞こえはいいが、つまるところ個の平準化だな。おれは、この血走った目で、岸田京介をなんとしても立ち直らせたい。やつはかつてのおれそのものだ。ラノベから足を洗わせたい」

「たしかに惜しい男だ。IQ4600の天才が、ラノベの〈主人公〉だと? まともに勉強しさえすれば、国を動かす男にだってなれるはずだ」

「やつはアンダーアチーバーなんだ」

「いや、ちがう。悪いのはおれたち教師だ。やつが特別だとわかっていたのなら、特別なプログラムを用意することだってできたはずだ。結局、おれたちが怠慢だったんだよ」

 そのとき。

 赤い防火扉が金属音を立てた。教師は一斉に顔を向けた。何者かが向こう側からたたいたようだ。ついに弁当屋が来たのか。それとも。

 何者かはしばらくがちゃがちゃとノブをまわし、ついに扉を開けた。

 女の子が、腕を押さえ、よろめきながら入ってきた。

 女の子の右腕は肘から下がなかった。

「アンドロイド春!」

 だれかが叫んだ。

「ラノベだ。ラノベが教職員食堂にやってきた!」

「みんな、慌てるな!」

 体育教師は伸身前方宙返りでテーブルから降り、ほぼ乱れなく着地した。さっと戦闘ポーズを取る。相手は負傷しているようだが、こちらも昼食抜きだ。立場は五分と五分。特殊能力のはいだしょうこ化で早々に決着をつけようと奥義のムーブに入る。

 こぶしを解き、全身の力を抜いた。

 どさり。

 春はうつ伏せに倒れた。

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