第180話 みさえ(仮名)

「京介さん、こちらが当たりだ!」

 91階出口で待機する京介に、タカラトミーから連絡が入った。

「Bの扉で106階まで直通ですよ!」

 京介は背後に控える営業部隊にうなずいた。

「行こう」

 ちなみに91階のフロアは、ニジェールあたりのサヘル地域が完全再現されていた。砂質の土壌にいじけた草がぽつぽつと立ち、はるか先の丘の向こうからは、砂漠の砂が風に乗って吹き下ろし、わずかな生命をも飲み込もうとしている。

 信じられない数のバッタが飛びまわっているものの、フロアを守る教師はいなかった。このロケーションから察するに、おそらく乾燥地の環境特性を明らかにすることで砂漠化の原因やその対策を考えさせたり1回の降雨での土壌中の養分動態を解明しそれに基づいた効率的な養分循環を実現させたりするつもりだったのだろう。

 76階のデンタルフロアももぬけの殻だった。休憩でもしているのだろうか。

 少し離れたところから、シャープの呼ぶ声が聞こえた。

「京介さん、これを見て!」

 京介はバッタを避けつつ駆け足で向かった。

 場ちがいなテーブルにパナソニックの液晶テレビが設置されていた。

「パナソニック、だと…………?」

「その程度のことでいちいち呼ぶな」

 一緒についてきたソニーが、テレビにつながっている Wii U を見て失意の声を上げた。クラシックコントローラがテーブルの下に落ちていた。転がり具合や周辺の土の状態から、対戦で負けた腹いせにたたきつけたのはまちがいなさそうだった。

「どうでもいい」

 京介は感想を述べた。スマホに話しかける。

「いますぐそちらへ向かう」

「待って! 京介さん」

 タカラトミーが鋭くささやいた。

「ダンボールを抱えた男たちが階段を登ってきます! おそろいの制服を着ている」

「敵か」

「わかりません。だが一般人に見えるな。尋問してみます」

「気をつけるのだ」

 電話の奥で、タカラトミーが誰何する。ひとりが答えた。

「仕出し弁当屋です。先週、関東第一高校様からご注文をいただきまして。300人分お届けにあがったというわけでして」

 中身の詰まった瓶がこすれ合う剣呑な音が聞こえた。ビールケースのようだ。

「どこへ向かっている?」

「100階の、教職員食堂フロアです」

「そこにはなにがある?」

「食堂です」

「ダンボールの中身を見せるんだ」

「いいですよ」

 京介の扁桃体付近を正体不明の違和感が駆け抜けた。

「気をつけるのだ」

「さっきからなんです、気をつけろ、気をつけろ、って。ただの弁当じゃないですか。よし、開けるんだ」

 ごそごそという音。京介は目を閉じた。

「これはなんだ」

「和風幕の内弁当です」

「じゃあこっちはなんだ」

「洋風幕の内弁当です」

「そっちのダンボールは?」

「中華幕の内弁当です」

「ぼくをバカにしているのか」

「いいえ」

「京介さん」

「なんだ」

「お弁当です」

「どうやらそのようだ」

「なぜ教師どもは、大量の仕出し弁当を注文したんでしょう」

「おそらく昼食として食べるためだろう。確証はないが」

「まじめな話、不審ですよ。だって厨房設備くらい常識じゃないですか。こんなヒルズを建てられるのなら、世界最高級のシェフだってそろえられたはずだ」

「もう行ってもいいですかね? そうでなくても遅れてるんで」

「京介さん、いいアイデアがある」

「仕出し弁当屋を人質に取るのか」

「ちょうど昼時だ。弁当を強奪し、教師どもに見せびらかしながらみんなで食べましょうよ」

 それはいくらなんでもかわいそうだと却下した。

「教師がフロアにいないのは、食堂に集まっているためだったのだ。おそらく全員集まっているだろう。弁当を与えたうえで、食べている隙に100階を封鎖できれば」

 そのとき。

 受話口が一発の銃声で埋め尽くされた。

 バーンという音だったのでおそらく銃声だろう。

 どさり。

「配達の邪魔をするな」

 京介はスマホに呼びかけた。

「だいじょうぶか」

「いや、決してだいじょうぶではない」

 営業の代わりに弁当屋が応答した。

「いまバーンという音が聞こえただろう。銃口から高圧のガスが放出された際に発せられる音だ。つまりどういうことかわかるな? 弾丸が飛び出したんだ。そしてだれに向かって飛び出したかもわかるな? そして飛び出した弾丸が右胸に当たるとどうなるかもわかるな? つまり、そういうことなのだ。そういう事態なのだ」

「おまえはどこの弁当屋だ」

「――だ」

「今後おまえらの弁当は注文しない。絶対に」

「脅しても無駄だ。われわれは個人の注文は受けつけていない。おまえら、行くぞ。ロゴを剥がせ」

 マジックテープを剥がすようなべりべりという音が聞こえた。

「準備はいいか」

 弾倉を装填するようなかちゃかちゃという音が聞こえた。

「教師どもをひとり残らず殺すのだ」

「電話、まだつながってますよ」

「あ」

 電話が切れた。


   ◇


 色葉が本気で死を覚悟したそのとき。

 放課後を否応なしに想起させるエンヤの調べが、スピーカーから切なげに流れてきた。

 唐突に拘束が緩んだ。〈天使〉の高橋は色葉を突き飛ばし、幅員減少デセラレータに駆け寄った。ひそひそと話し合い、やがて力強くうなずいた。エンヤ越しに聞こえたところによると、おかきがどうの羊羹がどうの、静岡から取り寄せた川根茶がどうのという会話だった。

 疲れたのだろうか。

 幅員減少が色葉に呼ばわった。

「ぼくらは休憩する」

「どうぞ」

「45分後、再びこの混沌を再開する」

「バカなの?」

「うるせえ。労働基準法で定められてんだよ。でも、安心していい。休憩するのはぼくらだけだ。その間、こいつらがおまえの相手をする」

 幅員減少はペアレンツ3体の鎖を取り、檻の中に向かった。ぐいと引っ張る。ペアレンツは体をよじり、首を振りまわし、喉の奥でうなりながら抵抗を見せた。

「おい、親御ども、檻の中を見ろ。東大だぞ。そら行け」

 ペアレンツはわれ先に檻の中へ飛び込んだ。

 色葉は刺された脇腹を押さえつつ、東大へ一直線に向かうペアレンツの尻をぼんやり見つめていた。〈天使〉の高橋がずんずん近づいてきた。色葉の髪をわしづかみにし、檻に引きずり、生ゴミのように放り入れた。

 鉄格子がけたたましい音を立てて閉じた。

 施錠の音。


   ◇


 フロアと同様、檻の中もほぼ闇に包まれている。エンヤがしつこく流れるなか、色葉は鉄格子を背に、ぎらぎらと光る3対の目に追い詰められていた。

「話し合いましょう」

 中央のペアレンツが髪を振り乱して叫んだ。

「てめえのせいで颯太(仮名)が家出した! 積任ママ取れ! ビラまき手伝え! 東京じゅう探せ!」

「人ちがいです」

 首にアクリル製のネームプレートをぶら下げている。名札と呼ぶべきか個体識別タグと呼ぶべきかはともかく、プレートにはみさえ(仮名)と書かれていた。

「みさえ(仮名)さん」

「気安く名前、呼ぶんじゃねえよ、この売女! てめえらは、親子そろってバカだな! 売女の親はポン引きだ!」

「なんですって」

「颯太(仮名)死んだら、てめえのせいだからな! 死んで詫びろ!」

「颯太(仮名)さんというお名前は、聞いたこともありません。よろしければ本名を」

「言えるかよ!」

 みさえ(仮名)は絶叫した。四つ足で不潔な床をぐるぐる巡る。ほかの2体も同調してぐるぐるまわった。

 色葉はひらめいた。奥の闇を指さし、叫ぶ。

「あっ、あそこに東海大学が!」

 だれひとり反応しなかった。わずかなりとも理性は残っているようだ。

 あらためてSラン大学を叫ぶ。

「京大よ! はやく行かないと、あなたの優秀なお子さんの将来が」

 2体が京大に向かって駆け出した。

 みさえ(仮名)は残っていた。東大一直線なのだろう。

 色葉は鉄格子を背に、じりじりとスライドしながら話しかけた。

「なぜそこまでして、いい大学に子供を入れたがるんですか」

「社会は厳しいんだ!」

 驚いたことにまともな返事が返ってきた。

「てめえみたいな金持ちに、庶民の気持ちがわかってたまるかよ!」

「颯太(仮名)さんは、関東第一高校の生徒なんですよね。だからこそ、みさえ(仮名)さんは、こうして囚われて」

 みさえ(仮名)が大量の唾を吐きかけた。胸のあたりに泡立つ塊が付着した。

「お子さんは関東第一高校に入学できた。経済的な事情はわかりませんが、むしろ東大合格より幸せなことですよ。わたしはさいたまで、日本の現実を目の当たりにした。といっても〈VR〉ででしたけど。一体なにが不安なんです? お気持ちはわかりますが、お母さんまで一緒になって競争することはない。親は子供の代わりに受験戦争を戦うことはできない。親御さんには親御さんのやるべきことがあるんです。たとえば、志望大学を下見されたことはありますか? 行って雰囲気を確かめられてはどうですか? 大学生は、ただ勉強しているだけではないんですよ? むしろ大学は社交の場なんです。それに大学受験なんて、文字どおりたいした問題じゃないですよ。関東第一高校でふつうに勉強しさえしていれば、世界中のどんな大学にだって入学できる。そして大学は、高校生を落とすために入学試験を実施するわけではない。落ちないために勉強する、それは本末転倒です」

「てめえらが高校を潰したんだろ!」

「それについて怒っているわけではありませんよね」

「返せ! わたしの颯太(仮名)を返せ!」

 みさえ(仮名)は振り向き、絶叫しながら闇の奥に駆けた。

 色葉は肩で息をしながら、しばらく檻に背を預けていた。当面の危機は去った。全身ズタボロなのは確認するまでもない。そして気が立っているので痛みはほとんど感じない。ここで副交感神経優位になるわけにはいかない。色葉は気合いを入れ直すために小さく叫んだ。ただ叫んでいるだけではつづかなくなりそうだったので、Fランク大学の名前を次々と挙げていった。

 赤と青の双眸をぎらぎらさせ、歯を剥き出し、肩を怒らせ、獣のように奥へ向かう。檻として仕切られた区画はかなり広いようだった。だれでもいい。なんでもいい。どこからでも襲いかかってこい。必殺のスピアーで返り討ちにしてやる。

 ワンダリングモンスターはあらわれない。先ほどのペアレンツの気配、体温、絶叫、その他もろもろの記憶が、みるみる静寂の闇に溶け込んでいく。

 脇腹がずきずきと痛みはじめた。

「国士舘大学!」

 少し先に、複合機がぽつんと置かれていた。色葉は帝京大学と叫んだあと、複合機に駆け寄り、意味もなく蹴りを入れた。動物のものと思しき白い糞にまみれている。やはり意味もなくまさぐった。刺された脇腹と合わせて、アホ毛を引っこ抜かれたあたりの頭皮が、どんどん脳に信号を伝えはじめる。

 そのとき。

 死んだように佇んでいた複合機が、省電力モードから突然蘇った。

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