第179話 さらなる新たな刺客

 日本国民である一ツ橋色葉が本物のピンチに陥っているころ、総理は居眠りしていた。とはいえだれにも責められないだろう。胃袋は粉ものにがっつりと支配され、しかも外はぽかぽか陽気だ。

 そして還暦超えにラノベはキツい。ふつうに。

 総理の胃袋を支配した男が、敷地の外れにある公衆トイレ付近で無人の通りを見つめていた。背後には関東第一高校第33校舎ヒルズが不穏にそびえ立っている。タイタントロンが側面を向け、バトルの模様をちらつかせている。生の歓声がときおり盛り上がる。

 空は青く、雲ひとつない。晴天だ。

「来た」

 4トンのアルミバンが停車した。運転席のドアが開き、紺のポロシャツを着た男が軽快に飛び降りた。トラックの後方にまわり、観音開きのリアドアを開ける。男が数名、荷台から出てきた。全員がおそろいの紺のポロシャツを着ている。ポロシャツだけでなく、胸板や上腕二頭筋の太さもおそろいだった。車体下に格納されたパワーリフトを引き出し、展開し、ダンボールの積み降ろしを力強く開始した。

 運転手が官房長官に駆け寄り、うなずいた。

「遅れました」

「謝罪の言葉も時候の挨拶も天気の話もいらない。いますぐ取りかかれ」

「わかりました」

 男は積み降ろしをつづける仲間へ呼ばわり、右手で受話器の形をこしらえた。ポロシャツのひとりがスマホをポケットから取り出し、電話した。

 官房長官が運転手を見上げて言った。ちなみに運転手は190センチを超えていた。

「あんな教師どもに敵役は任せられない。大体なんなのだ、あのときおり見せる岸田京介に対する優しさは。勉強しろだと? もはやバカ対エリート、生徒対高校の図式は必要ない。必要なのは、ラノベ〈主人公〉を極限まで追い詰める強力な敵だ」

「お任せください」

「雑魚には勝っても構わない。だが岸田京介だけは生かしておけ。やつには華々しい勝利を飾ってもらわなければならないからな」

「わかっています」

「死ねよ。かっこよく」

「わかりました」


   ◇


 ポロシャツの男たちはダンボールを軽々と抱え、駆け足で公園に入った。公園を抜け、塔の裏口から侵入する手はずだ。

 官房長官はひとり、空っぽのトラックをしばらく見つめていた。

 幅員デセラと名乗る飛び入りの少年は、どうすべきか。

 まあいい、放っておこう。おそらくただのワナビだ。それに盛り上がりにも貢献している。

 あのまま一ツ橋親子を殺害してくれたらありがたいのだがなあ。

 日本国としてもありがたい。溜飲を下げる庶民の顔が目に浮かぶようだ。

 世界の嫌われ者だからな、あの親子は。

 背後に気配を感じた。

「官房長官」

 振り返る。

「だれです、あなたは」

「名もない教師だ」

「そんなアイパッチを着けているのにですか」

「おまえの所業を止めに来た」

 ルガーの銃口を向けられているにもかかわらず、官房長官はまるで気にしていない様子だった。顔をまじまじと見つめ、得心がいったようにうなずいた。

「ああ、あなた、木村先生ですね。関東第二高校の設立に向け、ご尽力いただいて、誠にありがとうございました」

「結局、おまえらの掌中だったわけだ」

「特区における公設民営学校、すなわち関東第一高校は、結局のところ、大失敗でした。そのように処理するつもりです。もちろん失敗ではない。決して失敗ではない。ただ、あまりに行き過ぎだった、ということですね。われわれの計画どおり、岸田京介くんが関東第一高校を華麗に潰したら、さて、その後はどうなるのか。現在の高校生はどうなるのか。受験を控える中学生はどうなるのか。立派な教育者であるあなたは、ラノベのアフターフォローまできっちりやってくれた。本当はぶん投げてもいいところなんですがね。正義の味方が勝利しさえすれば、ほかの高校生の将来など些末事だ。あなたがた立派な教師も、気の毒だと思いますよ。今後数十年、超ラノベ社会において、ゆとりをはるかに凌駕するラノベの悪夢にさいなまれながら、どうにかこうにか教育をつづけていかなければならないのですからね」

「ラノベ6.0は日本を根本から破壊する。わかっているだろう」

「さあ、どうでしょうね。でもね、国内の消費がね、停滞しているんですよ。あなたがたの超高度教育のせいで。全員が賢くなったせいで。各家庭は高い国産の有機野菜を選び、逆に遺伝子組み換え食品の安全性に問題がないことも知っている。安かろう悪かろうの商品は駆逐された。喜ばしいことだ。でもね、やっぱり喜ばしくないんです。クズみたいな商品も必要なんですよ、経済のダイナミズムという点においてはね。現在の日本経済は、一介の消費者ですら経済学者のように振る舞っている。生鮮食品が値上がりしても屁とも思わない。消費税増税前の駆け込み需要が誤差程度で済んでしまっている。総務省にとってはありがたい話だ。本来ならばインフレ圧力がかかるはずだが、どの企業も自重している。家電量販店は消費者を信頼している。適切な価格、適切なサイクルで、耐久消費財を買い換えるだろうと。そして実際そうなっている。いまや国民の全員が、マクロを、一国の経済の安定と成長を念頭に置き、消費活動を行っているんですよ。このような人為的にコントロールされる経済は、まちがっている。そうでしょう? なにがなんでも儲けてやるという商人魂が失われつつある。バカが騙されてクズを買う、これは非常に大事なことなんだ。バカが必要なんだ。そこへあのラノベ、岸田京介があらわれた。ラノベはクズ中のクズ。そしてなぜか知らないが国民の半数が熱狂している。企業も熱狂している。この熱。これは好都合だ。ラノベ関連製品やサービスは、熱狂的に経済をかきまわすでしょう。そうするうちに全員がバカになっていく。この混沌こそ、いま最も必要とされるものだ。近い将来、すべてがラノベになる。ラノベ景気、大量ラノベ消費時代の到来だ」

「そしてラノベブームのあとは、再び教育ブームというわけだ」

「ラノベのしすぎで国民全員がバカになったあとでね。人間は、やはり、バカではダメなんですね。知の欲求はいわゆる人間の本能ですからね。教育問題は、難しい。そもそも教育とはなにか。『子供』とはなにか。人生とは? 中学卒業後、親方の元で修行し、一人前の職人になる。言うまでもなく、立派な人生だ。分数すら知らなくても、そのスキルによって金を稼ぎ、家族を養う。だれが非難できます? だが国や産業は要請する。それだけではダメだ、立派なだけではダメだ、とね。糸は紡げても、時代はナノベースの繊維を要求する。トラックは転がせても、どうやって無人走行を実現させればいいかはわからない。無学だからだ。だが教育は成した。あなたがた関東第一高校は、恐るべき成果を上げた。本来無学であるべき若者まで賢くした」

「若者は勉強しなければならない」

「ジレンマですね、教育者としては。だからこそあなたは、そんなバカな格好でうろつきまわっているんでしょう? 世の中にはバカも必要だと気づいたからだ。それであなたは、結局、なにをどうしたいんです? ラノベですか? 教育ですか?」

「いずれにせよ、国が決めることではない」

「いやいや。いまこそわれわれの出番ですよ。どうにも極端な社会になってしまいましたからね。個人はマクロレベルで活動すべきではない、そんなことはもちろん、賢い国民は気づいている。だがあえてバカをやる者などいません。あえてテレビショッピングで腹筋マシーンを買ったりなど、いまさらできない。できたとしても、そんなものは熱狂ではない。冷え切った経済だ。このままでは日本国は失われてしまう。あなたたち関東第一高校のせいで」

「気づいたからこそ、ラノベと教育の調和を図るため、わたしはこのような格好をし、同時に関東第二高校の設立に向けて動いたのだ。多くの教師がわたしに賛同した。時間をかければ、必ず」

「そんなアイパッチを着けている人などに一国の未来を任せられるわけがないでしょう。たかが教育者に。たかが一介の法学者に。いわばわれわれは、あなたたちの尻拭いをしている。だからあなたは、黙ってあの巨大スクリーンで、バカなラノベを眺めていなさい。活動は自由ですよ。どんな活動でも、好きにおやりなさい。でも一線を越えようとしたとき、国家は必ずあなたを阻止する」

 木村は気配を感じ、わずかに振り返った。目の端に人影がちらついた。トイレの陰に隠れ、様子をうかがっている。それも数名。

「世の中とは摩訶不思議なところだ。生きていくうち、何度も価値観の転換に迫られる。正しいことがまちがいで、まちがっていることが正しいと気づかされる。そうしてようやく、個はおのれ自身を信じ、おのれの道を信じ、社会というバトルフィールドで戦えるようになる。もしくは気づかないまま、イデオロギーに翻弄される人生を送る。どうでもいい。現実のルールに則り、市場で戦うのもいい。ひきこもってゲームやラノベに逃避するのもいい。勉強する者、遊ぶ者。まじめな者、ふまじめな者。健康な者、不健康な者。善人に悪人。どうでもいい。ある者は教育の重要性を信じ、ある者はバカを騙し搾取する。どうでもいい。だが国は、国として、前に進みつづけなければならない。ラノベ6.0は、絶対に実現されなければならない」

 ルガーを官房長官の眼前に突きつける。官房長官はぼんやりと銃口を見つめ、言った。

「わたしを倒したところで、だれかが穴を埋めるだけです。わたしはもう一生ぶん生きた。死は怖くない。撃ちたいのなら撃てばいい。教育の重要性を信じる教育者が、最後は暴力に訴え出たとはね。これは傑作だ」

 木村は銃を持つ手をわずかに緩めた。

「そうそう。あなたね、ちょいちょい出ているわりに、全然人気ないらしいですよ。いてもいなくても構わないと思われている。たぶんまるごと削除されます。もしくは名前を変え、格好を変え、言動を変え、どうにか生き延びるか。いや、削除したほうがはやいですね。削除しましょう。いまここで」

 複数の影が一斉に動いた。木村は振り返った。

 官房長官が木村の手をつかんだ。背中側へ内転させ、ねじれの力を利用して足を払う。安定を失ったところへ、軸足の脛を蹴り上げる。

 木村は両膝をついた。

 ポロシャツを着た男が3名、あっという間に木村を組み伏せた。

 官房長官は大儀そうにしゃがみ、ウンコずわりの体勢でルガーを拾い、木村の顔に向けた。

「あなたのストーリーはここで終わる。でも、安心してください。最後は正義が勝ちますから。バーン。あなたは死んだ」

 官房長官はゆっくりと立ち上がる。ネクタイを直し、しばらく真顔で耳を澄ます。

「ほら、みんな気にしていない」

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