第178話 わたしたちの物語

 幅員減少デセラレータが色葉に言った。

「観念したか?」

 色葉はわずかにうなずいた。いじめの記憶にさいなまれながら同時にいじめられ、ペアレンツに罵声と唾液を浴びせられ、しかも父親を人質に取られているのだ。敗北を認めるのも無理からぬことだった。

「ぼくらに〈結末〉を託すか?」

 色葉はうなずいた。

「『教頭先生の涙』を信じるか?」

 何度もうなずく。

「では負けを宣言するんだ。そしたら係員がやってくるから、指示に従い退場する。わかったな?」

「ラノベ6.0はどうなるの。信者たちは」

「知らねえよ。というか、気にしている場合? 岸田京介のラノベ、『アンダーアチーバー京介』(出版社名を記入してください)は、教頭先生エンドの〈結末〉を迎えたのち、速やかに絶版となる。ラノベも関東第一高校も、すべてが跡形もなく消え去るんだ。ブックオフで仲良くしろよ!」

「ダメよ、退場なんて」

〈天使〉の高橋が背後から色葉の首に腕を巻きつけ、ナイフを頬に突きつけた。色葉は力を抜いた。この人だけは本物だからだ。

「二度とラノベをできない体にしてやる」

 おびえる色葉の顔を見て、幅員減少はうれしそうに手をたたいた。

「最も聡明な一ツ橋色葉を倒せるとはね。〈メイン〉を倒したところでとくに意味はないが、まあ、〈結末〉の付け合わせってとこだな。食卓に彩りが出る」

「わたしはわかっている。わかっているのよ。意味はあるんでしょう、幅員デセラ

「省略すんじゃねえよ、昔を思い出すだろ。幅員は苗字じゃない。幅員減少でワンセットのコードネームだ。死ぬ前にしっかり覚えておけ」

「今年の中二病・オブ・ザ・イヤーも決まりってわけね」

「あ、そうだ、教頭先生エンドなんかやめて、ぼくと高橋さんでクソラノベを全滅させて、ついでに教師どもも追っ払って、関東第一高校を牛耳るってのはどう? 全員フィジカルにぶっ殺してやるんだ。どう、高橋さん? 最高のクソ〈結末〉だろ? なぜかぼくたちが今後の日本の教育をリードするエンドだ。ぼくなら、そうだな、徹底的に留学を推し進めるね。一億総出羽守化だ。日本は美しい国だが、事実として文化が特異すぎる。座学だけでは真の国際的な人材は育たない」

 色葉は幅員減少が冥土の土産好きであることを願いながら話しかけた。

「最後にひとつ、教えて。『教頭先生の涙』よ。あなたたちは〈伏線〉もなく出てきて、いきなり雌雄を決しそうな重要なアイテムを持ち出してきた。説明は必須よ」

「だからそういう説明はめんどくせえって言ってるだろ。ぼくらはクソラノベにクソ〈結末〉をもたらすクソラノベパラディン、ストーリー破壊者だ。それだけだ」

「じゃあいい」

「そこまで言うなら仕方がない」

 色葉はほっとした。

「冥土の土産に教えてやろう。『教頭先生の涙』とはなにか。ぼくらの登場は、それほど唐突でもないんだよ。教頭先生はラスボスとはいえ、15歳の女の子だ。だれかが味方してあげないとね。教師ども? やつらは忠誠心ゼロだ。これまでどんなにフリーダムだったか覚えているだろう。一生懸命〈バトル〉をするふりをしながら、〈妹〉の病気を治療するためにラノベの王を目指したり、おまえらのラノベをパクろうとしたり、または岸田京介に勉強するよう説得したり」

「それで?」

「おまえらは、教頭先生の過去を知らない」

「当然よ。聞かされていないもの」

「『教頭先生の涙』のパワーが解放されたそのとき、おまえらは教頭先生の過去を知る。おまえらは全員涙するだろう。顔じゅうしとど」

「かなり共感を呼ぶ内容なの?」

「岸田京介は熱い男の涙を流しながら、思いを受け止めるだろう。岸田京介はすべてを捨て、おまえを捨て、教頭先生を抱きしめ、次の日デートする。プラネタリウムで肩を寄せ合い、浴衣姿で花火を見上げる」

 薄らぼんやりと『教頭先生の涙』の秘密が理解できた。

「ていうかおまえだって、べつに相手が岸田京介じゃなくてもいいんだろ? ずっと理性的に振る舞いつづけてきたじゃないか。冒頭1ページ3行目から〈主人公〉が好き好き大好きな〈ヒロイン〉もいるなかで、おまえらの態度ときたら、まるで熟年夫婦だ。独身のイケメン営業どもがいま、〈ヒロイン〉を求め、大挙してこちらへ向かっている。選び放題だ。〈サブ〉どもはそうした。おまえもそうしろ」

「あなたを選ぶとかね」

「バーカ。おれには彼女がいるんだよ。それもフィンランド人の彼女だ。プレミアムだろ? だが、おまえがどうしてもと言うのなら、考えてやらなくもないな。おれの〈サブ〉になるつもりなら、俎上に載せてやってもいい」

「なにも変わっていないのね」

「とにかくおまえは、教頭先生には勝てない。あの一途な思いには決して勝てない。なんとなくでも理解できているんだろ? おまえなら理解できるはずだ。なんたっておまえには、中学時代の貴重な体験があるからな」

 ひとりぼっち。

 色葉には理解できる。

 教頭先生は、ひとりぼっちなのだ。

 友達もなく、もちろん恋人もなく。

 マイナス5歳のときから、ずっと。

 モノクロだった教頭先生の恋心に、わずかな天然色が色づきはじめた。

 これが、『教頭先生の涙』の力。

 冥土の土産など聞かなければよかった。

 そしてこのままでは、幅員減少の用意した〈結末〉が、それなりにいい感じのエンドとして大団円あたりにスポッとはまってしまう。ラノベ6.0が強力に推進されてしまう。

 いや、そうでもないかもしれない。

 微妙。

 なんとも微妙。

 みんなはどうだろう。みんなはどう感じているだろうか。

 みんな、教頭先生ってかわいいと思う?

 いいエンドだと思う? それとも「はぁ?」ってなる?

 最終節はおそらくこんな感じだろう。満面の笑みを浮かべた教頭先生が、岸田京介の広い胸に思い切り飛び込む。そして手をつなぎ、背を向け、輝ける未来を思わせる白い背景に向かって歩いていく。

 そしてエンディングテーマ。

 納得できる? 腑に落ちる?

 それとも?

 だが。

 体じゅうの力がみるみる抜け落ちていく。

 ぼっちのつらさは、わかっているつもりだ。登場人物のだれよりも。

 そんなに好きなら。

 ひとりの女の子を幸せにできるのなら。

 色葉は静かに語りかけた。

「教頭先生エンドでも構わない。わたしは、岸田京介を教頭先生に譲り渡す覚悟ができている。だからお願い、わたしたちのラノベを、わたしたちの〈結末〉を、わたしたちの手に返してちょうだい」

「信用できるかよ。おまえはどうせ土壇場で、岸田京介に抱きついてキスしたりして色葉エンドに持っていくつもりなんだろ? おまえと岸田京介がくっつくのはな、ユングも認める真っ当なエンドだ。真っ当なボーイミーツガールの〈結末〉だ。ラノベがどうだの世界を変えるだの言っていたが、結局、岸田京介は、彼女がほしかっただけなんだ。日本を揺るがすほどの青春ストーリーってわけさ。だからおまえとだけはくっつけさせない。それだけはさせない。絶対にさせない」

「わたしたちが真っ当に勝利すれば、ラノベ6.0社会が到来する。だから絶対に、ハッピーエンドにはしない。岸田京介の胸に飛び込まない。約束する。キスもしない。約束する。手もつながない。約束する。だ、『大っ嫌いっ!』って叫んで、頬を張って、ひっそりと退場する。に、二度と会わないから。だから、だから」

「なに泣いてんだよ。泣くなよ。だったら黙っておれの〈結末〉を食らって消えりゃいいじゃん。どっちも教頭先生エンドだ。なにがちがう? なにがどうちがう? 10分やるから説明してみろよ」

「10分も必要ない。なぜなら『アンダーアチーバー京介』(出版社名を記入してください)は、わたしたちが構築した、わたしたちの物語だからよ! わたしたちの物語の〈結末〉は、わたしたちが決める! どのような終わり方になるにせよ、あなたに〈結末〉を渡すわけにはいかない!」

「物語だぁ? いやちがうだろ。乾いたクソのこびりついたウンコ臭漂う文字列だ。しっかしよくもまあ、飽きもせず長々だらだらとつづけてきたもんだ。それだけは褒めてやるよ。いい指の運動になっただろ」

「読んでもいないくせに!」

「読まなくてもわかるんだよ。ラノベはクソだ」

「ラノベはクソじゃない!」

「クソなんだよ。どれだけ磨いてもクソはクソだ。ヤスリで磨いて表面をピカピカにしたところでクソはクソなんだよ。読めばおもしろい? だれが好き好んで肥溜めにダイブするよ。深さ100メートルのクソの海に素潜りするようなもんだろ。海底にあるのはなんだと思う? クソだ」

 色葉はすでに気づいている。慧眼な読者と同様に。

 この執拗なディスり。

「あなたの正体は知っている。ずっと前から知っている。結局、ワナビなのよね」

「あと1回でもその単語を言ってみろ、はらわた引きずり出しててめえに食わせてやるからな」

「ラノベが好きなのよね。昔からそうだった。ラノベをしたくてたまらないのよ」

「ええと、〈メイン〉が猟奇的に殺害されるラノベ、あったかな? 今度ブックオフに行ったら100円コーナーをのぞいてみるか。ほんとは触れるのもイヤなんだが」

「堂々と告白してみなさいよ。わたしの目をしっかりと見て」

「うるせえな。ほんとに殺すぞ」

「色葉」

 闇の奥で一ツ橋氏が言った。

「東京都教育委員会に教頭の罷免要求を出すんだ。わたしの名前で。それで立派な駄作の完成だ」

「よけいな知恵をつけるな」

 幅員減少は鞭を振り上げ、一ツ橋氏の背中に打ち下ろした。ラノベの範疇を軽々と超える本物の暴力だった。一ツ橋氏は本物の苦痛にうめく。うずくまったところへさらに打ち下ろす。何度も何度も打った。シャツが避け、皮膚が避け、脂肪が飛び散り、筋肉がちぎれる。まだそこまではいっていないが、いずれそうなるだろうと思わせる打擲だった。

「得意の指笛を吹いたら、どうなるかわかっているな?」

「お父様は関係ない!」

「どうしたんだ。なぜ涙を流す? おまえはラノベなんだろ? 〈? !?」

 高橋が背後から色葉の首を締め上げ、顔の前にナイフを持ち上げた。一閃。色葉は反射的に瞼を閉じた。

 頬がみるみる熱を帯びていく。

「その傷、整形手術でも痕は消せないでしょうね。ああ、あなたのすべすべの肌が欲しい。その髪のハリコシツヤが欲しい!」

 高橋はアホ毛にナイフを当て、親指を添え、ぎりぎりと前後に動かし、雑草のようにむしり取った。

 言うまでもなく痛かったが、実際はもっと痛いはずだった。

 色葉は背後の高橋に言った。

「やり過ぎではないかと頭をよぎったことは?」

「ない。後悔するのはあなたの目玉をくりぬいてからでも遅くないと思う」

「常識的に考えて。これは未曾有の大事件よ。日本の犯罪史にその名を刻むことになるのよ?」

「奇跡は起きる。わたしの事件は、日本裁判史上に残る冤罪事件としてその名を刻むことになるのよ」

「でも人生の大半を棒に振ることになる」

「でも美貌は取り戻せる!」

 正直、こんなに狂った人が出てくるとは思わなかった。

 ペアレンツ3体が四つ足で近づき、口々に罵声を浴びせる。唾その他いろんな体液が衣服に付着した。

「総理!」

 色葉は闇のどこかに存在するであろう業務用ビデオカメラに向かって叫んだ。

「これがラノベです! あなたたちは、こんなものを推進しようとしていたんです!」

「政府に呼びかけても無駄だよ」

「国民のみなさん!」

「もっと無駄だ。やつらは目を開けながら眠っている」

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