第177話 赤い髪の凜とした少女はどれだけ待っても絶対に登場しません

「さあ、行け!」

 ウサノフがイスを蹴って立ち上がり、京介の胸を突き飛ばした。

「出口は森の奥だ! 死ぬ気で走れば追いつかれずに済むかもしれない」

 突き飛ばされた京介はよろめきながら反転し、先生に言われたとおり死ぬ気で走った。ウサノフはしばらく背中を見守ったあと、嘆息し、テーブルに腰を下ろした。勉強しろよ。そこへ青木兄が地響きを立てて横切っていった。化け物と高校2年生男子の追いかけっこを眺めながら、かたかた踊る皿を引き寄せ、フォークを取り、食べかけのパンケーキを口に入れた。

 さて、こんな状況ではありますが。みなさん、ベラルーシはいいところですよ。英語は通じませんが、むしろそこがいい。臆せず話しかけてみてください。カフェのお姉さんとのブロークン英語どうしのやり取りは、きっと一生の思い出になることでしょう。そうそう、ベラルーシの魅力と言えば、

 ベラルーシの魅力はともかく。

「京介さん! こちらです!」

 森の外縁から男が飛び出してきた。スーツも顔も土まみれだったが、なにより黒ひげ危機一発風のアイパッチが目を引いた。

「森の向こうに扉がある! 急いで!」

 カモンと手を振り、奥に消えた。京介はフォレスト・ガンプもかくやという勢いで追いかけ、よろめきながら森に突入した。

 密集した松の木のあいだを海外ドラマのように駆ける。営業は突然立ち止まり、反転しつつ湿った地面に伏せた。頭を低くしろと京介にジェスチャーで指示する。京介も伏せた。幹の隙間からゲリラのように前方の畑を見やる。大地の振動は止まらない。徐々に大きく、近づいてくる。

 京介は営業にささやいた。

「おまえはだれだ」

「タカラトミーです」

「玩具の発注はしていないはずだが」

「おい、みんな、こっちだ!」

 タカラトミーが背後を向き、手を振った。土で顔を汚した営業が、めいめい武器を手に、森の奥からぞくぞくとやってきた。そしてぞくぞくと地面に伏せた。

 青木兄は現在、密集する森の木々に阻まれ、唸りながら立ち往生している。あの巨体では森に入るのは不可能だ。

 京介がほっとしたのもつかの間、青木兄は怒りの咆哮を上げた。手を振り上げ、手近な木の横っ面をはたいた。

 松の木がたわみ、根元からひっくり返った。

 京介は言った。

「はやく出口を教えるのだ」

「その前に、あなたに確認したいことがある」

「なんだ」

 青木兄は腰を割り、手近な松の木をむんずとつかみ、引っこ抜いた。

「その前にやつを足止めしなければ」

「任せろ!」

 鉢巻きを巻いたスーツ姿の男が20名ほどあらわれた。鉢巻きには日の丸とともに筆文字で「必勝」「合格」などの文字が書かれている。

 眼鏡の男がすれちがいざま、輪ゴムで括ったトランプのような束を京介に渡した。

「おれたちが時間稼ぎをする。行くぞ、先生方」

 颯爽と上着を脱ぎ、ワイシャツを腕まくりし、鉢巻きを締め直した。

 2班に分かれ、森の外縁へ大まわりで向かう。

「あいつらは何者なのだ」

「塾講師です。あなたの勉強する宣言を聞き、いても立ってもいられず駆けつけたんですよ。あなたに入会してもらうためなら、命も惜しまない男たちだ」

 渡された束を見る。たしかに塾講師20名分の名刺だった。

 気づけば地面に伏せる営業は100名を越えていた。タカラトミーが森の奥を指す。奥にはさらに400名ほどの営業が控えていた。

 ピンときた京介は振り向き、声をかけた。

「おまえらは全員、ラノベの〈ヒロイン〉と付き合いたい、願わくば嫁にしたいと考えている営業たちか」

 約500名が一斉にうなずいた。

 目出し帽をかぶった営業が言った。

「〈ヒロイン〉を増やす予定があると聞いたもので。東レさんから」

 フェイスペイントを施した別のが言った。

「本当に、赤い髪の凜とした少女を採用するおつもりですか」

 どんだけ凜とした少女が好きなんだよと思いながら、京介は言うべきことを頭の中でまとめ、答えた。

「おれは、おまえら営業を利用するために嘘をつくこともできる。『ああ、増やす増やす』『おっ、凜とした少女、いいねえ』などと安請け合いし、おまえらを盾にしつつ、300階を目指すこともできる。だがおれは、そのような卑怯な真似はしたくないのだ」

「200人くらい増えたって問題ないじゃないですか」

「それはもはやラノベではない。1個中隊だ」

「〈桜色の唇〉は?」

「マシュマロのような胸は?」

「ダイアモンドのようにキラキラと輝く大きな瞳を縁取る長い睫毛は?」

「アンティークドールのように華奢な身体は?」

「アルビノのように白い肌は?」

 京介は一喝した。

「協力の申し出自体は感謝する。今日のおれは、ものすごく運勢が悪い。まだ17階なのにこの有様だ。だがおれは、ヒロイン斡旋業者ではないのだ。そのような動機であれば、手助けは無用だ。それと『アルビノのように白い肌』はNGだ。小金稼ぎもいいが、人の道を外れてはいけない」

 京介はゆっくりと立ち上がった。

「出口はあっちか」

 タカラトミーが見上げ、細かくうなずいた。

「塾講師たちによろしく伝えてほしい。すてきな嫁さんは見つかる。きっと見つかる」

 京介は営業たちの間を縫い、森の奥へ向かって歩き出した。営業たちは顔を見合わせた。たしかに赤い髪の凜とした少女をダシに京介の口車に乗せられ、雑兵として戦い、無駄死にする可能性があったのだ。いい〈大人〉が、それも一流企業に勤め社会的にも責任あるわれわれが、なにを血迷っていたのだろう。

 だが。

 凜とした少女はいい。

 タカラトミーが立ち上がり、声をかけつつ京介を追った。正面にまわりこむ。

 京介は立ち止まり、言葉を選ぶタカラトミーをじっと見つめた。

「ぼくらは、まちがっていたようです」

 そうだ、と国会のような声が上がった。

「弊社タカラトミーは、すべての『夢』の実現のために、新しい遊びの価値を創造する。赤い髪の凜とした少女と付き合いたいと願うあまり、ぼくは大切な理念を忘れてしまっていたようだ」

 そうだ、そうだ、と声が上がる。タカラトミーが京介の手を握った。

「手助けさせてください。無償で構いません」

「本当か」

「それに、そのほうがかっこいいでしょ? 戦う背中を見て惚れてくれる子があらわれるかもしれませんしね」

 京介は営業たちを見まわした。いつの間にか200名ほどに減っていた。名刺をもらったのでいちいち企業名を挙げることもできるが、京介にそのつもりはなかった。

 森の外では、塾講師が青木兄を食い止めている。劣勢なのは効果音だけで明らかだった。京介はタカラトミーに声をかけ、半身の体勢で外縁に進んだ。大木の影に隠れつつ、様子をうかがう。立っている講師は4名、それも五体満足な者はひとりもいなかった。鉢巻きは破れ、チョークは折れ、ワイシャツはぼろぼろにちぎれている。青木兄はもちろんピンピンしていた。もぐもぐする口からは、靴下を履いた塾講師らしき脚が1本のぞいていた。

「手助けをするべきだ」

 そのとき。

 ディーゼルエンジンの音とともに、ベラルーシ産の青いトラクターに乗ったウサノフが、鬨の声を上げ突進してきた。まっすぐ青木兄の背後に向かっている。

 青木兄が振り向く。だが遅かった。ウサノフは体当たりする直前、トラクターからエスケープし、畑をごろりと一回転した。

 トラクターが青木兄の左ふくらはぎに激突した。

 もちろんひっくり返ったのはトラクターの方だった。

 ウサノフは片膝をついたまま、かっこよく畑に右手を突っ込んだ。

 光ケーブルをつかみ出す。綱引きの要領でぐいと引き寄せると、ケーブルは地面から露出しつつ青木兄に向かった。片足を取られ、バランスを崩す。光ケーブルはなおも生き物のように足首に絡みつく。どうと倒れ、地響きとともに塾講師1名が押しつぶされた。

 青木兄はごろりと反転し、ネックスプリングで立ち上がった。絡みつく光ケーブルをつかみ、怒りに燃える目で大きく口を開け、噛みちぎった。ウサノフを見下ろし、一歩踏み出す。

 どすどすと駆け出した。ウサノフは背を向ける。逃げる間もなく頭をつかまれた。ウサノフは宙づりになりながら、シャムシールを上段に構え、青木兄の手首をはっしと切りつけた。ガキンという音とともに切っ先が跳ね上がり、ウサノフの手から離れ、地面に落ちた。

 そのまま頭を握りつぶすと思われた、そのとき。

 体長10メートルの青木兄が突然ウサノフを赤ん坊のように抱き、優しく揺すりはじめた。乱杭歯がのぞく口からは悪夢のようなマザーグースが漏れ出ている。

 ウサノフはしばらくイヤイヤともがいたあと、ぐったりした。

 青木兄はしゃがみ、ウサノフをそっと地面に寝かせた。両膝をつき、赤子のように見守る。

「催眠療法か」

 京介が言った。タカラトミーが指さし、ささやいた。

「あれを見て」

 瀕死の塾講師3名が、いつの間にか青木兄の背後に結集していた。

「行くぞ、先生方!」

 3名は同時に志望校現役合格を思わせる溌剌としたムーブで同時に青木兄を見上げ、指さし、なにをするかと思えば口々に褒め称えはじめた。

「青木くん、いいねー!」

「やるじゃなーい!」

「ほら、苦手科目だって毎日がんばればこんなふうに結果が出るんだよ! すごい!」

 塾講師の合体技かなにかだろうか。青木兄は膝をついたまま振り返り、まんざらでもない様子で頭を掻いた。

 それからいきなり立ち上がり、腰にぶら下げた製薬会社の営業の死体をつかみ、モグラたたきの要領で3回振り下ろした。

 塾講師は全滅した。

「あれを見て」

 タカラトミーが別のほうを指さした。ウサノフが上体を起こし、頭に手をやり、呆然と周囲を見まわしている。京介は助けに向かいかけたが、タカラトミーに押しとどめられた。

 ゆっくりと立ち上がり、頭を振りつつ嘆息し、言った。

「なんだ、夢か」

 そしてなにごともなかったかのように農作業に従事しはじめた。

「なんてことだ!」

 タカラトミーが声を上げた。

「あれは〈夢オチ〉! それが青木兄の特殊能力だったんだ!」

「すべて夢の中の話になってしまうのか」

「古今東西考え得る最悪のエンドだ。はやく扉へ向かいましょう! あっ、あれを見て!」

 今度はなんだとあれを見る。青木兄が天に向けて咆哮し、松の木をがんがん引っこ抜きはじめた。次は岸田京介おまえの番だと行動が物語っていた。

 京介はタカラトミーとともに営業たちの元へ戻った。ウサノフと塾講師に哀悼の意を表している暇はない。息を切らし、営業たちに言った。

「とにかくおれは行く。ついてきたいのならば、ついてくるがいい」

 京介はひとり森の奥へ進む。背後に営業たちの気配を感じたが、ちょいちょい振り返るとかっこ悪いのでまっすぐ前を向いて歩きつづけた。

 森が唐突に途切れ、オフィスらしい壁材とオフィスらしくない赤い扉が3枚あらわれた。

 京介はポケットからスマホを取り出し、防災センターの陽一に電話をかけた。

 何度かけても応答しなかった。

「陽一は一体なにをやっているのだ」

 タカラトミーが追いついた。

「だいじょうぶですよ、京介さん。確率ゲームなどやる必要はない。ぼくたち営業が、あなたを正解に導く!」

「どういうことだ」

 タカラトミーが営業たちに振り返り、言った。

「みなさんご承知のとおり、この3枚の扉は、モンティ・ホール問題のパクリだ。3枚のうち、正解すなわちショートカットできるのは1枚。確率は2分の1。ぼくら営業がまず、扉のひとつを選び、先を確かめる。正解の扉に入った営業は、京介さんに電話で連絡する。そのあと京介さんが正解の扉へ入る。いいですね?」

 営業全員がうなずいた。ただし遺憾ながら150名に減っていた。

「いいのか」

「まあ、死にはしませんし」

「たしかに」

「無事生還できたら、リカちゃん人形でもおごりますよ」

 90名ほどに減った営業に向かい、京介は力強くうなずいた。

「おれは勝つ」

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