第174話 いじめの是非 分別と洗浄の大切さについて

 色葉がストーリー破壊の連続刹那攻撃を受けているころ、地上800メートルに位置する春の目が奇妙な光景を捉えた。

 房総半島の沖合い上空を、ありとあらゆる航空会社の旅客機が、さまざまな高度で周遊している。やがて一機がルートを離れ、高度を下げながら羽田の滑走路へ向かった。

 春は西に顔を向けた。静岡県の沖合い上空でもマグロの回遊が見られた。

 明らかに空港の処理能力を超えている。

 一体なにが起ころうとしているのか。

 だれが緊急来日しようとしているのか。


   ◇


 タイタントロンに映る教頭先生のフロアを見上げながら、総理が言った。

「えぐいですね」

「ええ。いじめはよくない」

 官房長官が答えた。

「もちろん、いい面もありますがね。なにごとにも」

 総理は一瞬、無表情を揺らがせた。フランクフルトを頬張り、もぐもぐしながら考え込んだ。

「わたしにはわからない。有識者議員に検討してもらいましょう」

「そうしてください」

 総理は委員会を3つほどこしらえたあと、言った。

「もちろんあれは、演技だと知っています。そしていじめはなくならない。官房長官の言うとおり、いじめにいい面はあるのか。いじめられれば強くなるのか。耐性ができるのか。わたしはそうは思いません。社会の厳しさを学ぶ、多様性を学ぶ、それは強者の論理だ。敗北感は自己否定の感情を強化するだけ。仮に人為的に平等な環境を与えたからといって、もやしのような大人に育つとは思いません」

「大きな声では言えませんが、学校時代にいじめられれば、はやい段階で身の程を知ることができるんです。自分は弱いんだ、というね。なぜか。もともと弱いからです。そして強い者が勝つ。なぜか。もともと強いからです。強い者が弱い者に勝つ。当たり前の話じゃないですか。学校という環境は、その時点でのコミュニティ、集団において、自分がどのあたりに位置する人間なのかを計ることができる、そういう機能も持っているんです。ひとりで集団を相手にするいじめっ子などいませんね? くだらないながらも集団を統率し、または集団内の立場を維持できるコミュニケーション能力を持ち合わせている、だからこそいじめる側に立てる。道徳はまた別の問題です。半分動物みたいな連中ですからね。だがこの動物的側面は、大人の社会でも意外と重要になってくる。現在いじめを受けている子、またはいじめをつづけている子は、動物として強いんだ、または弱いんだ、とまずは自覚することですね。そして自覚したうえで、強いなりに、または弱いなりに、おのれの生き方を模索する。そうすればいじめそのものもなくなるかもしれませんよ。強くなろうとするから苦しい。または弱者への罪悪感を下手に覚えるから、強者によるいじめがよけいエスカレートする。弱くていいんです。強くていいんです。そして強い者だけが、もしくは理不尽な環境を乗り越え強さを身につけた者だけが、社会でチャレンジできる。社会に出てから『自分は弱かった』と気づいては、取り返しがつかなくなる」

「えぐい話ですね」

「えぐいですよ。子供の可能性は、氏か育ちかの問題ではない。生まれと家庭外環境の両方で決まる。だから弱い子、バカな子は、決して無理はしないほうがいい。だからこそのセーフティネットでしょう? そして親御さんにおかれましては、子供の心配よりまずおのれの顔を鏡で見るべきだ。子供が弱いのは自分たちのせいだと自覚するのだ。半分は遺伝、半分はあなたがたが用意した環境に原因がある。そしてあなたがた自身の教育は、ほとんど役に立たない。皮肉なもんですね。だから、引っ越しはいい手ですよ。自覚なしにただ引っ越しただけでは、似たような環境を呼び込むだけですがね。ま、その場に留まっても、一向に構いませんがね。そして塾に通わせ、そのうえなぜかスマホまで買い与える。なにがなにやらだ」

 総理はえぐそうな顔でタイタントロンを見上げた。

「官房長官が言うのなら、そのとおりなんでしょう」

「ちょっと失礼してもよろしいですか。電話を何件か」

「いいですよ。わたしは粉ものを処理します」

 官房長官は席を立ち、総理に背を向けた。


   ◇


 ポケットからスマホを取り出し、周囲を気にしつつ耳に当てる。

「なにをぐずぐずと言っているのだ。いいですか、予定どおり、着陸を優先させなさい。いや、ほかの乗客など知ったことではない。待たせればいいんですよ。文句を言うだけで実害はない。ただの大声だ。庶民の大声だ。わかっているでしょう」


   ◇


 そのころつくば研究学園都市では、未来学者の早乙女が未来学研究所の屋上で黄昏れていた。

 羽田方面に顔を向け、嘆息する。

「ついに来たか」


   ◇


 そしてそのころ京介は、ベラルーシの広大なジャガイモ畑を舞台に、合成繊維と戦っていた。

 PETマンの猛攻は留まるところを知らない。にもかかわらず、京介はまったくの無傷だった。ミズノのボディアーマーを着ているからではない。PETマンはいわゆるペットボトルの原料だからだ。そしてペットボトルは、熱に弱い。それくらいは経験的に知っていたので、例によって原理を説明しないままファイヤーボールを連発しまくった。だが倒すそばから新たに生成され、成形され、出荷される。物量作戦か、望むところだ。そうして全方位から襲い来るPETをがんがん燃やしているうち、京介は奇妙な罪悪感にさいなまれはじめた。

 甘い香りの白煙がもうもうと天をつく。心なしか周囲の気温が上昇したような気がした。

 そこへ新たなPETマンが醤油入りになって登場した。

 京介は醤油PETマンにファイヤーボールをブチ当てた。容器が破裂し中身の醤油が飛び散った。めらめらと燃えるさまを見つめながら、先ほどよりも強い罪悪感を感じた。

 そうこうするうち、生ゴミをギリースーツのように纏ったPETマンもあらわれた。京介は生まれてはじめてゴミの分別について考え、それからあまりの罪悪感に尻尾を巻いて逃げ出した。

 京介はPETマンに追われ、ジャガイモ畑を全速力で駆け、ライ麦畑に飛び込んだ。腹ばいになってスマホをポケットから取り出し、リュックからカタログを取り出し、東レの『ラノベ超繊維ホムンクルスシリーズ』の人工生命体を6体発注した。息をひそめているところを生ゴミPETマンに見つかった。ライ麦畑でファイヤーするわけにはいかないので、京介はライ麦畑を飛び出して隣のトウモロコシ畑に突入した。

 腹ばいで息を切らしているところへ突然肩をたたかれ、カエルのように飛び上がりつつ振り返ると、スーツ姿の男が「しっ」と指を鼻の前に立てて見上げていた。

「東レです。ご注文のナイロンマン、お持ちしました」

「請求書は事務所だ。いますぐ戦わせるのだ」

 東レの繊維営業はたっぷり5秒ほど京介の顔を見つめたあと、言った。

「〈サブヒロイン〉って、これからも増えます?」

「増える。だからはやく」

「いやー、〈ヒロイン〉って、いいですよねー。あなたが羨ましいですよ、いつもかわいい女の子に囲まれて。ぼく27にもなってまだ独身なんですよー。選り好みできるルックスじゃないのはわかってますけど、こうなったらこれを機に、ラノベを嫁さんにしたいですよねー。あなたにたっぷりと恩を売って」

「〈ヒロイン〉は増やそう。そしておまえはきっと懇意になれる。だからはやく」

「では少し、失礼して」

 独身の繊維営業は背負っていた金属製の鋳型を外し、どさりと地面に置いた。手持ちカバンからポリマー入りストッキングを取り出し、人型の鋳型にざらざらと流し入れ、蓋をし、呪文を唱えつつ溶融した。

 鋳型を開けると、巨大な頭を持つ人工生命体ナイロンマンが飛び出した。

「ちなみにこちらの合成繊維生物、土には還りませんし使用後焼却することで温室効果のある二酸化炭素が大量発生しますがよろしいですか」

「よろしくはないが背に腹は代えられないのだ。残りも頼む」

 ナイロンマン6体は広大なジャガイモ畑を舞台にPETマン6体と対峙した。

 あっさり全滅した。

「やはりナイロンでは勝てないのか!」

「なぜだ」

「ポリエステルは日本国内における繊維の生産量の約4割を占めているんです! ナイロンは1割ほど」

「ではどんな繊維なら勝てるのだ」

「無理ですね。デファクトスタンダードですから。どんな高分子素材も取って代わることはできなかった。いや、待てよ」

 京介は待った。

「白子マンなら、もしかすると。いや、DNAではダメだ。カニの殻は? ダメだ。そうだ、プリンだ。ラノベといえばプリン!」

「プリンは繊維ではないだろう」

「繊維ですよ。ここでまたひとつ、勉強になりましたね」

「べつだん繊維にこだわらなくてもいい。ほかの商品はないのか」

「いや、ここまで来たら繊維にこだわりましょうよ。化繊に勝つには綿や麻などの天然由来ではダメだ。繊維の未来に目を向けるんだ。そう、バイオベース繊維の時代は必ずやってくる。ポリ乳酸繊維で対抗しよう!」

 勝てるなら中性子爆弾でも構わない京介は、リュックをかきまわす営業をそわそわと見守った。

「PETマンよ、あそこに潜んでいるぞ」

 ウサノフの声が聞こえた。京介は腰を浮かせ、トウモロコシのひげ越しにそろそろとのぞいた。ヨーロッパバイソンにまたがったウサノフが思いっきりこちらを指さしていた。

 さっとしゃがみ、営業にささやいた。

「はやくするのだ」

 営業は鉈を手に、トウモロコシを収穫しはじめた。

「そこからはじめるのか」

 がさがさという音が全方位から近づいてくる。もちろんPETマンだ。「シギャー!」や「ベコベコベコッ!」などと定期的に叫んでくれれば位置情報も取得できるというものだが、創造主のウサノフと同様、そういう遊びは一切挟んでこない。人気を気にせず勝利を目指す者は強い。

 東レは石臼をごりごりまわし、種子を製粉していた。

「もうすぐ加水分解しますからね! そうして得られたグルコースを発酵することで乳酸が得られます。乳酸を重合してポリ乳酸とし、熱々のお湯をかけて3分待てば繊維が得られます!」

「もうなにを得ても手遅れだ」

 PETマンの顔面が、京介の目の前にぬっと出現した。京介は最後の手段として「あ……あ……」と驚愕の表情で喉を鳴らしてみせたが、PETマンは悪役としてニヤリと笑いもしなければおびえる様子を眺めて楽しむこともなかった。ふつうに顔面を殴った。

 反対側からもあらわれた。ふつうに後頭部を殴った。

 8体にもれなくベコベコ殴られたあと、恐るべき手際のよさでぐるぐる巻きにされた。

「炭素繊維複合材ケーブルです」

 同じくぐるぐる巻きにされた東レが言った。

「軽量かつ柔軟、酸やアルカリにも優れた耐食性を有し、磁気を帯びることもない。そして絶対に引きちぎれません」

「言われなくてもわかっている」

 PETマンの獲物としてずるずる引きずられる。トウモロコシの茎をいちいち顔面に受け、ついに畑から転がり出た。

 身長193センチのウサノフが仁王立ちしていた。

 手にはモンゴル由来のシャムシールが握られている。

 繊維つながりなど微塵も気にせず、剣を振り上げた。

 京介は頭を持ち上げ、懇願するようにウサノフを見上げた。

 ウサノフはナマズ髭をわずかに動かし、片眉を上げた。

 京介は2、3度うなずき、言った。

「まいった」

 岸田京介の敗北が決定した。

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