第169話 ラノベは最高であるかもしれない件

 そのころ第33校舎ヒルズ外縁では、タイタントロンに映し出された京介VSミハイロフのクズラノベバトルを見た観客が失意の声を上げていた。総理はおろかお付きのSPまで顔をしかめ、あと少しでラノベ6.0の計画を断念するところまで来ていたのだが、〈サブヒロイン〉五月の勇気ある初告白が総理に忘れかけていたなにかを思い起こさせた。お付きのSPまでハンカチで目頭を拭う結果となり、ラノベは人間性を高める、道徳的ですらあるとの評価がみるみるうなぎ登ってしまった。

 ある関東第一高校のまじめな高校1年生は、ほかのまじめな生徒と同じく持ち出した机にすわり、材料工学の宿題をしていた。明日までにセラミックスの板から伝票差しをこしらえなければならない。まじめな高校1年生は材料の疲労を計算しながら、自分自身も疲労を感じていた。これがほんとの繰り返し疲労。そう、ぼくたちは勉強しかしていない。

 いつの間にか先ほどの五月の映像を思い浮かべ、ペンを置き、ぼんやりと頬杖をつき、あんなかわいらしい子が自分の〈ヒロイン〉になってくれたらなあと考えていた。あのそばかすが好きだった。ハスキーな声が好きだった。ひょろひょろの手足が好きだった。怒ったときに眉間に寄るしわが大好きだった。結局すべてが好きだった。そしてなぜ好きなのかは、まったくわからない。

 なぜ一ツ橋色葉ではないのか。なぜアンドロイド春ではないのか。上原アリシャではない理由は、はっきりしているのだが。

 少しくらい息を抜いても、つまり女の子と出かけたり、出かける相手を見つけたり、出かけたいんだけどどうやって声をかければいいのかわからず悩んだりしても、勉学に支障は来さないのではないか。なぜ両方ではダメなのか。

 エリートじゃなくてもいい。

 あんな子に微笑んでもらえるのなら。


   ◇


 五月は熱帯雨林を歩きながらスマホを耳に当てていた。防災センターからだった。

 陽一が言った。

「そのまままっすぐ、太陽を左手に歩いてください」

「あとどのくらいで着きます?」

「予知できるんじゃ」

 と言いかけたところで、陽一は口ごもった。

「すみません。もう、そういう扱いはしません。未来を予知できる前提で話しかけるなんて、よく考えれば失礼な話だ」

「気を遣わせてしまって」

 そのころ五月の20メートル後方では、おサルの橋本の白目が黒目へとゆっくり転じていた。むくりと上体を起こし、点になりかけの五月の背中を見つめる。

 ニヤリと口の端を歪めた。これで未来予知能力者五月の特殊能力は封じられた。わが生涯に一片の悔いなし。

 長い腕を持ち上げ雰囲気たっぷりに天を指したあと、トイレに行った。

 陽一が五月に言った。

「扉はBを選んでくださいね! なんだか知りませんが、スペシャルボーナスとして150階ぶん登れるみたいです!」

「階段で、ですよね」

「がんばってください! こちらも屈強な消防士4名に囲まれて、大変なんです!」

「貴様は上原アリシャを幸せにはできない。決して!」

「幸せにしてみせる!」

「まあまあ。だれを選ぶかはご本人の決めることですよ。実際に会って、決着をつけましょう」

「そうだな。よし、魔法少女、おれたちを上原アリシャのもとへ案内するんだ。ここで、いますぐ!」

「でも、ぼくは、ここに残らなきゃ。あっ」

 どうしたんだと五月はたずねた。

「抱っこされました。力強い腕で」

「一緒に行ってはダメです。陽一さんはオペレーター役なんだから」

 応答はなかった。

 ごそごそという音がしばらくつづいたあと、消防士のひとりが驚愕の表情を浮かべていそうな声色で言った。

「男の子、だと?」

「はい」

「なぜ男の子が魔法少女風の格好をしている?」

「に、似合いませんか? すみません、気持ち悪いですよね、男がこんな格好をするなんて」

 するとどこまでもアメリカンな消防士のひとりは、取り乱す陽一に向かって「ヘイ、ヘイ、おれを見ろ」と優しくささやきかけ、わが子へ教え諭すように話しはじめた。

「聞くんだ。おまえはおまえだ。だから、おまえはおまえのままでいい。名前は?」

「陽一です」

「おまえはおまえでいいんだ。なぜなら、おまえはおまえなのだから」

「わかりました」

 別の屈強な消防士がいらいらと怒鳴った。

「おい、はやくしろ! ヨネックス野郎が上原アリシャに猛アタックしている!」

 陽一は陽一のままでいいと言った消防士が、ゆっくり立ち上がってゆっくり振り向いてほかの消防士ひとりひとりに目を向けたあと考え込むようにうつむきついになにかを決断し顔を上げ口を開いたような間を開けてから言った。

「みんな、聞いてくれ。おれは、この子を選ぶ」

「「「なん、だと?」」」

「おまえらは3人で、上原アリシャを探すといい。ついでに火も消すといい」

「その子は男だ。一体なにを考えている?」

「かわいければ性別など関係ない。そうだろう?」

「たしかにそうだが」

「わかってくれたか」

「いいや、わからないね」

「どういうことだ」

「その子とは、おれが付き合う。火を消しに行くのは、おまえだ」

「貴様は魔法少女風の少年を幸せにはできない。決して」

「幸せにしてみせる!」

「みなさん、だれでもいいんですか?」

 陽一の発言がきっかけとなり、取っ組み合いのような効果音が怒声とともに五月の耳に聞こえてきた。取っ組み合いをしていない屈強な消防士が、おそらく体を張って仲裁に入っているのだろう、日本人であるにもかかわらず「ヘイ、ヘイ!」と鋭く呼びかけている。そのあと唐突に静まり返り、ぱちぱちと火の爆ぜる音が聞こえてきた。防災センター内でアメリカンにたき火を囲んでいるらしい。リーダー格が押し殺した声で、このままではおれたちはダメになる、いまこそおれたちは団結しなければならない、などと話している。

 陽一が五月に言った。

「あと少ししたらいい人が見つかりそうです」

「よかったですね。わたしも、いずれ」

「すぐ見つかりますよ! 片っ端からカタログの品を注文してはどうです? 正面玄関前に、イケメン営業が山ほど控えています!」

「ラノベって、最高ですね」

「ええ。ラノベは最高だ!」

 唐突に森が消え、いかにもビルのフロア然としたケイ酸カルシウム板の壁が出現した。五月は真っ赤に塗られた防火扉を見た。3枚並んでいて、左から順にペンキでA、B、Cと書かれている。五月は陽一に、正しい扉を再度たずねた。反応はなかった。代わりに屈強な消防士の挑発的なささやき声が聞こえるばかりだった。陽一は「いや、そんな、恥ずかしい」などとうわごとのようにつぶやいている。

 五月は電話を切った。お邪魔はするまい。

「神様の言うとおり、神様の言うとおり」

 あえてCを選んだ。一歩踏み出すと、選んでいないAの扉がゆっくりと開き、なぜかヤギが顔をのぞかせた。

「この扉はハズレだよ」

 ヤギが言い、扉がゆっくりと閉まった。

「残る扉はふたつ、正解はBかCだ。ここであなたは、あらためてBを選択することができる。もちろんCのままでも構わない。さあ、どうする?」

 もちろん五月はBを選んだ。常識だからだ。


   ◇


 そのころ京介は、マウントを放棄したミハイロフと互角以上の勝負を繰り広げていた。顔面を永久的に変形させながらも、ドS小学生にしつこくまとわりつく。

「なぜだ。なぜ立ち上がってくる? なぜ立ち上がってこれるんだ?」

 ミハイロフはパンチを放った。

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