第168話 ふつうの女の子になろう

「それでガキのころ、親父とふたり、言語学者にとっ捕まってさ」

 おサルの哲学者・橋本先生が、毛深い腕を組み、地べたにあぐらをかきながら言った。

「研究所に閉じ込められて、人間の言語や様式をたたき込まれたってわけ。おれさまは、特別賢いってわけでもない。おれさまより頭のいいサルはたくさんいた。人間のやつら、実験から2週間でアルファベットの歌を歌えたもんで、驚愕しちゃってさ。シェークスピアがらみの冗談もやろうとしたんだけど、イヤミっぽくなるとアレだからやめたよ。親父はアホだった。パックマンもろくにできないもんだから、しまいには動物園に連れていかされて、そのあとはどうなったかわかんね」

 ふいに顔を上げ、五月を見た。

「いまも未来、見える?」

 木の根にすわった五月がうなずいた。

「ちょうど7分後、あなたは泡を吹いてわたしの足元にひっくり返っているでしょう」

「それはべつにいいんだけどさ」

 肉厚の葉っぱを拾い、ぼんやりと揉みながらつづけた。

「未来が見えるってのは、つまり決定論的な能力だよね。ああなればこうなる、っていう。道徳に反すれば地獄に墜ちる、みたいな。大昔の人々は、その因果を思いっきり信じていた。信じるだけじゃなくて、本当に堕ちていた。例のヴォイドにね。エジプトのヴォイドは相当ヤバかったらしいよ。大昔のラノベの話だね。神、宗教、すべてはリアルだった。だからあんだけ長いことつづいてきたわけだし、かっこいい神話もたくさん生まれたわけだ。前5世紀頃、暇を持て余した古代ギリシャ人は考えた。つまり、本当にラノベでいいのかってね。でもアレキサンダー大王は、全身ラノベだったからね。そのうちイエスがあらわれ、いまでいう〈ラブコメ〉を説いた。頬をひっぱたかれても平然としなきゃならないのは、やつのせいだったんだな。ローマは最初、王道の〈バトル〉こそが正義であるとか言って〈ラブコメ〉を認めなかったんだけど、〈バトル〉の設定のめんどくささに気づいて、お気軽な〈ラブコメ〉を国教に指定した。そして時は流れ、自然科学が宗教に取って代わった。そういえば西野さん、なんで高校に進学しなかったの?」

「未来を見たからです」

「それで一ツ橋家の侍女になったわけだ。でも、勉強は大事だよ。いまからでも全然遅くないから、うちを受験したら? 入ってからがしんどいけど、若いんだからがんばれるはずだ。それはそうと、科学が進歩すればするほど、神すなわちラノベは忘れ去られ、それどころかラノベは過ちだ、そんなものは存在しない、という流れになった。決定論的な考え方も次第に物理レベルで言及されるようになった。人間だって単一の粒子かなにかでできているんだから、脳みそですら物理の法則に従うはずだ、なんてね。でも『法則』なんて都合のいいものは、条件を限定した理論上の空間ならともかく、このリアルでカオスな現実世界では、存在しない。バカなやつはいまだに、分子生物学とかで人間を説明しようとする。でも、『人間』ってのは、そんなもんじゃない。科学じゃないんだ。そもそもの人間は、ラノベ決定論的、つまり〈お約束〉に支配されていたんだからさ。宗教に走れとは言わないけど、人間とはなにかという問いに対しては、科学ってその程度なんだよってこと。それを知っておくのは大切なことだ。科学マンセーの思考は危険だし、なによりバカっぽいからね。逆にわけのわからない量子力学の成立は、真の人間性、つまりラノベ性の復権と言えるかもしれない。だからラノベと相性がいいんだ」

「大昔の人は、まじめくさった顔で予言などをしていた。つまり民を統率するための嘘や演技ではなく、本当に未来を見ていたからなんですか。未来予知は本来、ある人間に特殊能力として備わっていたんですか」

「そうだよ。神だって実在してるんだから、よく考えれば不思議でもなんでもない。多くの人間から予知能力が失われてしまったのは、科学の進歩とともに不確かなことを信じなくなったからだ。おまえも漢字書けなくなっただろ? おれさまなんか、ペンで文字も書けなくなった」

「わたしだけじゃなかった」

 くぐもった着メロが聞こえた。ハッピーツリーフレンズだ。おサルは大儀そうに立ち上がり、近くの木のからスマホを取り出した。

「橋本です。なんだって? それはまずいな」

 五月は暑さでぼーっとなりながら電話が終わるのを待った。それにしても、なぜ電話機が見えていないのにもかかわらず一瞬にして着メロだと理解できたのだろう。

 興味深い。

「うん。こっちは順調だ。それよりだいたいなぜ、わざわざ3分の1の確率でショートカットできる設計にしたんだ。そこなんだよ。どうしても岸田京介に甘くなってしまう。だからわれわれ教師は舐められるんだ。わからず屋に対しては、ときにはがつんとやってやらなきゃ。いまさら言っても仕方がないか。やつらが図面を入手し最短距離で向かうなら、逆に好都合だ。そう、そういうことだ。待ち構えるんだ。それじゃあな。こっちは任せておけ」

 おサル先生はスマホをに戻し、振り返った。五月の前にどさりと腰を下ろす。

「で、どこまで話したっけ」

「未来予知能力者はわたしだけではなかった」

「そうそう。いまもいっぱいいるよ。ベガスとかドバイとかに、山ほどね。自分だけがおかしいんじゃないって気づくのは、救われた気分だろ。そして未来を見たくなければ、しっかりいまの時代に生きることだ。高校で勉強したりしてね」

「勉強って大事なんですね」

「そう。たとえまちがっていても、現実を知り、現実に合わせ、現実に生きる。それはおまえのためになることなんだ。現実を見れば、未来はそのうち消えるよ」

「わたしの能力を奪えば、戦いに有利になるからでしょう」

「それもあるけど」

 腕毛からノミをつまみ出した。口に入れ、考え深げにもぐもぐした。

「正直、こんな〈バトル〉、どうだっていいんだよ。国がやれっていうからやってる。まちがっているとわかっていても、こうやってときには現実に寄せるんだ。それが〈大人〉の世界ってやつだ。未来予知もそう。科学技術の進歩ってのは、ある意味では人間性を失わせ、ある意味では希望を生み出す。未来予知という人間本来の能力を失うことで、明日はどんな日になるんだろう、そう思えるようになった。逆にね」

「プログラムに何十時間もかけるみたいなものですね。手で計算すればはやいのに、っていう」

「そうそう。でもプログラムは楽しいし、暇つぶしにはもってこいだ。人生なんてそういうもんだ。だから、未来が見えたからって従う必要はない。正しさってのは、そういうことじゃない」

「楽しいと思うことをつづける」

「進歩ってのは退歩だ。それさえわかりゃ、人生楽しくやっていける。だから」

「気が楽になりました。それでは時間が来ましたので、勝たせていただきます」

「え?」

 五月はおサルを見下ろし、ゆっくりと利き手を持ち上げ、天を指した。

 おサルが見上げる。

 艶やかなうろこを持つヘビが数匹、おサルの足元に落下した。

 立てつづけにどさどさと落ちてくる。やがておサルの周囲がヘビだらけになった。甘えるように体をこすりつけ、のたのたとのたくっている。

 おサルは頭をやや右側へ傾けたまま、剥製のように機能を停止させていた。

 仕上げとばかりに鮮やかな緑色のヘビがおサルの頭上に落下し、そのままマフラーのような位置に落ち着いた。おサルは洗剤でも飲み込んだかような立派な泡を口から吹き出し、ラノベの〈ヒロイン〉もうらやむ完璧な白目を剥き、仰向けにゆっくりと倒れた。

 五月は立ち上がり、ヘビまみれのおサル先生を見下ろした。

「予想どおり」

「五月さん!」

 聞き覚えのある声に、五月は顔を上げた。巨大なリュックを背負ったしまむら店長が大木の太い枝から地面へ飛び降り、ごろりと一回転して衝撃を吸収したあと立ち上がった。

「これも予想どおり」

「ご希望の品、お持ちしました!」

「ちなみにこのヘビは」

「ああ、これですか? だいじょうぶ、タカラトミーさんのオーストラリア毒ヘビセット(ラノベダンジョンシリーズ)ですよ。予測済みじゃないんですか?」

「あえて聞いてみたんです」

「自社倉庫へ行きがてら、トイザらスで買ってきたんですよ。ワンダリングモンスター用のおもちゃなんですが、結構リアルですよね。こんなところにも日本の技術力の高さがうかがえますよね」

 前時代的なIoTヘビは、ラノベブームで復活を遂げたいわゆるリバイバル商品だった。ラノベ以前にタカラトミーがなにを目的として開発したのかはよくわからない。異様にリアルな動作でおサルのまわりをのたくったあと、位置情報を取得し、障害物を迂回しながらぬらぬらぐねぐねと離れていった。

「ご無事ですか、五月さん?」

 五月はしまむら店長を見上げ、言った。

「わたし、〈ヒロイン〉っぽいですか」

「えっ?」

「ラノベの〈ヒロイン〉になるには、見た目が重要だって、さっき」

「ああ、そういう意味か。もちろん、お世辞じゃなく、五月さんはラノベですよ。とってもラノベだ」

「す、好きになってもいいですかっ!?」

 しまむら店長は息を飲み、先ほどのおサルのように剥製化した。

「えーと」

「ダメですかっ!?」

「じつは、その、ぼく、彼女が」

「彼女ができるのは今年の11月のはずでは?」

「なんの話?」

「なんでもないです」

「ごめんなさい」

 店長は深々と頭を下げた。そして五月と付き合えない理由を丁寧に述べた。自分はひとりの人間であると同時に社会の成員であり、国家の一員である。自由を享受している以上、法と道徳、両方を守る義務が課せられているのだ。かわいい16歳の女の子に告白されたからってホイホイと付き合うような者は、日本に住む資格はない。そんなしちめんどくさい話以前に、はじめての相手にもうすぐおっさん化を果たす自分のような男を選んではいけないのだ。

 五月は聞いていなかった。そんな理由は聞きたくなかった。涙の塊が喉元からぐっとせり上がってくる。答えをもらうまでの数秒間は、紋切り型の「永遠に思われるほどの時間」ほど長く感じたわけではなかったが、それでも一生忘れられない瞬間になるのはまちがいなかった。断られるのは予知していた。そして断られた。なのになぜ、あんなにも胸がドキドキしたのだろう。そしてなぜこれほどまでに胸が痛むのか。

 気まずい雰囲気のなか、店長はのろのろとリュックから注文の品を取り出した。無言で帽子とカーディガンを渡す。それからかき氷を取り出した。すでに熱で半分溶けていた。カップを手に、ぐずぐずと迷っている。

 メロン味だったので、五月はかき氷を奪い取った。ストローを加工した例のスプーンでしゃりしゃり流し込んだ。ものすごくぬるかった。

「店長さん」

 店長は顔を上げた。

「今年の11月に出会う女性は、すばらしい方です。安心してお付き合いください」

「ごめんなさい」

「いいんです。はしかのようなものですから」

「客観的ですね。ところでその、今年の11月に出会う女性ですが」

「はい」

「ぼくはどうやって、その人に気づくんでしょう?」

「ひと目見ればわかります」

 しまむら店長は去っていった。熱帯雨林には最後まで気まずい空気が漂っていた。だが五月はむしろ楽しんでさえいた。人間は、こうやって愚かな過ちを繰り返し、生きていくものなのだ。愚かな過ちを犯した自分が誇らしかった。ジャジャジャジャーン。テンテケテン。

 五月は振り向き、カメラに向かってピースした。

 ふられたぜ。

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