第165話 上原アリシャエルフ化計画

 上原アリシャは10階に到着したあと、ジャングルを内壁に沿って進み、いちはやく出口の扉にたどり着いた。五月を助けるつもりも、ほかの面々の到着を待つつもりもなかった。なぜならそれが岸田京介の作戦だからだ。人でなしの行動かどうかは、敵の教師の出方次第だ。五月が臓腑を撒き散らして悲惨に死亡している可能性もなきにしもあらず。もしくはただ算数の授業を受けているだけかもしれない。

 3枚の扉のひとつをてきとうに選び、中へ入った。

 正解かどうかもどうでもよかった。

 岸田京介の作戦だからだ。

 石の階段は緩やかに螺旋を描き、似非中世ヨーロッパの雰囲気をたっぷりと漂わせている。ただし内壁はタイルではなく本気の組積造だった。この石を削り出すためにどれだけの費用をかけたのか。とにかく上原は暗い階段を登りながら、ワイヤレスのイヤホンを耳につけ、東京消防庁に電話をかけた。

「予防課でーす」

「関東第一高校の第33校舎ヒルズについておうかがいしたいのですが」

「ああ、ラノベバトルの舞台ですね? いまテレビでやってますよ」

「勤務中にテレビを見ているんですか」

「ええ、都民の生活と安全をほったらかしにしてね。で、ご用件は?」

 上原は階段を見上げた。またあった。数段先の踊り場には、半透明の業務用ゴミ袋がいくつも、通路を塞ぐかたちで山積みになっている。テーブルやイスや什器が壁際に寄せられている。灰皿まで置かれていた。窓もない。壁に点々と並ぶ蝋燭は本物の裸火だ。

 しかもガスの付臭剤のにおいがうっすらと漂っている。

 頭上を見上げ、警報装置を探す。もちろんない。壁の非常用コンセントを探す。もちろんない。連結送水管を探す。もちろんない。

 上原はぜんぶチクった。

「消化器すら設置されていない。おそらく届けも出していないでしょう。速やかに指導・警告を行ってください。そして厳罰を」

「でも、関東第一高校ですからねー。特区における特例措置のひとつとして、バトルタワーの防火安全対策義務は大幅に免除されているんですよー」

「なぜです」

「だって、せっかく火の手が上がったのにスプリンクラーで消火しちゃったんじゃ、盛り上がりに欠けるじゃないですかー。文字どおり冷えるじゃないですかー」

「そんな日本はどこか狂っているとは思いませんか」

「どうでしょうねー。あ、でも、防災センターはしっかり設置されていますね」

 すばらしい。やはり岸田京介はただのバカラノベではないようだ。

「防災設備がなければ防災センターなど設置しても意味がない」

「わたしに言われましてもねー。まあ、見た目重視なんでしょうね、ええ。超高層ビルに防災センターがあると、かっこいいですから」

「あなたでは話にならない。上の者を出してください」

「上の者もテレビに釘づけです」

「そんなにおもしろいですか?」

「たいしておもしろくないですね。正直くだらない。だらだらしている。メリハリに欠ける。だいたい〈ヒロイン〉が東京消防庁に電話するなんて、どこのラノベですかって話ですよ。でもまあ、これからおもしろくなるんでしょう。おもしろくなるんですよね? あっ、上原さん、あれ、あなたでしょ? いま映ってますよ!」

「えっ」

 上原は思わず髪に手をやった。

「やっぱりあなたがいちばんかっこいいなー。推しメンですよ。あ、いまのは東京消防庁を代表する意見ではなく、あくまで一個人としての意見ですので。いやー、〈エルフ〉の戦乙女なんか、最高に似合いそうだなー。見てみたいなー」

 上原はカメラを意識しつつ、考えた。あのリーダーぶった一ツ橋色葉によると、ラノベの真の姿、つまり極限の寒々しさやくだらなさを政府高官に見せつけることで、ラノベ6.0の計画を頓挫させ、その後合法的に粛正されるであろうラノベたちを救うのだという。先ほど東京消防庁の職員は、おもしろくないと言った。いい調子なのだろう。この先どのような教師が待ち構えていようと、おもしろくしてはならない。熱い〈バトル〉も、ホットなエロも、おもしろいギャグも御法度だ。自分も不本意ながらラノベの一員なので、華々しく勝利してしまえば、さんざん持ち上げられたあと国から見捨てられ、経済的に困窮し、嫁のもらい手も見つからず、一生独身のまま年を重ね、孤独のうちにひっそりと一生を終えてしまう。

 いい男を見つけるならいまのうちだ。

「もしもーし。上原さーん」

「先ほど、防災センターとおっしゃいましたね? ヒルズの図面も確認できますか?」

「ええ、もちろん。でも、センターは地下1階ですよ。ヒルズ正面入り口付近に案内板があったでしょう。そこを左に曲がってですね」

「もちろんわかっています。だからこそ、陽一くんがあらかじめ」

 上原はごく個人的にひらめいた。エルフの戦乙女か。

「ちょっと、待機していていただけますか」

「待機もなにも、勤務中ですから。テレビに釘づけですけどね」

「お名前をうかがってもよろしいですか」

「安瀬です。不安の安に瀬戸際の瀬」

 上原は電話を切り、階段に腰を下ろした。岸田京介から渡されたカタログをめくり、デミヒューマン用品に左上から目を通す。

 ドワーフの戦斧。アックス・バット社製の舶来ものらしい。ホビットのショートソード。ゲノム改変キット『クリスパーエルフ9』。遺伝子組み換えエルフはご免だ。子づくりに差し支えるかもしれないし。

 スマホをバッグから取り出し、ヨネックスの女性用ブレストプレート(ホワイト&ゴールド)をオーダーした。

「お電話ありがとうございます! 弊社ヨネックス株式会社は、ミスリル成形において世界トップレベルの技術を誇り、女性用アーマー用品に関しては世界的に圧倒的なシェアを持っております! もうバドミントンはやめました! これからはラノベ!」

「ミスリルって、どこで産出されるんですか」

「ロシアです。広大なロシアの大地に山ほど眠っていたんですよ。ヤバいですよね」

 10分後、営業が巨大なバックパックを背負って階段を駆け上がってきた。スーツはぼろぼろだったが、さすがと言うべきかツーブロックのヘアスタイルは堅持している。顔の油もしっかり拭ってきている。

 若い営業は名古屋県出身で、関東第一高校のOBだった。学績優秀な子を持つほかの家庭と同様、関東第一高校入学のため家族ぐるみで品川へ越してきたらしい。3歳年下で、たくましく痩せていて、顔立ちもよくて、しかも憧れの眼差しで上原を見つめていた。

「ベルベットのスカートと、脛当て、肘当てもお持ちしました。まずはこちらのアンダーウェアを着用ください。コアのバランスを整え、パフォーマンスを向上させ、そのうえ金属鎧からお肌を守ります。あなたのきめ細やかなお肌を」

 上原はうなずき、スーツの上着を脱いだ。ブラウスがあらわになると、営業はまぶしげに目を細めた。上原はおもしろくなり、スカートに手をかけ、無造作にファスナーを下ろした。営業はカウチポテト風に見つめていたが、するりと膝まで下ろしたところでわれにかえったのかカエルのように飛び上がり、階段を駆け上がり、踊り場の業務用ゴミ袋のあいだに飛び込んだ。

「すみませんでした! しばらく生ゴミ袋の中に頭を突っ込んでいますので、そのあいだに着替えられてください!」

 むしろ見ててもいいのになー。

 上原はブラウスのボタンに手をかけた。下着姿であれこれ悩みながら、どうにかアンダーウェアを着た。言うまでもなくビデオリサーチは最高の瞬間視聴率を記録していた。

 鎧はひとりでは装着できないので、さりげなく営業男子を呼んだ。

「鎧を着せてくださる?」

 ズボッと顔を出し、言った。

「え、でも」

「お仕事。でしょう?」

「あ、はい! お仕事ですよね!」

 ヨネックスはわたふたとお仕事に励んだ。背後に立ち、ブレストプレートのハーネスをカチリと留め、長さを調節した。

「胸は苦しくないですか?」

「あら、なぜですの?」

「ええと、胸の部分、つまりこの鎧、オーダーメイドではないので。その、上原さんの資料から、サイズに合うものを選んできたつもりなのですが、どうかなと」

 厚手のスカートを履き、階段を行ったり来たりしてみた。長さがくるぶしまであり、足まわりが重い。ヨネックス営業は、さすがというべきか、裁縫道具一式を持ち合わせていた。上原は裾に布切ハサミを入れ、引き裂いてスリットをこしらえた。

 その音に営業男子はぎょっとした。スリットからのぞく肌色にしばらく目を奪われた。

 革の手袋と長靴をうやうやしく差し出す。

 上原はすべて着用したあと、ヨネックスにいたずらっぽく笑いかけ、冗談めかしてふわりと一回転した。

「どうです? 似合ってます?」

 営業は上原を仰ぎ見ながら、うわごとのように言った。

「凜としている。あまりに凜としすぎている。この神々しさはもはやラノベを越えてしまっている。本物の〈エルフ〉もあなたの美しさを前にしてはなすすべもなくひざまずくしかない」

「お世辞がお上手ですね。職業病ですか」

 営業は上原の前にひざまずいたまま、感極まった様子で手の甲にキスした。情熱的に見上げて言う。

「無事帰還してください。ご武運を祈っています」

「えっ? ああ、そうか、戦うのか。なんで戦うんだっけ」

「あなたが存在しない世界など耐えられない。太陽のように光り輝くあなたが消えてしまえば、この世界はいっそう暗く、貧しく、価値のないものになってしまうでしょう」

 上原はさらに電話をかけた。

「美容室 Diethyl Aether です! カットとホワイトブリーチのご用命ですね? ありがとうございます! あのモデルやあのタレントも大絶賛、年間指名者数93000人を誇るカリスマ美容師・小村がすぐにうかがいますので! あの」

 女の子が突然声をひそめた。

「できましたら、カット&ブリーチの合間に、小村の名前を何度か言っていただけるとありがたいのですが。小村はいま、非常に大事な時期にいるんです。勝負をかけているんです。あと年間指名者数90000人はかなり盛っています」

「わかりました。いいですよ」

「すご! あのアリたんからご指名だって!」

「店長、奥で白目剥いて気絶しかけてたよ? だれか様子見にいったら?」

 電話の向こうで美容女子がひそひそきゃあきゃあと騒いでいる。電話を受けた女の子は「静かに! 聞こえるよ」と怒りつつ、カリスマ小村の名前と美容室 Diethyl Aether の名前と受付電話番号を最低5回は言うようにと念を押した。

「わたしもアリたんみたいになりたーい」

 上原は静かに通話終了のアイコンをタップし、ラノベも悪くないな、と思った。

 それから東京消防庁予防課の安瀬に電話をかけた。

「消防士を数名、こちらへよこしてくださいますか。屈強で、使命感に満ちあふれていて、でも家庭を大事にして、休日には疲れも見せず息子を釣りに連れ出して、週に3回は男の料理を振るうタイプ」

「そんな男、世界に何人いますかねー。いずれにしても、そんな動機じゃ、消防士は動かせませんよ。いくらあなたのご要望でも」

「伴侶を見つけるためではありません。必要だから呼んでいるのです」

「なぜ消防士が必要なんですか?」

「火災が発生するからです」

 上原は踊り場へ上がり、鼻をつまみながら生ゴミをのぞき込んだ。ヨネックスが顔面を突っ込んで暴れたせいでだいぶ発酵が進んでいる。

 蝋燭一本で充分だ。

 上原はさらにカタログをめくり、耳エクステンション(ハイエルフ)をオーダーした。

「ご注文ありがとうございます! ご自分でおつけになられますか? えっ、ぼくが? ではちょっと、後ろを失礼して。このエクステ、リアルでしょう? さあ、着け終わりました。ちょっとこちらを向いていただけますか? (驚愕に息を飲む)いや、なんて美しい!」

 完全に買い物中毒だ。

「ご指名いただきまして誠にありがとうございます! ぼくがあの、年間指名者数93000人を誇るカリスマ美容師・小村です! ではさっそく、御髪を拝見。いや、美しい。なんて美しいのだ! 日本の女性は美しい!」

「貴様! なれなれしく上原さんに触るな!」

「おや、これはこれは、ヨネックスさん。なぜ仕事を終えたあともここに残っているのか、理由はちゃんと存じていますよ。だが、ぼくの冴え渡るカット&ブリーチで華麗に変身した上原さんは、果たしてあなたを選ぶでしょうかねえ。クク」

「このあとナノシミター800の基本的な使い方をお伝えしなければならないのだ。貴様こそさっさとカット&ブリーチを終わらせ、立ち去るんだ」

「クク。今夜は赤提灯の下、ひとりやけ酒ですね。そのころぼくと上原さんは、最上階のレストランで都内の夜景を見下ろしながら蝋燭を囲みシャンパンをトレンディにチンしているのだ! そしてふたりを乗せたタクシーはホテルの地下駐車場へひっそりと! ククク!」

「言わせておけば! 銃を抜け! 決闘だ!」

 いや、別の中毒だ。

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