第160話 1階 要領のいい執事

 岸田京介をセンターに一ツ橋色葉と26歳OLとアンドロイドとリアル英国メイドとアンリアル魔法少女男子がだらしなく横一列に並び、近代的なビルにはふさわしくない、重厚な石造り風の玄関に立った。石のアーチの3メートル奥まったところには、横幅10メートル、高さ4メートルの時代がかった両開きの大扉が控えている。

 京介は一歩踏み出し、石のアーチを見上げた。いまにもトラップが発動しそうな邪悪な風情だった。

 石組みが倒壊する代わりに大扉がゆっくりと開いた。


   ◇


「ようこそ、第33校舎ヒルズへ!」

 広大な空間は薄闇に支配されている。

 3階吹き抜けのフロアには、受付もゲートもエスカレーターもなかった。窓もなければ通風口らしきものすらない。床にはペンローズ風のタイルがランダムに敷き詰められている。はるか上の天井には、図案化された天使と悪魔が数学的規則に従って描かれている。こちらはエッシャーのパクリのようだ。

 中央に男が立っていた。燕尾服に白手袋を着け、100人中98人が〈執事〉と答えるであろう出で立ちだった。

「ようこそ、第33校舎ヒルズへ!」

 反応がなかったからか、さっきのセリフをもう一度言った。

 音もなく近づいてくる。若い男だ。

 京介は一歩踏み出し、牽制を兼ねて話しかけた。

「〈執事〉か」

「いえいえ。わたしはただの雑用係、いわば用務員です。高校だけにね」

「おまえがバトル前にいろいろ説明する役か」

「そうです。公正を期すためにね。ふふっ」

 口に手を添え、女みたいに笑った。

「まずはひとつ、お伝えしておきましょう。ここではだれも死にません」

 京介の背後で胸をなでおろす音が5つ聞こえた。

「本バトルは、日本、いや世界が注目する〈ゲーム〉ですからね。死人が出たら、与党のみなさんも困ってしまう。ですが決して手を抜かないように。敗北は死よりも重く、あなたたちの肩にのしかかる」

「さっさとルールを説明するのだ」

「まあまあ、落ち着いてください。それにしても、昨今のラノベブームは目を見張る。目に余ると言うほうが正しい気もしますがね。とにかくラノベの力はすごい。恐るべしラノベ、です。だがわれわれ人類がそもそもラノベにルーツを持つとなれば、ラノベ6.0社会の到来は必然なのかもしれません」

 話が長くなるぞと仲間たちにささやきかけた。関東第一高校の関係者は、どいつもこいつも自己顕示欲の塊だ。

「疑問に思ったことはありませんか。今年7月時点で1400万人を越えるラノベ市場の消費者、つまりさまざまな〈主人公〉や〈ヒロイン〉、〈親友〉たちは、どのようにリアル日常生活を送っているのか、と。連中は、アホです。ださいたまの無能階級どもは言うに及ばず、専門的な知識もなく、手に職もつけず、そもそも働く意欲がない連中ばかりだ」

 色葉が言った。

「国や自治体が雇用を創出している。それにラノベメーカーも」

「総理自身がラノベなのだ。国全体がラノベ押しなのだ」

「これから先も永遠に、みんなが楽しくラノベをつづけていけると思いますか? そんな現実があると思います? 一生お国が面倒を見てくれる? ラノベ企業へのラノベ就職? 一億総ラノベの完全ラノベ社会? だったらそのあいだ、最新テクノロジーを備えたあなたたちのかっこいい武器や防具をつくるのは一体だれです? いま現に、あなたたちの武具をつくっているのはだれだと思います?」

「あっ」

「背後に控える一ツ橋色葉さんは、ピンときたようだ。そう、われわれ関東第一高校の優秀なOBだ。だが関東第一高校はいま、壊滅状態にある。もはや授業もままならず、海外に仕事の口を見つけ退職する先生もあらわれた。やってられるか、とね。あなたたちの手柄ですよ。大手柄だ! さて、5年後、10年後、日本はどうなってしまうのか。ラノベは増殖し、学力は低下」

 春と上原アリシャと五月と陽一が同時に「あっ」と言った。

「岸田京介、いまからわたしの言うことをよく聞いてくださいよ。あなたにもピンときてもらう必要がある」

「なんのために、そのようなことを長々と」

 執事はかぶせるように大きな声で言った。

「わたしの、言う、ことを、よおく、聞いて、いて、ください!」

 白手袋をはめた両手を持ち上げ、フラメンコダンサーのようにパンパンとたたいた。

 半球状の天井の一角に歪んだ長方形が浮かび上がった。スクリーンはこぢんまりとした教室を映し出す。小学校のようだ。低学年と思しき生徒が10名ほど、教室の中央に固まってイスにすわり、同じ方向を見上げている。机はない。生徒が見上げる先には、教室だけに先生がいた。おばさん先生だ。権威的な教壇も教卓もなく、子供たちと同じレベルに立っている。

 壁際に総理がすわっていた。生徒と同じイスで、かしこまった顔で、背を伸ばし、膝に手を置き、授業の様子をじっと見つめている。教室の後ろにはボディーガードが父兄のように並んでいた。

 おばさん先生が生徒に言った。

「授業をはじめましょう」

「はーい」

「それではみなさん、教科書の2839ページを開いてください。開きましたか? 開きましたか? 開きましたね? Aの絵を見てください。今日は演繹法を勉強しますよ。論理的思考を身につけて、憎たらしいあいつをツイッターなどでぎゃふんと言わせてやりましょう」

 先生は力強く話しながら、自分の脳みそをのぞき込むように眼球を動かしている。マニュアルをそのまま読んでいるような口ぶりだった。

 総理が先生に言った。

「いまのツイッターのくだりも、テキストどおりなのですか?」

「あ、はい」

「ふーん。ああ、すみません、つづけてください」

「わかりました。えー、では、みなさん。Aの絵の最初の言葉は、『すべての』ですね。『すべての』と書いてあるところを指さしましょう。指さしましたか? 指さしましたか? それでは『すべての』のひとつうしろの絵を指さしてください。なんの絵ですか?」

「ラノベ」

「なんの絵ですか?」

「ラノベ!」

 生徒全員がラノベと叫んだところで先生は次に進んだ。

「そうですね。ラノベ。前半は『すべてのラノベは』です。前半の部分をみんなで言ってみましょう」

「すべてのラノベは!」

「それでは今度は、いちばん右にある言葉を指さしてください。なんと書いてありますか?」

「である!」

「そうですね。『である』です。なにかである、が後半部分になります。前半と後半をあわせて、ルール①ができあがります。いいですか? すべてのラノベは、なにかである、です。右側の絵を指さしてください。この絵には、すべてのラノベに含まれるなにかが描いてあります。なんですか?」

「アホ!」

「そう、アホの絵ですね。では先生が、ルール①を言います。みなさんは、先生が言ったところを指さしてください。準備はいいですか?」

「すべての」

「ラノベ」

「は」

「アホ」

「である」

「では全員で、ルール①を言ってみましょう」

「すべてのラノベはアホである」

「ルール①を言ってみましょう」

「すべてのラノベはアホである!」

 先生はつづいてルール②「岸田京介はラノベである」からルール③「だから岸田京介はアホである」を演繹的に導き出した。生徒全員が言えるようになるまで繰り返す。

「岸田京介はアホである!」

 映像がつづくなか、執事が唐突に言った。

「わたしはひと握りの執事のみに発現する特殊能力『要領のよさショートカット』の使い手です。つまりどういうことか?」

「つまりどういうことなのだ」

「要領がいいんです。ものすごくね。わたしはなんでも要領よくこなす。つまり、300階ぶんの〈バトル〉をわざわざせずとも、すべてをここで終わらせることもできる。だいたい200階ほど登ったあたりで気づくであろう驚愕の事実をあっさりここでばらすこともできる」

「言わなければいいだけだ。言うのはよすのだ」

「いいえ、言います。政府はあなたがたを騙している」

 言っちゃったよと色葉が肩を落とした。

「政府の掲げる超ラノベ社会、ラノベ6.0は、あなたたちラノベどもを遊ばせるための政策ではない。ラノベを触媒としたテクノロジーの振興と社会基盤の整備、それこそが目的なのだ。どうです、やる気をなくしたでしょう!」

 スクリーンの中で子供たちが叫んでいる。

「すべてのラノベはアホである!」

「ラノベはアホである!」

 京介は執事を見つめつづけた。いまのところやる気は失われていない。

「なんですか、その顔。なんて間抜けなツラだ。わかりづらかったですか? もっとわかりやすく説明しましょうか? では説明を。子供たちの言うとおり、ラノベはアホだ。日本人全員がラノベになれば、全員がアホになる。そんな日本の将来であっていいわけがない。だがアホの抱える欲望は際限なく、それゆえに技術進歩の契機となり得る」

「軽くてかっこよくて丈夫だが必殺技を受けるとバラバラになる防具か」

「そうです。まさにアホの発想、常人からは決して出てこない発想だ。そしてラノベのために開発されたハイパー新素材はさまざまな分野で応用され、まともなハイパー製品が生まれる。日本の産業界、ものづくり分野は、アホの需要を調査し、期待に応えつづける。さらなる日本経済の躍進。まあ、ラノベに屈せずまじめに勉強をつづけてきたいまの中高生は、こんな流れになって気の毒だと思いますよ。今後しばらくはアホラノベ社会がつづきますからね。だが、国が決めたのであれば仕方がない。われわれは義務を果たした。20年という歳月をかけ、超ラノベ社会の下地をつくりあげた」

 色葉が言った。

「もしかして、ラノベの勃興すら予測していたんですか」

「ざっくりとではありますがね。ついでに関東第一高校誕生の秘密もばらしましょうか?」

「やめるのだ!」

「ラノベ学の権威である教頭は、超高度教育社会の実現のために関東第一高校を設立したのか。そのために世界で活躍する超優秀な日本人学者をかき集めるべく、のりたまやごはんですよなど白飯に合うソウルフードの供給を止め、強引に帰国させ、友人と原宿をぶらついているところをスカウトしたのか。そうでもあり、そうでもない。教頭はごく個人的に、ラノベの到来を待ち望んでいたのだ。巨悪に立ち向かう善、すなわち〈主人公〉の登場を。そしてラノベにおける最大の悪とは、そう、勉強だ。舞台である日本が超高度教育社会に染まれば、いずれラノベの〈主人公〉が爆誕し、かっこよく高校に立ちはだかるだろう、教頭は個人的にそう考えたのだ。当時、ほかの教師はラノベを知らなかった。もちろん専門外だからであり、ラノベそのものを知らない教師も多数いた。教頭は軽く講義した。ラノベとはなにか、〈主人公〉とはなにか、〈ヒロイン〉とはなにか、〈トラック〉とはなにかを。教頭いわく、〈主人公〉とは、背が高くて、かっこよくて、強くて、優しくて、おもしろくて、なんでも言うことを聞いてくれて、料理が得意で、それからねー。講義は延々とつづいた。教師は考えた。わけがわからない。だが教頭は、関東第一高校の発起人。ラノベとは、超高度教育を実現するにあたってのオーパーツのようなものなのだろう。ラノベの専門知識、〈お約束〉を学ぶにつれ、主幹教諭たちは気づいた。ラノベはクソだと。そして逆に、そのクソぶりは国の役に立つ。そう、主幹教諭たちは10年も前から、現在のラノベ社会を予見していたのだ。そして今年、あなたが颯爽と登場した。世界を変える、世界にラノベを取り戻す、などと叫びながらね。教師は、ああ、あれがラノベか、と思いながら、戦いを挑むあなたの相手をしてあげた。〈バトル〉までしてあげた。そして全戦全敗。だが、疑問に思ったことはありませんか? あまりに弱すぎる、そしてあまりにふざけすぎている、と」

「たしかに、人を食ったような教師ばかりだった」

「もともと勝とうなんて思っていませんでしたからね。たかだかIQ4600の高校2年生が、IQ10000越えの教師たちに連戦連勝できるわけがない。でも、あなたはある意味、かなり有能だった。ラノベ勢力の急激な拡大は、教師たちの予想をはるかに超えていた。教師は苦々しげに見守った。教頭は手をたたいて喜んだ。教頭は、岸田京介、おまえの生徒手帳用写真を片時も離さず、おまえのことだけを見ていた」

「なぜなのだ」

「なぜでしょうねえ。教師はピンときた。ああ、そういうことだったのか、と。なるほどですね、と。だが教師は教師として、さらなる超高度教育を目指した。なぜなら教育は教育者の本分だからだ。そして、いいですか、ここが重要なところです。主幹教諭たちの予見どおり、国はついに、ラノベの存在、ラノベの有用性に気づいた。この先10年は、ラノベによって科学技術をある水準まで押し上げましょう。そしていま、あなたたちは国に後押しされ、最後の戦いに挑む。ラスボスである教頭を倒し、華々しい勝利、そして大団円を迎える。そのあとは? そうしたらもう、ごくつぶしのラノベに用はない。国は頃合いを見てラノベに係るすべての資金を打ち切り、さりげなく法を修正し、速やかに葬り去るでしょう。残るは教育、しかもラノベ6.0によって進歩した新たな社会を基盤とするハイパー教育、アルティメット教育だ。倒された教頭は、奥付の向こう側で完結済みの〈主人公〉つまり岸田京介に歩み寄り、そして」

「そしてどうなるのだ」

「さて、岸田京介と教頭の行く末はともかく、ほかのラノベどもは具体的にどうなるのか。もちろん就ける仕事はなにひとつない。まあ、やはり、生かさず殺さずですね。ブックオフに売るわけにはいきませんからね。またさいたまあたりで、死ぬまで生きていてもらいましょう。おまえらはユニクロオンラインを壊滅に追い込んだが、ビジネスモデルそのものは生きている。またこしらえればいいんですよ。そしてその後の日本を支えるのは、未来のエリートであるあの子供たちだ。教化11年に公示された高等学校学習指導要領における『ニュー・ブリード』とは、あなたたち現在の高校生のことはない。われわれと国が整備したラノベ6.0を基盤に、あなたたち以上に大きく力強く未来に羽ばたく、あの子供たちのことだったのだ!」

 高等学校学習指導要領っていつのネタだよと思いながら、京介はスクリーンを見上げた。子供たちの笑顔が輝いている。自分を罵倒しながら輝いている。あれが悪の組織による洗脳なのであれば思い切って糾弾できるのだが、なまじ正しいだけに反論のしようがない。あの輝かしい子供たちに向かって、ラノベはすばらしい、ラノベをやりましょう、と言えるだろうか。モテない冴えないなんの取り柄もないごくふつうの高校2年生になりましょう、〈ヒロイン〉になっておっぱいを揉まれましょう、などと言えるだろうか。

 いや。

 戦わずして負け。

「ようやくピンときたようですね。そう、これぞ八方塞がりだ。国に騙されていると知りながらまじめに戦うことはできない。やる気をなくしたと帰れば、その場でラノベは負け。いずれにせよラノベは滅びる運命にある。さあ、どうするか。ここでひとつ、提案があります」

 答えたくなかったが京介は答えた。

「なんだ」

「教頭はわたしの〈妹〉です」

「だからなんだ」

「妹と付き合う気はありますか」

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