第158話 ヒロインたちの復活

「上原さーん、2番に電話!」

 背後の島から声をかけられた。上原はスパムクリエイティブ案から目を離し、振り返った。

「だれから?」

「神から!」

 さようですか。上原は電話機の点滅するボタンを見つめた。ここのところ急激に、自分の中の現実と実際の現実が乖離していく。ラノベブームは臨界状態に達し、ついには国が、今後10年の重要な課題として、超ラノベ社会とその実現を堂々と宣言した。そしていま、ラノベはみんなの常識となりつつある。電話の主が神だと名乗れば、まあ神なのだろう、みたいな。ランチ後のコーヒーブレイクでイフリートと遭遇するような時代であれば、致し方ないことなのかもしれない。

 人間の目で見、耳で聞けば、それは現実。有能と無能の差は、いかに狂っていようとその現実をありのままに受け入れられるかどうかにあらわれる。同僚や上司は、ラノベ現実をすんなり受け入れた。上原はダメだった。さすがにダメだ。現代社会は生き馬の目を抜きすぎだ。

 家庭に入りたい。ちょっと世間と距離を置きたい。

「お電話変わりました、上原です」

「よう」

「神様だとうかがったのですが」

「そうだよ。さっそくだが本題に入る。今日からおまえは〈ヒロイン〉だ」

 上原は聞き返した。

「ラノベの〈ヒロイン〉だよ。精髄が抜けたせいで覚えていないだろうが、おまえはもともとラノベだったんだぞ」

「まさか」

「26歳は〈テンプレ〉に反するが、おまえは特別だ。岸田京介のお気に入りだからな。スパム営業の仕事も、今日限りだ」

「ご冗談でしょう」

「信じられなければ、どんな反応をするか、上司に言ってみろ。ラノベの〈ヒロイン〉になる啓示を受けたので退職します、とな」

「新たな現実、というやつですか」

「日本は一体どうなってしまうんだろうな。他人事のように言ってしまったが、こうなる前の現実も、いささか狂っていた。そうは思わないか? 矢印が180度方向転換したというだけで、現実というものはいつでも、どこかしらおかしいと感じるものなんだ」

「われわれが切り離された個だからですね」

「そういうことだ」

「わたしはかつて、あの岸田京介の〈ヒロイン〉だったんですね」

「そうだ」

「個人的にわたしを気に入っていた」

「おまえら、婚約もしたんだぞ。忘れているかもしれないがな」

「でも、高校2年生なんですよね」

「なにを言ってるんだ。やつは時代の寵児、ラノベのイノベーターだぞ。もし勝利すれば、国民的英雄として讃えられる。収入は億を下らないだろう。それに、なかなかいい男だ」

「少々お待ちください」

 自分がよく知る現実であれば、まともな勤め人は神と名乗る男の電話をつないだりしない。では自分自身は、〈ヒロイン〉になりたいのか? 白馬の王子様を夢見、欲しているのか? わからない。

 そして葛藤しているということは、わずかでもその気があるということ。

 電話を保留にし、ひとり離れたデスクにすわる部長に歩み寄った。神を名乗る男がこれこれこういうことを言っているのだがと耳元でささやいた。

 部長は頭だいじょうぶかといった顔で見上げた。

「で、きみはそれを鵜呑みにしたわけだ」

 上原はほっとした。

「ですよね」

「そうだ。ラノベの〈ヒロイン〉は、だれにでもなれるものではないんだぞ」

 ほっとしたのもつかの間だった。

「きみはあの、いわゆる大人ラノベというやつなのか? もうすぐ30代になろうとしているのに、ラノベをあきらめきれない手合いか」

「啓示があったのであれば、そこは従うべきなのでは」

「最近は、神と名乗る男からの電話が増えているそうだぞ。神々詐欺だ。聞いたことがあるだろう。『あ、おれおれ。うん、神。超レアな+3のソードがあるんだけどさ、座標を教えるから、いまから申し上げる口座に課金して』ってやつ」

「まごうことなき神の声でしたけど」

「ちょっと変わろう。本当に神だったら、事だからな」

 部長は受話器を取り、保留ボタンを押した。

「お電話変わりました、上司のはうぁっ!?」

 部長はセリフの途中で絶句し、両の目玉を飛び出させた。

「お、大塚明夫大先生ッ!」

 受話器を耳から離し、通話口を手で塞ぎ、鋭く上原にささやいた。

「まちがいない、神だ! 神の声だ! ぼくは神と交信したんだ! ああ、なんという恍惚! 生きていてよかった!」

 上原は受話器をひったくった。

「もしもし」

「そんなに似てるかな」

「かなり似ています。本人と言ってもいいレベル」

「まあいい。ではさっそく、最終決戦の地、関東第一高校へ向かえ。セーラー服なんか着るんじゃないぞ。ありのままのおまえでいい。ピチピチスーツの〈ヒロイン〉というのも、もしかしたらアリかもしれないし」

「うまくできるでしょうか」

「問題ない。おまえのラノベの精髄が、そろそろヴォイドから戻ってくる。そうすればおまえは、身も心もラノベになる。はじめのうちは拒否反応でじんましんなどが出るが、しばらくかゆみを我慢すればそのうち消える」

「つまり、そのときになればわかるということですね」

「それからどうでもいい話だが、ヴォイドから〈ヒロイン〉を復活させる場合、必ず本体の同意を得なければならないんだ。興味深いだろう。神も法には従うんだぞ」

「そうですね」

「じゃあな。最高のラノベでおれを喜ばせてくれ」


   ◇


 春は浦安公国で、今年2度目の誕生日を迎えていた。

 本当の誕生日は2月なのだが、国を挙げて祝うには浦安の冬は寒すぎた。なのでなんとなく8月にもう一度祝うことにしたのだった。

 熱さでむしゃくしゃした国民、旧漁村に拠点を構える反政府組織、そして日本国の関東地方から流れ着いた過激派ラノベ組織LSにとっては、年中行事が増えるのはたいへんうれしい知らせだった。

 春ちゃん通りの沿道にはライフルや爆弾や思想やフラストレーションを抱えた人々が詰めかけ、愛らしい公女の到着を待ちわびている。付近のビルでは携帯式の対戦車擲弾発射器を抱えた髭面の男がウキウキしながら照準をのぞき込んでいた。

 それはともかく、ひとつゆゆしき問題があった。

 18歳になるべきかどうか。

 近衛兵に囲まれ、オープンカーがやってきた。怒声がひときわ大きくなる。圧政のシンボルである春は後部座席に立ち、満面の笑みを浮かべ、万歳したりダブルピースしたりジャンピングガッツポーズしたり消費税を30%に引き上げたりした。

 観衆に紛れ込んだLSの指導者が無線で指示した。

「やれ」

 そのとき。

 春のスマホが震えた。

「もーし」

「春っちか。おれは神だ」

「じゃああたくし、エルビスね」

「相変わらず愛くるしいな。新しい体の具合はどうだ?」

 春は顔を背け、虫を払うように手を振った。

 捕まえた9ミリ弾をごりごりと握りつぶしながら言う。

「なぜボディスワップ、知ってるの」

「神はなんでも知っているんだ。というかおまえ、ちょっと体を変えすぎだぞ。ラノベの〈ヒロイン〉は、みだりに体やヘアスタイルを変えるものではない。みんなが混乱するからな」

 ビルの窓がピカッと光った。擲弾がロケット加速しながらまっすぐ向かってくる。

「ラノベってなーに」

「いずれわかる。とにかく18歳になるのはよせ。おまえは最もラノベらしいキュートな〈ヒロイン〉ちゃんだった。おれの密かなお気に入りだ。ところで最近、退屈しているんじゃないのか?」

 春はぴょんとジャンプし、後方まわし蹴りで擲弾の軌道を変えた。擲弾は逆側のビルの窓をかち割り、室内で爆発した。

 燃えさかるビルを背景にすとんと着地し、答える。

「でも、公務だから」

「おまえを愛している17歳の高校生がいるんだよ。岸田京介という男なんだが、血税をむしり取る代わりに、ラノベになってそいつとイチャラブしてみないか。どうだ、ん?」

 春は降り注ぐ火炎瓶を次々とキャッチし、200メートル前方の通りを塞ぐ軍用車めがけて投げつけた。

 燃えさかる車両を見つめながら、うーんと唸った。

「ヘアスタイル、変えてもいい?」

「しょうがない。かわいい春っちの頼みだ」

「カラコン入れていい?」

「春っちだけ、特別だぞ」

「いえーい。決まり」


   ◇


 五月は代々木屋敷の使用人部屋で、ひっくり返した酒のケースにすわり、ぼけっと頬杖をついていた。

 予知によると、今夜の夕食は一ツ橋氏の突然の外出により中止となるはずだった。だから夕食をつくっても仕方がないのだが、それを指摘すると命令不服従だと使用人頭に罵られる。現時点で一ツ橋氏は、久々のモスバーガー御膳を心待ちにしている。ここでつくったらモスではないではないか。でもそれを指摘するとじゃあわれわれがモスバーガーになればいいじゃないかと料理婦に怒られるのだった。

 食事を告げる銅鑼の音が聞こえた。あと14分で防衛事務次官が来訪する。

 2世代前のスマホが震えた。これも予想どおり。

「おれだ」

「イヤです」

「未来予知か。世の中にはいろんな〈ヒロイン〉がいるものだな」

「そこまで言われるのなら、わかりました」

「おれもおまえのように効率よく生きてみたいものだ」

 五月はこっそり厨房からくすねてきたダブルモスバーガーもどきにかぶりつきながら、ぶらぶらと建物を出た。朝イチで呼んでおいたタクシーがちょうど到着していた。

「関東第一高校までお願いします。請求書はあそこの屋敷に」


   ◇


「陽一か。おれは神だ。そして要件はかくかくしかじか。いいな?」

「女の子になれだなんて、そんな、無茶な」

 学ランを着た陽一は、雨煙にくすぶる灰色の街を歩いていた。商店街にぽつぽつと傘の花が開きはじめる。魔法少女風の衣装を着たラノベ女子がきゃっきゃとすれちがった。

 陽一はスマホを構えながら、立ち止まって振り返った。

 うらやましいな。

「神様」

「なんだ」

「じつは、うすうす気づいていたんです。ぼくはもう、自分に嘘はつけない」

「うすうすどころかおまえ、先月までは〈メイド服〉を着て街じゅうを走りまわっていたんだぞ」

「女の子になりたい」

「おまえの気持ちはわかるが、そればかりは神でも不可能だ。いや、神ゆえに、かな。手術をするかはおまえの判断だが、ラノベのいいところは、ジェンダー問題の最先端を行っているところなんだ。ラノベになれば、おまえは受け入れられる。どうだ」

「なります」

「おまえには、この神が特別な衣装を用意した。最強の魔法少女だ」


   ◇


 そして天にましますわれらの神は、スマホをガブリエルに放り、焼酎のお湯割りを飲んだ。少し濃かったかな、と酔った頭で考えながら、慣れない箸でしいたけのバター焼きをつまんだ。日本に寄せているわけではないが、ここのところしばらく和食をつづけている。

 年なのかもしれない。

 岸田京介が関東統一を成し遂げた暁には、神殿を和風に造り替えようか。ああ、いいかもしれないな。いい暇つぶしになるだろう。

「岸田京介。思い返せば長い長い旅路だったな。楽しかったか? それともまだ客観視できる状態ではないかな? いずれにせよ、一生懸命なにかに没頭する若者を見るのは、いいものだ。周囲が見えなくなるほど集中できるなにかを見つけられたら、そいつがおまえの天分だ。つかんで離すな。両親を海外へ送り出してでもつづけるんだ。役に立たなくても構わない。将来おまえをリッチにしなさそうでも構わない。勉強というものは、おまえがおまえとなってはじめて、主体的につづけられるものなんだ。嫌いなのは当たり前だ。人間は勉強するために生まれてくるわけではない。だが社会は学習を要請する。嫌いでもいいんだ。そして嫌いなものをつづけるには、おまえ自身の中に確固たるなにかが宿っていなければならない。つまりおまえの〈属性〉だな。現実世界における、おまえのジョブは? アビリティーはなんだ? 勉強よりまず、スキルを身につけるんだ。そいつがおまえを助ける。おまえの人生を助ける。まわりをよく見まわしてみろ。常識に囚われるな。おれはさっきから、だれに話しかけているのかな。少し飲み過ぎたかな。まあいい。岸田京介よ、おまえとはしばらく話していないが、あまりベタベタするのもどうかと思うしな。おまえはラノベが世に認められたと思っているかもしれないが、それはちがう。おまえのわけのわからない生き様が、若者の共感を呼んだんだよ。そう、人生は勉強だけじゃない、とな。勉強は必要だが、それだけじゃない。おまえは超高学歴時代の日本の若者にそれを気づかせた。超高度教育の旗印のもと、若者に勉学を押しつける、そんな社会はまちがっている、と。それは正しい。だが勉強も大事だ。つまり、そういうことなんだよ。じゃあな、岸田京介。これが終わったら学校に戻るんだぞ。そして勉学に励め。ラノベの神が言うことではないかな? だが、勉強は大事だ。そういうことだ」

 楽しかったぞ、岸田京介。

 また会おう。

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