第157話 総理の救出劇

 警笛が鳴り響き、勇一郎は目を開けた。

 二段ベッドの上から床に飛び降りた。窓を見上げる。鉄格子にしがみつき、懸垂の要領で体を持ち上げ、外をのぞいた。

 同室の90年代ラノベが声をかけた。

「やかましいな。脱走かい?」

「ちがう。グレーのスーツにマントを羽織り、抜き身の剣を手にした60歳前後の男性が、平坦な芝生のフィールドで、大量の刑務官を相手に戦っているんだ」

「すげえ説明口調だな。で、だれだい」

「内閣総理大臣だ」

 勇一郎が見守るなか、総理は無双を繰り広げた。八方からわらわらと集まってくる刑務官をばったばったとなぎ倒し、ときにはくるくる回転し、金色の炎をまとわりつかせながら跳躍し、剣を振りかぶった姿勢でしばらく宙に留まったあと着地と同時に強烈な一撃をたたき落とした。

 倒された刑務官は点滅したのち消えた。

「国家公務員どうしで戦ってるのか」

「助けに来たんだ」

「国がおれらを? まさか」

 地響きとともに、ふたまわりほど巨大な刑務官が登場した。棍棒を持ち、岩のような裸体に腰蓑を着け、でも制帽はしっかりとかぶっている。副ボスならぬ副看守長のようだ。

 総理は見上げた。

 副看守長は巨大な棍棒を振り上げ、総理の頭にたたき落とす。頭蓋を割られ脳漿をまき散らすと思われたそのとき、総理は地を蹴り、すばやく間合いを詰めた。棍棒は背後の地面をたたく。懐に入った総理は剣を引き、副看守長を見上げ、ニヤリと笑みを浮かべた。

「アイムソーリー」

 同じギャグをしつこく言ったあと、腹部に剣を突き立てた。

 副看守長は苦悶に上体をもだえさせ、怒りの叫び声を上げた。副看守長だけのことはあり、一撃では倒せないようだ。太い腕をがばと開き、すばしこいチビを捕まえにかかる。総理は股のあいだをスライディングでくぐり抜け、背中から登り、肩車の要領で首四の字を決め、剣を逆手に持ち替え、制帽のうえから切っ先を埋め込んだ。

 どう、と副看守長が倒れた。副ボスなので死体はしばらく残った。

 その後カットが変わり、総理はムービーパートに突入した。雑魚役の刑務官が口々に叫びながら尻をまくって逃げ出す。総理はすでに眼中にない。かっこよく振り返り、目的の建物を見上げ、一歩踏み出した。

 勇一郎は思った。どうやらこちらに向かってくるらしい。

 そしてなぜだろう、いい予感がまったくしないのだが。

 中央吹き抜けに立つ見張り塔の中で、看守4名がわめき散らしている。

「出してくれ!」

 恥も外聞もなく、ポリカーボネート樹脂製の窓を警棒でがんがんたたいている。

「殺される! 政府に殺される!」

 勇一郎は飛び降りた。鉄格子に駆け寄り、看守に叫んだ。

「こっちを出してくれ! 鉄格子のロックを解除するんだ! そのあとおまえを出してやる!」

「おまえらは助け出されるほうだろう!」

「だが相手は政府だ!」

 ズン、という音とともに建物が揺れ、閃光弾のようなものが中庭を横切った。見張り塔をぎりぎりかすめ、反対側の壁をブチ破った。

「ほら! 政府は常にトータルでしか物事を考えない! 多少の犠牲はやむなしなんだ!」

「なるほど」

 閃光弾のようなものが立てつづけに6発ほど建物を貫通し、いくつかが柱に重大な損傷を与えた。

 建物が自重でねじれ、たわみ、曲がり、崩壊の不協和音を奏ではじめた。

「約束は守れよ、クソラノベ!」

 すべてのロックが開いた。

 勇一郎は振り返り、90年代ラノベに声をかけた。

「エロゲ棟に向かおう! 敏吾を助け出すんだ!」

 男はぐずぐずと留まっている。刑務所暮らしが長すぎたため、とっさの反応が出てこないのだ。

「おれも助けにいくのかよ?」

「あんたもかつては〈主人公〉だったんだろう? カセットブックまで出したんだろう?」

「いまさらラノベってのもなあ。もうついてけねえんだよ、おまえら若いもんには」

 勇一郎は通路に飛び出し、左右に顔を向けた。ほかの房の扉もすべて開いている。一見してヘタレとわかる〈主人公〉が、四つん這いでさっと顔をのぞかせた。きょろきょろし、崩壊寸線の鉄骨の立てるリアルな不協和音を聞いてどう活写していいかわからなかったので「ひっ」と表情を歪ませ奥へ引っ込んだ。別の房からは、一見して遺伝性の中二病とわかる吸血鬼と悪魔と人間のクォーター〈主人公〉が使い魔の猫を肩に乗せて登場した。しばらく猫と内容ゼロのスカした会話をしたあとロングコートの裾をなびかせ二丁拳銃を手に跳躍し塔の中の看守に向かってバンバン撃ちまくったあと1階に着地したが足首をひねって右側に転倒しコンクリート床に側頭部を強打した。ピクリとも動かなくなった。反対側の房からは一見して無気力とわかる〈主人公〉がこめかみを軽く押さえやれやれと首を振りながらめんどくさそうに出てきた。ため息をつき、鉄格子に寄りかかって腰を下ろし、天井を見上げ、「今日も平和、か」とつぶやいた。

〈打ち切り〉ラノベの博覧会の様相に、勇一郎は無意識のうちに自己と他者を比較していた。あんなふうにはなりたくないぜ、と。そして気づいた。他者と比較することそれそのものが負け犬の条件なのだ、と。〈テンプレ〉はいくら使っても構わないのだ。ラノベの成否を決めるのは、〈テンプレ〉を利用したうえでその「型」そのものをもブチ壊さんとする勢い、熱さ、想いだったのだ。

 いまさら気づいても遅いのだが。

 手すりに寄りかかり、吹き抜けを見下ろす。そこへ壁の大穴から、総理がマントを翻しつつ入ってきた。金色の炎によって王の名にふさわしい威厳を強引にたたえている。歩を止め、看守を搭載した細い塔を見上げる。塔から懇願の叫び声が上がった。

 総理はしっかと床を踏みしめ、剣を振り上げた。

「監視塔を壊してはダメだ!」

 勇一郎が叫んだ。総理は剣を下ろし、見上げて言った。

「きみはだれだ!」

「勇一郎ワーグナー、囚人です!」

「きみはラノベか!」

「そうです!」

「日本国民か!」

「そうです!」

「〈ヒロイン〉はどこに囚われている? 岸田京介の〈ヒロイン〉たちだ!」

「ビーチです!」

「ビーチ?」

「女子はビーチで遊んでいます!」

 総理はごく当たり前であろう質問をした。

「なんで?」

「ヴォイドでは、〈ヒロイン〉は労をねぎらわれるんです! ラノベのヒロイン業は、肉体的にも精神的にもつらい仕事ですからね! 男のほうは、このとおり! ほんと、世の中ってうまくできていますよね!」

 総理は崩壊しかけの棟を見まわし、頭を掻いた。

「〈ヒロイン〉はここじゃないの?」

「一連の破壊行為には目をつぶります! ビーチに案内しますよ! その前にエロゲ棟へ寄ってください! あの男を助け出さなければ!」

 勇一郎は手すりから飛び降りた。かっこよく着地し、しばらくぶりのラノベムーブに静かな興奮を覚えながら、総理の手を引き、壁の大穴から外へ飛び出し、エロゲ棟へ向かった。

 エロゲ棟はすでに崩壊していた。

 周囲には強烈な臭気が重く立ち込めている。瓦礫の山は白濁したネバネバにまみれていた。だれかが天から大量の卵白をぶちまけたようだと勇一郎は思ったが、どこか身に覚えのあるにおいと崩壊した建物の名称から、もっとちがう種類の液なのだろうと思い直した。

 総理が言った。

「ここの中ボスは、なかなか手強かったですよ。攻撃を当てるたびに、いろいろな液をまき散らすんです。あれで公立学校の教師だなんて、聞いたときは耳を疑いました」

「教師ですって?」

「もちろんノーダメージで倒しましたよ、ええ。総理ですから」

 鼻をつまみながら瓦礫に近づく。ネバネバの破片が動き、糸を引きながらごとりごとりと落下した。その音に総理はびくりとし、金色の炎を2倍増しで纏った。宝剣ラノベノミクスをかっこよく構える。

 18歳になったら必ず選挙に行こうと心に決めながら、勇一郎はネバネバの瓦礫を注意深く登った。

 瓦礫の中腹あたりに、人間の手が突き出ていた。血まみれだ。

 勇一郎は声をかけた。

「エ、エロロ」

 ごとり、ごとり。

 穴が広がっていく。勇一郎はゆっくりと近づき、のぞき込んだ。男だ。伸ばした腕と瓦礫のあいだに顔面を挟まれ、細長く醜く潰れている。一見して敵とわかる風貌だった。しかも絶対に味方になれないタイプの顔だった。

 総理に合図し、慎重に近づく。総理はマントを翻しながらゆっくりと宙に浮かんだ。

「この男です」

 白濁した液を吐き出しながらゴボゴボと言う。

「や、役目は果たした。敏吾の精髄は、ついにエロゲを受け入れたのだ! いまごろ精髄はヴォイドを抜け、本体に入り込み、18歳以上の女子高校生、OL、女教師、人妻、スウェーデン人、なんでもござれのエロゲ魔人として生まれ変わったのだ! エロ、エロ、エロロロローッ! ぐっ」

 総理が切っ先をたたき落とした。こうしてエロゲ学の世界的権威、長宗我部の精髄は絶命した。


   ◇


 総理と勇一郎はラノベ棟に戻った。勇一郎は約束を守り、看守を助け出した。総理がエネルギー弾を放ち、だるま落としの要領で監視塔を1階ずつ削り、PC製の窓を剣で粉砕し、勇一郎が引っ張り出した。看守は感謝のあまりぬかずいて総理の革靴にキスし、全員リフレ派に生まれ変わった。

 林道を駆け、ビーチに向かった。

 スピルバーグが戦争映画のセットを撤去し忘れたような光景が広がっている。〈ヒロイン〉はひとりもいなかった。

「記者たちに聞かれたら、ぼくが全員解放したことにしてください」

「わかりました」

「ところでエロゲってなんです?」

「知らないほうがいいでしょう」

「科学技術に関係しているんですか」

「そうです」

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