第156話 ラノベリハビリ 恐るべきヴォイドからの脱出

 ヴォイドビーチは兵士の亡骸で埋め尽くされていた。

 打ち寄せる波は血と油にまみれている。海岸線には何十もの上陸用舟艇が、まさに抜け殻のように静止し、波を泡立たせている。戦争の悲惨さを伝えるインスタレーションのようにも見えたが、芸術性はともかく完成したのはつい先ほどだったので効果は抜群だった。

 20マイル先の沖合いに強襲揚陸艦が浮かび、地平線に黒い染みをこしらえている。空はいまや、青くも高くも抜けてもいなかった。鉛色の雲に覆われ、かつてさんさんと降り注いでいた太陽を隠し、雨を涙のように大地へ注ぐ。

〈ヒロイン〉一同が砂浜に並び、冷たい雨を受けながら、思い思いの表情で見つめていた。

 女だらけの騎馬戦は、もちろん中止だ。

 五月がいがらっぽい声で言った。

「これ、わたしたちを救出しようとした結果なんですよね」

 残りがうなずいた。

「ものすごい罪悪感が」

「とにかく中に入りましょう」

 コテージに戻った。窓ガラスは割れ、竜巻が通り抜けたあとのように乱れている。バスタオルで体を乾かし、窓をシーツで覆い、温かい飲み物を用意した。天井を打つ雨音を聞きながらホットレモネードを飲んだ。

「なぜぼくたち、小屋に隠れたまま呼びかけに応じようとしなかったんでしょう」

 陽一の問いに、上原アリシャが答えた。

「頭がふやけていたからよ。新手のイベントだと思って、みんなでくすくす笑ってたじゃない」

「自衛隊が出動したということは」

「日本は国を挙げ、ラノベの道を歩もうとしている」

「あたくしたち、戻るべき?」

「生き残りの兵士は、ヴォイドの反対側へ向かった。もしヴォイドが破壊されれば、戻りたくなくても戻ることになる。わたしたち精髄が現世に戻ってしまえば、本体はその瞬間から、ラノベの〈ヒロイン〉として永遠に生きていくことになる」

 全員が白目を剥いた。

 黒目に戻った陽一が言った。

「でも、ここにいても仕方がないでしょう。もはやビーチにあらず、です。戻るしかないのではないでしょうか」

「わたしたちの本体、さぞ驚くことでしょうね。なにげない日常を送っているところへ、突然ラノベが降って湧いたら」

 五月が突然、神がかりのような表情と口調で言った。

「最後の戦いによって、世界の均衡は取り戻されるでしょう」

「つまり?」

「勝利すれば、もうラノベをする必要はなくなる。なぜならわたしたちが勝利者だから。現世で自由を得られるのです」

「そうか。それなら戻るのはおおいにアリね。しばらくの我慢ってことか」

「ただし、いまの心構えで戻っても、勝利はできません。岸田京介の足手まといになるだけ」

「兄様、隙ありッ!」

 春がいきなりレイピアを抜き、上原アリシャの喉元に刃を突きつけた。

「なにそれ?」

「ラノベリハビリ。さあ、愛しの妹に、おはようのキスをしてたもれ」

「どう反応すればいいんだっけ? ああ、そうだ。こいつのブラコンには困ったものだ、とわたしは思った」

「兄様、今日から新しい高校、じゃなかった、学園に通うのですよ」

「なぜ女子校に男が入学するの?」

「なんらかのスティグマが浮かび上がったから。利き手の甲か、額に」

「女の子しか使えない特殊能力に、都合よく目覚めちゃったってわけね」

「そ」

 その夜は夜更かしもおしゃべりもなく、ふつうに寝た。浮かれ騒ぎまくっていたころの思い出が沈殿し、長期記憶の海のヘドロとして定着していく。それにだれも口にしなかったが、遊ぶのにもちょっぴり飽きていたのだ。現実はつらい。だがリゾートもつらい。セレブな読者諸君ならば優雅なクルージングに伴う苦痛は心の底から理解していただけるはずだ。

 翌朝。曇り空の下、一同は〈ヒロイン〉らしさを取り戻すべく、本格的にリハビリを開始した。まずは〈ヒロイン〉らしいポーズ。みんなの性的興奮をあおるのは〈ヒロイン〉の責務だ。上原は甘えた表情でお尻を突き出したり胸や太腿や股間を強調したりして腰を痛めた。春はぺたんこずわりを繰り返しすぎて股関節を痛めた。五月はかわいらしいガッツポーズで飛び上がって着地したあと足首を捻挫した。

 陽一がどこからか布団を1セット運んできた。砂浜に敷き、流木を〈主人公〉代わりに布団に突っ込み、お寝坊していると想定したうえで、1名ずつ布団にまたがり、寝起きリハビリを行った。

 そしてラノベの基本は暴力。ありとあらゆる格闘技を身につけなければならない。

 春が古いビーチハウスからボクシンググローブを見つけてきた。

 数分後、陽一が鼻血をまき散らしながら宙を舞った。

 五月が流木にタックルし、すばやく〈馬乗り〉になった。上原がすぐさま指摘する。

「パンツを見せるタイミングがはやい! もっと相手の目を見て!」

 春が砂まみれで転がる陽一を竹刀でつついた。

「だれが休んでいいと言った。まわしを欲しがるなといつも言っておろう」

 ビーチが次第に相撲部屋の様相を呈してきた。〈ヒロイン〉たちはあちこちに擦り傷をこしらえ、息も絶え絶えにひしゃくの水を含む。休む間もなく次の特訓。女どうしのイチャイチャだ。ラノベにおいては女性どうしであれば性的行為も単なるスキンシップと見なされる。

「は、春ちゃん。あなたのもみもみは、その程度、なの」

「も、もう、揉めぬ。握力が」

「陽一くん、『この爆乳、たまりませんのう』と鼻を伸ばしながら背中から抱きついて!」

「ぼく男なんですけど、問題ありませんかね。じゃあ、たまりませんのう~」

「そ、そうよ。その調子! あっ、あん」

 ラノベらしさが徐々に蘇る。

 雲に覆われた太陽が中天に差しかかる。ボロボロになった上原が、ボロボロになったほかの面々を見まわし、言った。

「さあ、戻りましょう! 心の準備はできた?」

「おまえ、できてる?」

「正直まだ」

 ランチに出かけた。

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