第152話 忘れたくても忘れられないラノベ 黒歴史を読み返す

 京介と色葉はゆえあって、つくば研究学園都市に残っていた。早乙女にお願いしてホテルの部屋を2つ用意してもらい、5日間滞在した。朝風呂に入り、1階のレストランに顔を出す。互いを探し、見つけ、同じテーブルにすわり、ベーグルやらスクランブルエッグやらオレンジやらを食べる。京介はベーグルの食感に妙な懐かしさを覚えながら、色葉に言った。

「『朝ベーグル』は、日本の朝食におけるスタンダードになり得るとは思わないか」

 色葉は表情なくテーブルに目を落とし、言った。

「ベーグルは、ちょっと」

「そうか」

「朝は和食派だから」

「味噌汁などをつくれるのか」

「料理なんかしないよ。しようと思ったこともない。ごちそうさま。先に戻るね」

 ラノベどころではなかった。

 つくばを出る前に、関係を再構築しなければ。

 遊歩道を散歩し、昼食を食べ、公園で話し合った。つくば民を散歩させるワンちゃんがいたので、京介は話しかけてみた。〈主人公〉と〈ヒロイン〉、もしくは彼氏と彼女、どちらでもいい、おれたちの関係を再構築してくれないか。ワンちゃんはワンと鳴いた。京介と色葉は共通点を探した。好きな色からはじまり、少しずつ話題がマシになっていく。会話はしょっちゅう途切れた。やがて双方無言になり、一緒にいるのが苦痛になりはじめる。ラブレターありきのつながりなので、いつさよならしても未練はない。だがつながりを維持しているのはラブレターだけではなかった。ふたりは互いを必要としていた。なぜならひとりになってしまうから。

 話題がラノベに行き着いた。どちらもラノベは覚えていた。忘れたくても忘れられるものではないのだ。共通の話題にしがみつき、まずはラノベの悪口を言い合った。だよねー。よくあんなもの買うよねー。色葉の顔に笑みがちらついた。京介は色葉の笑顔を見て笑顔になった。ラノベの悪口はつづく。いくら言っても言い足りない。結局1日目は悪口大会で終わった。

 翌日、色葉はホテルの部屋に京介を呼んだ。なにかひらめいたらしい。色葉はスマホのアドレス帳に着目した。もしかしたら消された過去が残っているかもしれない。京介のアドレス帳はバッチリ消去済みだった。登録されているのは生家と大学病院とタクシー会社と、女性をデリバリーしたいときに便利な電話番号のみだった。発信履歴もなかった。そして色葉のアドレス帳には、ああ、神に感謝を、すべてが残されていた。1人用ベッドに並んですわり、6.5インチの画面をのぞき込む。政・財・官の大物がずらりと登録されていた。色葉は大物ではなさそうな番号に電話をかけた。内閣総理大臣につながったので平謝りで切った。アンドロイド春、上原アリシャ、陽一、五月、敏吾なる5名は全員、おまえらなど知らない、岸田京介など聞いたこともない、というようなことを言った。ラノベに言及すると、とたんにガチャ切りされた。

 5名に着信拒否されたあと、色葉は推論した。そもそもふたりでつくばくんだりにいるのは、ラノベで世界を変えるためだ。そしてラノベの〈主人公〉と〈ヒロイン〉がふたりきりなのは絶対にあり得ない。そう、ラノベの〈テンプレ〉は覚えている。忘れたくても忘れられるものではないのだ。すなわちわれわれには、必ず〈サブ〉や〈親友〉がいたはずなのだ。過去の改変は、過去が変わるだけで、当人そのものが消えてしまうわけではない。5名が着信拒否したのは、ラノベをかつて体験し、深く知り、われわれ以上にうんざりしているなによりの証拠ではないか。すなわちわれわれの〈サブ〉や〈親友〉だったのではないか。ラノベ体験のトラウマは過去の改変程度で忘れられるほどやわなものではない。

 再びラノベの悪口を言い合って楽しんだあと、色葉は貴子なるアドレスにかけた。猫が出た。興奮した様子でにゃあにゃあとわめき立てる。色葉もにゃあにゃあと答え、電話を切った。ふたりは思い出した。ああ、たしか〈VR〉くさいたま地区で出会った、血統書つきの三毛猫さんだ。色葉は指摘した。なぜ逆に覚えているのか。なぜすべてを忘れていないのか。

 一太郎なる人物にかける。やはり興奮した様子で、そばにいたと思しき花子なる女の子と交互にまくし立てた。ふたりとも色葉を覚えていた。京介のことはきれいさっぱり忘れていた。一太郎が言った。岸田京介とはだれのことかわからないが、ださいたまを解放した英雄がいることは知っている。自分に天職を与えてくれたことも。一ツ橋色葉さん、あなたの〈主人公〉だった。なのになぜ覚えていないんだろう。その英雄の名は岸田京介だと色葉は言った。自分も信じる、だからあなたたちも信じてほしい、と。京介もふたりと軽く話した。色葉に促され、われこそはモテない冴えないごくふつうの高校2年生、ラノベの最後の守護者、アンダーアチーバー京介である、と重々しく告げた。そうですかと花子が言った。電話のあと、京介が指摘した。もし自分がださいたまを解放したのであれば、その事実そのものの改変されているはずではないのか。色葉は興奮気味に答えた。忍者は『アンダーアチーバー京介』(出版社名を記入してください)をろくに読んでいなかったのだ! なぜならクソ長いから! たいしておもしろくもないくせに長さだけはハンパないから! だからほとんどの事実、成し遂げてきた実績自体は消えずに残っているのだ!

 早乙女から原稿をもらったはず! あれを最初から最後まで読めばいいのだ! わたしは読む! 過去を取り戻すため、改行の少ない地の文も一字一句、懇切丁寧に!

 京介は静かに天井を仰いだ。

 勢いづいた色葉は、かたっぱしから電話をかけまくった。保健の先生にかけた。元港区長の武井にかけた。増上寺の住職にかけた。徳川にかけた。新橋メンへらクリニックにかけた。SLにかけた。父親である一ツ橋氏に、浦安の国家元首・松野にかけた。付き合いが古ければ古いほど、京介のことをより鮮明に覚えているようだった。

 翌日、ふたりは遊歩道のベンチにすわり、『アンダーアチーバー京介』(出版社名を記入してください)を読んだ。正確に言うと、色葉がまず読み、ダイジェストを京介に伝えた。3日が経ち、京介はおのれの過去をダイジェスト的に取り戻した。

 現在時制まで読み終わる。未完の草稿なのは早乙女が根気のないワナビだからではない。その後の展開は、まさに今このときからはじまるのだ。

 京介がぽつりと言った。

「長い旅だったのだな。長すぎるほどに」

「旅のあいだ、いろんな人とつながりを持ったのね。出会い、付き合い、あっちこっちにロケーションを移しながら、さんざん〈無駄な会話〉をつづけてきた。本当に長い付き合いだった。長い、長い」

「過去を知っても、思い出したことにはならない。ダイジェストによると、おれは何度か『うぼぉっ!?』と口走っていた。なぜだ。なぜなのだ」

「みんなを楽しませるためよ。でもあなたは、『うぼぉっ!?』と口走るだけではなかった。関東第一高校の悪に気づき、ださいたまを救い、過去と未来を救ったのよ。ラノベによって」

「今後はどうすればいいのだ。なにをどうすればいいのだ。おれとおまえ、たったふたりで」

「草稿にあったとおり、明日にでもつくばを出て、最終決戦の地・関東第一高校に向かいましょう。わたしたちならきっとできる。整合性を保ちつつ、前章以上に盛り上げたうえで、きちんと完結させるのよ」

「整合性もクソもない。元〈ヒロイン〉4名と〈親友〉に着拒されたのだ」

「あなたのせいじゃない。ラノベのせいよ。悪いのはあなたじゃない。悪いのはラノベ」

 京介は取り乱して叫んだ。

「ラノベとは、一体なんなのだ!」

「わからない」

「ラノベがおれの人生を破壊したのだ!」

「でもラノベがあなたをここまで導いた。ふたりを出会わせた」

「ラノベを信じ、長々とラノベをつづけ、結果だれにも評価されず、やがてすべてが無に帰すのだ!」

「それでも信じるのよ。信じつづけることなのよ。きっとだれかが評価してくれる。最後まで自分を信じて。そしてラノベも」

 京介は夕日を見上げ、鼻をすすった。声を詰まらせながら言う。

「ラノベはクソだ」

「ええ。ラノベはクソよ」

「ただのクソではない。そびえ立つクソだ」

「生まれながらの一般廃棄物ね」

「それでも信じるのか」

「それでも信じるのよ」

 京介はうつむいた。手の甲や膝の上にぽろぽろと涙が落ち、やがて子供のように泣きじゃくった。

「一緒にいてくれ。おれをひとり、ラノベに取り残さないでくれ。おれは、ひとりではダメだ。ひとりではなにもできない男なのだ。もうしばらく、せめてこの章が終わるまで。クソラノベのクソ〈主人公〉が、クソみたいな大団円を迎えるそのときまで」

 色葉はそっと、京介の肩に頭を寄せた。

「ずっと一緒にいるよ」

「ありがとう。ありがとう」

 赤い右目からひと筋、涙が伝った。

「クソラノベのクソ〈ヒロイン〉は、ずっとあなたと一緒だからね」

 犬たちがふたりの様子を遠巻きに見つめていた。

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