第150話 未完の裏側

「待て!」

 勇一郎ワーグナーが叫んだ。

「〈未完〉で終わらせるものか!」

 勢いよく上体を起こしたことで、前頭葉のあたりをもろに天井に打ちつけた。

 額を押さえつつ、二段ベッドの2階から3畳ほどの空間を見下ろす。いいかげんこの現実に慣れなければ。いまやこの部屋が人生のすべてだった。内装は、ベッドのほかには、書き物ができる机がひとつに、洋式便器がひとつ。窓には鉄格子がはめられている。コンクリートの壁は古く、湿気を帯び、ところどころひび割れている。

 二段ベッドの1階から同室の男が顔をのぞかせた。

「兄ちゃん、また寝言かよ。ここんとこ毎晩叫んでは飛び起きてるな」

「いちいち説明しなくてもいい。ここではみんなにわかりやすく説明する必要はないんだ。だれも見ていないんだから」

「すまねえな。現役時代の癖が抜けきれなくてよ」

 男は大あくびした。シャツに手を突っ込み、腹をかいた。

「ウンコしていいか」

「勝手にしろ」

「というか、なんでヴォイドに戻ってきたんだよ? 再評価の機運が高まり、満を持して新シリーズがスタートしたんだろ?」

「そうじゃない。パクリ元として参考にされただけだ」

「そりゃ災難だったな」

 男は頭を引っ込め、布団の中で湿った屁を放った。

 ピィッ


未完


   ◇


「待て!」

「うるせえな。なにを待てばいいんだよ」

「あんたに言ったんじゃない。中年男の屁で終わらせるつもりか? それはともかく、名もなき同室の男よ、おれと〈無駄な会話〉をつづけてくれ」

「なんでだよ」

「終わらせるわけにはいかない。あんな投げっぱなし状態で、岸田京介のラノベを終わらせるわけにはいかないんだ」

「だれだよ、その岸田なんとかってのは」

「その調子だ。だがそもそも、なぜおれが再登場した? 完全に用済みのはずだ。そうか、もうだれもつづける気はないということなんだな? ということは、岸田京介のラノベ、いや、世界の命運が、おれの双肩にかかっている」

「だからその岸田ってだれだよ。〈会話〉しろって言っておきながら、おれの質問は無視か。コミュニケーション能力がないのか」

 勇一郎は説明した。

「なんだ、べつにたいしたラノベでもねえな。ウンコしていいか」

「勝手にしろ」

 男はベッドから這い出した。ハイピッチの屁を汁気たっぷりに3秒ほど響かせたあと、トイレに向かう代わりに勇一郎を見上げた。

 屁をこいた直後にしては妙に真剣な表情だった。

「あんたの狙いはわかってるぜ。脱獄するつもりだろ」

「脱獄できるならとっくにしている」

「え? なんだって?」

 勇一郎はもう一度同じセリフを言った。

「だったらなんで脱獄しねえの」

「刑務所の知識に乏しいからだ!」

「ご愁傷様だな。まあ、調べ物がかったりいのは、どのラノベも同じさ。ディティールなんかだれも気にしねえのに、締め切りが迫るなかわざわざ資料を取り寄せて読むやつなんかだれもいねえよな」

「だがどうにかして脱出しなければ」

「そこは、あれだ。他力本願さ。黙って待ってりゃ、そのうち都合のいいイベントが発生する。それにあんまし努力を見せると、みんなに嫌われるぜ」

「嫌われたって構わない。とにかく、おれが展開をあきらめれば、そこで『アンダーアチーバー京介』(出版社名を記入してください)は終わりなんだ。だがおれは、史上最低最悪との呼び声も高いゴミラノベ、『ミンターライスター勇一郎』の〈主人公〉。なにかができるとは思えない」

「え? なんだって?」

「おれは〈ヒロイン〉じゃない。あんたに向かって思わせぶりな発言もしない。だから聞こえたっていいんだ」

「いや、本当に悪いんだ」

「リアル〈難聴〉だったのか。気の毒に」

「はじめは聞こえないふりだったさ。だが人間ってのは、ふりをつづけると、本当にそうなっちまうみてえだ。興味深いよなあ? インタレスティングさ。ウンコしていいか」

「勝手にしろ」

 男はついにトイレへ向かった。尻を向けてパンツを下ろし、振り返り、ニヤニヤ笑いかけながら、ラノベの棒をこれ見よがしに見せつけた。ヴォイドは〈主人公〉をここまで変えてしまうのだ。


   ◇


 暇人の読者諸君もご承知のとおり、勇一郎ワーグナーはねこハウスでみんなの悪口を言い、地獄の業火に焼かれてヴォイドへ舞い戻った。ハッと顔を上げると、林道のど真ん中に立ち尽くしていた。幅は7メートルほどで、未舗装で、林道というだけあって両側は林だった。見覚えがある。ここから太陽のほうへ向かえばユートピア、文字どおり暗雲が垂れ込めているほうがディストピアだ。

 勇一郎はもちろん、ビーチへ繰り出した。抜けるような青空、さんさんと降り注ぐ太陽、ピンクの砂浜、打ち寄せる波。ビーチの存在は、ヴォイドじゅうの〈主人公〉に知れ渡っている。なぜなら入所1日目、刑務所長自らが想像力たっぷりに語って聞かせるからだ。なぜそのような嫌がらせをするのか? もちろん嫌がらせのためだった。

 勇一郎は走った。『アンダーアチーバー京介』(出版社名を記入してください)の〈ヒロイン〉を見つけ、現役復帰するよう説得しなければならない。揺れる〈エルフ〉のおっぱいも見られるのなら、それに越したことはないが。

 ディストピア方面から〈トラック〉が土煙を上げてやってきた。荷台には看守が満載だった。ならばと勇一郎は反転し、〈トラック〉めがけて突進した。〈主人公〉と〈トラック〉、どちらが強いかは言うまでもない。

〈トラック〉は勇一郎を跳ね飛ばすことなく、常識的に減速し、停車した。荷台から看守が8名飛び降りた。もちろん勇一郎はあっさり捕まった。もちろん袋たたきにあった。もちろん手錠をかけられ、もちろん荷台に乗せられた。トラックは林道をUターンし、がたがた飛び跳ねながら刑務所に向かった。

 あれだけタコ殴りにされたにもかかわらず、勇一郎はまったくの無傷だった。痛くもなかった。なので、切れた唇からかっこよく血を垂らしたり、体じゅうにできた痣に触れてかっこよくうめいたり、狂気の淵をさまよっていそうなかっこいい眼差しでみんなをハラハラドキドキさせたりなどもできなかった。ただふつうに荷台にすわっていた。ヴォイドではそういうかっこいいアピールは一切できないのだ。

 やがて刑務所が姿をあらわした。わびしげな芝地に、ホールチーズケーキのような外観の刑務所が鎮座している。ちなみに内部はバームクーヘンのような3階吹き抜けで、内縁を〈主人公〉房がぐるりと取り囲んでいた。吹き抜けの中央には看守塔があり、4名の看守が詰めている。最低限の人数で四方の窓から監視できる画期的な構造だったが、画期的な構造によって看守は事実上塔に閉じ込められているので、いざ暴動が起きても外に出ることができない。だがどの〈主人公〉も、バカで致命的な構造上の欠陥をあげつらうことなく、おとなしく刑期を務めた。粋がった新入りが〈長すぎる3点リーダー〉を口にすると、すぐさま海外から〈両親〉が戻ってきた。部活をつくろうと密かに計画すると、翌朝前髪が消えていた。とにかくあれこれ抵抗しても、ラノベ展開はひとつも起こらない。残念ぶりすら発揮できないのだ。

 ヴォイドでは、ラノベの〈お約束〉は一切通用しない。

 ラノベのタブー、いわば反お約束力によって、刑務所内は守られている。反お約束力の原理はいまだ明らかにされていないが、そのような力の存在は実証的に確認されている。それが証拠に、ヴォイド内の〈主人公〉は全員不幸になっていた。

 これぞラノベ最大のタブー。


   ◇


 勇一郎ワーグナーは〈主人公〉房で、ベッドに横たわり、頭の後ろに手を組み、天井を見つめていた。

 それしかすることがないからだ。


未完


   ◇


 勇一郎は金切り声を上げ、しつこい未完を追い払った。だがどうやって話を先に進めればいいのか。というか岸田京介はなにをしているのか。つくば編のあとなにかやらかしたのだろうか。ファンに暴言を吐いたりとか。

 こちらミンターライスター勇一郎。目下〈ヒロイン〉を連れ戻す以前の問題。

 なぜなら。

 無能。

 勇一郎はベッドにうつ伏せ、枕をひっかぶった。自分で言うのもなんだが、あまりに無能すぎる。なにひとつ策が思い浮かばない。てか天才設定じゃなかったの? その答えはラノベ学第1法則が教えてくれる:創造主以上に賢い登場人物は創造できない。

 枕をかぶったまま、情けない声で同室の男に話しかける。なにかしらのイベントが起きるまでは〈無駄な会話〉でつながなくてはならない。

 無能でも、話すことだけはできるから。

 もこもこと言った。

「教えてくれ」

「なにをだい」

「あんた、どのラノベだったんだ」

 男は屁を放つことで挨拶に代えた。

 勇一郎はめげずに話しかけつづけた。

「タイトルを聞いてもわかんねえと思うよ。90年代だ」

「聞かないほうがいいか」

「しっかしあのハイエルフ、いい女だったなあ!」

 勇一郎は話題を変えようと話のネタを考えた。だが創造主に似てコミュニケーション能力も皆無だったので、多彩な話題でみんなを楽しませることもできない。無能。あまりに無能。

 そのとき。

 勇一郎は目を開けた。

「そうだ」

「なんだって?」

「〈ヒロイン〉がダメなら〈親友〉がいるじゃないか。〈親友〉なら、岸田京介のために話をつづけようとしてくれるはずだ。無能なおれが出る必要はない!」

「〈親友〉ってだれよ」

「敏吾だ。苗字のない敏吾」

「おまえ、あいつと知り合いだったのかよ。あいつには関わらねえことだ。また騒ぎを起こして、独房にぶち込まれただろ。あんな調子じゃ、エロゲ棟に移されるのも時間の問題だな」

「そうだ、そういう展開だ! つづけてくれ。それで、エロゲ棟とはなんだ? 敏吾は具体的になにをしたんだ?」

 男は放屁した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます