第148話 ヴォイドの真実

 京介がねこハウスで色葉のおっぱいを揉んでいたころ、ヴォイドではバドミントン大会の決勝戦が行なわれていた。

「行くよー。そーれっ!」

 白ビキニ姿の上原アリシャがサーブした。

「おっ」

 黒のフリル付きワンピを着た春がネット際にダッシュし、バックハンドでロブを打った。

 シャトルは勢いよく舞い上がり、断熱圧縮によって燃え尽きた。

「あー、春ちゃん、また焼失させたー」

「すまんことです」

 すべてのラノベキャラに恐れられるヴォイドとは、一体どのような場所なのか。簡単に言うと、ビーチだった。しかも魅惑のビーチだった。それだけでは真の恐ろしさが伝わらないと思われるので、言葉を尽くして説明しよう。抜けるような青空、さんさんと降り注ぐ太陽、ピンクの砂浜、打ち寄せる波。とにかくそういうところだった。

 恐ろしさが伝わっただろうか。

 恐るべきバドミントン大会は、ビーチらしくぐだぐだのまま閉会した。だがそれもまたよし。勝者は上原アリシャ、商品は大分産の干ししいたけ1年分だった。

 少し離れた砂浜では、目隠しをして棒きれを掲げた五月がよたよたと回転していた。10回転後、酔っ払いのように歩を進める。

「えっ、どっちですか? こっち?」

「右! 右ですよ!」

 陽一が叫んだ。

「予測済みじゃなかったのですか、五月さん?」

「もちろん予測できてます! ここよ! ここにスイカが存在しているでしょう!」

 五月はスイカから3メートル離れた地面を親の仇のように打ちつづけた。

 陽一はくすりと笑った。暑苦しい〈メイド服〉を脱ぎ捨て、いまは男らしく海パン一丁だ。女の子の水着を着てもよかったのだが、ヴォイドではなんとなく気乗りがしなかった。そういえば生前は、女の子と付き合ったことがなかったな。おのれの性的嗜好を否認するつもりはないが、一度くらいは付き合ってみてもいい。

 恐るべきヴォイドは、一度女の子と付き合うにはこれ以上ないロケーションだった。何度でも言う。抜けるような青空、さんさんと降り注ぐ太陽、ピンクの砂浜、打ち寄せる波。元〈ヒロイン〉だらけの魅惑のビーチ。ただしめんどくさいやれやれ感を発散しせっかくのリゾート気分を台なしにする〈主人公〉と呼ばれる17歳の高校生男子はひとりも見当たらない。

 ここは天国? いいえヴォイドです。

 五月はいろんなところを耕したあと、ようやくスイカをたたき割った。返り血を浴びながら肩で息を切らし、目隠しを外し、砕けた頭をにらみつける。

「みなさーん、スイカ食べましょう!」

 陽一の呼びかけに応じ、『アンダーアチーバー京介』(出版社名を記入してください)の元〈ヒロイン〉様ご一行がぞろぞろと集まってきた。スイカの成れの果てを見下ろし、どんだけ恨み骨髄に徹していたんだと口々にツッコミを入れる。どの笑顔も満ち足りている。

 敷物を敷いてパラソルを設置し、輪になってすわった。

「この食べづらさが醍醐味なのかな」

「大きいやつ、どうします? 切ります?」

「陽一。食塩取ってたもれ」

「どうぞ」

 春と上原アリシャと陽一と五月は、現地で偶然ばったり出くわしたすっぴんエルフを交え、スイカを食べながら今後の予定を話し合った。とりあえずスキューバダイビングは体験しなければならないだろう。いや、遊びに固執するのは本末転倒だ。ツアーで来ているわけではないのだ。なんにも考えずごろごろして、たまに海に入って泳いで、夜になったらバーベキュー。コテージのロフト付ベッドでココアなどを飲みながら死ぬほどおしゃべりして、心地よい夜風を受けながら眠りにつくのだ。

 それからヴォイドのいいところを口々に挙げていった。

「いちばんは、気兼ねなく〈水着〉を着られることね」

 上原が言った。全員がうなずいた。

「こうしてあらためて現役時代を振り返ってみると、どれだけ周囲の視線を気にしていたのかがわかる。わたしの下着、春ちゃんに見せたっけ?」

「あれはリアルすぎやで」

「あんな下着を披露したら、美人編集者が血相変えて飛び込んでくるはず」

〈エルフ〉が言った。

「ヴォイドのいいところは、たとえばこうしてスイカを食べても、いちいちおいしいとか言って共感を呼ぶ必要がないところですね」

「セリフだけじゃない。『とても甘く、とても美味しい』って、一体どんな表現なんだって話よ。完全に描写を放棄してるじゃないの。でもそれがいいと思われている。わたし、ディスりすぎ?」

「いえいえ」

 五月がしみじみと言った。

「人権って、ありがたいですよね」

「それがラノベの唯一のよさかもね。ふつうの生活を送るかぎりでは、わたしたちがいかに法の下に守られているか、なかなか気づけない」

 陽一が表情を曇らせて言った。

「先日知り合った方ですけど」

「ああ、あの子」

「性について知らないふりをしながら、ヘタレ〈主人公〉に性的なネタで迫りつづけるよう創造主に強制された。わたしとキスしろ、風呂に入れ、胸を揉め、と。虐待ですよ。ある意味、〈着替え〉や〈混浴〉よりたちが悪い。しかも14歳ですよ? 人間をなんだと思っているんでしょう。結局、5巻の途中で精神の不調を訴え、自ら〈空気〉化」

「あの手の震え、見ていられなかった。でもヴォイドなら、いずれ笑顔を取り戻すはず」

 上原はふーっと息を吐き、一同を見まわした。

「わたしたちは幸運だった」

 春がうなずいた。

「あたくしたち、胸も揉まれず、ひっくり返った拍子に股ぐらものぞかれず」

「股ぐらって」

「さいたまで〈着替え〉はしたけど、京介、ちゃんと葛藤してくれた」

「春ちゃん、大胆に迫ってたじゃない」

「あれ嘘」

「えーマジでー?」

「あれ仕事。でも、京介、嫌いじゃなかった。辱め、受けずに済んだのは、京介のおかげ」

「ほんと、いい〈主人公〉だった」

 パラソル周辺がお通夜めいてきた。上原は話題を打ち切るべく、まとめに入った。

「もう終わったことよ。わたしたちは、いらない〈ヒロイン〉と判断され、ヴォイドに落とされた。わたしはわたしなりにベストを尽くしたつもりだったけど、人気商売なんてこんなものね。もうラノベに未練はない。わたしたちキャラクターの精髄は、ここヴォイドで絶対の安息を得た。ラノベは金輪際お断り。さあ、いまもラノベをつづける岸田京介に、哀悼の意を表しましょう」

 全員黙祷した。春が暗い空気を振り払うように、いつかラノベ1000冊でキャンプファイヤーしようぜと言った。そうね、それはいいアイデアね。もしかしたら薪の用すら成さないかもしれないけど。

 すき焼き完食事件のあと一切の描写なくヴォイドに落ちた五月に全員でやんやと理由をたずねていると、紺のポロシャツを着た中年男性が近づいてきた。サングラスを外し、腰を折ってパラソルの中をのぞき込んだ。

「みなさん、おそろいで」

「あ、京介パパだ」

「どうもー」

 ビールの6缶パックをぶら下げたアンダーアチーバー京介の父・岸田一郎は、上原アリシャの胸の谷間に話しかけた。

「上原さん、ビール、いかがですか」

「まだお昼ですけど、じゃあ」

〈大人〉ふたりはぷしゅっとプルタブを上げ、乾杯した。

「いま、京介くんの話をしていたんですよ」

 京介パパは缶のラベルを見つめた。

「そうですか」

「力になれなくて」

「いや、みなさんのせいじゃない。結局、あいつが悪かったんだ。あいつも男なら、行動の責任は取らなければならない。ぼくはむしろ、みなさんを巻き込んだことに責任を感じている」

「気にしない、気にしない」

 春がビールをつかみ、缶の側面を人差し指で突き破った。穴に口を当て、ぐびぐびぐびと喉を鳴らした。

「青少年に悪影響を与えますよ」

 陽一が指摘した。春は斜線つきの赤ら顔で、アンドロイドだもーんとおちゃらけた。それからおっさんも顔を青ざめさせるげっぷを放った。

「それより疲れた。屋内へ避難すべし」

「そうですね。パパさんはどうされますか?」

「ぼくはもう少し、ここに残るよ。海を眺めていたい」

「わたしもお付き合いします」


   ◇


 夕暮れのヴォイドビーチを、ラノベではあり得ない組み合わせの男女が散歩している。

 上原が京介パパに言った。

「それにしても、お父様が〈空気〉化されていたなんて、意外でしたよ」

「まあ、〈空気〉だったからね。忍者が過去を改変し、借金苦のすえ自殺したらしいんだが、自分ではまったく覚えていない。みんなはそれすら忘れているんじゃないかな。そしてぼくがヴォイドのこちら側に来られたのは、疲れたおじさんだからだ。あなたのビキニ姿を見てもなんの感興も湧かない」

「そうだ、敏吾くん。すっかり忘れてた」

「男日照りで退屈したときなんかは、ヴォイドのスタッフに言えば好みのタイプを呼んでもらえるらしいよ。男といっても、例によって例のごとくだけどね」

「男性陣はどこにいるんですか」

「知らないほうがいい。そろそろ日が沈む。終わらせよう。すべてを終わらせるんだ」

「そうですね。じゃあ、戻りますか」

「後で戻るよ」

「それでは、さようなら」

「さようなら」

 一郎はひとり砂浜に腰を下ろし、夕日を眺めた。

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