第6章

アンダーアチーバー京介よ、永遠に

第147話 職員会議 どころではない教頭先生

「バカ忍者! バカ忍!」

 岸田京介がつくばわんわんランドで鼻血をまき散らしながら宙を舞っているころ、スパイから忍者逮捕の報告を受けた教頭先生は、眉間に小さなしわを寄せ、小ぶりな唇をへの字に曲げながら、古代アテネのアゴラをずんずん闊歩していた。

 広場は市民であふれ、傾きかけた夏の太陽が地中海的に輝き、色彩豊かな組積造の神殿や彫刻、緑の木々、露店に並ぶ果物などのコントラストをギラギラと際立たせている。聖も俗も入り交じり、市民は奴隷ありきの自由を謳歌する。涼しげなオリーブやイチジクの下に集い、列柱のそばで議論を交わし、歌をうたい、取引をし、醜い顔をした聞き分けのないおじさんの裁判を行っていた。

 怒り心頭の教頭先生はなにひとつ目に入らなかった。

「なーにが『拙者、どのような過去も改変できるのだ』よ! 強制わいせつで捕まるなんて、ベッタベタの教師あるあるじゃない! あんたの過去をまず変えなさいって話よ! バーカ! バカ忍者! そのうえ岸田京介を一ツ橋色葉と急接近させるなんて! もう、こうなったら、わたし自らが、京介を、その」

「おひとついかがですか?」

 突然目の前に人物が立ちはだかったので、教頭は5センチほど跳び上がった。

 髪をアップにして亜麻布を体に巻きつけた女子高校生が、涼しげな顔で微笑みかけている。地べたに敷いたゴザの上には、食器やらかめやら、一見しただけでは用途がわからない道具類やらがごちゃごちゃに積み重ねられていた。田舎から来た露天商のようだ。

 しかも2500年前の。

「ご家族の方ですか?」

「いえ、わたしは」

 水色フレームの眼鏡をなんとなく外し、とくに意味もないように思われたのでかけ直した。

「在校生の妹です」

「そうですか。どうぞ、見ていってください」

 その日関東第一高校では、季節外れの文化祭が行われていた。ただし世界に名だたる関東第一高校の文化祭なので、模擬店ひとつ取ってもほかの高校とは確実にレベルが異なっていた。約200平米の土地は古代アテネのアゴラが奴隷も含め再現されている。かつては芝浦公園と呼ばれていたが、教化28年7月に解体され、以降はオリエンテーションや文化祭などで利用されているのだった。

 片隅に、妙に現代的な紙の小箱が並べてあった。教頭先生が手に取ると、売り子が言った。

「エイズ薬です」

 教頭先生は細い眉をヘンな形に歪めて見上げ、言った。

「アテネの市民がエイズ薬を?」

「はい。ジェネリックですけど、もしよろしければ」

 2つの意味でよろしくない教頭先生はエイズ薬を断り、代わりに青銅の手鏡を3オボルスで購入した。歩きながらためつすがめつし、こんなものまで手づくりしてしまうわが校の生徒の優秀さに心底感心した。それから再び忍者の悪口をつぶやきはじめた。

 アゴラの柱廊を抜けると、そこはガーナだった。

 魚のにおいが鼻を突いた。マコラ市場は物と人であふれかえり、身長145センチの教頭先生は足を止めざるを得ない。すると高校生男子の物乞いが声をかけてきた。模擬店のネタが思いつかなかった生徒らしい。背中を押され、教頭はハッとして懐を確認した。セディ硬貨の入った財布がまるごとやられていた。ドラクマ銀貨のほうは無事だった。

 どうにか市場を抜け出す。少し先の建物の影では、古代ギリシャ人とインド人とガーナ政府の役人が怪しげにひそひそしていた。なるほどエイズ薬はここから流れ着いたものだったらしい。

 人混みが途絶えたのもつかの間、先の辻は約50000頭のラクダでラクダまみれになっていた。インド人に扮した最上級生がラクダオークションを行っている。サリーを着た女子高校生が食べ物やビーズ飾りなどの手工芸品を売り、男子高校生がリコーダーを吹いてヘビを操る。ジプシーが踊り、大道芸人が火を噴き、物乞いが教頭先生にしがみつく。気づけばルピー銀貨を財布ごとやられていた。こちらの混沌も負けず劣らずだ。

 インドから逃げ出すと、ハノイの街頭にたどり着いた。ベトナム人出稼ぎ労働者が警官に扮し、麦藁帽子をかぶった行商人女子高校生に難癖をつけている。手押し車の屋台を警棒でたたき、売り物の果物を道路に投げ捨てている。売り子の女子高校生はなすすべもなく立ち尽くすのみだったが、また別の場所でたくましくも商売をはじめるだろうと教頭先生は思った。文化祭期間中はリアルに売り上げのみで暮らさなければならないルールなのだ。市場は国家より強し。

 ルワンダの難民キャンプで軽食を取り、マラケシュのタイル張りの門を通ってバザールをうろつき、ミントを買った。門を出ると80年代のカリフォルニアだった。不動産屋と医者と弁護士と映画プロデューサー全員に騙されたあと、一時避難場所として設置された上島プロントベローチェドトールタリーズバックスコーヒー珈琲のプレハブ小屋に入り、やれやれと腰を下ろした。歴史を鑑みるまでもなく、むちゃくちゃとしか言いようがない。

 まあ、高校の文化祭だし。

 歴史の2文字でまたバカ忍を思い出した。呪詛の言葉をつぶやきながら、チャイを飲み、これからどうしようかと考えた。

「教頭よ」

 青銅の手鏡をのぞき込んでいると、雰囲気たっぷりに話しかけられた。

 若干うんざりしながら顔を上げ、中年男性に言った。

「あなたの出番はありませんよ、空想社会学者の勅使河原先生」

「しかし」

「しかしもおかしもありません。もうたくさんです。大体なんなんです、空想社会学って。あなたたち教師は、全員バカです。いえ、バカではない。ですがなにかが決定的にまちがっている。頭のネジはしっかり締められているが、規格と寸法が合っていない、そんな感じです」

「しかし」

「あっちいって」

「飯塚先生の指示で建設が進められていた、あの第33校舎ヒルズです。予定では2ヶ月後に竣工いたします」

「地上1209メートルの?」

「あのシカゴ・スパイアの無念を晴らすべく、われわれ教師すべての印税をつぎ込み計画を行った、地上300階建てのバトル専用ヒルズ。すべての階に教師ひとりを配し、それぞれの専門分野を駆使し、岸田京介に戦いを挑む。最終決戦にふさわしい舞台がいま、整ったのです!」

「そういうのは高校の先生がやることではないと思ったことは?」

「あります。ですが、われわれは、なにがあろうと教頭、あなたについていく。あなたは関東第一高校を設立し、ゆとりの日本において超高度教育を標榜し、それを実現させた。すべての公立教師の怨念を晴らしたのです」

「まあ、そうだけど」

「あなたの真の目的を知る教師は少ない。しかもその目的は、かなり乙女チックだ。だがわれわれはついていく。なぜならあなたは関東第一高校を設立し、超高度教育を標榜し、それを実現させ、すべての公立教師の怨念を晴らしたからです」

「わかりました。わかりました。あなたたちの忠誠心には頭が下がります」

「そうでしょう。そうでしょうとも。ケーッケケケケケケーッ!」

 勅使河原が邪悪な笑い声を上げた。

「IQ106000のわたしは、ついに岸田京介の弱点を突き止めたのだケーッ!」

 ゾーンだかモードだか、なんでもいいがスイッチが入ってしまったようだ。こうなると教頭先生でも手に負えなくなる。

「なんですか、岸田京介の弱点とは」

「やつのラノベパワーの源、〈お約束〉そのものを封じ込めるのだケーッ!」

「どうやって?」

「エロゲです」

「エロゲ?」

「エロゲです。エロゲ学の泰斗・長宗我部先生によると、もちろん教頭先生もご承知のとおり、ラノベとはもともと、エロゲ教から派生した教派のひとつなのであります。エロゲの勃興、一大ブーム、体系化を経た9世紀から10世紀ごろ、エロゲの性表現を批判し、聖書の内面的な解釈を重視する、のちにラノベと呼ばれる神秘主義思想家たちがあらわれた。ラノベは粗末な羊毛の衣を纏い、禁欲主義に徹した。コクれないだけだろうとエロゲたちは図星を言ったが、ラノベは耳を貸さなかった。ラノベは厳しい修行を行った。〈ヒロイン〉たちに囲まれながら寸止め状況を繰り返し、〈下手な料理〉を食べ、日常的に殴られ、〈混浴〉ではあと一歩のところで失神。神に思念を集中し、一心不乱に〈無駄な会話〉をすることで、妄想と呼ばれるトランス状態に入り、〈主人公〉は告白することなく、神秘スケベ体験をする。〈主人公〉の修行は、現在ではストーリーと呼ばれています。神の与えるプロットを滞りなく経験するとひとつ上の段階に移行でき、すべてのストーリーを登り切ると忘我の境地に至り、両思い、キスと呼ばれる高い意識を永続的に得られると考えた。つまり、完結ですね。そしてその先のチョメチョメは、決して目にすることはない」

「だから?」

「厳格なイスラームに酒を飲ませましょうと言っているのです」

「なるほど。つまり、無理やり宗旨替えをするため、あれを体験させると」

「そう、セックスです」

「うーん」

「ラノベがセックスしたら、一巻の終わりですよ。長い長い旅をつづけ、岸田京介はついに一ツ橋色葉のおっぱいを揉んだ。みんなの思い入れは最高潮、準備はいままさに整いつつある。ユーやっちゃいなよ、って。それにふつう、高校生男子はセックスしたい。ですよね?」

「うーん」

「『えーそっち行っちゃうんだ?』みたいな。『でもエロいからいいか』みたいな」

「うーん、うーん」

「そして〈サブヒロイン〉たちは、現在ヴォイドにいます。さらなるおっぱいたち、さらなるおまん」

 教頭先生はわめき散らした。

「どうされました?」

「わたしは15歳です。純潔の乙女なのです。そんな単語は知らない」

「ああ! エロゲっぽい!」

「エロゲじゃない!」

 コーヒー屋さんの空気にそぐわない単語の連発に、客や店員がなにごとかと振り返った。

 教頭先生はひそひそと言った。

「わたしがだれだか、知らないとは言わせませんよ。わたしは世界にその名を轟かせるラノベ学の権威。わたしがラノベだと言っても過言ではないのです」

「ほかに方法はありませんよ。なんて、どの教師も言うことではありますがね」

「あっちいけ」

 勅使河原が立ち去ったあとも、教頭先生はしばらく考えた。ラノベ学の権威としては、他宗派であるエロゲの力を借りるわけにはいかない。ラノベは、いやラノベこそが、神の教えを最も厳格に実践する教派なのだ。だがそれを言ったらエロゲ教徒はエロゲ教こそが正義だと言うだろうし、イスラームやユダヤ教やキリスト教の各宗派も然りだ。

 エロゲ学の長宗我部は現在、教頭先生自らの異端宣告により、ペアレンツの餌係として地下職員室に監禁されている。少なくとも4つの意味で危険な男だ。もしあの男を解放すれば。必ず巻き起こるであろうさまざまな副作用的展開はさておき、岸田京介はあの男の特殊能力により、エロゲの〈主人公〉となる。〈ヒロイン〉をとっかえひっかえ呼びつけ、意味不明なシチュエーションで、ラノベ以上に無内容な、まるでスキップしてくださいと言わんばかりの〈会話〉をだらだらとつづける。そしてキスシーンから、待望のエッチシーンへ。岸田京介はたまに半透明になりながら、あれやこれや、ボタンひとつで前から後ろから、強くしたり弱くしたり、いろんな必殺技を駆使し、一ツ橋色葉を

「あー」

 教頭先生は頭をかきむしった。

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