第142話 勇一郎、炎上

 現在ねこハウスでは、過去ワナビ未来ワナビのある意味壮絶な戦いが繰り広げられている。中二指真空把や天翔誤字鳳、夢想印税などの中途半端な必殺技が惜しげもなく炸裂しまくっている。互いに一歩も引かない攻防だったが、ある意味では一歩引いたほうが勝ちであるような気が京介にはしていた。

 印税の40パーセントとはなんのことか。

 勇一郎はワナビの最終決戦だと言った。

 過去と未来は、じつはラノベに憧れていたのか。

 女子にモテモテ印税ウハウハの、ラノベに。

 まさか。

 そんなバカな。

 つくば編も最終盤なのに、そんなバカな。

 バカな。

 ミンターライスター勇一郎が呆然とした様子で京介の腕をつついた。

「た、戦う前に、教えてくれ」

「なんだ」

「あの〈バトル〉だ。つまるところ、擬人化した過去と未来の対決。そうだな? もしちがっていても、頼むからそうだと言ってくれ」

「そうだ」

「過去が勝てばどうなる」

「未来は消え、忍者を頂点とした全体主義的ネットワーク社会が構築されるだろう。おれたちは偽りの平等の名の下に、王道省の役人として名作ラノベの改竄を行い、永遠に書かれることのない設定集をつくりつづけるのだ」

「未来が勝てばどうなる」

「過去は消え、超日本型横並び社会が構築される。ワンちゃんによる社会的ネットワークは強化され、おれたちは互いを監視し、未来を予測し、出る杭を慎重に打ちながら、ろくに読まずに星を投げ合い、評価し合い、『この作品は出版されるべき』『出たら買います!』などと心にもないことを言い合い、永遠に訪れることのない輝かしい未来へ向けて箸にも棒にもかからない誤字脱字まみれの駄作を書きつづけるのだ」

「どっちもワナビディストピアだ」

「いや、あれは過去と未来の戦いだ。ワナビのいがみ合いなどではない」

「なぜそう言い切れる」

「作品の品位にかかわるからだ」

「たしかに」

「過去と未来は表裏一体、どちらも必要な存在なのだ。どちらかに傾けば、世界そのものが終わってしまう。とにかくそういうことにしておくのだ」

「相打ちさせる手はないかな。おれは、あんなわけのわからない連中と関わりたくない。ラノベは、おっぱいさえあればそれでいいんだ」

 京介はくるりと背を向け、ゆっくりと猫ケージに歩きはじめた。勇一郎は声をかけた。

「なぜ背を向ける? おれと〈バトル〉をするんじゃないのか」

 京介は答えず、ケージの前に片膝をついた。色葉はきょとんとした表情で、まさに猫のように京介を見つめた。

 それだけで充分だった。

「おまえが、一ツ橋色葉なのだな」

「あなたは、だれ?」

 背後では相変わらずやかましい〈バトル〉が繰り広げられている。その返答を聞いたとたん、力が抜け、京介はうなだれた。ぽつりと涙がカーペットに落ちた。黒い染みを見つめながら、なぜ悲しいのだろうと思った。

 顔を上げ、息を吸い、事務的に言った。

「ときに、雪華という名の〈ヒロイン〉は知らないか。おれの〈メイン〉らしいのだが」

 色葉は2回まばたきした。

「雪華」

「そうだ。雪華だ。知っているか」

「知らない。知るわけないじゃない。そもそもなぜ、あなたがわたしを助けに来たの? あなたは関係ないでしょ? 勇一郎!」

 色葉は京介の肩越しに手を振った。

「助けてよ! なんか、ヘンな〈主人公〉に絡まれてるの! 別のラノベの人よ、きっと」

「でやぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「ぬおぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 勇一郎は手で頭を守りながら〈バトル〉の横をすり抜け、揺れっぱなしの床をよろよろとやってきた。

 色葉の顔が嬉しそうにひらめいた。

「はい、〈主人公〉が〈ヒロイン〉を助けた。これで一件落着、ミッションコンプリートね! 次はおっぱい、でしょ?」

 勇一郎は冴えない表情で答えた。

「ああ、そうだ。おっぱい。おっぱいもみもみ、だな」

「そうそう。ほら、揉んで揉んで」

 だぶだぶのワンピースをめくり上げ、大胆に脱ぎ捨てた。だが慧眼な読者は白ワンピの下から直接ブラジャーが飛び出してくるなどとは夢にも思わないはずだ。そう、色葉は常識的にベージュのインナーを着用していた。アダルトビデオの撮影などではないからだ。そして慧眼中の慧眼を持つ読者は、さらにこう思ったはずだ。

 だが、ラノベなのでは?

 上半身の件はペンディングとし、下に目を向けてみよう。下はパンツか? あられもないパンツ一丁か? そうではない。

 色葉はを履いていた。

 これの意味するところとはなにか? 慧眼な読者はやはり気づいているはずだ。だからくどくどしい説明は必要ないだろう。これまでのように。

〈ヒロイン〉がそれなりにあられもない姿になっているにもかかわらず、勇一郎は立ち尽くしたまま、やはり冴えない表情で伏せ、前髪で顔の上半分を隠すのみだった。おっぱいを揉むはずの手が固く握られている。

「どうしたの? あ、そうか。もみもみだけじゃ、たしかにちょっと飽きがくるよね。チェンジ・オブ・ペースよ。じゃあ、こういうのはどう?」

 色葉はどこからともなくハサミを取り出し、不適な笑みを浮かべて言った。

「ちょっと死んでみてくれない?」

「だあぁぁぁぁっ! なんでそうなるんだよ? 意味わからねーし!」

 勇一郎は予定された寒々しい〈返し〉をどうにか口にしたが、冴えない表情と同様、明らかに棒読みだった。

 京介はこっそり勇一郎の顔をのぞき込んだ。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!」

 風魔はただの精神統一をみんなの期待どおり攻撃前の準備動作として流用し、言い終えたあとかっこよく結印した。

「遅い!」

 早乙女が赤いエネルギー弾のようなものを放った。

「悪魔降伏、御敵退散、七難即滅、七複速生秘」

 風魔は人差し指と中指で刀印を結び、空中にすばやく格子を描いた。

「な、なにぃっ!」

 雰囲気たっぷりに早乙女が絶句した。結界はエネルギー弾のようなものを弾き飛ばし、ねこハウスの天井を突き破って上空600メートルで霧散した。

 いっぽう色葉と勇一郎も、別のベクトルで意味不明なバトルを繰り広げていた。色葉がケージ越しにハサミを突き出し、勇一郎がいちいち叫びながらまぬけを装いつつ避け、ときに華麗なフットワークで交わしながら「ふっ、おれも慣れてきたようだな」などと悦に入った瞬間シルバーチャリオッツも顔負けの色葉の突きを受け情けない白目顔で悲鳴を上げた。

 京介はしゃがんだまま頬杖をつき、ぼんやりと他人のラノベを眺めていた。思えばさまざまな〈お約束〉を繰り広げてきたものだ。だがいままさに展開されているような、〈ヒロイン〉が〈主人公〉を殺したがる〈お約束〉だけは、どうしても理解できない。なぜこれがおもしろいのか。平手打ちなどはまだ理解できる。後方まわし蹴りもいい。だが殺すというのは行きすぎではないか。人ひとり殺すからには、それなりに納得できる理由がなければならない。理由を考えるのが面倒ならば、フライパンをたたき落とすに留めておいたほうがいいのではないか。人の命は重いのだ。軽々しく扱ってはいけない。

 おれも年、なのか。

 まだ17なのに。

 比較的まじめな〈バトル〉に展開があった。忍者が梵字の書かれた呪符を掲げて祈念し、しょうした。

「急急如律令!」

 九星八門符のひとつによって傷が全快した。

「ふ、ふはははは!」

「くっ…………!」

 ぼろぼろの早乙女が片膝をついた。しばらく見ていなかったのでよくわからなかったが、とりあえず未来が不利なようだ。

 そのとき。

「くっ!」

 勇一郎が口走った。わりと本気の「くっ!」だったので、京介は思わず振り返った。

 頬からつ、と血がこぼれた。

 色葉がハサミを持つ手をゆっくりと下ろし、やっちまったといった表情でおずおずとのぞき込んだ。

「だ、だいじょうぶ? ごめん、ちょっと手が滑って」

 勇一郎は空元気で言った。

「だいじょうぶ、刃先がかすめただけだ。まだやれる。まだやれるぞ!」

 いわんこっちゃない。京介は言いかけたが、他人のラノベに口出しはするまいと思い直した。

「さあ、つづきだ。来い!」

「行くよ! しねーーーーーっ」

 色葉が嬉々としてハサミを突き出した瞬間。

 京介の中でなにかが弾けた。

 がばと立ち上がり、勇一郎の肩をつかみ、強引に反転させた。

「ちょっといいか」

「な、なんだ。おれと〈バトル〉をする気になったのか」

 背中にハサミを突き刺しながら勇一郎が言った。

「先ほどから、気乗りがしない様子だが」

「そ、そんなことはない。ちょっと体がなまっているだけさ」

「そ、そ、などと口ごもるのは、本心を隠している証拠だ」

「そういうことはあんまり言わないほうがいいぞ」

「ならばこれはどうだ。おまえのラノベはクソだ」

「もちろんわかっている」

 京介はわずかに驚いて勇一郎を二度見した。

「なぜわかっていながら、あのような無意味なハサミ攻撃を甘んじて受けつづけるのだ」

「おれは〈主人公〉だ。自分のラノベのクソぶりに気づかないとでも思ったか? おれだけじゃない。喜んでラノベをやっているやつなどだれもいない。おれはいわば、みんなの影だ。みんなが自己投影できるよう、勝手な言動は慎まなければならない。勝手な真似は許されない。意中の〈ヒロイン〉に告白し、本格的にお付き合いすることもできない。ただ楽しげにわちゃわちゃやるだけだ。そして〈ヒロイン〉たちのつらさは、言うまでもない。そして少しでも人気が落ちれば」

「〈打ち切り〉」

「だがこうして〈主人公〉として存在している以上、ラノベはつづけなければならない。これは仕事なんだ。楽しい仕事なんてない。ぼくら〈主人公〉は、そのときどきでベストを尽くすのみさ」

「今でしょ、か」

「なんだって?」

「勇一郎よ、おれはつくばでしばらく、過去と未来に翻弄されつづけてきた。過去に囚われ、未来におびえる日々だった。だが、犬と話し、大事なのは『今』だと気づいたのだ」

「犬ってなんだ」

「そしてふと思った。勢いだけでその場限り、整合性のかけらもない、矛盾だらけで展開が強引で〈ご都合主義〉にまみれたラノベは、もしかすると正しいのかもしれない、と。過去も未来も気にするな、今を生きろ、という、神からのメッセージなのかもしれない、と」

「考えすぎじゃないのか」

「女の子とともに、とにかくなにかをやる。ラノベは、それだけでいいのかもしれない。決してバカにしているわけではなく」

 勇一郎はじっと京介を見つめた。間を取ったわけではなく、単に次のセリフが思いつかなかっただけだった。だが口を閉じて真顔でじっと見つめているうちは、ドイツ人〈ハーフ〉としての美しい造形が遺憾なく発揮されていた。

「岸田京介」

「なんだ」

「おまえには、ハサミ攻撃を繰り出す女の子すらいないんだろう?」

 京介はうなずいた。

「おまえはこれから、どうする。おまえのラノベはどうなるんだ」

「わからないが、どうにかなるだろう。雪華を見つけられなければ、新しい〈ヒロイン〉が登場する。登場しなければ、そこで〈打ち切り〉だ」

「雪華なんて存在しない!」

 突然勇一郎が叫んだ。

「おまえの〈ヒロイン〉は、雪華なんかじゃない!」

「もちろん一ツ橋色葉だと言いたいのだろう。だが断る。あれは〈ヒロイン〉などではない。サイコパスだ」

「聞いてくれ! おれは、ヴォイドから蘇った〈打ち切り〉ラノベの〈主人公〉なんだ!」

 勇一郎の放ったセリフからは風雲急を告げる展開の予感が濃密に漂っていたが、聞き慣れない用語のほうが頭に残った。

「ヴォイドとはなんなのだ」

「なかったことにされたキャラクターたちの墓場だ。通称ラノベ墓場!」

「つまり忍者が、おまえをヴォイドとやらから蘇らせたのか。ラノベを執筆し、一ツ橋色葉とくっつけるために」

「そうだ。あの日、忍者はヴォイドにやってきた。看守と談笑しながら、牢の中の〈主人公〉をためつすがめつ物色していた。まるで保健所の犬を選ぶような目つきで。おれを指さし、看守がうなずく。そしておれは、再びラノベになった。やつのラノベになった! これがどういうことかわかるか? 剽窃だ! パクリだ!」

「ただ参考にしただけだろう。忍者はラノベに疎いおっさんだ。過去を改変するにあたり、いい〈主人公〉が思いつかなかっただけで」

「ちがう。忍者がヴォイドにあらわれたのは、今回だけじゃないぞ。忍者は毎日のようにやってきた。ヴォイドの〈主人公〉は、大勢連れていかされた。何年も前からつづいているんだ」

「何年も前から」

「そうだ!」

「忍者は、何年も前からラノベだったのか」

「本人は必死で否定しているが、おれはラノベだ。ワナビはひと目見ればすぐにわかる。おまえだって気づいていたんだろう?」

「では本当に、やつは」

「ワナビさ。作品の品位にかかわるから認めたくないのはわかる。つくば編が最終盤なのもわかる。だがやつは、忍者は、過去を統べる者である以前に、ひとりのワナビだった。それもただのワナビじゃない。ラノベをディスり、文学の芸術性や本物のファンタジーなどを語りながら、そのじつ若者に大人気、飛ぶ鳥を落とす勢いの、女子にモテモテ、印税ウハウハのラノベをしたくてたまらない、真性ハイパーワナビだったんだ! ずっと!」

 京介は振り返り、バトル中の忍者を見た。じつに生き生きとして見えた。じつに楽しそうだった。かつて何度もこぶしを合わせた京介は、その生き生きぶりの理由を肌感覚で思い出した。

 そして確信に変わった。

 忍者、恐るるに足らず。

 できれば足ってほしかったのだが。

「やはりその結末か」

「やるんだ、アンダーアチーバー京介! 勝利のために、ワナビのおっさんを嫉妬の炎で焼き焦がすんだ!」

「なにをやれというのだ」

「わかっているだろう。わかっているはずだ! わかっているはずだと言えば、おまえはわかるんだろう?」

「わかっている」

 京介はとりあえず言った。なにをやるべきかはわからなかったが、わかっていると口にしたことでひとつだけわかった。

 忍者を打ち負かす方策ではなく。

「おれがなんらかの方法で忍者に勝利し、一ツ橋色葉を〈ヒロイン〉として取り戻したとしよう。そのあと、おまえはどうなる。おまえはおれの代わりの〈主人公〉として、ヴォイドから呼び出されたのだろう。ダブル主人公でいくつもりなのか」

「いいや」

「ではどうするのだ」

「おれは、ヴォイドに戻るよ」

 さみしげに笑う。

「おれは、返本に次ぐ返本のあげく2巻で〈打ち切り〉になったゴミラノベの〈主人公〉だ。おっぱいを揉むしか能のない〈主人公〉だ。いなくても構わない。むしろいろんな関係者に迷惑をかける」

「ここで少しがんばれば、隠れた名作として不死鳥のように復活する可能性もあるはずだ」

「ないよ。ほんとにクソつまらなかったからね。それに、ただいじけて帰るわけじゃない。おまえの消された〈親友〉や〈ヒロイン〉たちも、ヴォイドにいるはずだ」

「呼び戻せるのか」

「わからないが、なんとかやってみるよ」

「どうやってヴォイドに戻るのだ」

「こうやる。少し離れていろ。巻き添えを食いたくなければな」

 京介は言われたとおり数歩あとじさった。

 勇一郎はしばらくねこハウスの壁を見上げたあと、突然叫んだ。

!」

「なっ」

「クソラノベなんかさっさと卒業しろよカスども! いい大人だろ? そんなんだから彼女いない歴=年齢なんだよ! いいかげん目を覚ませ!」

「どういうつもりなのだ。なぜ、みんなの悪口を」

「燃えろ。炎上しろ。みんなよく聞け。おまえらはな、創造主に、『それなりの絵師用意してエロ入れときゃブヒブヒ言って毎回買うんだろ?』なんて思われているんだぞ! 気づいている? だったらなぜラノベを買う? そもそもなぜラノベを買うんだ? エロが欲しけりゃエロを買えばいいだろう! ライトな物語が欲しければ、もっとすばらしいライトな物語は存在する! でもラノベが好き? 嘘をつけ! 一体なんなんだその中途半端なこだわりは? なんなんだその中途半端なプライドは? やめるんだ! クソだと知りながら意味不明な義務感で買うのはいますぐやめるんだ! ぼくたちがラノベを支えている? 送り手と受け手が傷をなめ合い、ときに互いをバカにする、この負のサイクルは、いまこそ止めるべきだ! 買うな! ラノベなんか買うな! おまえらがクソを買わなければ、ライトな物語はもっとよくなる! だから買うな! ラノベは、ラノベは」

 勇一郎は実際に燃えはじめた。全身松明の様相だったが、比喩的な炎上だからか熱くはなさそうだった。

 京介に振り返り、炎の奥で美しい顔に笑みを浮かべ、軽く手を上げた。

「じゃ」

 ミンターライスター勇一郎は再び打ち切られた。

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