第139話 ミンターライスター勇一郎

 そのころ勇一郎ワーグナーは、ねこハウスのクリーム色の外壁に背をつけ、大窓から中の様子をうかがっていた。建物のそばには、名もなきピンク色の猫オブジェが台の上に鎮座し、横目でちらちらと勇一郎をうかがっている。勇一郎が気づくたびにさっと目を戻した。

 色葉よ。必ず助けてやるからな。

 おっぱい揉ませろよ。

 隠れDカップの柔らかな感触を想像し、勇一郎は思わず目を三日月型に変形させ、鼻の下を通常の1.5倍の長さに伸ばした。えへらえへらと笑うのもつかの間、突然表情をクールに引き締め、再び屋内をのぞいた。いい感じで風が駆け抜け、母親譲りの美しい砂色の髪をもてあそんだ。

 屋内は薄暗い。大ぶりの窓ガラスは太陽光の一部を反射し、背後の景色を映し出している。ならばと勇一郎はお手製の偏光フィルムをリュックから取り出し、あれこれ角度を変えながらあらためて中をのぞいた。窓に映り込んだ景色が消え、暗闇の中に色葉の姿がぼんやりと浮かびあがる。猫ケージに閉じ込められている。

 位置を確認したところで、勇一郎は壁に背を預けたまま、どさりとすわりこんだ。あぐらをかき、腕を組み、どうしたものかと首をひねる。

 ところで首をひねっているのは勇一郎ワーグナーだけではないと思われるので、あらためて紹介させていただく。この少年こそが、ラノベの使徒でありながら光学の基礎的な知識を合わせ持ち、そのくせおっぱいを見ると理性を軽々と吹き飛ばすフットワークをも兼ね備え、ドイツ人の〈ハーフ〉でありながら絶妙にモテない冴えないルックスの、もちろん〈異世界〉にも転生済みの、われらが新たな〈主人公〉、ミンターライスター勇一郎である!

「ぼくのラノベを返せ!」

 勇一郎がねこハウスに到着してすぐ、屋内でだれかが叫んだ。早乙女一馬という未来学者らしい。対する相手は過去学者の忍者・風魔玄二。勇一郎はこれまでのふたりのやりとりを頭の中でおさらいした。早乙女はじつはラノベ書きだった。タイトルは『アンダーアチーバー京介』(出版社名を記入してください)、未来学者・早乙女一馬の手によるラノベ絵巻だ。そのラノベ草稿が院生の裏切りによって忍者の手に渡った。忍者はリライトしたうえで出版し、自分の手柄にするつもりだ。タイトルも新たに、『ミンターライスター勇一郎』(出版社を記入してください)として。

 おれを新たな〈主人公〉として。

 現在ふたりはラノベの設定について熱い議論を繰り広げている。過去と未来、それぞれを統べる者たちの戦いだ。

 忍者は冒頭から大胆に手を加えると宣言した。まず〈主人公〉の設定を天才に変える。天才〈主人公〉は需要がある。天才キャラを安易に持ち出せばたいていみじめにバカを晒すだけだが、言うまでもなく拙者は賢いので問題ない。問題ないどころか、拙者のような賢い者こそ、全身全霊を賭け、ウィキペディアでさっと調べただけでは出てこない本物の知識を総動員し、関連書籍もちゃんと購入して裏づけを取り、足りないところはしっかり勉強し、時間をかけ、本当の天才キャラとはなにかを世の若者に知らしめるべきなのだ。本物の知識でみんなをすげえと感心させると同時に、誠実さ、品位をも保つことができる。

 早乙女は反論した。ラノベの〈主人公〉は、みんなが共感できるキャラクターでなければならない。だからあえて、間抜けな岸田京介を選んだのだ。賢い〈主人公〉では、みんなの共感は得られない。共感こそがラノベの本質。決して偉ぶらず、利口ぶらず、エゴを捨て、みんなが求めるものをひたすら与える、それがあるべきラノベ創造主の姿なのだ。

 忍者は小説というものの芸術性について蕩々と語った。それに若者というものは、大人が思うほどバカではない。知識や経験に乏しいが、代わりに体力と好奇心がある。すべてとはいかずとも、われわれが考えるよりちゃんと、小難しい小説の意図を理解してくれるはずなのだ。安易に寄せず、みんなを信じることなのだ。

 1作目でコケたら次を出せなくなるだろう。理想を追うのも結構だが、現実は現実だ。

 そのような守銭奴的な心構えでは、早晩消えてなくなるだろう。よくて便利屋で終わる。

 まずは知名度を上げることなのだ。書きたいものを書くのはそれからなのだ。

 書きたいもの? おぬしはただみんなにちやほやされたいだけなのだろう? 承認欲求を満足させられるのなら、べつに作家でなくてもいいのだろう? 自分に正直になれよ。

 おまえだってそうだろ、このパクリ野郎。

 冒頭の一字下げくらい常識なんですけど?

 文章作法にうるさいやつほど中身スッカスカなんだよな。

 やり取りは熾烈を極めた。どちらもデビューどころか草稿を完成させてすらいないにもかかわらず、触れればやけどするほどの熱を発している。

 勇一郎は合掌してふたりの行く末を祈ったあと、あらためてねこハウスの現状を確認した。出入り口のドアは開け放されている。これだけバカな話が丸聞こえなのだ、正面に行って確認するまでもないだろう。いざ突入となった際には好都合だ。才能あふれる勇一郎は、裏設定として、アメリカ空軍時代に人質救出の訓練を受けたことがあった。いつどこでどのようにしてかは、裏なのでよく覚えていない。地獄の1週間を思い出し、身震いした。あれは地獄の1週間だった。具体的には説明できないが。

 こんなこと(人質救出)もあろうかと、紺の木綿のシャツを着てきたのは正解だった。勇一郎は顔に木炭を塗り、ニットをかぶり、レイバンのサングラスをかけた。ドイツ人はいつでも用意周到なのだ。

 リュックからガストーチとカセットボンベ缶を取り出した。ふたつを装着し、トーチの調正ねじをひらき、トリガーを引いた。青白い炎が噴射口から飛び出した。

 炎の先を窓ガラスにあてる。15秒後、パキッという音を立て、強化ガラスにひびが入った。

 次に勇一郎はチーズスプレーをリュックから取り出し、ひび割れ部分に噴射した。そのまま下へ、チーズの線を黒色火薬のようにつなげながら、中腰で建物を離れ、入場待ちのお客様用のベンチをまたぎ越え、仕上げとばかりアスファルトに黄色い巻きグソをこしらえた。

 チーズのにおいに、そのへんをうろついていたワンちゃんが反応した。

 八方から駆け寄り、巻きグソにがつがつする。ワンちゃんの集団は導火線を伝って建物に近づいていく。ベンチを越え、ねこハウスのクリーム色の壁に大挙して群がった。名もなきねこオブジェがこっそり眉をひそめた。窓には大量のチーズが付着している。さらなるご馳走を求め、ワンちゃんは壁を支えに立ち上がり、窓をがりがりひっかいた。

 窓ガラスが砕け散った。

 勇一郎はリュックから山崎製パンのロイヤルブレッド1斤(6枚)を取り出し、封を開け、パン表面にチーズスプレーを吹きかけ、マグネシウムの粉と着火剤を振りかけ、ガスバーナーで焼いた。

 ねこハウスに駆け、窓の割れ目から屋内へ6枚のロイヤルブレッドを次々と投げ入れた。カーペットに落ちたパンは、閃光を放ちながらこんがりきつね色に焼き上がっている。

 これがほんとのフラッシュ。なんちゃって。

 ドイツ人はユーモアのセンスも兼ね備えているのだ。

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