第138話 世界最高の執筆環境

 ねこハウスに猫の姿はなかった。ケージにも、ソファにも、窓辺にも、色とりどりのタワーにも。明かりもなく、もちろん人間のスタッフや獣医師の姿もない。

 もちろん営業もしていなかった。

 ケージのひとつに、猫ではないひとりの少女が閉じ込められている。

 風魔は目の前にしゃがみ、売店で買ったホットドッグを渡した。

「食わせなければ監禁になってしまうからな。わんわんランドだけに、ホットというわけだ」

 冴え渡るダジャレにもかかわらず、色葉はなんの反応も見せなかった。

「まあよい。いいダイエットになるだろう」

「勇一郎が助けに来てくれる」

 忍者がくつくつと笑った。

「そうだな」

「勇一郎が必ずあなたを滅ぼす」

「ふ、ふふ、ふはははは。愛しの勇一郎は、いまどこでなにをしているのかのう! それはそうと」

 風魔は背中のジッパーを勢いよく下ろし、青いつなぎを脱いだ。慣れた手つきで頭巾をかぶり、格好が忍者らしくなったところで巻物を拾い上げた。

「ねこランドに犬は入れない。つまりここでは、人間どうしのつながりは及ばないのだ。ゆえにだれにも邪魔されず、思う存分、静かな環境で執筆ができるというわけだ」

 あぐらをかき、カーペットの上に巻物を広げた。

「拙者、われながらよくやったと思っておる。岸田京介の敗北は決定的、もはや第33校舎ヒルズでの最後の〈バトル〉も必要なかろう。だがらドヤ顔で凱旋する前に、よくやった自分にご褒美だ」

「なにをするつもりなの」

「冥土の土産に教えてやろう。これは、拙者が長年温めてきたプロットだ。構想はじつに15年、中学2年にまで遡る。内容はというと、王道のファンタジーだ。これぞキング・オブ・ファンタジー」

 色葉は顔をしかめた。

「ついに小説を」

「拙者にかかればすべてノンフィクションだ。それに拙者、小説は好かん。それから前もって言っておくが、ラノベは小説ですらない。ただの文字列だ」

「とか言いながら、ラノベが好きなんでしょう? ファンタジーはラノベよ」

「ちがう。バカを言うな。ファンタジーはファンタジー、おぬしらラノベがファンタジーに寄せたのだ。既存のファンタジーから都合よく要素のみを拝借し、記号的に利用しているだけではないか。やれスケルトンだ、やれゴブリンだと。オリジナルのモンスターを出すのが怖いのだ。この描写で伝わるだろうかと不安でいっぱいなのだ。で、ゴブリンでいいか、となる。ファンタジー、食べ物、女の子、動物、ゲーム、それらの要素をちりばめれば、とりあえず共感は得られる。だがそれをして創作と呼べるのか? いや、呼べぬ」

「ワナビそのものね。あなたは、ラノベの勢い、若者の文化を恐れている。不安なんでしょう、いい年をしたおじさんが、若者のパワーに飲み込まれてしまうのではないかと」

 風魔は無視してつづけた。

「真の創作、真のファンタジーは、すべてを一から構築する。広範な知識と根気のいる下調べをする忍耐力が必要なのだ。もちろん敵キャラはすべてオリジナル。たとえば、〈ナール〉だ」

「ユニクロオンラインでの意味不明なキャラクターは、先生の仕業だったんですね。すっぴん〈エルフ〉も」

「ちょっとからかってみただけだ。試し書きも兼ねておったのだが、それはさておき、いざ執筆という段になったところで、やはり拙者、王道は難しいと判断した」

 色葉は思わず二度見した。

「さっき、根気のいる下調べって」

「根気がないわけではないが、拙者も生身の人間、しかも多忙な人間なのだ。忍者と学校の先生の兼任だからな。そんな時間は取れぬ。また性格的に、物語に一生を捧げるタイプでもない。うすうす勘づいてはおったのだが、この年になるまで決心がつかなかった。人生経験を重ね、おっさんになってようやく、こう悟ったのだ。この世にオリジナルの物語などない、とな」

「まさにワナビあるあるですよ」

「なので拙者、他人のラノベに手を加え、拙者が書きましたといって世に送り出すことにした」

 色葉は再び二度見した。

「剽窃ですよ」

「過去を改変できることを忘れたのか。拙者が作者となれば問題はない」

「パクリです」

 風魔はケージの縦棒をわしづかみにし、猛獣のように迫った。

「おのれの立場をわかっておらんようだ。拙者、みんなが引くくらい残酷なこともできるのだぞ」

「パクリまでして有名になりたいんですか」

「二度も言わせるな。厳密にはパクリではない。拙者が作者だと言えば、作者は拙者なのだ。さて、それでは満を持して、無人のねこハウスで、犬に邪魔されず、執筆を開始するとしよう」

 風魔は立ち上がり、奥の引き戸に呼びかけた。

「パクリ元を、こちらへ」

 戸ががらがらと開いた。登場した人物は完全に予想外だったので、色葉は遺憾ながらあっと声を上げて驚いた。一体だれが登場したのか? もちろん従業員ではない。早乙女? いや京介? それとも五月? 関東第一高校出版局の小間使い? もしかして増上寺の住職?

 色葉は静かに答えを口にした。

「ジュリエットさん」

「ごめんなさーい」

 目に涙を浮かべていたが、口調は相変わらず真剣味に欠けていた。

「わたし、女優になるのが、積年の夢だったんでーす。だったらなんで未来学の研究なんかしてるんだって話ですけどー、それはそれですよねー。人生にはまわり道がついてまわるものですよねー」

「ちがいます。人生のせいにしないでください。あなたは」

「どちらでもよい」

「どっちでもいいでーす」

 風魔は突然、色葉にぐいと指を突きつけ、言った。

「いつやったの? 過去でしょ!」

「それが言いたかったんですよね」

「そう、このためにつくば編は生まれたと言っても過言ではないのだ。そしてこれがその、早乙女のラノベだ」

 ジュリエットさんが助手のようにA4用紙の束を渡した。

「タイトルは『アンダーアチーバー京介』(出版社名を記入してください)。つまり、おぬしらのラノベだ」

「京介?」

「おっとそうだった。おぬしの〈主人公〉は、勇一郎だったな。ふはは」

 親指を湿し、ぱらぱらとめくる。

 鼻を鳴らして失笑した。

「なんとまあ、レベルの低い文章よ。表現が重複しておるではないか。〈3点リーダー〉の使い方をまちがえておるではないか。行頭の一字下げをところどころ忘れておるではないか。そして〈誤字〉! これはもはや、拙者にリライトしてくれと言っているようなものだ」

「文章作法ばかり指摘されるのですね。問題は中身でしょう」

「その中身が伝わってこないのだ。下手すぎてな」

 そのとき。

「飯塚!」

 出入り口のドアが音を立てて開いた。白衣の裾を風になびかせ、文章作法のなっていない早乙女が呼ばわった。

「ぼくのラノベを返せ!」

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