第134話 ラノベ学第0法則:女の子は助けましょう

 風魔は気絶した色葉をおんぶし、よたよたと車道脇を走っていた。しばらくはかっこよく小脇に抱えていたのだが、重さで腕がつりそうになったのだ。

 さすがは終生のライバル、早乙女一馬。〈ヒロイン〉をデブらせることで動きを鈍くし、社会的ネットワーク、すなわちつくばわんわんWANによる未来解析の時間を稼いだのだ。

 感心してばかりもいられない。上空にはヘリが旋回し、戦車は地響きを立てて通りを周回し、パトカーはサイレンを鳴らして駆けまわり、地雷除去車はアームを振りまわして建物の外壁や電柱に損傷を与えている。包囲は時間の問題。

 風魔はニヤリと笑みを浮かべた。

 先週の金曜日に岸田京介とこぶしを交わした国立科学博物館筑波実験植物園跡を駆け抜け、花室川を渡り、3日前に岸田京介をあと一歩のところまで追い詰めた国立研究開発法人物質・材料研究機構桜地区跡を越え、近くの林にしばし潜み、はりけんラーメン本店で鶏そばを食し、桜川沿いを北へ進んだ。

 すでに10キロメートル近く走っている。忍者の健脚もそろそろ限界だった。

 ヘリは同じ高度と距離を保ち、常に上空に旋回していた。ラノベお得意の〈ご都合主義〉パワーによって発見されてしまったようだ。だが追い詰めるべきか迷っていることも風魔は知っていた。でなければラーメン屋で行列できるはずがない。それを証明するため、あえてラーメンを行列して食ったのだ。

「バカめ。未来学に固執するあまり、おのれの判断すら信じられぬようになってしまうとは。〈ご都合主義〉、結構ではないか。見つけたのなら追い詰めればよいではないか。あれだけの超兵器を都合よく手に入れた意味がなくなるではないか。そして女の子は、なにがあろうと助けるべきなのだ」

 よいしょと色葉を背負い直した。

「岸田京介よ、大事なのは頭の切り替えだ。策士策におぼれるとはまさにこのこと。先の『いたぞ、あそこだ!』の瞬間、解は導き出された。まさに今、今こそが絶対零度の一点なのだ! おのれを信じ行動すべき時なのだ!」

 ラノベにおいて必ず訪れる(とおっさんが信じるところの)イベント、〈メイン〉の〈ヒロイン〉が拉致されるという未来を実現し、現時点での可能性は、ふたつにひとつとなっている。つまり、正義が勝つか、悪が勝つか。ここで結果を恐れるあまりうやむやにしてしまえば、未来は解き放たれ、無数の可能性が宇宙創生を思わせる爆発的な展開をみせる。つくばわんわんWANでの解析は、未来が不確かであればこそ効果を発揮する。未来が確かである現在をおろそかにするような者には、どのような戦いであれ勝利の女神が微笑むことはない。

 風魔は再びニヤリとした。そしてラノベ学第0法則をないがしろにした〈主人公〉が向かうエンドは、どのような未来を経由するにせよ、必然的にある一点に収束する。

 これでぼっちエンドは確実。

 そして岸田京介ぼっち化に至るまでのめくるめくカオス、利用しない手はない。

 つくばを脱出すると見せかけ、拙者、畢生の大作の執筆を開始する。

 世界で唯一どのようなネットワークの影響も受けない、あの静かな場所で。

 桜川沿いを走りながら、色葉に話しかけた。

「すでに目を覚ましておるな」

 色葉は答えない。

「ラーメン屋で鳴らした腹に、拙者が気づかぬとでも思ったか」

 色葉は答えない。

「まあよい。ときに、おぬしは犬派か、それとも猫派か」

 色葉は答えない。

「拙者はバリバリの犬派だ。カルテック時代には黒ラブを飼っておった。拙者、忍者として、ときに孤独を感じることもあるのだが、やつらの忠誠心は涙が出るほどだ。癒やし効果だけではない。犬は、人と人とをつなげる。いつも近所で犬を散歩させている顔見知りがおるだろう。ただの散歩では声をかけづらいが、相手が犬を連れていると、『かわいいワンちゃんですね』などと声をかけることができる。そして人はつながる。弱いつながりだが、つながりはつながり。犬の散歩は、社会ネットワークの基礎研究からも明らかなように、まったく見ず知らずの人間をも引き寄せ、交流させ、関係を持続させるパワーがあるのだ。拙者自身、犬の散歩を通じ、カリフォルニアのギャルと大人のつながりを果たしたことがある。そして性病をうつされた」

「3次のつながりによって」

「おお、ようやくお目覚めか。そう、人間は、思いも寄らぬ人間とつながっておる。そしてつながりは思いも寄らぬ結果を引き起こす」

「わたしは猫派です」

「ほう」

「猫は最強の共感ツールにしてラノベの最終奥義。どんなワンちゃんも、猫を前にしてはなすすべもなくひれ伏すしかない。わたしが〈猫耳〉を着け、ひと声『にゃあ☆』と鳴けば、どうなると思います? その声はみんなのネットワークを駆け巡り、共感が共感を呼び、あなたの人気はがた落ちになる。そして存在感が薄らいだところをなんとなく倒され、つくば編は満足のうちに終わる。『なんだかよくわからない展開だったけど色葉の猫回最高だったからまあいいか』となる」

「やってみるがいい。そのたぷたぷの二の腕で、どれだけのみんなが共感するか、見ものだわい」

 ヘリが高度を下げ、背後についた。戦車が120ミリ滑腔砲をぶっ放し、近くの鉄塔を破壊した。パトカーのサイレン音がどんどん近づいてくる。前方には高々と伸ばした地雷除去車のアームが見えた。

「包囲網が狭まってきたみたいですよ。どこへ逃げるつもりです?」

「逃げも隠れもせんわ。拙者、こうして逃げながら、同時に岸田京介を追い詰めておるのだ。やつは未来に干渉するのを極度に恐れておる。過去と未来、つまり拙者と早乙女に影響を受けまくったせいでな。岸田京介は、おぬしを見殺しにするだろう。そのつもりはなくとも、結果的にそうなる。やつはおぬしの命より、おのれの成功、おのれの未来が大事なのだ。いくら助けてやるとその口で叫ぼうともな」

「信じている」

「好きなだけ信じてやるがよい。さて、そろそろタクシーでも拾うか。余裕のよっちゃんだ」


   ◇


 京介と敏吾を乗せたヘリが、低空飛行で桜川沿いを北上する。前方にはよたよた走る忍者の姿があった。ちょっと長めの腕があれば届きそうな距離だった。数種類のおもちゃを6歳児が奇想天外に組み合わせたような中心街から離れ、現在は茨城らしい田園風景が広がっている。

 つまり、ますますもって捕まえるチャンス。

「忍者はどこへ向かっているのだ。北側玄関の方角でもない」

「どこでもいい! いますぐ包囲するんだ!」

「だが」

 敏吾が無線で仲間に現在地を知らせた。すると色葉を背負った忍者が唐突に立ち止まった。なにをするかと思えば、路肩で手を上げ、ヒッチハイクをはじめた。

 そこへホバーカー、ホンダエレックがやってきた。民度の高さを発揮し、減速し、停車した。風魔は助手席の窓から車内をのぞき込み、「いやあすみませんねえ」とばかりに頭をかきかきドアを開け、いきなり運転手をつかんで車外へ引きずり出し、助手席のドアから地面へ放り捨てた。背中のジッパーに手をかけ、腰椎のあたりまでビビビと下ろし、青いつなぎを剥ぎ取った。

 色葉を助手席に押し込み、シートベルトを着用させ、ドアを閉め、ボンネットをローリングし、運転席に乗り込んだ。路肩には全裸のつくば民がうつ伏せで横たわっている。

「はやく指示を!」

「だが」

「なぜ迷う、親友よ? その決断によって未来が変わってしまうからか? きみはラノベの教えを忘れてしまったのかい? 未来とは、自らの手で切り開くものなんだぜ!」

「それはラノベの教えではない。ビジネス書の教えだ」

「他人に任せっきりの人生でいいのかい!」

「それもビジネス書だ。ちなみにおれは、安易な起業には反対だ。サラリーマンはすばらしいものなのだ。安定的な収入は心の安らぎを与えてくれる。肩書きは自分自身を与えてくれる。サラリーマンはいいものだ。たまに上司にへつらうだけで、ライオンに食われず安全に暮らせるのだから」

「もういい! ヘリよ! 正面にまわりこむんだ!」

 ホンダエレックが発進した。みるみる加速し、尻を振りながら小さくなっていく。

「速度を上げろ!」

「おーほっほっほっほ」

 サリーンS281から無線連絡が入った。

「忍者を見失ってしまいましたわ!」

「ではなぜ高笑いしたのだ」

「わたくしのキャラですもの。キャラクターは大事にいたしませんと! それはそうと、いますぐ忍者の居場所を教えなさいな!」

「アリたんよ。ライバルが減れば嬉しいのではないのか」

 上原は無線の向こうでしばし絶句した。

「ライバルが減れば、ですって? それとこれとは話がちがいますことよ! わたくし、少しばかり失望いたしましたわ!」

 M1エイブラムスから無線連絡が入った。

「京介。なにやってるか。忍者、追いかけろ」

「迷っているのだ」

「アホか。失望したぞ」

 地雷除去車から無線連絡が入った。

「京介さん!」

「陽一よ。おまえだけはおれの苦悩をわかってくれるはずだ」

「なぜ助けないんです! もしぼくに気を遣っているのなら、それはまちがった考えですよ! ぼくを失望させないでください! もし失望させたら、今夜の膝枕はお預けですからね!」

 ひとりだけつくばに入場せず勝手気ままに振る舞っていたF-22ラプターが、クリスタルドームの外側にへばりついていた。なにをやっているのかは不明だが、またメガトロン様に怒られるのは確実だった。

 敏吾が静かに言った。

「ちなみにぼくも、失望しかけているぜ」

 京介は前傾し、ウインドウ越しに前方を見やった。ヘリは控えめに加速している。いまのところ相対的に速度に勝るホバーカーは、透視図における消失点に少しずつ向かっている。

 あえて目を閉じた。

「時を待つのだ。肝要なのは忍耐。早乙女の解析はまだか」

「そもそも論だがね、きみはいつからあの未来学者を、そこまで信じるようになったんだい」

「いや、信じてはいない。おれは、ただ、あえて」

「あえて、なんだい」

「あえておれは、色葉を」

「見殺しにするのか」

「おれを信じてほしい。これがつくばにおける正しいやり方なのだ」

 敏吾はかなり真剣な表情で見つめ、言った。

「きみがぼくを改宗したときのこと、覚えているかい? 新橋駅前SL広場でのことさ。ぼくは、きみの宗教ならスパゲッティ教でもなんでも入ってやると言った。だがね、いきなりラノベだ不勉教だと親友が言い出して、ぼくが不安にならなかったと思うかい? ぼくは勉強をやめ、3ヶ月間高校にもかよっていない。きみに人生を委ねたんだ。そして委ねたのはぼくだけじゃない」

 京介は目を開けた。その瞬間。

「見失ったぜ。じゃあな」

 そう言い残して敏吾は消えた。新書が中空に出現し、座席に落下した。

 タイトルは『友達がいないという生き方』(関東第一高校出版会)だった。

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