第132話 運命の夕食 箸の誤った使い方全集

 17時34分、ついに夕飯の支度ができた。

 色葉と同様、読者諸君ももはやすき焼きネタにはうんざりしていると思われるので、陽一のギークなレシピは省略する。ホットプレートに乗った鍋がおいしそうにぐつぐつする様子も、ご馳走を前に目を輝かせるラノベ一同のリアクションも省略する。

 だれひとり目を輝かせていないからだ。

「さて」

 早乙女が空元気で言った。

「とりあえず食べましょう。たんと召し上がってください」

 グエンさんがげっぷをした。

「先生。すき焼き、飽きました。アイス食べたい」

「冷蔵庫に入っている。世界が闇に包まれてもいいのなら、好きなアイスを好きなだけ食べるといい」

 色葉は箸を取り、先を鍋に向けたとたん器に置いた。一種のイップスだった。腹まわりの締めつけをもぞもぞと緩め、再び箸を取り、また置いた。ジュリエットさんは悲しげに眉尻を下げ、しらたきを1本つまみ、卵に泳がせた。春は都合よくロボットであることを持ち出し、皆様の幸せそうな笑顔をいただくだけで満足なのだとだれかれ構わず言った。

 たんと召し上がれと言った早乙女すら手をつけなかった。

 陽一は団欒の様子をひととおり見まわし、言った。

「遠慮することありませんよ。お肉はたっぷり用意していますから」

 早乙女は竹の箸を鍋に突っ込み、肉をつかみ、持ち上げた。表情が苦悶に歪む。まちがって2枚取ってしまったようだ。だが取ってしまったからには責任を持って処理しなければならない。しっかりと卵に絡め、口にねじ込み、白飯をかき込んだ。もうすぐ40歳、そろそろ食事に喜びを見いだせなくなる年齢だった。

 京介はふつうに空腹だったが、このような不穏な状況でがつがついただくほど知恵足らずではない。箸を取り、慎重に焼き豆腐をつかむ。早乙女の視線に気づき、目を上げる。明らかな侮蔑と嘲笑の色が見て取れた。京介は春菊をつかんだ。早乙女が鼻で笑った。

 ふたりの箸が同時に肉をつかんだ。先に離したのは早乙女だった。京介は肉を持ち上げ、これはおまえの肉だと早乙女の箸へ直接渡そうとする。早乙女は箸の先を手の甲より上に持ち上げることで回避した。京介は肉を無造作に鍋に戻し、箸を逆手に握り、しいたけを突き刺した。早乙女はまず先ほどの肉を処理しろと箸の先を京介に向けた。ふたりはいったん箸を引き、体制を整えたあと、総合格闘家の間合いで箸の先を鍋上空でさまよわせた。

 あらゆる箸使いのマナーを破りながらも、どうにかふたりで半分ほど平らげた。

 早乙女が言った。

「さて、なぜすき焼きなのか。いまこのテーブルで、このメンバーで、〈メイド〉さんが腕によりをかけたすき焼きを囲むことが重要なのです。このあとなにが起きるか」

「忍者に襲われるのだろう」

「ぼくの口からは言えません」

「やつはおれが相手する。だが襲われる前に、少しでも未来を知っておきたい。未来を変えずに他人に伝える方法はないのか」

「あなたはぼくを盾にする。それだけはたしかです」

「知っていたのか」

「まちがったふりをしてぼくの背中に雷撃を浴びせる」

「死にはしない。ちょっと心臓がビックリするだけだ」

「みなさんはよってたかってぼくを攻撃する。忍者の代わりにぼくを倒すつもりだ」

 恨めしげに京介を見つめる。

「なぜ言及してしまったのだ。未来が変わってしまう」

「愚かだ。じつに愚かだ。アンダーアチーバーくん、きみは、ぼくがじつは関東第一高校のスパイ、もしくはそれに準ずる立場だと結論づけたわけだ。じつは過去忍、飯塚改め風魔とはじめからグルだったのだと。そしてぼくが個人的なボーナスとして、MIT時代から目をつけていた一ツ橋色葉さんに対し未来学者である立場を濫用し〈ヒロイン〉力をアップさせるとかてきとうな理由をでっち上げて数々のエッチシーンを堪能したのだと思い込んでいる。五月さんを代々木屋敷に送り込んだのはなにを隠そうこのぼくだったのだと。そしてつくばのワードから連想するかたちで近い将来つくばへおびき寄せ、未来だ過去だとわけのわからないことを言ってきみたちを混乱させ、仲たがいさせ、その隙にひとりずつ抹殺するつもりだったのだと」

「そこまで具体的に考えてはいない」

「愚かだ」

 早乙女は箸を置き、立ち上がった。馬の尻尾を揺らし、くるりと背を向けた。グエンさんがあわてた様子で鍋に箸を入れ、煮込みすぎてかちかちになった肉を取り、口に入れた。

「すき焼き、最高ですね!」

 冷え切った空気のなか、早乙女はクローゼットに向かった。折れ戸を開く。

「これを見てください」

 ハンガーに掛けた洋服をつかみ出した。下段から青いオリコンを引っ張り出し、両方を抱えてテーブルに戻った。

 白のワンピースだった。オリコンには麦藁帽子と切り取ったひまわり数本が入っている。

「これは、一ツ橋色葉さんのために数日前ぼくが用意した、最強ラノベ衣装セットです。蝉の声とバス停と田舎のおばあちゃんは用意できませんでしたが、なくても構わないでしょう。それはともかく、アンダーアチーバーくん、サイズを見て」

 ワンピースのタグをつまみ、京介に見せる。

 京介はのぞき込んだとたん、驚いた顔で早乙女を見上げ、言った。

「そういうことか」

「そう。いわゆるプラスサイズだ。ぼくがもし敵のスパイで個人的に一ツ橋色葉さんが大好きでスパッツを履かせてその曲線を堪能したいと考えていたのなら、1日3食すき焼きを食べさせたのはなぜです? デブらせたのはなぜだと思います?」

 全員の視線が色葉に向けられた。色葉は臆せずひとりひとりをしっかり見返したあと、言った。

「たしかにちょっと、お肉はついた。でも、デブってほどじゃないよ」

 春がゆっくりと眉尻を下げ、同情を示すポジションに落ち着かせた。

「適度な運動と食事制限ですぐに落ちる。だよね」

 ジュリエットさんは身に覚えのあるような顔でじっと鍋を見つめていた。

「言いたくないけど、わたし、〈メイン〉なのよ? ラノベの〈ヒロイン〉なのよ?」

「かわいいですよ! だいじょうぶ!」

 グエンさんが声を裏返して叫んだ。

 色葉はゆっくりとグエンさんに顔を向け、言った。

「なにがどうだいじょうぶなんですか」

 メイド的立ち位置に控えていた陽一が、メイドらしく控えめに気を利かせてキッチンに向かい、うどんのパックを取り、キッチンバサミで封を切った。止めようと色葉が立ち上がりかけると、早乙女が言った。

「そろそろ忍者がやってくる」

「どんな目的で?」

「わかっているはずだ。一ツ橋色葉さん、あなたには〈ヒロイン〉としての大仕事が待っている。さあ、このプラスサイズのワンピースを着るんだ。いまのあなたならぴったりのはずだ」

 ふるふると首を振った。

「時間がない。あなたが予定どおりデブっていなければ、ぼくの予測は外れ、関東第一高校が勝利し、未来が闇に包まれてしまうんだ!」

 色葉はイギリス式に指を2本立て、未来などクソでも食らえだと言った。

「京介くん、バスルームから体重計を持ってきてください。正確に測る必要がある」

「ダメ!」

「色葉よ。どうやら早乙女が正しいようだ」

「というふりをしているんだよね?」

 期待を込めて言ったが、京介は無慈悲に首を振った。

「さいたま編を覚えているか。貴子さんが林に拉致されたときのことだ。〈ヒロイン〉が敵に拉致され、〈主人公〉が取り乱しながら追いかける、これはラノベにおいて必ず一度は起きる〈お約束〉だ。そしておまえは〈メイン〉でありながら、これまで一度も拉致されていない」

「必ず起きるとは限らない」

「必ず起きる。ラノベにおける過去と現在と未来、すなわちストーリーは、横軸に時間、縦軸にサスペンスを取り、アップダウンを繰り返しながら波動曲線を描く。波長や周波数はさまざまだ。どのような曲線を描くかは、おれたちにはわからない。だがどのようなストーリー曲線でも、〈ヒロイン〉の拉致という一点は必ず通るのだ。そして必ず起きる未来なのであれば、その一点から、望むべき未来を調整できるのだ」

「さすがですよ、アンダーアチーバーくん。色葉さんを拉致した風魔は、そのあとどうすると思いますか?」

「向かうべきところへ向かうだろう」

「そう、決戦の場だ。拉致したのであれば、忍者は最終バトルをせざるを得なくなる。最大にして唯一のチャンスだ」

「決戦の場は予測済みなのか」

「やつの性格から、最高のロケーション、しかもうんと高いところを選ぶでしょう。いくつか当たりはついています」

 色葉はテーブルに手をつき、京介を真正面から見据えて言った。

「岸田京介。あなたはラノベ聖書を開きもしないけど、わたしはちゃんと最後まで読んだ。いい、〈ヒロイン〉の拉致は、ラノベの〈お約束〉じゃない。昭和のテンプレよ」

「そんなことくらいは知っている。おれはラノベの使徒、アンダーアチーバー京介だ」

「いまどき可憐なだけの〈ヒロイン〉はみんなに嫌われるのよ。『役立たず』って言われて」

「必ず拉致される。可憐に」

「なぜ」

「敵がおっさんだからだ」

 色葉はピンときたように目を見開いた。

「そうだ。ラノベに疎いおっさんだからだ。忍者は〈ヒロイン〉の拉致をラノベの〈お約束〉とかんちがいし、必ずおまえをさらいに来る!」

 そのとき。

 建物全体が不穏に振動し、次の瞬間、コンクリートが破裂する大音響が炸裂した。のちに陽一が証言した言葉を借りると、「音が殺しにやってきた」ほどのすさまじさだった。「でも早乙女さんだけは、しっかりと耳を塞ぎ、そのうえいつの間にか部屋の隅に避難していたのです」

 質量4トンのリコーダー型地中貫通爆弾が、その名のとおりすき焼き鍋を貫いていた。

 春が言った。

「あ、浦安の新兵器」

 次の瞬間。アーチ型ウインドウェイを採用したリコーダー爆弾は、爆発する代わりに8つの音孔からガスを噴き出した。その成分はジフェニルアルシン酸、2003年に茨城県神栖町の井戸水から検出された旧日本軍の化学兵器に使用された物質の分解産物と同様の有機ヒ素化合物だった。

 早乙女以外の全員が病的なくしゃみを開始した。

 ガスマスクをつけた早乙女は、冷静に一同を見まわしながら、くしゃみと一口に言ってもいろいろな種類があるのだなと思った。京介は「ハッ! ハッ!」という、だれにアピールしているんだと思わず問い詰めたくなる気合い充実タイプだった。色葉はくしゅんくしゅんタイプ、アンドロイド春はへっくしょんというきっちりセリフタイプ、陽一くんは鼻だけ鳴らす鼓膜に悪そうなタイプ、ジュリエットさんはゴッドブレスユータイプ、グエンさんはホラー映画の犠牲者を思わせる絶叫タイプだった。ここで学者として疑問が生じる。くしゃみにはその人の性格の一部が反映されるものなのだろうか。そのような論文を目にしたことがある。

 興味深い。

 興味深さからわれにかえり、早乙女は立ち上がった。くしゃみ一同に背を向け、ホールを抜け、玄関の前に立った。腕を組み、ドアをにらみつける。

 しばらくすると、のぞき穴がこりこりと回転しはじめた。外にいる何者かがはずそうとしているようだ。

 やがてレンズが外れ、L字型の特殊工具が穴からぬっと入り込んできた。外にいる何者かは、経験と勘を頼りにLの長いほうをドアロックのつまみに近づけ、門外不出の風魔忍法サムターンまわしをはじめた。

 鍵のつまみが垂直方向に持ち上がった。ノブがまわり、ドアが開く。ガスマスクを着けた飯塚改め風魔玄二は、ガスマスクを着けた早乙女にすれちがいざま目をやった。まるであらかじめ予定されていたかのような一瞥だった。声もかけず正面へ向き直り、ひたひたとリビングダイニングへ向かう。

 消えた忍者の背中をなおも見つめながら、早乙女はひとりごとを言った。

「第2上原を選んで正解だった。少なくとも確率的には正しいはずだ。ぼくは正しいことをした。世界のため、いや、スパッツのために」

 風魔が色葉を小脇に抱え、戻ってきた。着替えさせたのか、色葉は最強ラノベ衣装セットを身につけていた。プラスサイズのワンピースはあつらえたかのようにぴったりだった。麦藁帽子は顔の前にずり落ち、首にかけたゴム紐によって上下に振動している。ひまわりは手に持つことができないので、代わりに背中に差していた。

 小娘用の力加減では足りないようで、ずり落ちそうになるたびに体を揺すって抱え直している。

「この腹の肉。ラノベの〈ヒロイン〉にしては、ずいぶん肥えているようだが」

「先駆けだよ。LGBTだけじゃなく、肥満についてもぼくらは寛容であるべきなんだ」

「まあよい。おデブの色葉は拙者が預かった。岸田京介に伝えろ。五体満足で返してほしくば、単身で関東第一高校の第33校舎ヒルズに来いとな」

「最終決戦の舞台だな。ワンフロアごとに教師ひとり。そして最上階には教頭が控える」

「詳細はこのPDFに書いてある」

 USBフラッシュメモリーを受け取り、忍者を見送ったあと、早乙女はドアをロックし、ダイニングへ戻った。くしゃみ疲れでぐったりする一同を確認したあと、満を持して床に横たわり、ガスマスクを外した。

「べっ! べっ!」

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