第131話 道を誤る中学生たち 学びの本質

 空前絶後の〈バトル〉がぴたりとやんだので、市長以下つくば民とペットのワンちゃんたちはほっと胸をなで下ろした。ちょうど修学旅行で滞在中の中学2年生は、目下最大のイベントが中止となったことにたいへんがっかりした。やんちゃなグループは宿泊先に到着すると、緊急作戦会議を招集した。詳細なブリーフィングを終え、日没後、作戦は決行される。巡回する教師をやり過ごし、屋外へ脱出し、満を持して岸田京介探索の旅に出た。レトロフューチャーなつくばの夜は、いかがわしくもきらびやかなネオンにあふれ、活気と喧噪に満ちている。下町の屋台に入ればデッカードのひとりにでも出会えるだろう。いや、デッカードはどうでもいい。いまは岸田京介だ。もし会えたらどうするよ? 弟子入りしようぜとだれかが言った。ラノベになれば、勉強しなくても生きていけるらしいからな。

 当該中学校教師の考える修学旅行最大の目玉は、前日の関東第一高校校舎ヒルズ見学だった。当該中学校生徒の考える最大の目玉は、縦横無尽に都内を駆け巡るラノベだった。もちろんラノベ見学は目玉として旅程に組み込まれていたわけではない。道中あちこちで見かける〈主人公〉のあまりにクールな黒い装甲に、〈ヒロイン〉の色とりどりの髪毛と性欲をあおる制服に、中学生男子は胸を熱くした。引率の教師はあいつらは頭のおかしい人たちなので絶対に見たり話しかけたりしてはいけないと言った。だがそこは中学生。駅内のコンコースをぞろぞろと歩くさなか、ひとりの男子が列を離れ、幼女に話しかけた。幼女は裸にワイシャツのみの格好で、柱にもたれてすわっていた。パンツを履きたいのだがのぞむはどこじゃと言った。なぜおばあさんみたいな話し方をするんだろう。でも、それがいい。幼女はのろのろと立ち上がり、ワイシャツの裾を持ち上げ、下腹部を見せた。男子は幼女のファンになり、木刀を買うつもりだった小遣いを幼女に渡した。教師の叱責を受け、あわてて列に戻った。まるで性風俗だなと友達と語り合った。お金を払えばおっぱいも揉ませてくれるのだろうか。そこへ股下5センチほどのスカートを履いた高校2年生と思しき女子を発見した。日本人なのに濃いめの金髪で、制服を着ているにもかかわらず胸や腰やお尻の曲線が異様にあらわとなっている。中学生男子は性欲を刺激された。女子はどこかもじもじとした様子で、すでにおっぱいを揉まれているような羞恥の表情のようなものを浮かべている。ピンクローターでも仕込まれているのだろうか。いや、あれはああやって男を誘っているんだよ。きっと犯してほしいにちがいない。あいつらはきっとそういう職業なんだよ。ひとりの男子が果敢に近づき、小遣いを差し出し、おっぱいを揉ませてくださいと言った。

 次の瞬間、女子のスーパーキックが男子の顔面を的確に捉えた。

 女子は小遣いをひったくるように受け取り、サイドの髪を手の甲で執拗に払いながらぷんすかと立ち去った。全財産だったが、パンツが見えたのでよしとした。教師の金切り声が飛んできたので、鼻血を垂らしつつ列に戻った。

 あれは一体なんなのか? 聞くところによると、ラノベと呼ぶらしかった。

 翌日のつくば研究学園都市見学も、修学旅行の目玉のひとつだった。日本が世界に誇る(誇った)最先端科学技術を、是非わが校の生徒に実地で体験させたい。蒙を啓かれ、将来科学者を目指す者も出てくるにちがいない。残念ながら教師の思惑は倒壊した研究所とともにもろくも崩れ去った。ここにもラノベがいるらしい! それもとてつもないパワーのラノベが。

 やんちゃな連中はつくばを捜索しながら、もしラノベになれたらどうするかを語り合った。性欲とテンションがみるみる上昇していく。性に関する話題をバカでかい声でまくし立てるので、穏やかなつくば民ですらすれちがいざま眉をひそめた。おれ〈ハーレム〉形成してセックスしまくるんだ。顔面偏差値50のおまえじゃ無理だって! いやわかってるけど、ラノベになればルックスは関係ないらしいぜ。むしろ平凡なほうがモテるらしいぜ。なぜかは知らないけど。おれはひとりでいいな。そしておれの〈ヒロイン〉は、普段は高飛車でつれない態度を取る。だがそのじつ、おれのことが大好きなんだ。ベッドのある部屋とかでふたりきりになると、とたんに羞恥に顔を赤らめ、まさに借りてきた猫のようになる。「さ、触っても、いいけど……」とか言って。全員が妄想のすえ、股間をあたりを微調整した。

 だが。それらは決して幻想ではない。ラノベになりさえすれば、それらはすべて現実のものとなるのだ!

「やべーラノベになりてーよ!」

「おれもう中卒でいいし! いますぐラノベになるし!」

「はやく岸田京介見つけようぜ!」

 つくば民のドーベルマンが、中学生の一団を非難するように吠え立てた。なぜか飼い主も牙を剥き出しにして吠えはじめた。ほうほうの体で逃げ、ちょっと社会というものを意識しつつ、なおもラノベを語った。比較的まじめな男子が、〈ヒロイン〉ととっかえひっかえセックスするのは人として、いや男としてどうなのかと言った。たしかにそうかもなとうなずき合う。男の仕事は、セックスだけではないはずだ。エロを棚上げにし、やや神妙な顔つきで、〈バトル〉について、男の真の強さについて、口々に語り合った。

「強くなってあいつを倒したい、その一心で戦い、結果的にモテる。それが正しいラノベだと思うんだ」

「ほんとそれな」

「だから逆に、女の子を守るために戦う、ってのも、ちょっとちがくね?と思うわけ」

「ほんとそれな」

「おっぱい揉みてー」

「ほんそれ」

 脱獄中学生はコンビニで酒を購入しようとしたところを通報され、宿泊所に連れ戻された。担任に大目玉を食らい、しかも大広間での緊急集会まで開かれた。みんなの視線が痛かった。10年後、あのときは若かったとときおり振り返るであろう青春の1ページ、修学旅行あるあるだ。

 以上、ページ数稼ぎでした。


   ◇


 京介一行はなにげない〈日常〉を取り戻していた。かつてない団結ぶりに、一行の意識は自然と共同生活へ向けられる。だが京介は却下した。仲良しグループのひとつ屋根の下生活は不健全であるばかりか、ひとところに集まれば忍者に一網打尽にされる恐れがある。そんなわけでこれまでどおり、京介と春はカーサつくばB、色葉はエスポワールつくばへそれぞれ戻ることにした。敏吾は家賃35000円の築31年木造2階建て1Kアパート・サニーハイツつくばで日々ゴキブリと格闘する運びとなった。

 なにげない〈日常〉を繰り広げつつ、なにも知らないふりをしつつ、静かに打倒・早乙女の機をうかがうのだ。

 もちろん早乙女はすべてを予測済みだった。もちろん忍者もすべて盗聴済みだった。もちろん京介も予測&盗聴の事実を推量していた。もちろん早乙女は京介が予測&盗聴の事実を推量していることも予測済みだった。もちろん忍者も洞察によって確信していた。もちろん京介も自分が予測&盗聴の事実を推量していることを予測&洞察されていることを推量していた。

 そんなこんなで予測&洞察&いやそれすでに知ってるから!の攻防が水面下で激しく繰り広げられるなか、表向きは平凡に5日が過ぎた。

 春はバルコニーで洗濯物を干していた。今日は朝から曇り空だ。京介は薄暗い6.1畳の洋間で、こたつに入り、テレビもつけず、春が入れたお茶にも木の椀に盛った菓子にも手をつけず、雨の日の忍者との激闘を思い出していた。伝聞ですらお伝えしていないのだが、以前そういうすごい〈バトル〉があったのだ。

 立ち上がり、トイレで小を済ませ、洋間に戻り、財布を手にし、玄関へ向かった。

「どしたの」

 春が廊下をのぞき、声をかけた。

「本屋へ行ってくる」

 1時間後、京介はビニールの袋を下げ、戻ってきた。

「なに買ってきたの」

「本だ」

 こたつにビニール袋を置き、中身を取り出す。ハードカバーの本が3冊、大学ノートが1冊、鉛筆消しゴムボールペンの筆記用具一式。

 本を取り、ぱらぱらとめくる。

 春はページをのぞき込み、眉をひそめた。

「『力学』?」

「そしてこれは『行政学』だ。こっちは『宗教学入門』」

 大学ノートを開き、3色ボールペンをノックし、『力学』とにらめっこをはじめた。

 春はそっと離れ、京介の背中をうかがいながら電気をつけた。

「不安げにおれの背中をうかがう春よ。次の質問はわかっている。おれはおれだ。忍者ではない」

「なぜ勉強?」

「ふと気づいたのだ。おれは物理のぶの字も知らない、と」

「ほかの字も知らんやろ」

「勉強は大事だ。そしてこれは、忍者対策でもない」

「ということは」

「ちがう。本当に勉強したいと思った、だからするのだ」

「なるへそ」

 いろいろ考えつくものだと春は感心した。

「関東第一高校を打ち倒し、世界のすべてをラノベに。おれの意志は変わらない。だが大団円の後はどうなる。おれたちは揃って関東第二高校に編入し、ふつうの高校生活を送るのだ。ふつうに勉強し、試験を受け、単位を取り、卒業し、大学に入学する。入学できなければ就職し、いずれ家庭を持つ。ひとりの〈大人〉として、社会で生きていかなければならないのだ」

「冷える発言だなあ」

 夕方。買い出しのあとクックパッドを参考にキッチンで豚の生姜焼きをこしらえていると、ダイニングテーブルの上でスマホが踊り出した。

「もーし」

「春ちゃん。いまからふたりで来られる?」

 色葉が言った。妙にこそこそしている。

「夕飯、みんなで食べましょうよ。ね?」

「もう豚ちゃん焼いてるよ」

「ジップロックに入れて冷蔵庫で保存すれば2、3日はもつから」

「なぜひそひそ話す」

「あのね、〈メイド〉さんが、腕によりをかけたから、是非にって」

「〈メイド〉さんって、五月のことけ」

「ちがう。別の〈メイド〉さん。五月ちゃんは、ちょっと、いろいろあってね。わたし、あれから1日3食、すき焼きばかり食べてるの。しかもたっぷり2人前よ。取り憑かれてるのよ、完全に」

 とっちらかった話しぶりに、春は首をひねった。

「要約して」

「体重計に乗るのが怖い」

「非常によくわかった」

「助けて」

 春は通話を終了させ、リビングをのぞきに行った。背を丸めて勉学に没頭する京介をしばらく見つめ、おそとで食事しませんかと声をかけた。

 色葉のエマージェンシーコールも、もちろん早乙女は予測済みにちがいない。

 もちろん忍者も。


   ◇


 ピンポーン。

 春がチャイムを鳴らすと、1秒と待たずにドアが開いた。

 ドアの隙間から色葉がふっくらとした顔を出し、ささやいた。

「危険なのはむしろ白飯よ。気をつけて」

「だいぶ色つやがよくなられて」

 土間で靴を脱ぐ。

「それより、あっちのほう、だいじょうぶか」

「あっちって? ああ、〈ヒロイン〉修行の名のもとに行われる一連のセクハラ行為のこと? そっちはだいじょうぶ。早乙女さんは〈メイド〉さんにつきっきりよ。世界の終わりみたいな顔でレシピを伝え、調理法を事細かに指示してるの」

「おそらくすき焼きがキーなのだろう」

 色葉は京介に目を向けた。手に提げたクリアケースを見下ろす。

「なぜ教科書なんか持ってきたの? あ、わかった。また妙案がひらめいたのね。いわゆる打倒・すき焼きの」

「どうやらちがうらしいですよ」

「油断するな。おれを交えたすき焼きパーティーの席では、必ずなにかが起こるはずだ。だがそれは逆に、最大のチャンスにもなり得る。機をうかがい、混乱に乗じ、やつを倒すのだ」

「倒す相手をまちがっていると思うんだけどね」

「表裏一体だ。忘れるな」

 色葉は客人を中へ通した。京介と春ははじめて見るエスポワールつくばの内装に少なからずぎょっとしながら、リビングダイニングへ入った。

 キッチンに〈メイド〉が立っていた。ただし白エプロンとキャップのリアル〈メイド〉ではなく、お尻が見えそうななんちゃって〈メイド〉だった。つまり五月ではなく陽一だった。カウンターの調理スペースには、調理器具とは決して呼びたくない各種ビーカーが並び、いくつかは濃い水蒸気をあふれさせている。壁際には蒸留装置が組み立てられている。〈メイド〉は白衣の指導教官のもと、酒とみりんを煮立たせたと思われる液体の入ったビーカーに、ガラス棒を使って醤油を注ぎ足している。

 奥に見える洋間では、アジア系の男性と金髪白人女性が、部屋の隅を向いて体育ずわりしていた。視線の先にテレビでもあれば、夕食に呼ばれ目下待機中の友人として説得力があるのだが、内装がちがうだけで精神が不安定な人たちに見えるから不思議なものだ。

 早乙女が振り返り、遅まきながら京介に気づいた。

「ようこそ、アンダーアチーバー京介くん。そろそろいらっしゃると思っていましたよ」

「もちろん知っている」

「その発言も予測済みです」

「もちろん知っている」

 しばし意味ありげに視線を交わす。陽一が無防備な表情で振り返った。数ヶ月ぶりの再会に笑顔をひらめかせると思いきや、そのまま巻き戻しのようにキッチンに向き直った。

「どうしたのだ、陽一よ。早乙女に洗脳でもされたのか」

 陽一の代わりに早乙女が言った。

「驚くなかれ、今夜のスペシャルディナーは」

「すき焼きだろう」

「まあ、本当に驚くのは食べてからですよ」

 京介は早乙女から目をそらし、超純水の入ったビーカーを取り、ひとくち飲んだ。ダイニングテーブルにすわり、ケースから教科書を取り出した。

 物理の勉強をはじめたのを見て、早乙女以下全員が眉をひそめた。

「なにが速度だ、なにが運動量だ、勝手にあれこれ定義づけやがって、勉強させられる未来のおれたちの身にもなってみろ。おれはずっとその調子だった。だがこの半年、関東第一高校、タヒチ、さいたま、そしてここつくばとさまざまなロケーションで冒険をつづけ、いくらかでも世の中を知った。するといろいろと腑に落ちたのだ。たとえば勉強しなければならない理由だ。なぜ〈ヒロイン〉は落下するのか。なぜピストルは熱膨張するのか。なぜおれは手のひらから紫色のエネルギー弾のようなものを発射できるのか。過去の賢い人間も、同様に疑問に思ったのだろう。自然の不確かな現象に対し、神の御技とただ恐れるのではなく、調べ物がめんどくさいからと安易にファンタジーに逃げるのでもなく、どうにか理論的に定義づけ、エレガントに説明できはしないものだろうか。もしかしたら森羅万象のすべてを説明できるかもしれない。そうして過去の賢い人間たちは、暇に飽かせ、山のような物理量を生み出した。先人にならい、偉業を学ぶ、それはSNSで蘊蓄を垂れて承認欲求を満足させるためではない。先人と同じく世界の不思議に疑問を持ち、理解したいと思った、だからまず、先人の教えを機械的に学ぶのだ。そして学べば学ぶほど、疑問は増えていく。やがてひと握りの者が、まったく新たな理論を構築するだろう。さらにそれを未来の若者が学ぶ。それをして進歩と呼べるのかはわからない。世界を仕組みを解明して、どうなるものか。だが知れば知るほどに、世の中はおもしろいところだと気づく。ラノベよりも、ほかのどんな娯楽よりも、世界がいちばんおもしろいと気づく。それこそが学びの本質なのだ。そう思わないか」

 邪魔だからテーブルを開けろと早乙女が言った。

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