第130話 畢生の大作 すき焼きが呼んでいる

 そのころ飯塚改め風魔は、ほぼ瓦礫と化した国立研究開発法人物質・材料研究機構の頂上に立ち、腕を組み、ぼろぼろの忍者着を風にはためかせながら、京介一行の会話を盗み聞きしていた。

「岸田京介。拙者もおぬしが好きになりかけておるぞ」

 耳からイヤホンを外す。敏吾の頭にこっそりつけたシラミ型盗聴器はまだ機能している。

「〈バトル〉とは結局のところ、意地と意地とのぶつかり合いだ。男の勝負に理由など不要。だが拙者、〈大人〉だからして、おぬしを好きになりかけながら、同時にいやらしい算段もしておる。さあて、手に汗握る白熱の〈バトル〉は、このへんで仕舞い。再び身を潜めるとしようかのう。えっ、もうやめてしまうの? みんな、まさか拙者が本気で怒りにわれを忘れたと思っているわけではあるまい? やつらの団結ぶりを見ただろう。極限の〈バトル〉、すなわち強烈な非日常的体験をエクスペリエンスさせることによって、真の相関関係をあぶり出したというわけなのだ。そして現在の関係をスナップショットすれば、その後の小賢しげな演技にも惑わされることなく、だれが本命かに悩まされることもなく、腰を据えて過去を改変できる。本命はもちろん、みんなもピンときておるだろう? 坊や」

 関東第一高校出版局の小間使いが瓦礫を登ってきた。

「ところで拙者の戦いぶり、かっこよかっただろう」

「あの、原稿は」

 風魔は小僧を平手打ちした。

「質問されたら答えるのだ」

「はい。かっこよかったです」

「そう、火炎を纏った拙者は、あまりにかっこよすぎた。つくばへ修学旅行に来ていた中学生も、憧れと羨望の眼差しで拙者の一挙手一投足を見守っておった。むしろ〈主人公〉より拙者を見ておった」

「ラノベがお好きなんですね」

 風魔は反対側の頬を張った。

「なぜそう思ったのだ」

「戦いの最中ずっと、生き生きとされていましたから」

「ふ。身内であるおぬしすら騙されたのであれば、岸田京介以下クソラノベどもが信じ切ってしまうのも無理からぬこと。事実、先ほど、拙者を味方に引き込めぬかと考えておったしな。ちなみに拙者、ラノベは大嫌いだ。むしろ憎んでおる。なぜだかわかるか?」

「あのー、『小学4年のとき学校でうんこ漏らした岸田京介バーカバーカ』の原稿を受け取ってこいと言われてまして」

「その新書は取りやめだ。そのころの拙者、少しどころかかなり乱心しておったのだ。おぬしは手ぶらで都内に戻り、担当編集者Nにこう伝えろ。あの飯塚が、畢生の大作を用意している、とな」

「学術専門書ですか」

「拙者が畢生の大作と言えば、それは過去のすべてにほかならない」

「通史ですか」

「そう、通史。つまり岸田京介の過去のみならず、人類史そのものをまるごと改変してしまうのだ」

「たしかに一世一代ですね。文字どおり」

「問題は執筆環境だ。いかな拙者とて、1万年の歴史ともなれば執筆に3ヶ月はかかる。だがつくばには、世界の物書きが羨む、決してだれにも邪魔されぬ理想の執筆環境が存在しておる。そこにあるのは究極の孤独! 集中力は極限にまで高まり、約30倍の執筆速度で原稿を書くことができるのだ! 森博嗣1200人分だ!」

「執筆環境ってどこにあるんですか」

「バカめ。言うわけがなかろう。とにかく、これは最後の手段だ」

「いまから最後の手段をされたほうがいいですよ」

「それでは冷えてしまうだろう。プロレスと同じだ」

「ラノベとプロレスって、どこか似ていますよね」

「出版されぬよう、おぬしも祈っておれよ。拙者の王道ファンタジーはつらいぞ。環境がリアルすぎてつらいぞ。おっさんばかりだぞ。改行の少ない地の文でびっしりだぞ。〈異世界〉転生野郎など3秒であの世行きだ。だが先ほど言ったとおり、これは最後の手段」

「いまはなにをされるつもりですか」

「もちろん過去の改変だ。だがその前には、必須のイベントをこなさねばな」

「必須のイベントってなんですか」

「岸田京介の過去は、ただ改変しようとしてもできぬ。なぜなら未来が輝く17歳の高校2年生だからだ。ならばどうするか。『ラノベに成る』のだ。だから拙者、不本意ながら風魔なるキャラを演じておるのだ。そしてキャラのみならず、ラノベの敵として、みんなの期待どおりに行動し、イベントをこなしつづける。〈バトル〉はこなした。では次はなにか。岸田京介は明らかに、一ツ橋色葉を愛しておる。一ツ橋色葉も岸田京介を愛しておる。もはやふたりの雰囲気は最高潮。ここまでお膳立てが揃えば、敵としてやるべきことはただひとつ」

「ああ、あれですね」

「そう、あれだ」

「先生のライバルの未来学者も、当然予測済みですよね」

「だからこそやるのだ、バカめ。むしろ思料すべきは、あえて予測しておらぬ可能性。だがこのイベントは、このイベントだけは、なにがどうなろうと必ず通らざるを得ない一点。この一点を掌握し、その後の未来の主導権を握ることで、その一点から遡る過去もまた自在にコントロール可能となるのだ。そして岸田京介に待ち受けるのは、ラノベ史上最悪のぼっちエンド。ふ、ふふ、ふはははは」

「ははははは」

「それよりなぜ拙者、先ほどからおぬしとべらべらしゃべっておるのだ」

「さみしいからですよ、きっと」

 風魔は頭突きをかました。


   ◇


「陽一くん! 待って!」

 学園東大通りを横断する動くペデストリアンデッキ上を、〈メイド〉とOLが追いかけっこしていた。

「すき焼きってなんのことなの?」

「すき焼き!」

 陽一は自動走路の中央分離帯を飛び越え、向かってきたつくば民一家をかき分け、階段を駆け下りた。ブルーカラーを思わせる風貌のケリーブルーテリアが振り向き、ワンと言った。飼い主のつくばっ子がどうしたのと声をかける。犬はワンと答えた。

 なるほどですねと子供はうなずいた。

 上原アリシャも中央分離帯を飛び越えた。動く歩道にパンプスを履いた脚をよろめかせつつ、階段の手すりにしがみついた。

 階段を見下ろす。陽一の姿はなかった。

「すき焼きってなんなの?」

 説明しよう。なぜ陽一は、色葉と春に出会ったあと、京介と出会うチャンスをわざわざふいにして逃げ出したのか。恥ずかしかったからか。男である自分を好きになってくれるはずがないと弱腰になったからか。真実はどちらでもない。

 男だろうが女だろうが、ふられるときはふられる。その点、陽一に覚悟はできていた。京介がじつは隠れホモフォビアで、告白したとたん嫌悪に顔を歪めあとじさり二度と近づくな気持ち悪いと言われることすら想定していた。

 なぜだか突然、すき焼きをつくりたくなったのだ。

 その程度の欲求なら、通常の意識レベルであれば簡単に抗することができる。だが陽一は何者かによって決定された未来に追い詰められ、徐々に意識レベルを低下させていった。

 上原とともにつくば駅を降り、自動走路に運ばれながら、ぼんやりと地上を見下ろしていた。するとしゃぶしゃぶ寿々つくば店が目に留まった。そのとき陽一の頭に浮かんだのは、しゃぶしゃぶのお店か、程度だった。でもどちらかと言えばすき焼き派だな、と思った。次に、つなぎを来て犬を散歩させる若いつくば民カップルとすれちがった。ちょっと険悪な雰囲気で、盗み聞きしたところによると、〆のうどんは必要か否かというしょうもない口論だった。女の子はすき焼きにうどんなど入れたことがない、すき焼きにうどんを入れるなど信じられない、と狭い一般常識を堂々と披露し、辛抱強く聞いていた男の子はときおり我慢できなくなりいやちょっと待てなどと口を挟み、でも若いカップルはたいてい女の子のほうが強いので、男の子のほうが口答えするたび女の子の心が離れていくといった具合だった。犬がワンと鳴いた。陽一くんの頭に浮かんだのは、〆のうどんはすき焼きになくてはならないもの、だった。でもお麩は入れないな、とも思った。もちろん入れるかどうかは人それぞれだ。愛しの京介にせっせとすき焼きを給仕する様を思い描き、頬に血を溜めながらふらふらと脇の歩道に移った。いらっしゃいませ何名様ですかの声にわれにかえると、すき焼き店のレジ前に立ち尽くしていた。上原がわが子を見失った若妻のように店内に駆け込んできた。ふたりで交互に平謝りしながら店を出た。上原の叱責を聞き流しながら、陽一は考えた。これはなにかの啓示なのか。すると現実のほうも陽一の無意識下の要請に応えはじめた。上原に手を引かれるまま階段を上がり、再びデッキに戻り、キノコのように生えたテレビを見ながら歩道を進む。中年つくば民夫婦と飼い犬が追い越し線を追い越していった。旦那様は中身が満載の茶色い紙袋をアメリカンに抱えていた。紙袋からなにかが落ちた。国産黒毛和牛だった。陽一はしゃがんで国産黒毛和牛を拾った。中年つくば民夫婦の柴犬が受け取りに来たので、渡した。柴犬は肉をくわえて陽一のまわりを1周したあと、飼い主に向かって駆けた。

 テレビ番組がCMに切り替わり、エバラすき焼きのたれを紹介しはじめた。

 地上を見下ろせばすき焼き屋さんが目に留まった。巨大なオブジェは具材を満載したすき焼き鍋のように見えた。老夫婦がすれちがいざま今夜はすき焼きにしようと言った。今日はすき焼きの日らしい。あり得ない確率ですき焼きとの遭遇がつづき、これはただごとではないぞと陽一は確信した。宇宙が呼んでいる。

 そこで色葉と春が対向線を流れてきた。星を飛び散らせながらいがみ合いをしている。2組は同時に気づき、全員ラノベ慣れしているのでとくに驚愕することもなく、これはこれは偶然ばったりですねと声をかけ合った。そのまますれちがった。歩道が動くと立ち話もできない。マナー違反と知りつつ全員で中央分離帯によじ登り、とりあえず時候の挨拶を交わした。

 しばらく〈無駄な会話〉をした。色葉はつくばで起きた出来事を語った。

「それで、未来学者の指示で施設に閉じ込められちゃったの。そしたらその学者、これ見よがしにすき焼きの具材を」

「すき焼き! まただ!」

 陽一は叫び、気づけば動く歩道に飛び降り、駆け出していた。

 それからUターンして戻った。

 色葉に手のひらを差し出し、最高級の松阪牛を筆頭としたスペシャルな具材を5人前用意しなければならないのでお金を貸してほしいと言った。

 色葉は250万円ほどを財布から抜き出し、手渡した。

「なんの具材? しゃぶしゃぶでもするの?」

「しゃぶしゃぶじゃない! ああ! とにかく失礼します!」

 そのあと陽一はヨークベニマルで具材を買い込み、松坂牛はなかったので代わりに国産黒毛和牛をチョイスし、茶色の買い物袋をアメリカンに抱えて熱に浮かされたようにつくばを南下した。千現一丁目の通りを満足げにおなかをさすりながら歩く〈メイド〉さんとすれちがい、かぶったかな、と考えつつ前へ向き直ると、白衣を着た男が眼前に立ちはだかっていた。

 にっこり笑って言う。

「ようこそつくばへ。さっそく下ごしらえをお願いしますよ、かわいい〈メイド〉さん」

 陽一は早乙女に肩を抱かれ、エスポワールつくばへ消えた。

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