第127話 Sukiyaki

 未来学研究所の一画にある早乙女研究室は、半ば Dojo と化していた。机や本や機材はかなり無造作に部屋の隅に積まれ、床には赤いフェルトのマットが敷かれ、そこでは早乙女の予想どおり、裸足の外国人院生がカラテの稽古を自主的に行っていた。

「Kiai! Kiiiiiiiiii-ai!」

 カナダはケベック州出身のジュリエット・ヴィユヌーヴさん25歳が、日章旗 Hachimaki に白の Karategi を身につけ、腰を割り、正拳突きを繰り返していた。これでもいちおう未来の未来学を背負って立つ才女だった。

 教授に気づくと、ジュリエットさんは顔に汗をきらめかせて振り返り、不敵な笑みを浮かべて言った。

「準備完了!」

 ベトナム人のグエンさんがすり足で近寄ってきた。上目遣いで下手くそなお辞儀をする。

「Sensei!」

 早乙女は腕時計を見た。

「はやすぎる」

「すき焼き、楽しみですねー」

「ああ、そうだな。ところできみらは、きみらなりに未来を予測し、岸田京介が近い将来、忍者と〈バトル〉を行うと結論づけた。それはまちがいない。だがカラテの稽古は、すき焼きパーティーの席で忍者に襲われたあとの話だ」

 グエンさんが悲しげに首を振って言った。

「でも、すき焼き、台なしになる。食べ物、粗末にしてはいけない」

「何度言ったらわかる。きみら自身もキャラクターなんだ。どんな〈端役〉もストーリーに影響を及ぼし得るといつも言っているだろう。ちなみにぼくの予測は、こうだ。忍者にすき焼きを台なしにされ、岸田京介の怒りが頂点に達する。そしてはじめての〈バトル〉。忍者はラノベ初心者とはいえ、IQは雲泥の差だ。岸田京介は手も足も出ず打ち倒され、その様子を目撃したきみら院生は、おのれの立場を自覚し、過去から未来学を守るため、自主的にカラテを習い、岸田京介との共闘と決心する」

「お言葉ですが、ぼくたち、もうカラテしてます。すでに未来は変わった。後の祭り。ですよね?」

「そうでーす」

 軽佻浮薄に聞こえるがじつはまじめにしゃべっているジュリエットさんが言った。

「カラテで忍者、撃退しなければならなーい。すき焼きを守るために!」

「この予測外の会話によって、そもそもカラテは必要なくなるかもしれない。急いで予測をやり直さないと」

「先生、突いて?」

 胴着姿のジュリエットさんが寄り添い、見上げ、目を潤ませて言った。

「いっぱい、いっぱい、突いてほしーいのー」

 早乙女は超人的な自制を発揮し、美しき外国人院生を振り払った。

「これで岸田京介は、〈バトル〉を1回分、まるまるショートカットされたわけだ。稽古はいいから、机や機材を元に戻して。つくばわんわんWANで、データを一から集め直しだ。まったく」

 机と機材を元に戻し、それぞれ席にすわり、端末を見つめた。早乙女のモニターには、二の宮公園の時計塔から送られてきたリアルタイムのデータがずらずらと並んでいる。バックグラウンドのウインドウには、研究者向けの自動未来予測ソフト『Futura』による未来解析結果がツリー状に表示されている。どの分野でもそうだが、プログラムが万能なら人間の研究者など必要ない。あくまで参考程度だ。

 ひとつの未来が表示されている。一ツ橋色葉はアンドロイド春との会話によっておのれを取り戻し、〈ヒロイン〉としての自覚に目覚める。そしてエスポワールつくばへ戻り、早乙女の目の前でスパッツ生着替えを果たす。早乙女はスパッツ前後の未来解析結果に目を通し、ちがうな、とつぶやいた。さすがの深層学習も、あのお尻の曲線までは正確に捉えることができないようだ。しかもこれでは、パンツの上からスパッツを履いていることになる。

 そのようなスパッツ、とうてい許されるものではない。

 もうひとつの未来。一ツ橋色葉はアンドロイド春との会話によってラノベが大嫌いになり、京介を捨て、春とともにつくばを脱出する。早乙女はノードを遡り、身も蓋もないバッドエンドの原因を探った。

 上原アリシャ。

「ん?」

 早乙女はつくば北口の未来を表示した。もちろん映像ではなくデータの羅列だったが、つくばわんわんWANによると、関所では現在、18世紀イギリスの舞踏会用ドレスを纏った上原アリシャと人見女による激しい口論が繰り広げられているようだった。千人溜りにはロボットに変形した邪悪なヘリコプターが所在なくたたずんでいる。番所の役人は業を煮やし、上原を出女として引っ捕らえようとする。するとヘリがなにかに目覚め、ジャンプ一番関所の御門を飛び越え、役人を蹴散らし、新たなご主人様として上原を救出する。メガトロン様の暴政に嫌気が差していたのだ。秘密の通信により、邪悪な超ロボット生命体が続々と関所に集結する。関所は完全に破壊され、ロボットたちに囲まれた10月で27歳になる上原は、わがままお嬢様っぽく腰に手を当て、不敵な笑みを浮かべつつロボットたちを見上げ、これからはわたしがあなたたちのご主人様よ、なんでも言うことを聞くのよ、などといったことを傲慢に告げ、びしっとつくばに指先を向けた。なにかをやらかすつもりのようだ。

 一連の言動は、早乙女の知る上原アリシャにまったく合致しない。だが『Futura』によると、上原アリシャである確率は97%だった。

「どういうことだ?」

 上原アリシャは同時刻に、第二常磐線のつくば駅で降車し、〈メイド〉服を着た女の子とともにA3出口を出た。『Futura』によると、上原アリシャである確率は93%だった。その後ペデストリアンデッキ上で一ツ橋色葉とアンドロイド春に偶然ばったり出会うだろうとのことだった。

 てか上原がふたりって。

 プログラムにツッコまれるまでもなく、早乙女はすでに問題に気づいていた。未来予測ソフトは当然、同時に同じ人間が存在することは想定していない。理由はともかく、これでは今後の予測が不可能となる恐れがある。とにかく上原をひとりにしないと。

 早乙女は黒電話をつかみ、ある人物にある情報をさりげなく流した。未来要因としての意志はつくばわんわんWANに乗ってつくばじゅうを駆け巡り、だれかが気づき、だれかに話し、だれかがだれかに命令し、だれかが行動し、結果としてどちらかの上原が消去されるはずだった。

『Futura』がアラートを発報した。〈メイド〉服を着た女の子は、じつは男の子だった! より正確に言うと〈男の娘〉だった。名前は陽一、関東第一高校養護教諭の伊達の乱心を岸田京介に伝えるため、ここつくばの地へやってきた。ああ、あの陽一くんか。早乙女は20年の学者人生ではじめて、『Futura』の対象人物の性別を変更した。これだからラノベは困るんだ。だって女の子そのものじゃないか。陽一の過去を急いでまとめてインプットしたが、この子には不確定要素が多すぎるように思われた。陽一は〈端役〉だったはずではないのか? 〈チート〉バトルの風味づけにしばし活躍の場を与えられたかわいい男の子という立ち位置ではなかったのか? すでに〈サブヒロイン〉なのか?

 早乙女は思わず舌打ちをしていた。

 ラノベめ。

 上原アリシャによるほかの影響を探っていると、グエンさんが言った。

「先生、変ですね」

「どうした?」

「すき焼き、なくなりました」

「なくなった?」

「はい、まるごと。なぜでしょう」

「すき焼きはきみの担当だろう。しっかりしてくれ。つまり、すき焼き展開そのものが消えたということか。だが、なぜ」

 グエンさんがあっと声を上げた。

「五月という女の子! あの子が食べるんです! ぼくらのすき焼きを、まるごとぜんぶ!」

「まさか。5人前だぞ。まるごとぜんぶだなんて、あんな華奢な女の子が、いくらなんでも、そんな」


   ◇


 そのころエスポワールつくばでは、そのまさかが繰り広げられようとしていた。

 カセットコンロの上では、具材を満載したすき焼き5人前がぐつぐつと煮えている。キッチンテーブルにすわる五月は、邪悪な笑みを浮かべながら、卵を割り、器に投入した。ひとつ、ふたつ。こんなに愉快なことはないといった風情でくすくす笑いながら、かちゃかちゃと卵をかきまわし、箸の先をぺろりと舐めた。

「ふふふふふ」

 五月は竹の箸を鍋に突っ込んだ。松坂牛を豪快につかみ、持ち上げる。これほど豪快に松坂をつかんだ者が、世界にどれだけいることだろう? 止めに来きても無駄だ。これほどまでに煮込まれてしまっては、もはや手遅れ。

 えのきと白菜も器に投入した。

 山盛りの器を見つめ、すーっと息を吸い込む。

「お嬢様、わたし、やります。5人前をすべて平らげてみせる。もちろん〆のうどんも。そしてそのあとは、どうかお探しになられないでください。院生のみなさんも、ごめんなさい。わたしはこれから旅に出る。それでは」

 そしてがつがつと旅立った。

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