第124話 忍びの本質

 そのころ京介と春は、倦怠期に突入していた。

 経験者ならば納得していただけるだろう。甘々はとにかく体力を必要とする。お菓子を食べればいちいち感想を述べなければならず、目を合わせたり会話したりするたびにドキドキしたり悩んだりといちいち感情を動かさなければならない。そして夜には、一日の最後にして最大のイベントが控えている。一緒に寝るかどうかのやり取りそのもので毎晩疲れ切ってしまうのだが、甘々であるかぎりなにごともなく眠るわけにはいかない。

 ほっとひと息つく時間も、ひとり内省する時間も取れない。プライベートはないに等しい。家事全般もこなさなければならない。こんなとき〈両親〉のありがたみを感じる。さらには存在するかしないかも定かではない忍者を警戒するというハンデまで抱えているのだ。

 やがてなにかをあきらめ、すると一気に肩の荷が下りる。添い寝はただの就寝になり、料理の回数も減り、いまでは同じ部屋にいながらめいめい無言でスマホをいじる生活にまで成り下がっていた。

 洋間で春がタンスを引っかきまわしている。京介はテレビのワイドショーを見ていた。

「回数券、どこ?」

「どこへ行くつもりなのだ」

「スーパー。買い出し」

「そうか」

 会話が滞った。

 アンドロイドならバスに乗らずともロケット噴射などでイトーヨーカドーに飛んでいけばいいだろう。京介はツッコミを入れようとしたが、大物俳優が交通事故を起こしていたのでそのままテレビを見つづけた。

 春が外出したあと、京介はこたつから出て、リビングダイニングへ向かった。目を閉じ、冷蔵庫を開き、ペットボトルを手探りでつかんだ。

 目を開ける。引いたのはペプシだった。

 ドア側のポケットにランダムに並ぶジュース類は、暇つぶしの一環だった。

 ペプシを手に洋間へ戻る。戸口を入ったところで、目の端に妙なものを捉えた。

 黒装束を着た何者かが、部屋の隅で丸くなっていた。

「6畳間で石になってどうするのだ」

 石は石として答えなかった。

「それはそうと、ようやく会えたようだ。関東第一高校の新たな刺客よ」


   ◇


 飯塚と京介はこたつに入り、向き合った。気まずい沈黙が流れはじめたので、京介はテレビの音量を上げた。

 しばらくワイドショーを眺めていると、飯塚が言った。

「甘々をつづけるのはつらかろう。拙者も妻子を持つ身、倦怠期は経験済みだ」

「なぜ姿を見せたのだ。忍びに飽きたか」

「忍んでばかりでは、だれが敵かわからぬではないか」

「それでこその忍者だろう」

「さよう。よき忍者とは、音もなく、においもなく、知名もなく、勇名もなし。過去忍は現代を秘密裏に行動し、過去へ遡り、歴史を改変し、速やかに立ち去る。だがおぬしらはラノベだ。だからあえて出てきてやったのだ。おぬしらにとっての忍者といえば、これだろう」

 飯塚は左の人差し指を立て、右手で包んだ。

「ニンニン、じゃ」

「ではラノベに寄せたついでに、おれと〈バトル〉をするのだ」

「忍者の武術を甘く見んほうがよい。それに拙者、世にはびこる誤った忍者のイメージを正したいとも考えておる。だいたい忍者が〈バトル〉をしたら、おかしいではないか。全然忍んでおらんではないか。米国人ならともかく、日本人がその歴史認識ではいかん。まあ、間抜けな忍者はいつの時代もおったがな。自己顕示欲で身を滅ぼす下忍どもだ」

「いいことを聞いた」

 大物アイドルの不倫会見をひととおり眺めたあと、飯塚が言った。

「おぬしは、拙者を向こうにまわしながら、なかなかよくやっておる。一連のあーんは、ただの甘々ではないな? 拙者が毒を盛ることを知っておったか」

「春に成分測定させたのだ。毒は忍者の基本中の基本」

「やはりおぬし、ただのバカではないようだ。だがアンダーアチーバーが能力に見合った賢さを身につけたら、ただの優秀な高校生だ。通り名は返上せねばな」

「もともとおれから名乗ったわけではない」

 京介はペプシを豪快に含んだあと、こたつの脇に積まれた書籍を持ち上げ、どさりと天板に置いた。

「新刊を出すたびに置いていくのはやめるのだ。おれは本は読まない。表紙すら開かない。帯すら解かない。ブックオフを喜ばせるだけだ」

「ふ、ふ。過去と未来によってたかって小突きまわされ、おぬしも大変よのう。未来は予測可能であり、過去は改変可能。そのような状況で、おぬしは、見えるものは見ず、見えぬものを見、好きなおなごを嫌いと言い、好きではないおなごと同棲生活を送っておる。それによって未来と過去を混乱させ、今に留まろうとした。なかなかのものだ。だがどうあがこうと、おぬしらラノベの向かう過去はただひとつ」

「そうはさせない」

「いまのぐだぐだな展開をつづけていれば、拙者がわざわざ改変せずとも、おぬしらは結局〈打ち切り〉、存在しなかったことになる。さて、この先どのようにして、手に汗握る展開を繰り出すつもりかな」

「展開しなくてもいずれ展開する。おまえはおれと忍者バトルを繰り広げることになるのだ」

「ほう。してどのように」

「春」

 京介はバルコニーに顔を向け、言った。

「そろそろ出てくるのだ」

 大窓がガラガラと開いた。

 ゆらりと入ってきた春を見て、飯塚はぎょっとした。顔面がぐちゃぐちゃに崩壊していた。

「す、好きでもないおなご、って、本当なの」

「嘘だ。おれは忍者に嘘をついたのだ。おれを信じてほしい」

「それも嘘でしょ」

「それも嘘だ」

「それも嘘でしょ」

「それも嘘だ」

「この嘘つき」

 春は反転し、ふえーんと泣きながらバルコニーに飛び出し、柵によじ登った。立ち上がり、風にあおられるままゆらりと右側に体を傾ける。

 無人のバルコニーに洗濯物が揺れている。

 飯塚は向き直り、あっけにとられた顔で京介を見た。

「いまのやり取りは、本当か」

「嘘だ」

「そうか。拙者を混乱させるため、ふたりでひと芝居打ったのだな?」

「それも嘘だ」

「では本当に仲たがいしたのか」

「それも嘘だ」

「拙者を舐めておるのか」

「そうだ」

 飯塚は喉の奥で唸った。

「怒らせぬほうがよい。怒らせぬほうがよいぞ。拙者、いますぐにでも、おぬしらの過去を意のままに変えられるのだ。じつは芝居であった過去、本当にケンカした過去。真実はひとつ、だが決めるのはおぬしらではない。拙者なのだ」

「好きに変えればいいだろう」

「本当のところはどちらなのだ」

「なぜおれにたずねるのだ。過去はおまえの意のままなのだろう。それとも」

 思わせぶりに間を開け、言った。

「つづきが気になって夜も眠れないのか」

 飯塚は鷹のような目をわずかに見開いた。

「やはりそうか。一ツ橋色葉とのケンカは、拙者を惑わすための策だったのだな。そして」

「何度も言わせるな。そんなに気になるのならば、未来学者に聞けばいいだろう。表裏一体、仲良しこよしの早乙女一馬だ」

 京介はテレビに顔を向け、音量を42に上げた。コメンテーターが不倫アイドルの芸能界復帰の可能性を厳しい口調で否定している。どうでもいい話題をあれだけ真剣に語れるのは一種の才能だなと京介は思った。

 テレビを見ながら飯塚の反応をうかがう。

 飯塚は目を閉じていた。自分に言い聞かせるように口の中でつぶやいている。

「落ち着け。落ち着くのだ。心を納めるのだ。オンアニチャマリシエイソワカ。オンアニチャマリシエイソワカ」

 摩利支天隠形印を結び、呪文をうわごとのように7回繰り返した。

「落ち着いたか」

 飯塚は目を開け、うなずいた。

「では次は、かっこいい忍者の〈お約束〉だ。煙玉でドロンするのだ」

「拙者の行動を予測するな」

「では分身の術でおれを幻惑するのだ」

「おまえらと一緒にするな!」

「そうだ。怒れ。もっと怒るのだ。そしておれを憎め。憎めば憎むほど、おまえはいまのおれを消せなくなる。なぜなら過去を変え、ラノベの〈主人公〉ではないただの高校2年生となったおれを倒しても、おまえの心は決して晴れないからだ。さあ、次はどうする。手裏剣を投げるか」

「あんな重い物を持ち歩くバカがいるか!」

「ではおれはツーハンデッドソードを振り下ろす。おまえは真剣白羽取りをするのだ」

「このクソラノベが!」

 呪文と契印の甲斐もなく、ありのままの感情を爆発させた。

「どうやら拙者を本気にさせたようだ。心理戦で忍者に勝てるとでも思ったか? これより拙者、おぬしの愛する一ツ橋色葉を拉致する!」

「あえて言ったということは」

「そういうことだ」

「そういうことか」

「いやそうではない」

「そうではないのか」

「そういうことだ」

 テレビを消すことで〈無駄な会話〉を断ち切ったあと、京介は言った。

「いずれにせよ、早乙女は予測済みだろう」

「いや、じつはすでに拉致済みなのだ!」

「それも予測済みだろう」

「でも」

 飯塚は小学5年生のように言葉を詰まらせた。

 京介は無慈悲に言い放った。

「口先ばかりの忍者に用はない。色葉を拉致したら、そのときはまた来るがいい。それとひとつ、言わせてもらう。残り湯は洗濯に使うのだ。今度バスタブに潜って隠れているところを見つけたら、そのまま中性洗剤を流し込む」

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