第120話 ウハウハの印税

 京介一行がつくばへ旅立った数時間後、〈両親〉である一ツ橋氏が〈海外〉から帰ってきた。書斎で東京都建設局関東第一高校対策推進計画室長に電話をかけながら、ふと室内の異変に気づいた。

 仕事机の向こう、正面の書架に、見覚えのない本が面陳されている。老眼鏡をはずし、目を細める。よく見えないが、肌色成分多めな表紙だった。

「港区、いや、関東第一高校に、これ以上ヒルズは必要ないはずだ。高校が欲しがるたびに事業認定していたら、なんのための制度かわからなくなる」

「事業認定手続は財務局財産運用部が担当しております。わたしに言われましても」

 書架のあいだに掛けられた祖父の肖像画に目が留まった。渋さが増しているうえ、妙にてかてかしている。肖像画というより設定画のように見えた。

「あんたがいつも指名を受け、立会のうえ署名捺印している。そうだな?」

「特別区長は多忙ですので」

 引き出しを開けたとたん、「うっ」とうめいて閉じた。目にもまぶしい半人半獣の女の子が誘うような瞳で見上げ「にゃあ☆」と鳴いていたからだ。

 室長が言った。

「ほかの土地所有者は、すんなりと同意いただけるのですが。なんと言いましても、教育のためですから」

「教育か。最近は雲行きが怪しいんじゃないのか。ラノベだ」

「はあ。ラノベは存じておりますが、しかし」

「とにかく、伊達さんは困っているんだ。女性を泣かせて楽しいのか。官とはいえ、あんたもひとりの人間だろう」

「いいえ」

 一ツ橋氏は受話器を置き、立ち上がった。

 正面の本棚に歩み寄る。面陳されたラノベを手に取り、思わず顔をしかめた。イラストとタイトルから察するに、〈エルフ〉の嫁とたこ焼き屋を開いて〈異世界〉を救う話らしい。黙ってエロゲをやれば済む話なのに、なぜわざわざ、乳首も見せられないラノベに固執するのだろう。

 寸止めの芸術ということなのか。

 ラノベをかき集め、仕事机に積んだ。祖父の設定画を壁から外し、それも机に置いた。使用人を呼び、本棚にラノベを並べたのはだれだと問いただした。

「旦那様です」

「わたしが?」

「昔の血が騒いだからと、お出かけになるたび書店でハロウィンを買い求められて。趣味としては、けっして悪くはございませんね。もちろんですとも、ええ」

 一ツ橋氏はタペストリーを指さし、言った。

「わたしはああいう美少女ものには手を出さなかった。ロボットもので留めておいたんだ。一線を越えた覚えはない」

「最近越えられたのでは?」

 ブックオフの買取を申し込むよう使用人に言い渡し、背を向け、首をかしげた。

 記憶が飛んだ覚えはない。

 だがそれでこその記憶障害だ。

 年だからな。

 そろそろ跡継ぎ問題も本気で考えなければ。

「ああ、そうそう。お手紙が来ております」

 使用人が出ていったあと、一ツ橋氏は手紙をもてあそびながら、気づけばおのれのオタク人生を振り返っていた。

 再び書架に違和感を感じた。またラノベかと近づく。

 革の背表紙に挟まれ、背の低い白い背表紙がペンシルビルのように押し込まれている。抜き取る。ラノベではない。タイトルは『一ツ橋家の光と闇』(関東第一高校出版会)だった。

 またどこぞのルポライターの仕業か。仕事熱心なのは認めるが、相手にしている暇はない。

 いや。買ったということは暇はあるということか。

 中身も見ずにゴミ箱に放り、仕事机に着いた。重厚な雰囲気を取り戻した書架を眺めるうち、いつしかまじめな問題について重厚に考えていた。

 関東第一高校についてだ。

 ラノベの台頭によってまじめな生徒が減っているにもかかわらず、校舎ヒルズはなぜか順調に増えている。それはいい。建てるのは土地所有者の勝手だからだ。だがヒルズ1本で4000億はかかる。一体どこから資金を得ているのだろう。

 気の毒なのは伊達さんだ。RPG仲間としては、なんとかしてあげたい。だが法は法、法の妥当性について外野があれこれ口を出しても無駄なことはわかっている。霞ヶ関の巨大な歯車がいったんまわりはじめれば、だれにも止めることはできないのだ。

 一ツ橋氏は顔を上げた。基本的な事実に気づいた。

 なぜ校舎ヒルズ建設に伴い、わざわざ土地収用法の規定に従い、事業認定を行い、調書を作成し、役人に署名捺印をさせるのか。

 旧港区=関東第一高校ならば、公設民営学校として、敷地内であれば自由に増改築できるはずではないのか。旧港区全域を「所有」しているのだから。

 もし係る関東第一高校の設置が港区全域を対象とした教育都市としての都市計画事業であったとしても、これまた好きなときに好きな土地を利用できる。土地収用法上、都市計画事業は例外的に事業認定を受けたとみなされるからだ。

 旧港区=関東第一高校であり、なおかつ校舎ヒルズ建設が公益性を有する通常の事業であるならば、土地収用法に従う。だが事業認定は20年も前だ。未開発地は事業認定から1年以内に使用の採決を申請しない場合、無効となる。

 だが住民は全員出ていったじゃないか。適切な補償を受けて。

 まじめな思考が目いっぱい詰め込まれ、脳がぱんぱんになった。あとの処理は脳に任せよう。一ツ橋氏は老眼鏡をかけ、手紙の封を切った。




   TRUST FOR THE DISTRUCITON OF MINATO-KU

   ADACHI-KU

   No.1200005


   一ツ橋様 旧渋谷区

   拝啓

   本年7月4日付の森トラスト重役会の決議に従い、

   7月13日より港区撲滅計画を規定どおり行いますので、

   ここにお知らせいたします。


   教化32年7月10日

                        代表取締役 伊達美和子




「バカな。伊達さんはなにを考えているんだ」

 一ツ橋氏は弾かれたように立ち上がり、使用人を呼びかけ、はたと気づいた。

 もし、港区=関東第一高校高校ではなかったとしたら?

 ヒルズが必要になった都度、土地を取得しているとしたら?

 気づけば手紙を握りしめていた。答えは喉まで出かかっている。丁寧に広げ、二つ折りにし、ふいにゴミ箱に目を落とした。

『一ツ橋家の光と闇』(関東第一高校出版会)を取り出し、ぱらぱらとめくった。

 関東第一高校出版会。

 わかった。

 やつらは自腹で補償したんだ。

 

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