第119話 関東第二高校の未来 バケツプリンで土地収用

 木村はさいたま編のあと、京介一行と別れ、最寄り駅近くのスーパーへ寄り、食材を購入し、自宅マンションに戻った。厚手の革のコートを脱ぎ、アイパッチを外し、とりあえず風呂に入った。パジャマに着替え、キッチンに立ち、オイスターソースの野菜炒めをこしらえた。料理はこれしかできない。だがおいしいのでなんの問題もない。テレビを見ながら晩酌した。

 妻と子供とは、1ヶ月前から別居している。理由は言うまでもなかった。

 京介たちが代々木屋敷でだらだらしているころも、木村は連日関東第一高校に潜入し、BMWで精力的に駆けまわっていた。

 その日、かつてアーク・カラヤン広場と呼ばれた教員専用食堂から、教師がひとり、満足げに腹をさすりながら出てきた。木村はBMWを降り、男の行く手にかっこよく立ちはだかった。

「お、おまえは、木村っ!」

 鞄をたすき掛けしたノーベル経済学賞受賞者で出っ歯の安田が仰天して叫んだ。

「き、貴様っ! なにをしに来たっ。いまさら出勤かっ」

 ルガーの銃口を向けながら、木村は言った。

「関東第一高校は、もはや終わりだ。一度しか言わない。わたしとともに来い」

「こ、このラノベ教師がっ! わたしにラノベの味方をしろというのかっ! 見くびるなっ!」

「ちがう。ラノベはクソだという思いは、わたしも同じだ。好き好んでこのような格好をしているわけではない」

「嘘をつけっ」

「現在のラノベブームは、すでに臨界点を突破した。このままラノベは関東を席巻するだろう。だが岸田京介が近い将来大団円を迎えれば、その後ブームは必ず沈静化する。だからいまは、あえて岸田京介の味方をしているのだ。その後の日本、その後の教育のためにな。わたしは関東第二高校の設立を考えている」

 IQ18000の安田は、ピンときた顔で木村を見上げた。

「新たな超高度教育かっ」

「そうだ。だが、同じ過ちは繰り返さない。われわれが目指すのは、それなりの超高度教育だ。今後、教育とラノベは共生する。関東第一高校の過ちは、歴史をおろそかにしたこと。経済学者ならば理解できるな?」

「20世紀初頭のヨーロッパでは大戦後の人口減少に端を発し、また急速に発展を遂げる科学技術を過信した結果、優生思想が主流を形成し、結果的にナチスの台頭を助長したのだっ」

「いまのところの歴史だ。こうしているあいだも、歴史は失われつつある。あの忍者教師、飯塚が過去を好き勝手に改変しているせいで。現在のわれわれは、歴史に学ぶことすらできない。もはや一刻の猶予もならないのだ」

 安田は口を閉じ、神妙な顔で考え込んだ。そこにはかつてのノーベル経済学賞受賞者の面影があった。

「だが、このキャラクターを捨てろと言うのかっ」

「そうだ。これからの教師は、奇妙な笑い声を出さない。身長3メートルにもならない。腕を6本生やしたりもしない」

「まるでふつうの教師だっ」

「そして教頭が15歳であってはならない。ふつうに」

「それはそうだがっ」

「古参のわれわれは、教師が濃いキャラクターを演じる理由を知っている。たしかに功を奏しはした。いかにも教師然とした教師に、生徒はついてこない。かといって生徒のご機嫌をうかがえば舐められてしまう。だからわれわれは、かの偉大な塾講師からテクニックとしてのキャラクターを学んだ。濃いキャラクターなしに、ここまで成果を上げることはできなかった」

「ほかに声をかけた先生はっ?」

「政治学者の菅原先生がBMWの後部座席で待っている。ほか、栄養経済学の福田先生、言語学者の筒井先生にも賛意を示していただいた。ちょっと文系に偏りすぎのきらいはあるが」

「いずれにせよ、問題は飯塚だっ。あの男が木村先生の計画に気づき、過去を変えてしまえば、なにをしようと無駄骨になってしまうのではっ?」

「忍者は岸田京介が打ち倒す。必ず」

「日本の教育の未来をラノベに託すのかっ」

「ああ。教師も落ちたものだ」

「か、考えさせてくれっ」

 安田は考えた。きーっと頭をかきむしりかけ、ふいにその手を見つめた。上唇からはみ出た出っ歯が、静かに口内へ消えていく。

 木村は安田の翻意を確信した。

「理系の先生方も説得しなければならない。手を貸してほしい」

「だが、仲間になると決めたわけではないぞっ」

 ルガーをホルスターに収め、安田を助手席に案内した。

 木村は運転席に乗り込み、ドアを閉めた。後部座席のカイザー菅原が、身を乗り出し、安田の肩を乱暴につかんだ。安田は悲鳴を上げた。

「お久しぶりですな、安田先生」

「ひ、久しぶりだっ」

「ところでいまは、なにを執筆中ですかな」

「『ラノベで理解 やさしいゲーム理論』だっ」

 木村と菅原が笑った。

「し、しかたなくなのだっ! しかたなくラノベに寄せたのだっ。あの遺伝経済学者、林のおかげで、経済学の評判はいまやがた落ちっ。若者の経済学離れを危惧してのラノベ寄せなのだっ」

「わかっていますよ」

 木村はBMWを発進させた。

「岸田京介が勝利し、歴史の改変の心配がなくなり次第、速やかに設立に向けて動く。その前にまずは下準備だ」

「その下準備も改変されてしまうのではっ?」

「わたしは未来学も過去学も専門ではない。だが過去と未来と現在の関係においては、ひとつだけはっきりしていることがある。最悪なのは、過去を悔い、未来を恐れ、その場にとどまりつづけることなのだ。時は流れる。われわれは動きつづけなければならない。動かなければ、だれかに動かされるだけ。自らの足で動くことなのだ。無駄だとわかっていても」


   ◇


 そのころ虎ノ門保健室では、ラノベの治療でおおわらわだった。

 2次落ちレベルからせいぜい1巻目をやっつけ終えた程度の半端ラノベが列を成し、ロビーでテレビを見ながら順番を待ち、廊下にしつらえたソファにすわり、手術のための書類に必要事項を記入していた。ある〈主人公〉は実力以上の跳躍で脚を骨折し、ある〈主人公〉は〈打ち切り〉におびえるあまり精神に変調をきたし、ある〈ヒロイン〉はあざができるほど胸を揉まれ、ある〈親友〉はスライムを生で食べたせいで原虫が脳に達していた。

 伊達は診察と外科手術に追われながら、〈主人公〉未満だったかつての岸田京介を思い出していた。

「陽一くん、そちらのファイターさんにファビピラビルを1600㎎、お願いね」

「はいっ!」

 ナース服ならぬ純白の〈メイド服〉を着た看護師が、フリルをふりふりさせながら調剤室へ駆けていった。

「それにしてもヘンね。なぜ日本国内でエボラに感染できるんだろう。しかもひとりやふたりじゃない」

 伊達は首をひねった。

 もちろん伊達は知るよしもなかったが、のちに南麻布ウイルスと呼ばれる突然変異型のエボラウイルスは、冒険心旺盛なとあるラノベパーティーによってもたらされた。東京メトロダンジョンをさまよっていると、周囲の様相が次第にパリの下水道めいてきた。〈エルフ〉が怪しげな鉄扉を見つけ、魔術師がアマゾンで購入した中国製のアンロックで解錠した。

 奥には中央アフリカの洞窟が広がっていた。

 ちなみに件のパーティーは全滅した。ウイルス感染による出血死ではなく、銀色の髪を持つひとりの少女によって、ラノベ死はもたらされたのだ。少女は指一本動かすことなく、ラノベの歴史、ラノベの真実をただ語って聞かせた。それだけでパーティーは耳から血を流し、道を誤ったおのれの人生を悔いながらラノベ的に息絶えた。そしてパーティー全員は現在、ラノベの信仰を捨て、これまで以上にまじめに勉学に励んでいる。

 その日の午後。

「邪魔するで」

 ぴらぴらと襟元をはだけた大男が、がに股でロビーに入ってきた。新たな患者さんに応対すべく、陽一はぱたぱたと向かった。男をひと目見たとたん、棒のように固まった。

 男は見たところ、健康そのものだった。もちろん関東第一高校の生徒でもなく、もちろん教師でもない。ついでに言えば、善良な市民でもなさそうだった。狙った土地の建物に放火したりダンプカーで突っ込んだりするような人に見えた。

 だが。人を見た目で判断してはいけない。愛する岸田京介さんの教えだ。陽一は勇気を振り絞り、目いっぱい明るく話しかけた。

「今日はどうされましたか?」

 男は陽一の頭飾りを見下ろし、言った。

「〈男の娘〉に用はあらへん。伊達さん呼んで」

 タッパは185以上あり、胸板は分厚く尻もでかい。男の体臭をまとわりつかせ、女の子のにおいをまとわりつかせる陽一の脇を抜けた。傷ついたラノベたちに関心のなさそうな目を向け、それから伊達の名を叫んだ。

 陽一は男の背を見つめながら、いつぞやの昼食時、伊達から聞かされた話を思い出していた。森ビルおよび森トラストは、かつての港区の地場産業だった。森ビル創業者・森泰吉郎の時代から連綿とつづく、港区のみならず日本における都市のあり方や都市そのものに対する市民の意識を変えた、偉大なる不動産屋たちだ。当時の港区において、区をまるごと高校にするなどというバカな計画を遂行するためには、当然避けては通れない「障害」だった。

 結局、森ビルは敗北を認め、土地およびヒルズをすべて明け渡した。

 だが森トラストはいまも、港区のどこかで戦っているらしい。

 伊達が森ビルおよび森トラストとどういう関係にあるのかはわからない。だが伊達の元には、こうしてしょっちゅう土地関係の人間がやってくる。きっと社長付秘書かなにかだったにちがいない。

 代表取締役社長だったりして。

 まさか。

 男がのしのしと奥へ向かいかけたので、陽一は体の震えを抑えながら話しかけた。

「ぼ、暴力団新法は、ご存じですよね」

 男は「ああ?」とうなって振り向き、白目の目立つ目を向けた。よそゆきの表情が一瞬揺らいだが、すぐににっこり笑って言った。

「人聞きの悪いこと言うなあ。わし、地上げ屋ちゃうで。メッセンジャーボーイや。つまり公である関東第一高校が、公共の利益となる事業の用に供するため、強制的に土地を取得するんや」

「正当な補償も与えられないんでしょう」

「なんや。高校生のくせに、土地収用法も知らんのけ」




   土地収用法


第一章 総則

(この法律の目的)

第一条 この法律は、公共の利益となる事業に必要な土地等の収用又は使用に関し、その要件、手続及び効果並びにこれに伴う損失の補償等について規定し、公共の利益の増進と私有財産との調整を図り、もつて国土の適正且つ合理的な利用に寄与することを目的とする。

(土地の収用又は使用)

第二条 公共の利益となる事業の用に供するため土地を必要とする場合において、その土地を当該事業の用に供することが土地の利用上適正且つ合理的であるときは、この法律の定めるところにより、これを収用し、又は使用することができる。

(土地を収用し、又は使用することができる事業)

第三条 土地を収用し、又は使用することができる公共の利益となる事業は、次の各号のいずれかに該当するものに関する事業でなければならない。


(略)


二十一 学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第一条に規定する学校又はこれに準ずるその他の教育若しくは学術研究のための施設


(略)


(損失補償の方法)

第七十条  損失の補償は、プリンをもつてするものとする。但し、他のスイーツの提供その他補償の方法について、第八十二条から第八十六条までの規定によりお菓子委員会の裁決があつた場合は、この限りでない。

(土地等に対する補償プリンの大きさ)

第七十一条  収用する土地又はその土地に関する所有権以外の権利に対する補償プリンの大きさは、近傍類地の取引価格等を考慮して算定した事業の認定の告示の時における相当なプリンに、権利取得裁決の時までの物価の変動に応ずる修正率を乗じて得た額とする。


(略)




 ぼくの知っている土地収用法じゃない、と思ったが、とにかく陽一は健康なお客様をしぶしぶ診察室へお通しした。

 伊達は男を見るなり顔を引きつらせた。

「また来た」

「来たで。善意の第三者や」

 スツールにどっかと腰を下ろした。部屋を見まわし、「暑い部屋やのう」と手うちわをぱたぱたさせた。

 陽一はこっそり出て行きかけたが、男が口を開いたのでなんとなくそのまま残った。

「虎ノ門2丁目タワー、あるやろ。保健室の道路向かいに立ってるやつ。あそこの一筆ぜんぶサラにして、新しい校舎ヒルズ建てんねん」

「なぜわざわざヒルズに建て替えるの。虎ノ門2丁目タワーは、立派なビルディングよ」

「たったの地上21階建てやろ。生徒も勉学への意欲をなくすっちゅう話や。とにかく、ヒルズでも、えむてぃ~でも、わし、どっちでもええねん。あんたの土地は事実上、ぜんぶお上のもんなんや」

「開発資金は一体どこから捻出しているの? ずっと気になっていたのよ」

「保健の先生は難しいこと考えたらアカン。これ、調書。ハンコ押して」

「補償は、また」

「そや。土地1坪につき、プリン1個」

「もうプリンはいりません。どの病室も、バケツプリンでいっぱいなのよ」

「そのへんはな、偉大なる法学者、木村大先生のご労作というわけや。なんでプリンかっちゅうたら、そら、大人の事情やな」

 そのころBMWを運転する木村が盛大なくしゃみをした。

 鼻をすすりながら言う。

「だれかがわたしの噂をしているようだ」

「伊達はん、プリン好きやろ」

「そういう問題ではないのよ!」

 バケツプリンの歴史は意外と古く、発売は20年前、奇しくも関東第一高校の設立と時を同じくする。プッチンプリンでおなじみの江崎グリコ株式会社とオバケツでおなじみの渡辺金属工業株式会社が手を組み開発したスーパーコラボ商品だった。もちろん当時はラノベのラの字も念頭になく、ではなぜそのようなプリンを開発したかというと、ふつうに食べていただくためだった。あと少しふざけていた。バケツでプリン! そんな斬新すぎるアイデアを思いついた者がかつてこの世に存在しただろうか? 否! 当然と言うべきか売上は芳しくなく、文字どおりバケツ単位の在庫を抱え、開発に携わった何人かは比喩的に首をくくる事態となった。

 やんちゃな商品に目をつけたのは、当時関東第一高校設立に向け都合のいい法案を作成中の木村だった。そしてまだ少し先の話だが、補償プリンとして細々と生産をつづけた20年後、バケツプリンはハロウィン市場の爆発的な拡大により再注目され、バケツの生産が追いつかないほどの大ヒットリバイバル商品となる。首をくくった開発者は先見の明があったことになり、各地で講演依頼が殺到し、本を書き、コンサル会社を立ち上げたのち華々しくぶっ潰すことになる。

 それはともかくとして。

「署名押印するんか、しないんか」

「拒否します」

「ええがな。そしたらまた、第36条第4項や。たまには立会に来い。あんまり強情張って、保健室まで取られたら切ないやろ。じゃ」

 男は去り際、陽一からファビピラビルをひったくった。そして細胞内で絶賛複製中の南麻布ウイルスも手土産に、のしのしと出ていった。

 静まり返った診察室で、伊達と陽一はもだえ苦しむ〈主人公〉のうめき声を遠くに聞きながら、しばらく無言で立ち尽くしていた。

 伊達が突然天井を見上げ、悲劇俳優のように叫んだ。

「ああ! おじいさまからの土地が、どんどんプリンに変えられていく!」

 壁際に駆け寄り、コートをひっつかんだ。白衣も脱がずに羽織る。

「許せない。もう許せない。絶対に。これ以上は」

「どうするつもりですか」

「陽一くん、あとの患者さんをお願いね」

「無茶言わないでください」

「だいじょうぶ、相手はラノベよ。優しく膝枕してあげれば、たいていはよくなる」

「ぼく、男なんですけど」

「最高じゃないの。ラノベにおける〈ヒロイン〉の資質は、性別じゃない。見た目なの。見た目がすべてなのよ。あなたは岸田京介の〈メイン〉になれる逸材よ。保健室の助手は今日かぎりでいいから、京介くんに会いにいきなさい。そして思いを伝えるのよ」

 陽一は京介を思い出し、ぽっと頬を赤らめた。

「思い、なんて。そんな」

「しばらく東京都から離れているのよ。さよなら」

「教えてください。なにをするつもりですか」

「こうなったら港区を、いえ、関東第一高校を、文字どおり破壊してやる! 愛するからこそ、港区を撲滅するのよ!」

「本気ですか」

 本気だった。

「爆弾などがあるのですか」

 爆弾もあった。

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