第118話 関東第一高校の現在

 ここで現在の関東第一高校の状況をお伝えしておこう。大腸菌などの細菌も化学物質によってコミュニケーションを行っているとされているが、ラノベも同じく構内で爆発的に産生され菌密度が閾値を超えた結果、恐るべき表現型が発現する事態となった。クラスの7割がバカなら、バカは調子に乗り、バカどうしで激しく感応し合うだろう。そして排水溝のぬめりのようなネクストレベルのバカ集団に生まれ変わるのだ。全校生徒の約34%がラノベ化した現在、ラノベは学級どころか学校全体を崩壊させる勢いで狂い咲いていた。

 打倒・岸田京介にリソース割きすぎのきらいはあったものの、教頭以下関東第一高校の教師は当然、はやいうちから手を打っていた。まじめな生徒からの苦情、まじめな生徒の両親からの苦情、そしてペアレンツの急激な増加を受け、ラノベに教育は無理であるとの同意を形成し、すべてのラノベを放校処分とした。だが相手はラノベ、すべての両親は死んだか海外へ行っているため、処分は正式に決定されず、なにもかもがぐだぐだのままラノベは現在まで籍を置きつづけているのだった。

 教育の重要性を信じる関東第一高校も、ラノベだけは救えなかった。ラノベのほうも救ってほしいと思っていなかった。ラノベではない生徒は独自に調査委員会を設置し、ラノベが勉学に及ぼす影響を多角的に分析し、今後の方策を検討し、取りまとめ、学校に提出した。

 なんでもいいからとにかくなんとかしてくれ、と。

 結果、校舎ヒルズを3本明け渡すことで双方が同意した。

 教師のいない教室で、ラノベは満を持してラノベを展開した。意味の成さない数式や英文が書かれた〈黒板〉を背景に、だれにも叱られることなく〈学園〉ものを堪能した。〈ラブコメ〉を満喫した。おっぱいを充実させた。組織と呼ぶにも値しない〈生徒会〉を組織した。ラノベヒルズの評判は構外にも伝播し、元ださいたま男女や最近改宗したばかりの一般人が関東第一高校のグリーンベルトに侵入し、フェンスを越え、構内を勝手にうろつきはじめた。

〈日常〉に飽きた一部のラノベは、ジャンルの壁を軽々と越え、かつての愛宕警察署を冒険者の宿と称してたむろしはじめた。旅の仲間を集め、ゲノム改変ハロウィンキット『クリスパーエルフ9』『TALENけもの耳』などをアマゾンで購入し、希望する〈ヒロイン〉にプラスミドをブチ込んだ。人獣妖精混合パーティーは東京メトロダンジョンに潜り、くだらない会話を交わしながら敵を探した。だが出会うのは東京地下鉄株式会社の職員だけだった。

 ラノベは敵を切望した。〈魔王〉が欲しいなどと贅沢は言わない。せめてオークだけでも。ゴブリンオンリーでも構わない。ゴブリンのみでも充分やっていける。その実力は備わっているはず。

 現時点で200万人を超えるラノベのニーズに市場が黙っているはずもなく、ほどなく敵がダンジョンに派遣された。多くは文字どおりの派遣社員だった。悪の魔術師は派遣先の福利厚生に不満を持ち、あとラノベの連中が気持ち悪かったので、〈バトル〉もそこそこにあっさり打ち倒された。結果的に〈俺TUEEE〉が満たされ、ラノベはそれなりに満足した。

 いわゆるハロウィン市場は黎明期にあり、提供される敵もビデオゲームでいうところのスーパーカセットビジョン並みだった。大手企業や銀行は静観の構えで、若く向こう見ずな一部の起業家や物好きな投資家が手を組み、手探りでラノベの森を突き進んでいるところだった。そうして先に説明した敵人材派遣業のほか、自称プロのシナリオライターが作成した代替現実ゲームのキャンペーンシナリオや、クラウドファンディングで実現したラノベ武具などが市場に登場した。それらは一部のアルファ的ラノベに無償で提供された。だがどれもいまひとつだった。自称プロのシナリオライターはおっぱいの本質を理解していないし、板金鎧は肌が傷だらけになるし、クレイモアはかっこよく振り上げるどころか持ち上げることすらできない。そして空気の読めない派遣社員。あなたが武道の有段者なのはわかりますが。ここで勝ってはいけないことくらい理解できません? てか強すぎだから。殴られると痛いから。そういうのいらないから。

 ラノベは真のエクスペリエンスを欲し、ラノベ聖書を読み直し、伝説の岸田京介に思いを馳せた。そして気づいた。そうだ、教師! これぞ灯台もと暗し! 関東第一高校には、ある意味岸田京介に育てられた個性豊かな教師が勢揃いしているではないか! 〈バトル〉の相手としては申し分ないだろう!

 文字どおりよってたかって目の敵にされた関東第一高校としては、ただただ遺憾でしかなかった。それでも律儀に相手をするところは、教育の力を信じる真の教師といえた。

 当然授業はおろそかになり、まじめな生徒の学力は少しずつ下がっていった。学力が下がることで自己評価も下がり、自己評価が下がることで他人が気になりはじめ、女の子と跳んだり跳ねたりして楽しそうなラノベがうらやましすぎて気づけば窓際のいちばん後ろの席で頬杖をつきながらぼんやり窓の外を見つめていた。

 そこへあらわれた、ひとりの女の子。

「亮、くん?」

「咲、ちゃん」

 咲ちゃんの手には入信申込用紙が握られていた。

 もはや打つ手なし。


   ◇


 かつて世界教育都市を標榜していた関東第一高校は、国際レベルでも確実に評判を落としていった。視察に訪れた各国の政府関係者や教育関係者や都市計画専門家は、斜め方向から飛び出してくる「おもてなし」に困惑し、度肝を抜かれ、教育都市であるにもかかわらずすごくバカに見えるのは時差ボケのせいだろうかと疑った。

「ミスター原田。あれはいわゆる、クールジャパンというやつですかな」

 関東第一高校特別区長の原田はさりげなく冷や汗を拭い、流暢な英語で説明しながら、クソラノベ撲滅の策を心中で練っていた。そこへなんたらスーツとかいうしょぼい戦闘着を身につけた高校2年生男子が、なんたらソードとかいう刃渡り1メートルのプラスチック製の剣を手に、原田のほうへアクセラレートしてきた。

「でやあぁぁぁぁぁぁっ!」

 原田は自分のまわりには電子工学的バリアが張り巡らされているので一切の攻撃を弾き返すんだとてきとうに告げた。男子は納得し、その場を去った。

 バカな背中をにらみつけながら、原田は歯ぎしりした。

 岸田京介め!

 スウェーデン王国の産学連携研究グループの面々を笑顔でお見送りしたあと、頭を冷やすためしばらく旧港区をぶらぶらした。

 わたしの決断はまちがっていなかったはずだ。

 気づけばお気に入りの地区にたどり着いていた。

 20年にも及ぶクラスター的な再開発によって、かつての港区は変貌を遂げつつある。クラスターといっても、各方面との調整の末の妥協の産物などではない。原田ひとりで準備・検討、計画から実施までを執り行っているので単に時間がないだけだ。ここ芝三丁目は、本格的に手がけた最初の地区だった。田舎者は意外に思うかもしれないが、東京都には都市計画的胸糞地区が多数存在している。せま苦しい道路に見苦しい電線、比較的新しめのビルにモルタルが剥げた半世紀前の一軒家が乱立し、息も詰まりそうな駐車場とも呼べないスキマがあちこちに見受けられる。そして唐突にそびえ立つ高層マンション。なにが風情だ。こんなものは景観とは呼ばないのだ。原田は芝三丁目のすべてをサラにした。ただし芝公園ファーストビルはかっこいいのでそのまま残した。ヘルメットをかぶり、ビル解体用重機が長い腕で日本の半世紀をまるごとぶち壊すさまを見て、原田はぞくぞくと身を震わせた。一級建築士の血が騒ぐ。これぞ再開発。これぞ都市計画家の夢。住民もいないので頭を下げてまわる必要もない。お上のご意向をうかがう必要もない。やりたい放題だ。

 ここはわたしの街。だれにも邪魔はさせない。

 まずは拡幅たっぷりの道路を縦横に敷いた。いわゆる碁盤の目状の区画ができあがる。区画はアメリカンサイズの240フィート四方にした。道路を舗装し、街路樹にはプラタナスを植え、ベンチやテーブルを設置し、憩いの芝生をそこここに広げた。おしゃれな街路灯に、機能性とデザイン性を兼ね備えた信号。そしてお待ちかねの超高層ビルだ。あちらの区画はビジネス街風の幾何学的なモダン様式にしよう。こちらは商業地域なので、19世紀の劇場を改装しました的な趣あるアールデコ様式にしよう。

 ああ、楽しいなあ!

 ビルの用途はとくになかった。たまに授業の社会実験で使用されるくらいだった。デパートを入れたり、託児所を入れたり、クラックの売人を入れたり。校舎に使ってはどうかと教師たちに持ちかけたこともあった。だがなぜかヒルズ以外は校舎として認めようとしないので、それ以上は追及せず、その後も原田はせっせと無人のビルを建てつづけた。

 教師たちのこだわりも、超高度教育も、格差問題も、わたしの知るところではない。

 わたしにはわたしの目的がある。

 都市の力で、日本と日本国民を変えたい。

 原田が勝手に名づけた15番ストリートを、3両連節の送迎バスがゆっくりと向かってくる。曲線も美しい大ぶりのフロントガラス越しに、運転手の姿がうかがえる。かつての関東地方の公立教師だ。その運転ぶりを見るにつけ、新しい仕事に満足しているようだった。満足していなくても満足せざるを得ないのだが。

 バスはプラタナスの並木を抜け、アベニューとの交差点前で停車した。片側7箇所の乗降口が一斉に開く。車椅子に乗った生徒が、ほかの生徒の手を借りることなく、超低床の乗降口から歩道に降りた。原田は思わず目頭を熱くし、眼鏡を外し、ハンカチで拭った。これぞバリアフリー、あるべき街の姿だ。そしてあとから続々と、夢と希望に満ちたエリート女子高校生約50名ほどが降りてくる。はす向かいに建つかつてのNEC本社ビル、第1校舎ヒルズで授業を受ける生徒たちだ。ちなみにNEC本社ビルはヒルズではないが、3段階にセットバックした特徴的な外観と13階の巨大な開口部階をはじめとしたさまざまなビル風対策を施した日本建築史に名を残す建築物なので、ぶち壊す気満々の教師たちにあれはスーパータワーヒルズというれっきとしたヒルズなんですよと嘘をついて現存に成功したのだった。

 降車を終えたバスが、扉を閉め、発進した。ゆったりと交差点を曲がりかけたところで、3人組の女子生徒が、バスの前をさらりと横切った。バスは通行人に気づき、減速する。通り過ぎたあと、再びバスは加速し、次のヒルズへ向かった。

 見た? いまの見た?

 なぜわたしが興奮しているのかわかる人!

 そう、あれこそが真のアーバンライフというものなのだ! 道路は車のためにあるのではない。道路は都市のスペースのひとつ、みんなが使える『広い場所』、すなわち人間が歩き、集い、憩う公共空間なのだ! 法の問題ではない! 意識の問題だ! いいかげん21世紀も半ばに差しかかろうとしているのだから、市民はモータリゼーションの呪縛から意識レベルで解き放たれるべきなのだ! 道路法が定めています? おまえは車以下なのか? トランスフォーマー以下なのか? 社会は、都市は、そもそも人間のためにあるものだろう! 都市とは新たな自然だ! 人間は主体的に、鉄の車などを纏わずとも、新たな自然を自由に闊歩できなければならない! そんな人間活動があってこその国の成長なのだ! 日本の道路は呪われている。庶民は道路を、単に通行の手段としてしか捉えていない。だからおばはんは、道路のなんたるかも知らず、道路で遊ぶな、危ないざます、と文句を垂れる。それぞれが所有する土地があり、それぞれが勝手に建物を建て、そのあいだにできたスキマを日本では道路と呼ぶ。だからあのような、陰湿で排他的な一方通行だらけの区画ができあがる。ごちゃごちゃした見苦しい街並みができあがる。道路は車のものと認識していながら、身勝手にも自分の家の前だけは通り抜けてほしくないのだ。都市はおまえらのものではない! みんなのものなのだ!

 ぜんぶぶち壊してしまえ。

 女子生徒がひとり、原田に気づき、軽く会釈した。原田は笑顔で答えた。会釈といっても、三つ編みを跳ね上げながら深々と頭を下げる「ぺこり」ではない。さりげなく目を合わせ、うなずいただけだ。その涼しげな瞳には知性がありありとうかがえる。新たな日本人の姿がそこにあった。まだ授業開始まで時間があるのか、ほかの女子高校生たちも、思い思いの行動を取っている。コーヒーカップを手に歩道のベンチにすわり、街路樹のもと数人で談笑し、本を読み、日記をつけている。全体的に憩っている。もちろんまっすぐ教室へ向かう子もいる。空気を読もうと周囲を気にする生徒はひとりもいない。すばらしい自主性ではないか。一部では、関東第一高校の教育を洗脳と言う者もいるのだとか。列を成し、軍隊調に校舎へ向かうイメージだ。だがこの街並みと生徒たちの振る舞いを見たら、そいつらも一瞬で考えを改めるだろう。

 これぞ世界に恥じない、新しい日本、未来の日本の光景だ。すばらしい教育に、すばらしい街並み。そのふたつによって、すばらしい人間がかたちづくられたのだ!

「フレイムランスッ!!!!!」

「レオン様っ!」

 ああッ! あいつらは日本の恥ッ!

 ここはわたしの街だ! ラノベはよそでやってくれ!

 結局よけいに頭を沸騰させることになった原田は、特別区長室に戻り、デスクに着き、頭を抱えた。

 こうなることが事前にわかっていさえすれば。

 ふと気づき、面を上げる。

 原田は急いで受話器を持ち上げ、電話した。

 受話器を置き、立ち上がり、バッグを取り、腕時計を見ながら区長室を出た。

 こうなることは事前にわかるじゃないか。

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